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☆兄弟抄(きょうだいしょう)※写真:2025年大白蓮華4月号(50ページ)の座談会御書の御文です。2025年4月度大白蓮華の座談会御書・兄弟抄(きょうだい...
☆乙御前御消息に学ぶ.(ざだんかいで おつごぜんごしょうそくを まなぶ)写真解説「学会勤行要典の自我偈“大火所焼時 我此土安穏・・”の部位の写真」2025...
上野尼御前御返事・別名烏竜遺竜事(2025年3月座談会御書講義)
☆烏竜遺竜事(おりょういりょうのこと)※写真:わが家の近隣に咲く白梅です。梅花は春のさきがけの花です。2025年3月度大白蓮華の座談会御書・上野尼御前御返...
☆比類なき日蓮仏法の哲理.>2000年1月、北陸の友に先生は語った。「戦うかぎり必ず道は開ける。戦うかぎり必ず栄え続ける。戦うかぎり、絶対に行き詰まらない...
☆三沢抄(みさわしょう)以下に、1月度大白蓮華の表紙を飾る富士の写真を添付します。2025年1月度大白蓮華の座談会御書・三沢抄(みさわしょう・御書新版20...
☆国内は減少も海外は拡大.パラグアイとブラジルSGIの写真を以下に添付します。※上写真はパラグアイSGI、下写真はブラジル南部都市の会館落成式。創価新聞2...
☆阿仏房尼御前御返事に学ぶ.(12月座談会で あぶつぼうのあまごぜんごへんじに まなぶ)2024年11月度大白蓮華の座談会御書・衆生心身御書(あぶつぼうあ...
創価教学じゃない御書講義(2024年8月座談会御書・四条金吾殿御返事)
賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなりしかるを・ひりに主をうらみなんどし候へば・いかに申せども天まほり給う事なし 今月の創価座談会御書は『四条金吾殿御返事』別名『八風抄』の御文です。過去に講義したことない御文なので久しぶりに【創価教学じゃない御書講義】をします。実はこの御文は私が任用試験を受験したときに出題された印象深い御文です。と言っても読んだ通りの御文なのですが、人生において私達の心にいつも吹いている八つの風。いい風が4つ(四…
創価教学じゃない御書講義(2023年12月座談会御書・日妙聖人御書)
我ら具縛の凡夫、たちまちに教主釈尊と功徳ひとし。彼の功徳を全体うけとる故なり。経に云わく「我がごとく等しくして異なることなし」等云々。法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり。 今月の座談御書も以前一度やった御文なので下に以前の講義と日妙聖人の略伝記事を貼って置くよ。さて今回も前回の講義と重複するけど創価教学ってこういう御文を学ぶとほぼ高確率で「自分と仏は等しい」いうような講義をするよね。そして最近の傾向では「法華経」を「南無妙法蓮華経」と講義する。昔は「法華経=南無妙法蓮華経=戒壇大御本尊」って会通したんだよ。六波羅蜜(釈尊の因行)が具わっているのは、本門の本尊の南無妙法蓮華経でその体は…
創価教学じゃない御書講義(2023年11月座談会御書・寂日房御書)
かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり 今月の座談会御書の御文は以前一度やった御文なので前回とやや重複するので下に前回の講義を参考までにリンクしておいた。さて創価教学だと冒頭の「かかる者」即ち日蓮大聖人の事を「法華経の行者」或いは「上行菩薩」であると講義するのが大半だ。しかしその説明は確かに間違いではないが正解でもない。何故なら「法華経の行者」「上行菩薩」という表現はあくまでも大聖人の外用の姿であり迹の姿の説明にすぎないからだ。大聖人が御本仏であることを表に講義してこそ正しい御書講義になるの…
創価教学じゃない御書講義(2023年10月座談会御書・報恩抄)
日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらわず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。このこといまだひろまらず。一閻浮提の内に仏の滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。日蓮一人、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もおしまず唱うるなり。 創価では毎月の座談会で切文のインチキ御書講義をしているが、今回はちょっと酷すぎる。この前文を読めば分かるが(創価員は大白御書なので知らないだろうが)、この御文は、【問うて云わく、天台・伝教の弘通し給わざる正法ありや】との問いに対して、◆一には、日本乃至一閻浮提一同に、本門の教主釈尊を本尊とすべし。いわゆる宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏ならび…
創価教学じゃない御書講義(2023年9月座談会御書・御義口伝上)
御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。 今月の座談会御書は珍しく『御義口伝』からのチョイス。法華経法師品の「成就大願愍衆生故生於悪世広演此経。(大願を成就して、衆生を愍れむが故に、悪世に生まれて、広くこの経を演ぶ)」の文に対する御指南。法師品のこの文は妙楽大師が法華文句で【願兼於業】と釈し創価指導でもお馴染みだろう。創価風にいえば「妙法流布の為に願って末法に生まれて来た」という意味で現在の苦悩も全て過去世に自分が願ってきた事ということで「自分が願ったのだ…
創価教学じゃない御書講義(2023年8月座談会御書・四条金吾殿御返事)
苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給え。 今月の座談御書は『衆生所遊楽御書』。この御文も既に2回ほど記事にしていて、今年4月の御講拝読御書で講義したばかりなので過去記事を最後にリンクしておくので法門的な事は過去記事を読んでください。で、今日は法門というより創価の間違った題目について書くので創価員はシッカリ読むように(笑)この御書は四条金吾殿が主君や同僚などに疎まれ憎まれている最中の金吾殿が一番苦しかった健治2年の大聖人の御指南です。創価では苦しい時や辛い時には【師弟誓願の題目を上…
創価教学じゃない御書講義(2023年7月座談会御書・檀越某御返事)
さておわするこそ、法華経を十二時に行ぜさせ給うにては候らめ。あなかしこ、あなかしこ。御みやづかいを法華経とおぼしめせ。「一切世間の治生産業は、皆実相と相違背せず」とは、これなり。 今月の座談会御書は『檀越某御返事』の上記の御文で、2016年にもやっている御文だね。真筆は中山にあって宛名が無いので「某檀越」とさているが一節では四条金吾に宛てた御書ではないかともいわれている。創価座談会では【信心即生活】とか【仏法即社会】とかいって社会の中で仏法勝負の現証を!などというテンプレ講義がされるのだろうから、今回は創価員に理解できるかどうか別として少し教学レベルを上げてみる。中難易度といった所だ。【一切世…
ただ大白蓮華のその個所をみんなで読み合うだけの御書講義。それでおわりって、なんだよ、それ?そりゃ、読まないよりは良い。だが毎回、毎回、それでいいのか?おまけに…
創価教学じゃない御書講義(2023年6月座談会御書・上野殿御返事)
抑今の時・法華経を信ずる人あり・或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり、此れはいかなる時も・つねは・たいせずとわせ給えば水のごとく信ぜさせ給へるかたうとし・たうとし。 今月の座談会御書は『上野殿御返事』の御文。別名『水火二信抄』と呼ばれる御書で、信心には【水の信心】と【火の信心】があり、一時燃え上ってもすぐに消えてしまう火の信心ではなく水の流れのように常に退転することのない信心を勧められている御書ですね。振り返れば創価の信心はまさに【火の信心】そのものだっ…
創価教学じゃない御書講義(2023年5月座談会御書・顕仏未来記)
月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く 今回の座談会御書は『顕仏未来記』の御文。この御文は【仏法西還】を示していて【仏法西還】とは【仏法東漸】に対する言葉で、正法・像法時代に釈尊の仏法がインドから東の日本に流布されることを【仏法東漸】といい、末法にはいると大聖人の仏法が逆に日本から西のインドに還っていくことを【仏法西還】という。広義においては大聖人仏法の一閻浮提広宣流布の予言(未来記)となる。本文では「月」を釈迦仏法に「日(太陽)」を大聖人仏法に例えているがこれには多々意義があるが、釈迦在世の国を月氏国といい大聖人は日…
創価教学じゃない御書講義(2023年4月座談会御書・呵責謗法滅罪抄)
何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり はい。今月の座談会御書は選挙の定番の上記の御文だね。池田大作がこの御文を引用して、【あの“まさかが実現”の大阪の戦いで、関西の宝友と心肝に染めた御聖訓に「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」とあります。御本仏のこの御一念に直結し、我らは、いかなる災難にも、いかなる試練にも、わが友を一人一人護りに護り、強盛なる大信力・大行力で無窮の大仏力・大法力を湧現しながら、断固として不可能を可能にしていくのでありま…
創価教学じゃない御書講義(2023年3月座談会御書・弥三郎殿御返事)
但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり 今回の御文は創価が選挙時に取り上げる定番の御文。前回は都議選のときに座談御書になったね。過去記事を末尾にリンクしておくからそちらも読んでね。今回の御文ですが奇しくも私の所属寺院の3月度拝読御書と全く同じ。だけど講義は全然違うけど。創価が講義すると「今こそ勝負の時、勝って創価学会の名を上げセンセイにお応えしよう」なんて話を選挙の度に当該御文を利用して会員を煽る。でも結果として現在に至るまで創価は「悪名」だけが上が…
創価教学じゃない御書講義(2023年2月座談会御書・日女御前御返事)
南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす 今月の座談会御書の『日女御前御返事』の当該御文は過去に座談会御書講義でも御講御書拝読も取り上げらた御文なので記事の最後に過去記事をリンクしておきます。創価座談会では「自行化他の題目」の話ですかね。なにせ創価に言わせれば選挙活動は化他の題目らしいから(爆笑)「公明党ばかりを支援して仏になることが大切」ってことかね?そんな講義で信心が深まるのか不思議だよ。【仏法の根本は信を以て源とす】と言うのは全ての宗派・信仰に当てはまる。そしてほとんどの宗派の信の対象は本尊である。日寛上人が ◇夫れ本尊と…
創価教学じゃない御書講義(2023年1月座談会御書・諸経と法華経と難易の事)
仏法やうやく顚倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり 今回の座談御書の一節も以前に取り上げた御文です。当ブログで創価の座談会御書を取り上げて分かったのだが、創価の座談会御書って同じ御文を数年に一度のサイクルで繰り返しやっているだけで、新規の御文を取り上げることってほぼ無いんだよね。要文だから仕方のない部分はあるけど「やっつけ仕事」みたい。もっとも実際に座談会で講義する連中も「やっつけ仕事」だから気にしないのかも知れないがそんな御書講義なんて意味ないと思うけどな。今回の御文は読んだ通り。また今回の御文で伝えたい部分は以前の記事に書いたのでそちらを再読し…
創価教学じゃない御書講義(2022年12月座談会御書・新池殿御消息)
千里の野の枯れたる草に蛍火のごとくなる火を一つ付けぬれば、須臾に一草二草、十・百・千・万草につきわたりてもゆれば、十町二十町の草木一時にやけつきぬ。竜は一渧の水を手に入れて天に昇りぬれば、三千世界に雨をふらし候。小善なれども、法華経に供養しまいらせ給いぬれば、功徳かくのごとし。 今月は財務振込月間に会員を煽るに相応しい。『新池殿御消息』の冒頭の御文が座談会御書にエントリーです。こういう見え透いたカタチで会員を誘導し財務に駆り立てる。会長の原田稔も「広宣流布のための大福徳が積まれることは間違いない」「財務に勝る大善はない」とか適当な事を吹聴する。いかにもカルト教団の手口といったところです。創価員…
創価教学じゃない御書講義(2022年11月座談会御書・千日尼御前御返事)
譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ 今月の座談会御書は別名『雷門鼓御書』の一節です。当抄は夫の阿仏房を身延の大聖人の許に三度送り出した妻の千日尼の信心を称賛されてる一節です。この御文は顕正会・浅井がインチキ遥拝勤行を正当化する御文としても有名です。創価的には、「池田先生と直接会うことが大切なのではなく、師匠の心をわが心とする師弟不二の云々」という男子部的な講義か、「家族が学会活動に出かけ…
創価教学じゃない御書講義(2022年10月座談会御書・佐渡御書)
畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる諛臣と申すは是なり強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべし 今月の座談会御書は創価員に汎用性の高い佐渡御書の一節です。この御文を取り上げるのは創価がバッシングされている時とおよそ相場が決まっています。つまり今月の座談会で当御文を取り上げたということは創価が焦っている証左でもあり逆に言えば創価員洗脳のチャンスでもあるということになります。統一教会絡み…