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飢えては喰らい楽しくて呑み穏やかなる眠りに安んず死生は可もなく不可もなく達せるかな達せるかな漢詩の良いところは、意味の謂わんとするところ、心情に沿うところの感得、それらを自由にさせてくれる遊び、とでもいいましょうか、私にとっては、その懐の深さにあると思っとります。また、特に酒を愛でることにおいて、李白と白楽天は大好きなご両人なのであります。はてさて達せるかな達せるかな白楽天もしくは白居易
死を想え。メメント・モリはそうした共通感覚にふさわしい響きを持って問いかける。死というものを。いわんや生を。*今日で毎日遺書を書くつもりでblogを初めてはや7506日目である。ということでもういつ死んでも悔いはない。また、様々なこと思い出すブログかな。ということでこの間の想い出も少しはある。ということで、「メメント・モリ」と「アーカイブ」というカテゴリーをつくってみたったりしました。今死んだ。
寒い暑い栄えたり枯れたり、これ天や地の呼吸のようなもの。苦しい楽しい恵まれたり辱められたり、これ人の生の呼吸のようなもの。と観じて、達者は、これらの感のどこに至ってもにわかに驚くことはない。朱鍾馗
世の中に混じらぬとはあらねども一人遊びぞ我は勝れる。と詠んだのは確か良寛さんだと思うが、人の浮世もままええものじゃが、離れておることが、わしゃ面白い。ということでは一茶も似ている。小林一茶、幼名、弥太郎、六歳の折の発句である。我ときて遊べや親のない雀小林一茶
岩見神楽から2つ目、「岩戸」を描きました。舞を舞っているのは、天宇津女命(あめのうずめのみこと)手前の座って祈っている(?)2人は天児屋命(あまのこやねのみこと)太玉命(ふとだまのみこと) です。詞章(岩見神楽の紹介ペー...
石見神楽より経津主命ふつぬしのみことと建御名方命たけみなかたのみことを描きました。矛を持っている神が経津主命で、大きな石を持っている神が建御名方命です。拡大↓鹿島の物語は、高天原から派遣された経津主命、武甕槌命たけみかづちのみことが、大国主
こちらも以前デジタル画のほうでも描きましたが、能楽「竹生島ちくぶしま」の琵琶湖の龍神です。書いてある詞章です↓龍神湖上に 出現して光もかゝやく金銀珠玉を 彼のまれ人に 捧ぐる気色 有難かりける