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戒壇建立の事業は一天広布の日にあらあずんば成し得べきにあらざるなり。故に、これをしばらく時の帝王に付すといえども、本門の本尊建立は帝王の建立すべきものにあらず。故に、宗祖、御在世にこれを成就し給いたり。 第8章は造仏に関する破折の章となっていますが、当該御文は造仏破折の一環として未来戒壇(事相の本門戒壇)建立に関して言及している部分になります。この御文の趣意は、「本門戒壇(事相戒壇)の建立は広宣流布の時にならないと出来ない。従って広宣流布までの間は国主に託すが、事相戒壇に掲げる本尊は国主が建立するものでないので、日蓮大聖人が御在中に事相戒壇に安置すべき本尊を建立した」という意味です。帝王とは、…
広開の長行に及ぶ所以は、百界千如一念三千の法門、その義を尽くさんがためなり。しかりといえども、略開の時、一念三千その義なしと言うにはあらず、(中略)真の一念三千を説き顕す故に、広開に至って本尊の功徳を顕すなり。 第7章は、勤行等の富士門流の修行に対しする日守の疑難に対し破折を加えている章で、63節は「方便品」「寿量品」の読誦の当門流の「所破」の義を批判する日守を、日寛上人の『当流行事抄』の法義を使って破折しているのですが、私が得心したのは「そもそも正行とは、これ本門の本尊なり。」の日応上人の御指南です。正行というと「題目」のことだと思っていたのですが日応上人は「本門の本尊」だというのです。その…
唯授一人嫡々血脈相承にも別付・総付の二箇あり。その別付とは、すなわち法体相承にして、総付とは法門相承なり。しかして、法体別付を受け給いたり師を、真の唯授一人正嫡、血脈付法の大導師と言うべし。また、法門総付は宗祖・開山の弟子檀那たりし者、一人としてこれを受けざるはなし。けだし、法門総付のみを受けたる者は、ついには所信の法体に迷惑して己義を捏造し、宗祖・開山の正義に違背す。 第6章は、日蓮正宗の血脈相承に関する疑難に対して日応上人が日守に破折を加えている章で、55節のこの一文は日守のみならず、日蓮正宗大石寺の唯授一人血脈相承を否定する全ての者への破折であり、当宗の血脈相承の一端を明かした重要な御指…
それ、結要とは四句の要法なり。すなわち、文上本果の題目なり。寿量文底の題目は、上行付嘱内証の題目にして、外用結要の題目にあらず。けだし、結要とは本果妙の題目を説き顕して本因妙も題目を付嘱し給うといえども、その本果妙の題目の功徳広大にして、所詮、説き尽くし難きをもって、これを四句に結び付嘱し給えども、その付嘱の正体は、いまだ在世に顕し給わざる寿量文底秘沈の本因妙の題目なり。 第5章は、「本門の題目を論ずる」章で、54節は日守の「所詮、結要付嘱の妙法五字こそ、当今、我らが必要とするところなり」という主張に対する破折です。この日守の主張は、「神力付嘱・上行所伝の妙法のみが久遠の本仏の正意であり、宗祖…
曼荼羅一幅に三宝を具するは、すなわち合帰の事相にして、別体の三宝はすなわち妙法の曼荼羅より開発したる事相なり。故に、一体三宝も、その実体一にして、ただ開合の異なるのみ。譬えば、扇子の開きたると開かざるとは、その形容異なりといえども、その実体、毫も異なることなきが如し。しかるに、扇子本来の得能を知らしむるは、これを開き、もって動揺せしむるに如かず。今また、かくの如く下種の三宝の恩徳をして容易に知らしむるは、別体三宝の事相を示すに如くなし。 第4章は、51節だけで当節は日守が当門流の本尊の安置式、特に三宝別体の安置式に実利がないと誹謗してきたことに対する日応上人の破折が書かれています。この部分は、…
其の墨質を尊んで本尊となすにあらず。其の字體を崇めて本尊となすにあらず。尊む所は只だ其の正意のみ崇むる所は只だ其眞理のみ。 第50節は、日守の「戒壇大御本尊は、墨で書かれたものではなく彫刻した本尊だから功力が無い」といちゃもんレベルの疑難に対する、日応上人の破折が書かれている節です。日応上人は、大聖人の御本尊は墨で書かれているからとか字体云々とか相貌・外見で御本尊と崇めているわけでなく、その正意・真理をもって御本尊と崇めているのであると、日守の浅はかな本尊義を破折されています。「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」(経王御前御返事)というのは、墨が重要なのでなく、日蓮が魂が重要なのです。この日…
そもそも我が門所立の境智において重々の秘説あり。一には、本地難思境智冥合不渡余行直達正観事行の一念三千の大御本尊は境なり、この本尊に向かい奉る我らは智なり。これすなわち、末法下種益の境智なり。二には、右に挙げるところの境妙たる本尊一幅の上において、また境智を論ずれば「南無妙法蓮華経 日蓮判」は境なり、「釈迦・多宝」等は智なり。三には、首題の一仏に境智あり。また「日蓮判」とあそばす宗祖の当体において境智あり。また、日蓮、日興および我ら衆生との間において境智あり。 39節は、御本尊首題の『南無妙法蓮華経日蓮』は境智の妙法であるという正宗教義を否定する日守に対する破折です。富士日興門流の相伝法門に無…
☆私の「買い物ツアー」購入したスキーと空のラーメンどんぶりの写真を添付します。写真解説「2種類のウイスキーの小瓶と食事を終えたラーメンのどんぶりです」先日...
☆介護士の価値 高まる.以下に、介護報酬が1.59%UPの新聞記事を添付します。介護業界は厳しい経営状態にあるようです。人材不足は全業界に及んでいるものの...
☆わが家の車は大丈夫?以下に、大規模に不正があったD社の記者会見記事を添付します。写真解説「記者会見で深々と頭を下げるD社とT社の社長の写真が痛々しい」2...
☆心に沁みる歌がある.→ps://www.youtube.com/watch?v=rXYxAALIfho写真解説「ミリオンセラーになった「あゝ上野駅」の手...
☆時間外の仕事が増えるから.9月から転職した新しい職場ですが、すでに一人前に見られています。でもまだ、うる覚えの業務がいくつかあるので完全に独り立ちしては...
☆土日休日で余力を持つ.>第六天の 魔王・ 十軍の いくさを・ をこして 法華経の 行者と 生死海の 海中にして 同居穢土を とられじ うばはんと・ あら...
今、また人法の差別をを立てれば、すなわち差別なり。差別にして無差別、無差別にして差別なり。これをこれ中諦と言う。 本尊に人法を別々に立てると、人本尊は化諦・法本尊は空諦ですから、これだと中道(中諦)を明かさないので三諦が成立せず、蔵・通の二教の教えと同じになってしまします。仮に別に中諦の本尊を立てたとしても、それだと三諦が融和してないので、別教の「但空・但仮・但中」の「隔歴の三諦」の本尊となり、そうなると歴劫修行でなければ成仏できず即身成仏はできません。またそもそも別教を修行するためには、その前に菩薩の位に登らなければならず、末法の荒凡夫には実践不可能な修行です。大聖人の御本尊は人法一体だから…
☆御本尊相貌抄に学ぶ.(ごほんぞんそうみょうしょうに まなぶ)大白蓮華2月号に掲載されている“カズン”の写真を添付します。写真解説「いとこ同士の芸術部員“...
☆ウソつきは泥棒である.長井秀和の未来に、私は確信を抱いています。申し訳ないが、必ず転落の人生を歩む・・一生を通じて、それを見届けたいと思います。今に笑っ...
☆ゼレンスキーの電撃訪米.→ps://www.youtube.com/watch?v=r95hv6O9bYwウクライナ大統領は軍服調の服装で壇上に立って演...
☆長井秀和はバカ者?「毒を喰らわば皿まで」なのでしょうか。市議選に立候補した長井秀和が、とんでもないデマを公の場で拡散したようで、よりによって創価学会が殺...
☆ブログの記録は功徳の証.12月22日になりました。きょうは朝から雨です。近ごろ、以前からもですが、功徳が止まりません。先日、功徳が「雨あられ」と書きまし...
もとより発迹顕本の本有無作の三身たる本仏宗祖にして、南無妙法蓮華経を所作とし給えばこそ人法体一し、本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」と顕れ給うなり。しかして、この本尊出現の上は、無智の凡夫もただ信の一字にて仏乗を成じ、人法体一になることを得べきなり。 今回の御文は、本地難思・本有常在・事の一念三千の体とは、発迹顕本した御本仏としての日蓮大聖人の所作、即ち大聖人の色心二法であることを明かしています。日寛上人は『文底秘沈抄』で、「当流の意は事を事に顕す。是の故に法体是れ事なり」と御指南されています。日守や創価学会の様に南無妙法蓮華経の法を本尊に顕したという本尊義だと、法=理を本尊=事に顕すことに…
問う、人法は元これ勝劣なり。故に『百六箇抄』に、「法は本、人は迹なり」と述べ給う。しかるに、これを体一と言う者は、本迹一致の輩なりと。この難、いかが会通するや。答う、人法において二つあり。云わく、体一と勝劣なり。体一とは絶対妙に約し、勝劣とは相対妙に約するなり。 今回から第2章の要文に入りますが、第2章は「下種人法体一」を論じている章です。最近の創価学会教学では、人法体一(人法一箇)を否定し日蓮大聖人を崇拝の対象ではないと教義変更しましたがその主張は驥尾日守と同じです。当御指南は日守が『百六箇抄』の御文を文証に人法体一を言う者は本迹一致でないか?という問いに対し、日応上人は、人法の会通は相待妙…
説く汝、日守、いまだ祖判を伺うの秘曲を知らず、語を換えてこれを言えば、一往・再往、付文・元意、文上・文底、教相・観心等の大格を知らざる闇者なり。すなわち法相・法理に闇昧なり。いわんや、当家秘伝の種脱の相対、十重顕観、四重の興廃、三重の口決、宗旨の三箇、宗教の五箇等、大事の相伝を知るべきの理なし。ああ、不相伝邪曲の至りと言うべし。 第1章19節は、日守が『本尊問答抄』の一文を挙げて大石寺教学を非難している事に対し、日応上人が反論し日守の我見を破折している内容です。日守の御書(祖判)の読みと解釈が間違っているのは、一往・再往、付文・元意、文上・文底、教相・観心という立て分知らないからで、御書はこう…
また汝、知らずや、本化上行菩薩におても内証・外用に約して二身ることを。そもそも外用に約すとは、既に述べたるが如く、文上本眷属の上行なり、(中略)次に、内証に約する上行とは、久遠元初名字の釈尊己心所具の上行菩薩なり。 1章16節は、日守の大聖人は上行菩薩の再誕(垂迹)であって本仏ではないという主張に対し日応上人が破折を加えています。いまの創価教義は日守と同じ邪義ですね。昔は日蓮正宗の教義をパクっていましたが、最近では身延日蓮宗の教義をパクっていて本当に創価の借りパク教義は無残です。さて日応上人は上行菩薩にも内証と外用があると言われています。外用とは法華文上に説かれる久遠実成の釈尊の本眷属の上行で…
通じてこれを言わば上に述べるが如く、あるいは「日蓮等」と言い、あるいは「我等衆生」と言いて、宗祖の金言を信じ。本門寿量文底下種の題目を口唱するの徒は、皆これ宗祖大聖と等しく本有無作の覚体ならざるわなし。しかれども、別してこれを論ずれば、宗祖内証己心所具の一念三千直達正観の南無妙法蓮華経をもって本尊と尊崇奉り、日蓮判の御当体をして久遠元初一迷先達の大祖本仏と崇重し、余はその末流に等しく浴せんとするのみ。故に、通論は傍意にして、別論を正意とす。 この御文は日寛上人の両重の総別義の第二の総別を日応上人が更に会通をされた御指南です。池田創価は題目を唱える者はみな大聖人と等しいという「凡夫本仏論」主張し…
それ、金口の血脈相承・唯授一人の秘曲は、衆庶に伝播するが如きものにあらず。これはこれ唯仏与仏の秘法にして、独り時の貫主の掌握せるところなり。これには数箇の条目あるべしといえども、要ずるに宗祖己心の秘妙を垂示し、一切衆生成仏を所期する本尊の活眼なり。 この御文では最初に日蓮正宗の唯授一人血脈に関しては、当事者以外の僧侶(衆)や信徒(庶)に教えるようなものではいと断言されています。正宗から発生した異流儀の創価学会・顕正会・正信会の連中は、日顕上人への血脈相承を疑い宗門に血脈相承の証拠を出せなどと言ってきますが、唯授一人血脈の内容はもとより相承方法は部外者に知らせるようなことではないです。ましてや異…
本尊は正宗なり、祖判は流通分なり。また本尊は仏意なり、祖判は機情なり。本尊は自行なり、祖判は化他なり。 『弁惑観心抄』要文の初回、は第一章・第三節の御指南です。「祖判」というのは大聖人の御書のことです。大聖人仏法における正宗分となるの本尊であり御書は流通分。また本尊は仏意であり自行(大聖人の随自意)であり、御書は信徒の信心の理解(機情)に合わせてた説法(随他意)という御本尊と御書の関係を示された御指南です。創価の連中は大聖人仏法の全てが御書に書かれていると勝手に思い込んで、戒壇大御本尊のことなどが御書に書いていないこと根拠に否定しますがそれは全く御書の意義も読み方も知らない異流義の我見です。ま…
儒教で重要な書物を『四書五経』といいますが、私は四つの御歴代上人の典籍と五つの御書(五大部とは少し違います)を個人的に日蓮大聖人の仏法の法門における『四書五経』と決めていて教学の根本テキストにしています。五経(御書)は割愛しますが四書としているのは、日寛上人の『六巻抄』、日有上人の『化義抄』、日顕上人の『三大秘法義』そして日應上人の『弁惑観心抄』です。創価時代には『弁惑観心抄』は所持していなかったので正宗に移籍してすぐに購入し通読し現在でも正宗教義のテキストとして愛読しています。『弁惑観心抄』は、京都要法寺の住職・驥尾日守が大石寺批判として著した『末法観心論』に対して日應上人が日守の邪義を破折…
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