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浅井昭衛死去の話題もその後の池田大作の死去ですっかり霞んでしまった感があるが、一部の顕正会員は元気で昭衛の死後から差出人不明の顕正新聞がご丁寧に届けられている。こんなことをして何がしたいのか理解に苦しむのだが無料で顕正会資料が手に入るし、相変わらず「交通事故の保険金で住宅ローンを返済した」とかすぐにバレる幼稚なウソ体験談で笑わせてもらっているのでくだらない4コマ漫画だと思えば悪い気はしない。貰ってばかりでは申し訳ないのでたまには顕正会の事も書いてあげよう。今回届いた顕正新聞(1月分2部)によると1月は顕正会の教学試験があったようで問題と解答が掲載されていた。レベル的には創価と似たり寄ったりだけ…
「御遺命守護完結奉告式」のたばかり。ショウエーのウソ発信器①
その場しのぎの出たとこ勝負でウソを連発する顕正会の浅井昭衛。いまではスッカリ「たばかり昭衛」「嘘つき昭衛」のイメージが板についた感じだ。世間では「ウソ発見器」なるものがあるが浅井昭衛はさしずめ「ウソ発信器」といった所だ。しかし浅井のウソはすぐにバレてしまうから池田大作のような一流の詐欺師にもなれないし、大川隆法のようにあからさまに笑いを取りに来ているピン芸人にもなれず、中途半端なただの「嘘つき爺さん」なので面白味に欠ける。そんな「噓つき爺さん」に尻尾を振って懐くから顕正会は妙観講に「犬性会」などと揶揄されてしまうのだ。嘘つき爺さんに騙されて大判小判を搾取されている顕正会員の姿にポチも草葉の陰で…
浅井顕正会の正宗誹謗のひとつとして御開扉に対する誹謗がある。曰く「不敬・危険な御開扉を即時中止せよ 大御本尊を営利の具とするは無道心の極」(顕正新聞平成30年11月5日号)だそうだ。浅井顕正が御開扉への誹謗を突如として始めたのは平成12年の事だ。きっかけとなったのは正本堂の解体である。正本堂解体に関する浅井昭衛の「たばかり」の数々は別の機会に詳しく書くが、平成3年の顕正新聞紙上で浅井は、【いま顕正会も、御遺命守護の御奉公のゆえに登山を妨害されてすでに歳久しい。しかしこの重大な御奉公を命かけて成し遂げたとき、必ず大聖人様の御意に叶って登山が叶うことを、私は確信しております。その時こそ全顕正会員と…
妙信講(顕正会)が宗門から講中解散処分をされた直接の原因となったのが正本堂だ。これらの経緯については元顕正会の法華講員さんさん達が詳細を発信しているが、「日達上人や池田創価が正本堂を大聖人の御遺命の戒壇である意義づけたことは御遺命破壊の謗法である」というのが浅井顕正の主張である。しかし、昭和39年の池田大作が発願し昭和40年2月16日に第1回目の正本堂建設委員会においての日達上人の御指南は、 ◇したがって今日では、戒壇の大御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。 ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本…
顕正会の浅井の邪義である【天母山戒壇論】話では良く聞く天母山だが実際はどんな場所なのか興味をそそる顕正会員も多いと思う。私も法華講員として興味があったので過日の大石寺への御登山の帰りに少し遠回りして実際に天母山へ行ってみた。百聞は一見に如かずである。大石寺の三門から北山の前を通り過ぎしばらく走ると天母山の麓になる。大石寺から車なら10分程度だった。大通りから左折をすると天母山に登る山道になる。 一応は2車線だかそれほど道は広くない。木が茂りうっそうとしているしている山道をしばらく登っていくとようやくやや開けた場所にたどり着く。顕正会が国立戒壇を建立する予定なのはこの辺りだろう。 開けた場所で最…