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「4人の食卓」(2003年) 「夏なのかな…暑い …熱くてたまらないのに逃げ場がない…」
偶発的に霊視能力に目覚めた男が出会ったミステリアスな女。彼女はその能力ゆえ絶望の淵にあり、思わず彼に救いを求めるが…。■監督/脚本「犯人は生首に訊け」の女流監督イ・スヨンの長編デビュー作 主演は韓流ドラマ「パリの恋人」「銭の戦争」「町の弁護士 チョ・ドゥルホ」のパク・シニャン、「猟奇的な彼女」「僕の彼女を紹介します」のチョン・ジヒョン ■出演/カン・ジョンウォン(パク・シニャン)、チョン・ヨン(チョン・ジヒョン)、ジョンウォンの婚約者ヒウン(ユ・ソン)、ヨンの夫パク(パク・ウォンサン)、ジョンウォンの父カン牧師(チョン・ウク)、妹ヨンソ(カン・ギファ)、ヨンのママ友ジョンスク(キム・ヨジン)、…
モキュメンタリー沼 第1章5節 詰まるとこ”ほんと”か”ウソ”か
何度も言うが本当っぽければ真偽はどうでもいい派である。ツッコむのはシャギっぱなしのあけすけな合成動画と、女性スタッフにあえて極寒の深夜、薄着生足ミニスカで山奥の化けトン歩かせたり、凶暴な人物にゲリラ取材させたり、素手で異物や死骸を触らせたりする悪趣味くらい。さて今回は「もしかしてガチ(かも)」編。申し訳ない事に若い巻は現在より合成や詰めが甘く(誤字誤用も多く^^;)、”ビデオテープ”という柔軟な素材に頼り過ぎてる感もあるが、そもそも恐怖体験やソレっぽい映像が偶然撮れても発表の場が無い時代であり、最低5000円最高20万もの報奨金目当てのガチ勢=危険な廃墟廃屋への不法侵入や遺痕旧跡聖域忌地にツバ…
「神様には今の事を、仏様には死後の事をお願いする」信仰を持つ前の私はぼんやりとそんな風に思っていました。初詣や厄払いに縁結びや安産に受験合格などの祈願は神社だけど、葬式や法事はお寺にお願いする。一般的な神仏に関する感覚はこんな感じだと思いますが皆さんどうでしょうか?さて神社の神様は分類すると、自然神(山や海の神・北島三郎の世界)、生活神(トイレの神様とか)、祖霊神(先祖の神様・通称氏神)、人物神(学問の神様菅原道真など)、神話神(天照大神等)となります。因みにエンタの神様は天宇受売命(アメノウズメノミコト)です笑。私達はこれらの神様に色々なお願いをするわけですが、実はこの神様達は人間を守ったり…
あのドラマを見て宗教について考える・信者も教祖も人間だから…
最近、次女に付き合って見ているのがこのドラマです。 https://www.nhk.jp/p/ts/VJLNY
今日は息子の受験でした。朝、6時前には起きてお弁当作り。 イソップ物語の「アリとキリギリス」で言えば、完全にキリギリスタイプの息子。 「アリとキリギリス」の…
三重県桑名市の多度大社で行われる【上げ馬神事】。昨年この神事で骨折した馬が殺処分されたことで動物虐待として今も物議を醸し問題になっている。この神事ではここ15年で少なくとも4頭の馬が殺処分されたこともあり馬上げの中止を求める声が上がりマスコミにも報道された。馬主は愛情を込めて世話をしていたとコメントしているが愛情を込めた馬を危険な神事に出すのか?それとも上げ馬に出すために愛情を込めたのか?よく私には理解できない愛情だ。世間の講義に対し三重県教育委員会は多度大社に改善の勧告を行い、多度大社側はこれまでの2m程の壁を低くするなど対策を施したうえで継続する意向のようだ。【上げ馬神事】については動画も…
御講拝読御書研鑽(2024年1月・ 経王殿御返事)※獅子風蓮さんへの回答を含む
日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし、妙楽云く「顕本遠寿を以て其の命と為す」と釈し給う。 経王御前には・わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき、「充満其願・如清涼池・現世安穏・後生善処」疑なからん 今月の座談会御書は『経王殿御返事』からの御文です。『経王殿御返事』は1ページ程度の短編ですが内容の濃い御書ですが、なかでも当該御文は本尊義を示す有名で重要な御文です。対合衆の経王殿については四条金吾夫妻の子供という説がありますがその詳細は不明で…
今年は創価の新年勤行会が4年ぶりに2日間の日程で開催されたそうだ。私の創価活動家時代には最初は深夜0時の回に参加したいたが近隣住民からクレームによってその後深夜0時は中止なった。寺院や神社は元旦深夜に参詣で人が集まってもクレームというのはあまり聞かないがそこが社会に根付いていない信仰宗教団体の辛いところだ。昭和52年の新年勤行会で池田大作が「寺院は儀式の場」「御本尊はもはやどれも同じ」「大聖人の御遺命の戒壇建立は創価学会がした。全部私がやった」と指導し3日にその指導を全国の会館で流したことが池田創価の52路線の教義逸脱の始まりだったことは有名だが、その池田創価が新年勤行会の結集に力を入れだした…
今回の『創価学会教学要綱』の最大のトリック(詐欺)は「僧宝」の関する記述だ。結論を言えば、日興上人を巧妙に「僧宝」は外して事もあろうか創価学会を事実上の「僧宝」と定義した。いままで創価は日顕上人から始まり日目上人までの「僧宝」を否定してきたのだから日興上人を「僧宝」から外すことは十分想定内で驚く事ではないが、大聖人仏法を破壊する創価の謗法教義を指摘・破折することは大聖人の信徒しての責務であるので『創価学会教学要綱』のトリック(詐欺)を破折しておきたい。同書では「僧宝は仏宝と法宝を伝える教団(サンガ)であるという本義の上から、日興上人を範とし、現代において南無妙法蓮華経を正しく伝持する教団である…
コメントご意見ありがとうございます。 ご指摘のコマーシャルにつきましては当方も頭を悩ませておりまして、お叱りを受けることもございます。 ただ当方ではスポンサーを選ぶことができませんので、どうしてもこういうことになってしまいます。 要望としてちょっと送ってみようと思います。 まあ確認はしておりますが、贅肉もアタシは気にならないではありませんし、目の下のたるみは怖い、そしてアタシはBL系といったところ...
11月23日に池田大作の学会葬が行われた。始まる前に参加者全員のスマホの電源を切らせるという厳戒態勢のの中(笑)その様子が全国に創価の会館で放送され創価員達が参加しているようだ。なんでもSNS等に内容の公開厳禁だそうだ。原田会長が批判者は潰すというような内容のスピーチをしたとの情報もあり仮にそんな発言をしていたなら公開厳禁にも頷けるが、創価は昔から言論の自由を認めない組織体質だからな。折角創価御自慢の「学会葬」を広く知ってもらういいチャンスだったのに勿体ない。とはいっても人の口に戸は立てられない。既に参加した創価員からボチボチ情報も漏れ聞こえてくる。ネットとリアル創価員の発言と聖教新聞の画像か…
今日は池田大作の初七日。池田死亡の報の翌19日に菩提寺で初七日の塔婆の申し込みをしおいたので先程寺院へ参詣し一人で読経・唱題と焼香を済ませてきた。私は池田に対して恨み辛みは毛頭ないし逆に感謝も恩儀も感じていない。池田に対する思いがあるならば怒りと憐れみだ。怒りといっても私憤ではない。大聖人の仏法を我見と邪義で汚しそれを巻き散らかし大聖人仏法を貶めたことに対する怒りである。憐れみは多くの法華講員の感じているソレである。とはいえ私を折伏したのは学会員でありその折伏のお陰で大聖人の仏法を知ることが出来て紆余曲折はあったものの戒壇の大御本尊様へお目通りできるようになったの事実だから池田創価に対しては多…
昨日は、U元副部長と地区長さんと3人で大石寺御登山してきました。寒いだろうと思って上着も持参したのですが、すごくいい天気でしかも暖かくて上着は必要ありませんでした。先月の御登山も暑いくらいの気候で本当に恵まれています。今年は思う所があり毎月の御登山を決意していましたが、昨年の12月以来、昨日までついに1年間の毎月の御登山の参詣をすることができました。自分でも感慨深いというかなんというか不思議な気分です。季節ごとの御山の移り変わりも感じることもできました。御登山して戒壇大御本尊様にお目通りしそこでまで自分自身を励まして毎月それの繰り返しですが、やはり大石寺はいつ来ても気持ちがいいです。創価や顕正…
「大いなるもの」「神」などといいますが、今日はそのようなお話をしてみたいと存じます。 ようこそ、おいでいただきました僧侶カウンセラーで植物療法家の 釋尼 蓮明…
佐渡で一番最初の大聖人の信徒になった阿仏房の出自については諸説ありますが、現在の所は佐渡土着の武士であるとされています。妻の千日尼と共に佐渡流罪中の大聖人を外護し大聖人が身延に入られてから阿仏房は高齢の身で3度身延の大聖人の許を訪ねています。また千日尼の「千日」とは大聖人から頂いた法号とも言われ大聖人の佐渡在留期間が約1000日間だったことから「千日」の法号となったいう説もあります。さて大聖人が流罪の地である塚原三昧堂に入られたのは文永8年(1271)11月1日です。佐渡の念仏信者だった阿仏房は噂の極悪僧侶・日蓮(大聖人)を殺害せんと塚原にいきますが大聖人の御尊容と御法門に接しその場で念仏を捨…
創価内ではよく「信仰体験がないと確信が持てない」と言われるが、私は別にそうは思わない。体験があろうとなかろうと信仰への確信とはそれほど関係ないと思っている。数々の功徳の体験をもつ多くの旧日蓮正宗創価学会員がその功徳体験の根本と信じていた戒壇大御本尊を棄てて平気で創価員を続けていることを見ても彼等の信仰体験が大聖人仏法への確信に繋がらなかったことを証明している。それでも相変わらず「体験が命」とばかりに他人にとってはどうでもいいような体験を発表したりする創価員も多い。なんども言うが自分からペラペラと話す人間の体験談は凡庸で退屈な話が多い。これは創価に限らず世間一般的も同じで自分語りする人間の話は大…
以前も書きましたが勤行の時に読む御観念文は大聖人仏法の法門法義が書かれている大切な御文です。この御観念文を朝晩に読むことによって信徒である我々は知らず知らずのうちに大聖人仏法の根本の法門法義を身に付けます。ですから御観念文をおざなりにすることなくしっかりと読んでいくは大切な修行です。正宗では御観念は暗誦するのではなく経本を読むことを推奨しています。これもいつも書きますが勤行も御観念文も「読む」ことが基本です。五種妙行においては「読」と「誦」は別個の修行です。経文や御観念文を暗唱できたとしても勤行は「読」と「誦」を兼ね備えた修行ですから宗門の推奨する「経本を読む」ということを実践することに越した…
こんばんは。いまあすです。 元首相の惨劇から明るみになった、旧統一教会の問題。 といっても三十数年前。私が小学校低学年頃、霊感商法や集団結婚式で連日、ワイドーショーを賑…
ブログ等で体験談を語りその体験を根拠に「創価の信心は正しい」とか言う創価員って結構いる。中には日蓮正宗には功徳御体験がないなんて勝手に決めつけて正宗や法華講を腐すようなアタオカ学会員もいたりする。まぁ聞かれてもいないのに体験を自分から語る学会員の体験談はたいていは「大したことない」体験が多い。「俺も昔はヤンチャして云々」と自分から語るヤツがたいしてヤンチャしていないと同じだ。本人にとってはものスゴイ体験なんだろうけど第三者から見たら別にどうってことないような事ばかりでどこに自慢ポイントがあるのかサッパリ分からない。当ブログの読者で正宗に移籍して大白法(正宗の機関誌)に体験談が掲載された方がいる…
今回は池上左衛門太夫康光の子息で、兄・右衛門太夫宗仲、弟・兵衛志宗長の池上兄弟の話です。池上家の由来は記録によると摂政・藤原忠平の三男・忠方が平将門の乱平定の為に京より下向し武蔵国千束池の上に住したことから池上の名を氏にしたことに始まるとされてますので、池上家は藤原一族で鎌倉時代の当時は相当の家柄であったと思われます。宗仲が叔父の日昭から折伏を受け大聖人に帰依したのは立宗宣言から3年後の康元元年(1256)で、その後に宗長も兄の折伏により大聖人に帰依しています。二人の父である康光は極楽寺良観の熱心な信徒だったので兄弟の入信には当初から反対したと思われまずが兄弟は大聖人への信仰をやめることなく却…
創価教学じゃない御書講義(2023年10月座談会御書・報恩抄)
日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらわず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。このこといまだひろまらず。一閻浮提の内に仏の滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。日蓮一人、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もおしまず唱うるなり。 創価では毎月の座談会で切文のインチキ御書講義をしているが、今回はちょっと酷すぎる。この前文を読めば分かるが(創価員は大白御書なので知らないだろうが)、この御文は、【問うて云わく、天台・伝教の弘通し給わざる正法ありや】との問いに対して、◆一には、日本乃至一閻浮提一同に、本門の教主釈尊を本尊とすべし。いわゆる宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏ならび…
暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。 この観心本尊文段の一節は有名な御文なので一度は聞いたことが有る方も多いと思います。読んだ通りなので特にこれといった解説はありませんが、この御文は我々大聖人門下の因行果徳が具体的に書かれています。「この本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば」とは我々信徒の修行です。「この本尊」とは当該文段の冒頭に【この本尊に人あり法あり。人は謂く久遠元初の境智冥合自受用報身。法は謂く久遠名字の本地難思の境智の妙法なり】と書かれているように人法一箇の本尊ですから「仏力・…
今日は彼岸の中日。午前中に菩提寺で奉修された彼岸会に参詣してきた。創価でも今年から「勤行法要」を各地の会館や墓苑で行っているそうで、今日は「秋季彼岸勤行法要」だそうだ。それに先駆け9月18日の聖教新聞で彼岸法要についての座談会が掲載されたが西片青年部長という阿保が相変わらず日蓮正宗に対するデマ発言を言っている。(以下太字は聖教新聞からの引用)※10月1日の教学試験の範囲にもありますが、日蓮正宗(日顕宗)は、“僧侶による葬儀や回向が成仏のために不可欠”などと主張していますが、大聖人は、そのようなことは一切言われていません。※“僧が上で俗が下”などという「権威主義」「差別思想」も、本来、仏法にはあ…
先日の12日に御登山から帰ったあとに菩提寺の『竜の口法難会』へ参加しました。恥かしながら御法難会には初参加です。創価時代には大聖人にまつわる法要など全くなくてただ「今日は大聖人に○○の日だね~」で終わってしまうので特に何事もせずその日を過ごしてました。(大聖人の○○の日であると言わないの方が多かったけど)。そんな創価時代の悪癖が抜けておらず菩提寺で執り行う法要に対して無頓着でしたが徐々に創価臭が抜けてきてようやく寺院での法要に進んで参詣しようと思えるようになってきました。考えれば『竜の口の法難』は大聖人が発迹顕本された重大な日ですよね。外用においては大聖人の御入滅が不滅の滅を顕われた日ですが、…
日蓮大聖人には女性信徒も大勢いましたが中でも個人的に一番なのが、乙御前の母の日妙聖人です。幼い乙御前をつれて佐渡の大聖人の許を訪ねるその純真さと強さは間違いなく私の中では「お嫁さんにしたい御信徒NO.1」です(笑)。そんな日妙聖人の氏素性はハッキリしていません。鎌倉の信徒で夫と離婚か死別をして寡婦だったこと。幼い子供を連れて佐渡まで行ったから年齢は多分20代前半。また幼女が「乙御前」と呼ばれていたので夫は武士階級(御前は階級の高い女性の名前に付ける尊称)であったと思われます。そんな日妙聖人が大聖人を訪ねて乙御前と佐渡に行ったのは鎌倉の大聖人の教団は壊滅に近かった状態文永9年(1272)のことで…
昨日、今月の御登山にU元副部長と地区長さんの3人でいってきました。大石寺も先月よりはいくらか暑さは和らいでいますがまだまだ暑い中の御登山でした。さて今回の御登山で当ブログの読者である古刹信徒さんに大石寺でお会いすることができました。想像通りというより想像の上をいくナイスミドルの方でした。御開扉の時間まで小一時間ほど話すことができ色々なことを教えていただき楽しいひと時でした。過去にも何人かのブログ読者の方と大石寺でお会いしていますがこのようなひと時も御登山に楽しみのひとつでもあります。総本山の空気の中で信心の話を聞かせてもらえるのは嬉しいしブログ管理人としての役得だなぁなんて思ってます。(ブログ…
創価教学じゃない御書講義(2023年9月座談会御書・御義口伝上)
御義口伝に云く大願とは法華弘通なり愍衆生故とは日本国の一切衆生なり生於悪世の人とは日蓮等の類いなり広とは南閻浮提なり此経とは題目なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。 今月の座談会御書は珍しく『御義口伝』からのチョイス。法華経法師品の「成就大願愍衆生故生於悪世広演此経。(大願を成就して、衆生を愍れむが故に、悪世に生まれて、広くこの経を演ぶ)」の文に対する御指南。法師品のこの文は妙楽大師が法華文句で【願兼於業】と釈し創価指導でもお馴染みだろう。創価風にいえば「妙法流布の為に願って末法に生まれて来た」という意味で現在の苦悩も全て過去世に自分が願ってきた事ということで「自分が願ったのだ…
信者当に知るべし、釈尊既に爾なり、蓮師もまた然なり。我等正見ならば、蓮祖の弟子なり。若し信行退転せば則ち三界に流転して、また吾が祖をして五百塵点劫に疲労を生ぜしめんか。能く思い、能く勤めよ。応に信行を励むべし。一生空しく過して万劫に悔ゆることなかれ云云。(御書文段P138下) 今回は開目抄文段からの御指南です。これは『開目抄下』の【諸仏・釈迦如来の分身等】の御文に対する文段です。当該御指南の前段には薬師仏・阿弥陀仏の分身仏は全て五百塵点劫釈尊の弟子である。と言われています。爾前迹門の時までは分身仏と釈尊は同等ですが本門寿量品において釈尊の本地である五百塵点劫が説かれた後は分身仏は全て釈尊の弟子…
前回の記事で盆踊りについて書いたが、同日の「soka youth media」のオピニオンのページに【地元の「みこし」を担いでみた件】という記事が公開されていた。 www.sokayouth-media.jp 読んでもらえれば分かるが、要するに地元の祭りで神輿を担いで地域の人に感謝されたという内容で、記事中には「御本尊への信心があれば、地域行事であるお祭りなどに参加することは何ら問題がありません。さらにいえば、自他共の幸福を目指す仏法者として、自らが住む地域のために何かの役に立ちたいという思いは、むしろ大切にすべきことだと思います。」(記事より引用)などと己義を構えて自分を正当化している。そし…
今の時期はお盆ということで各宗派のお寺で『盂蘭盆会(うらぼんえ)』の法要が行われていますね。『施食会(せじきえ)』という宗派もあります。私の菩提寺でも昨日『盂蘭盆会』があり参詣してきました。他宗ではどんな感じなのか分かりませんが日蓮正宗では最初に献膳の義、その後読経・唱題に入り読経の途中でお焼香をするといった流れです。唱題が終わると御住職が塔婆供養を願い出た方々と菩提寺の檀信徒の精霊に追善回向の御観念をしてくれます。こういう法要に参詣する度に創価学会という新興宗教を辞めて日蓮正宗に移籍してよかったと思います。創価員は今頃は先祖供養なんて放っておいて「友好活動」という名の選挙事前運動をしているの…
「創価学会」の創価とは「価値創造」という意味だが、この「価値創造」とは初代会長である牧口常三郎の学説『価値論』が出自である。私は『価値論』は創価男子部時代に一度そして数年前にもう一度読んだがこの牧口の『価値論』にこそ創価謗法の萌芽があると思っている。否、牧口を初代会長というなら最初から創価は日蓮大聖人の仏法とは異質の異流義だったといえよう。知ってる人も多いだろうが、牧口の『価値論』はカントの『価値論』である【真美善】に対し【真(理)】を【利】に置き換えた学説である。真理というものは客観的な真実(または虚偽)の存在(対象)で、価値とは主観である創造されるものであるので真理は価値でないというのが牧…
創価教学じゃない御書講義(2023年8月座談会御書・四条金吾殿御返事)
苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給え。 今月の座談御書は『衆生所遊楽御書』。この御文も既に2回ほど記事にしていて、今年4月の御講拝読御書で講義したばかりなので過去記事を最後にリンクしておくので法門的な事は過去記事を読んでください。で、今日は法門というより創価の間違った題目について書くので創価員はシッカリ読むように(笑)この御書は四条金吾殿が主君や同僚などに疎まれ憎まれている最中の金吾殿が一番苦しかった健治2年の大聖人の御指南です。創価では苦しい時や辛い時には【師弟誓願の題目を上…
私の菩提寺で6月末から約1か月間リフォーム工事をしていたのですが先日その工事が終了しました。記念行事ということで2年間ほど御供養を募り私も少しばかりの御供養をさせていただきました。玄関までスロープを作った他に玄関ホールの床とクロス。そしてトイレの改修。玄関ホールの床を改修したことで本堂との段差が無くなりバリアフリーになり外にスロープを作ったのと相まって車椅子や脚が悪い方に優しくなりました。そしてトイレがキレイになったのは女性の御信徒さんは特に嬉しいと思います。私の菩提寺は小さなお寺ですけどこうして皆で御供養してお寺がキレイになっていくのは本当に嬉しいです。正宗は衰退して困窮している。大石寺も末…
昨日は、5月に続いて2度目の慶祝登山をしてきました。先月の御登山から3週間だったのですが、この時期の樒は「持ち」が悪く葉っぱが落ち始めて来たてのでグッドタイミングでした(笑)昨日の慶祝登山は臨時追加された日程でした。火曜日という事で火曜日休みのN元部長に声をかけたところ「ぜひ行きたい」ということで、私は予定していなかったのですが急きょ御登山することに。地区長さんも同行してくれて3人で自家用車で行ってきました。N元部長はお寺の参詣もなかなかできず、訳あってまだ自宅に御本尊も御安置できない状態で久しぶりに戒壇大御本尊様にお目通りして喜んでいました。しかも今回は最前列。私は2度目の最前列でしたが御法…
人の心は水の器にしたがふが如く物の性は月の波に動くに似たり、故に汝当座は信ずといふとも後日は必ず翻へさん魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ、夫れ天魔は仏法をにくむ外道は内道をきらふ、されば猪の金山を摺り衆流の海に入り薪の火を盛んになし風の求羅をますが如くせば豈好き事にあらずや。 今月の御講異読御書は『聖愚問答抄』でした。本抄は上下二巻からなり真筆は存在しません。また御述作の時期は古来いくつかの説がありますが本宗では文永5年説を採用しています。対告衆も不明ですが本文の内容から武士の身分にあった信徒だと思われます。愚人と聖人との問答形式で書かれている御書で前半は諸宗破折の内容で、現代の創価等の異流儀…
富士宗門史として今回から日蓮大聖人御在世の信徒の略伝をかいていきたいと思います。独断と偏見でトップバターは四条金吾です。四条金吾の正式名は【四条中務三郎左衛門尉頼基】といいます。四条は性、三郎は通称、頼基は名で中務は父・頼員の官名(中務少丞)で、左衛門尉は頼基の官職位です。この左衛門尉を唐名で金吾校尉と呼ぶことから四条金吾と通称さていました。金吾の家系は現在も続いていて四条家に残る家系図によると四条家は藤原鎌足の後裔で父・頼員は承久の乱の後に北條一門の名越遠江守朝時その嫡子越後守光時に仕え頼員は建長五年に他界しています。金吾は寛喜二年(1230)に生まれ、正安三年(1300)年に没しており、妻…
今日は誤解を招きかねないタイトルなので、最初に断っておきます。 これは僕だから泣けたのであり、もし泣ける人がいるとしたら、僕と似たような経験をした人か、ものすごく共感力のある人、くらいでしょう。人は、孤独なものです。ましてや精神世界のこととなると、理解し
本抄の前半から本人並び看取りの人達の臨終において用心しなければならない御指南が続きますが、『臨終用心抄』の後半には「臨終の相」についての御指南が書かれています。一、臨終の相に依つて後の生所を知る事。と最初に「臨終の相」によって故人の死後の境涯を知ることができると言われています。つまり「臨終の相」が善相であるか悪相であるかで故人の成仏・不成仏が見て取れるということですが次では、一、他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。と他宗謗法の人がたとえ臨終の時に善相を示したとしても堕地獄であるといわれています。その理由を【師は是れ針の如し弟子檀那は糸の如し、其の人命終して阿鼻獄に入るとは此れ也云…
昨日、大石寺へ御登山し戒壇大御本尊にお目通りしてきました。梅雨時期なので雨も心配しましたが曇り空ながら途中は薄日も差して富士山こそ見れませんでしたが雨もなく良かったです。境内の所々にさく紫陽花がキレイでした。昨年の12月から毎月御登山をしていいますが季節の移り変わりを感じることができて、最近ではそれも御登山の楽しみのひとつです。 さて、今年は大聖人生誕800周年の慶祝登山が行われていますが昨日も慶祝登山の御信徒さんがいました。また海外信徒も大勢いて宗門は少しずつかも知れないけど確実に威勢が増していると感じます。そんな正宗の慶祝登山に嫉妬してか相変わらず御登山にケチをつける創価員は後を絶ちません…
臨終正念の妨げとなる原因である、1断末魔の苦、2魔の所為、3妻子財宝への執着に対する心得として日寛上人は次のようにご指南されています。 一、問ふ断末魔の時心乱れざる用心如何。答ふ、平生覚悟すべき事也。一には顕宗論の意に准ぜば他人を譏刺すべからず、人心を傷切すべからず、此れ常の用心也。二には玄四廿三に云く身本と鳴有ならず、先世の妄想、今の四天を招く、虚空を囲むを仮りに名けて身と為す文。(中略)死ぬる苦しきは家を槌にて頽るが如く四大の板柱材木面々に取り離す故に苦るしむ也、断末魔とは之れを云ふ。此の離散の五陰と云ふ如く離散の四大也。すはさればこそと読たるは苦なり、驚きたる処なり。解れば本の野原と読る…
4月に中山法華経寺に行った帰りに『真間山弘法寺』に立ち寄りました。法華経寺から車で20分位走ると小高い丘の上に弘法寺があります。駐車場もありました(無料)真間弘法寺といえば大聖人の御書にも「真間仏供養抄」がありますが元々は奈良時代の行基が、手児奈(てこな)為に「求法寺」という一宇を建てたのが始まりだそうです。手児奈は自分の為にたくさんの男性が争っているのを悲しみ入水自殺をしてしまった美女だそうで、万葉集にも【葛飾の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほふ】と詠まれています。その後、空海が当所を訪れ「弘法寺」と改名だれて天台宗となりますが鎌倉時代に時の住持・了性法印と富木常忍との法論があ…
聖ボニファチオ大司教殉教者 St. Bonifatius Archiep. M.
聖ボニファチオ大司教殉教者St.BonifatiusArchiep.M.記念日6月5日8世紀から9世紀にかけて、イギリスには熱心な信者が多く、殊に司祭修道士達の間からは、己が信仰に精進するばかりでなく、遙々外国までも押し渡って布教に活躍する者が輩出したが、異教国ドイツに乗り込んだ人も少なくなかった中に、本日祝う聖ボニファチオの如きは最も世に知られている一人であろう。彼は680年ウエセックスに生まれ、若くしてベネディクト会に入った。この修道会は父母が教育の為早くから彼を託した所で、宗教の方面はもちろんのこと、普通の学問にかけても良き教師が沢山にあった。叙階されて司祭になると、当時はウインフリッドと呼ばれていたボニファチオは、宣教の為ドイツにされん事を願ったが長上は彼を手放す事を好まなかった。というのは、彼が...聖ボニファチオ大司教殉教者St.BonifatiusArchiep.M.
波木利日円の謗法により日興上人が身延離山の決意をされた状況と心情は、日円の子息である正信の信徒である原殿に宛てた『原殿御返事』に詳しく書かれいます。聖典にも掲載されているので聖典を所有している方はぜひ一読してください。当抄の内容は最初に身延謗法化の直接の発端を示し次の日円の謗法は日向の教唆によるもと断じ日興上人が身延離山を決意された苦衷の心情を述べ最後に日向の非行を難じで文を終えてます。日円の謗法については『富士一跡門徒存知事』には四箇謗法を挙げていますが『原殿御返事』には三箇謗法を示されていますがどちらも内容は同じです。即ち、1三島神社参詣。2福士の塔供養参加。3九品念仏道場建立。4立像一体…
折伏と育成。創価時代でも法華講に移籍しても組織の掲げる課題はこの点に尽きる。もっとも今の創価は折伏は仏法対話、育成は励まし運動と言葉を変えメインは選挙活動になっているから折伏も育成も重要視されていないが、だから組織力が衰退の一途を辿っているのだろう。法華講はそんな創価を反面教師として折伏・育成に力を入れているわけだ。といっても、折伏も育成も実に難儀なことである。折伏は自分のことなのでまだしも育成は他人案件なので折伏より難しい。私は、いち講員なので呑気なものだが講頭以下のリーダーさん達は色々と考え活動していて頭が下がる。時折、講頭や地区長に育成について意見を求めれるがそういう時は決まって「教学が…
折伏をしているとたまに無宗教の友人から「宗教には生産性がない」と言われることがある。つまり私達の朝晩行っている勤行・唱題には生産性がないから信仰は無意味だというわけなのだが、元創価・元正宗の人々から聞く「功徳なんてない」「願いが叶わなかった」と言う声が出てくるのも宗教に生産性を求めた結果の声なのだろう。生産性とは言うまでも利益を出す行為の事を指すとすれば、利益(功徳)が出ない宗教は無意味だということだろう。私は信仰とは生産性を求めるのでなく可能性の追求だと思う。現在生産性のあることも最初から生産性があったわけでない。最初は生産性があるだろうという可能性だけしかなかったのだと思う。産業や医学・科…
昨日は、『宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年 慶祝記念総登山』に参加してきました。 U元副部長とO元地区Lと自家用車で行ったのですが、支部登山ですから出発がいつもより1時間半も早くて4時起きしました。でも途中、高速道路の事故渋滞に巻き込まれてしまったので早く出発して良かったです。天気も雨の心配をしててのですが晴れて暑いくらいの陽気でした。雲が多くて富士山がみることが出来なかったのと、六壺の前で支部の記念撮影するのかなぁと予想していましたが記念撮影しなかったのが少し残念かな。いつも添書登山なので御住職や支部の方々と御登山する機会もあまりないので記念撮影したかったなぁ(笑)といっても私は現在足を骨折してま…