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空海は774年、四国・讃岐に地方官吏だった佐伯直田公(さえきのあたいたきみ)の子として生まれました。18歳で大学に入りましたがその2~3年後に山林修行に入り私得度僧として出家しましたが出家後の足取りは不明ですが、804年の32歳の時に最澄と同じ遣唐使船団で正式な僧侶として入唐します。空海がいつ正式に受戒得度したかは不明ですが一説には東大寺戒壇院で具足戒を受けたと言われています。入唐に当たって、最澄が還学生だったの対し空海は留学生でした。そこで最澄とは違い唐の都の長安まで足を延ばし青龍寺の密教系第7代祖師の恵果に師事しました。その密教の秘法を学んだ空海は翌805年に恵果から伝法阿闍梨の灌頂を受け…
『法華玄義』の基礎知識の最後は『五重各説』です。『五重各説』は、釈名(しゃくみょう) 、辯体(べんたい) 、明宗(みょうしゅう)、論用(ろんゆう) 、判教(はんぎょう) の五章で構成されていて、その中の釈名が全体の半分以上を占めて法華経の経題の「妙法蓮華経」を詳細に解釈してます。さらに釈名の章では「妙法」「蓮華」「経」に三分し特に「妙法」を最も詳細に解釈しています。『法華玄義』をすべて読むのは大変ですが、この五重各説の釈名「妙法」の部分だけでも読むと大聖人仏法の理解に大いに役立つと思います。「法」についての解釈は略釈・広釈があり、広釈で「衆生法」「仏法」「心法」を説明しています。また「衆生法」…
今回は、【七番共解】について書きますが、天台教学は細かく説明ていくと結構長く小難しくなります。法華玄義はあくまでも大聖人仏法の為の周辺知識なので細かいことまで覚える必要もないと思いますので、【七番共解】からは【会異】の章を簡単に説明します。【会異】とは異なったものを統合して統一させることで、五重玄(異に会す)が四悉檀(異)と一致するということです。四悉檀とは世界悉檀・為人悉檀・対治悉檀・第一義悉檀で仏の説法を4種類に分別したものです。四悉檀も詳細を書くと長くなるので説明は割愛します。この四悉檀の基礎理論が【会異】では展開されています。四悉檀は第一義悉檀を説明するために他の三悉檀に論及し結果的に…
『法華玄義』の本文は、【七番共解】と【五重各説】で構成されています。前回、書きましたが【七番共解】は五重玄義(五重玄)の総論であり、【五重各説】は五重玄の各論です。【七番共解】とは、①標章②引証③生起④開合⑤料簡⑥観心⑦会異の7章からなり五重玄を総括的に解釈します。(総論)「標章」は五重玄(五章)を宣揚する内容です。「引証」で法華経の文証を引き、「生起」は五重玄の次第順序を明らかにします。「開合」で五重玄と理事・教行・因果などの他の概念との関係を示し、「料簡」では問答によって真実を究めていきます。「観心」は、前段階までの「標章」から「料簡」までを改めて観心の立場から明らかにします。「会異」とは…
『法華玄義』は本文に入る前に最初に『私記縁起』『序王』『私序王』『譚玄本序(たんげんほんじょ)四種の序が書かれています。これらのうち『私記縁起』『私序王』は章安大師が『序王』『譚玄本序』は天台大師の筆です。『私記縁起』にはいわゆる天台大師の十徳と呼ばれる事跡が書かれいて『序王』は法華経のエッセンスが書かれています。『私序王』は章安大師の筆なので天台大師の筆の『譚玄本序』は『私序』に対して『本序』と呼ばれます。本文においては『私序王』の中に『本序』が含まれた形になっています。『私序』の最後の【此の妙法蓮華経とは本地甚深の奥蔵なり】以下の文が『本序』の部分になります。これらの『序』の次に本文に入り…
『醍醐寺理性院血脈』と『五輪九字明秘密義釈』(気軽非活ロレックス氏と法華講員の議論より)
前回記事で気軽非活ロレックス氏の『不動愛染感見記』の記事に対する質問の回答を書いたが、SNSで法華講員から『不動愛染感見記』は東密ではなく台密の相承であることを指摘された氏は今度は『醍醐寺理性院血脈』と『五輪九字明秘密義釈』を持ち出して大聖人が真言宗の相承を受けたと反論したようだ。因みに私のSNSアカウントは気軽非活氏に一度もリプしたこともないの何故かブロックされている。(笑)それはいいとして氏がこの2書を持ち出したのは真言宗の『醍醐寺理性院血脈』中の第25代目に【日蓮】と記されているから大聖人は真言宗の血脈を受けたというわけだ。当書は昭和の初めに金沢文庫で発見された称名寺四代目の実真筆である…
『不動愛染感見記』に関する気楽に語ろう創価学会非活ブログ記事への質問に答えて。
先日、ブログ読者の方から「気軽に語ろう創価非活プログ」に書かれている『不動愛染感見記』についての質問があったのでメール等だと少し長文になってしまうのでブログ記事に書きます。気軽非活氏の論説については何度か書いたけど正宗や大聖人を批判するために使える史料や文証を切り取っているだけで、仏法の法門法義を語っているようでよく読めば法門法義の論説ではないので特に気に留めてもいないが、質問を受けた以上は氏のブログ中の【不動愛染感見記は日興から日目に付属された】という記事はちゃんと読んだ。さて『不動愛染感見記』は建長6年6月25日付の大聖人の御真筆だが信徒の信心に資する部分が少ないので御書全集には掲載されて…
日興門流の信徒は「義道の落居無くして天台の学文す可からざる事」との日興上人の御遺誡もあり天台を含め仏教一般を研鑽することはあまりないと思うけど大聖人の法門を理解する上で仏法全般の知識は役に立ちます。但し日興上人が言われるように「義道の落居」即ち大御本尊への信が固まらないうちは広く仏教を学ぶのはよろしくない。私も3年ほど御書からはなれて経典や論・釈の研鑽をしていたら危なく大聖人の仏法に戻れなくなるところでした。あくまでも基本は「信」その上で天台大師の【法華玄義】の基礎部分を数回に分けで書いていきたいと思います。【玄義】や【御書】を読む上で基礎教学の部分だけ書きます。今回は最初なので天台大師の三大…