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今回の『創価学会教学要綱』の最大のトリック(詐欺)は「僧宝」の関する記述だ。結論を言えば、日興上人を巧妙に「僧宝」は外して事もあろうか創価学会を事実上の「僧宝」と定義した。いままで創価は日顕上人から始まり日目上人までの「僧宝」を否定してきたのだから日興上人を「僧宝」から外すことは十分想定内で驚く事ではないが、大聖人仏法を破壊する創価の謗法教義を指摘・破折することは大聖人の信徒しての責務であるので『創価学会教学要綱』のトリック(詐欺)を破折しておきたい。同書では「僧宝は仏宝と法宝を伝える教団(サンガ)であるという本義の上から、日興上人を範とし、現代において南無妙法蓮華経を正しく伝持する教団である…
慈雲尊者が、こんな話をしていた。若末世にても、如来の正法正義によりて、二百五十戒を守り、四縁・十縁具足して、如法に法義を勤めますれば、此人が末世の大福田・大導師じや。此を僧宝と云じや。何様な学者でも、智者でも、手跡が見事でも、持戒清浄で無ければ、実の僧宝では無い。結縁の分斉じや。慈雲尊者『三帰法語』11丁表さて、今回見ていきたいのは、持戒清浄かどうかで判断される、僧宝と結縁の問題である。ただ、当方の調べ方が悪いと思うのだが、慈雲尊者がどの辺を典拠にしてこれを仰っているのかが分からなかった。ただ仰っていること自体は理解しておきたいと思う。まず、慈雲尊者は「末世(末法)」であることを前提に話をしておられる。末法の世とは、教行証の教のみが残る時代ともされており、行証が無いという。しかし、ここでは如来の正法と正義...僧宝ではなく結縁という話