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次に僧の恩をいわば、仏宝・法宝は必ず僧によって住す。譬えば、薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといえども、僧有って習い伝えずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝わるべからず。故に、大集経に云わく「五箇の五百歳の後に、無智・無戒なる沙門を失ありと云ってこれを悩ますは、この人、仏法の大灯明を滅せんと思え」と説かれたり。しかれば、僧の恩を報じ難し。されば、三宝の恩を報じ給うべし。 今月の座談御書は「生死一大事血脈抄」。以前も講義した御文なので過去記事をリンクしておいた。今月の座談会御書は創価が信心の血脈を切文で悪利用する定番の御文だね。そんな創価員の偽教学の破折と是正の念を込…
創価の連中が正宗の口伝法門を批判する時の定番は「御書に書いていない」という台詞だ。特に戒壇大御本尊に関しては必ずと言っていいほどこの台詞を口にする。ところが一方で創価の連中は平気で御書に書いていない池田大作の創作妄想インチキ教学を信じ主張するダブスタを発揮する。そこでそんな池田創価の御書に書いていない教学挙げて池田創価教学のインチキ法門を破折していきたいと思う。初回は創価信仰の核心である「師弟不二」を取り上げる。「師弟不二」とは仏法の根幹・根本であり、創価の魂であると池田は繰り返し会員に指導し、創価の代名詞ともいえる「師弟不二」なのだが、実はこの「師弟不二」という言葉は御書のどこにも書かれてい…
3月11日は創価の「小樽問答記念日」なので今回は「小樽問答」の話をしようと思う。「小樽問答」の音声は現在ではYouTubeなどで自由に聞くことができるが、この音声を書き写した『現代宗教研究』の【創価学会と日蓮宗の小樽問答記再現記録】というテキストがある。創価でも「小樽問答誌」を発刊しているがこちらは当時の流行った「お富さん」をもじり「いきなドンスで身延の山に、とんだ姿の黒いつら、死んだはづだよ宗俊さん、生きていたとはお釈迦様でも知らぬ祖師堂河内山、エッサオー御開帳」などと品のない事が書いてありテキストとしては不適切で不愉快。従って【小樽問答記再現記録】が一番正確な小樽問答のテキストだと思われる…
たまたま仏事をいとなみ法華経を供養し追善を修するにも、念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来って、法華経は末代の機に叶い難き由を示す。故に、施主もその説を実と信じてあるあいだ、訪わるる過去の父母・夫婦・兄弟等はいよいよ地獄の苦を増し、孝子は不孝・謗法の者となり、聴聞の諸人は邪法を随喜し、悪魔の眷属となる。 今月の座談会御書も以前講義した御文なので過去記事のリンクを読んでもらうとして(しかし同じ御文ばかりだな創価の座談御書)、今月の創価学会員の為の御書要文はお彼岸も近いので『唱法華題目抄』の上記の御文を選んでみました。お彼岸と言っても創価では会館の御本尊への献膳もなければ(創価執行部の創価本尊は単なる掛…
当ブログでも散々指摘してきた創価のインチキ教学。こんな教学を学んでいるから学会員はいつまでたっても低レベルで法華講からの破折に対抗できず正宗の僧俗をデマで罵倒する事しかできない低俗な人間のままで成長しない。この創価教学の根本になっているのが池田創価の言う「実践の教学」というモノである。この「実践の教学」とは一体どんなものか?創価公式サイトでは「正しい仏法の法理を信仰実践のなかで学び、心に刻んで、御本尊への「信」を深めていくこと」と信仰者であれば当たり前のことをさも創価の専売特許のように大げさにかいてある。では創価の「実践の教学」とはどのような教学なのか?これは池田大作の指導を読み聞きすればすぐ…
たまたま円機有る人の法華経を学ぶをも、我が法に付けて世利を貪らんがために、汝が機は法華経に当たらざる由を称して、この経を捨てて権経に遷らしむるは、これ大謗法なり。これらのごときは皆、地獄の業なり。 今月の創価座談御書も過去に取り上げた『大悪大善御書』なので過去記事をリンクするだけにして、創価ではあまり取り扱わない創価学会員の為の御書要文を講義します。今回は『十法界明因果抄』から上記の御文をチョイスしました。本抄の全体的な内容は、十界それぞれの因果を示し、法華経誹謗が謗法堕獄の業因であることを明かされ、また仏界については爾前権教と法華経の戒とに大きな違いがあることを示され法華経こそが即身成仏の教…
昨晩、X(ツイッター)にポストしたが、ついに創価の公式サイトから僧宝・日興上人の名前が消えて、【創価学会】が日興上人を僧宝から蹴落としその座を盗み取った。『創価学会教学要綱』に則って邪義邪教化がまた一歩前進した。 そもそも教義というのは「仏の教え」が有りきである。またその教義を正しく説き伝持していくのが僧宝である。つまり教義は三宝に即して決定されるわけだ。ところが創価ではまず教義を作りそれに合わせて「三宝の方を変える」のである。法宝の時もそうだった。それまで呼び方は自己都合で変えていたが法宝は本尊だった。しかしいつの間には法宝は「本尊」から「南無妙法蓮華経」に変えてしまった。法=南無妙法蓮華経…
しかるあいだ、仏の名を唱え、経巻をよみ、花をちらし、香をひねるまでも、皆、我が一念に納めたる功徳・善根なりと信心を取るべきなり。 昨年まで「創価教学じゃない御書講義」と題して創価の座談会御書を講義してきたが、あまりにも同じ御文の繰り返しで芸がないので今年からすでに講義した座談会御書は過去記事をリンクすることにし新たに『創価学会員の為の御書要文講義』を開始することにした。インチキ創価教学では教えてくれない講義なので学会員諸氏にとって正しい信心に戻るきっかけになれば幸いだ。さて第1回目は『一生成仏抄』からの御文を選んだ。当御文は私の座右の御文のひとつだ。この何気ないの御文に信心の一番大切なご指導が…
創価教学じゃない御書講義(2023年11月座談会御書・寂日房御書)
かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり 今月の座談会御書の御文は以前一度やった御文なので前回とやや重複するので下に前回の講義を参考までにリンクしておいた。さて創価教学だと冒頭の「かかる者」即ち日蓮大聖人の事を「法華経の行者」或いは「上行菩薩」であると講義するのが大半だ。しかしその説明は確かに間違いではないが正解でもない。何故なら「法華経の行者」「上行菩薩」という表現はあくまでも大聖人の外用の姿であり迹の姿の説明にすぎないからだ。大聖人が御本仏であることを表に講義してこそ正しい御書講義になるの…
創価教学じゃない御書講義(2023年10月座談会御書・報恩抄)
日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらわず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。このこといまだひろまらず。一閻浮提の内に仏の滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。日蓮一人、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もおしまず唱うるなり。 創価では毎月の座談会で切文のインチキ御書講義をしているが、今回はちょっと酷すぎる。この前文を読めば分かるが(創価員は大白御書なので知らないだろうが)、この御文は、【問うて云わく、天台・伝教の弘通し給わざる正法ありや】との問いに対して、◆一には、日本乃至一閻浮提一同に、本門の教主釈尊を本尊とすべし。いわゆる宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏ならび…