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☆youtubeを所有する.2025年4月5日に撮影したブログオーナーの写真です。写真解説「マスクをしてメガネをかけているオーナーの顔写真です」創価の森の...
☆傘さして雪道をトコトコ・・以下に、会社に到着して傘を置いた状態の写真を添付します。きょう、あられが降って雪に変わりました。ズンズン降り積もったので、長靴...
当ブログ読者のアメリさんから日郷師の話題があったので、今回は郷師について書いてみます。郷師は越後国(新潟県)の出身で、富士に登った当初は伊賀阿闍梨日世に弟子入りし、その後日目上人の直弟子になりました。『家中抄』に新六一人として【日豪】と書かれているのが郷師ではないかと言う説もありますが定かではありません。日目上人は郷師のことを、「イガ(伊賀)の中から拾った落ち繰り(栗)」と親しみを込めて書いた史書が残っていて、郷師を可愛がっていたことが分かります。郷師は日尊師と共に日目上人最後の天奏に同行しその途上で御遷化した日目上人の御遺骨を持って大石寺に帰山しました。日目上人の御遷化から2年後の建武二年(…
今回は池上左衛門太夫康光の子息で、兄・右衛門太夫宗仲、弟・兵衛志宗長の池上兄弟の話です。池上家の由来は記録によると摂政・藤原忠平の三男・忠方が平将門の乱平定の為に京より下向し武蔵国千束池の上に住したことから池上の名を氏にしたことに始まるとされてますので、池上家は藤原一族で鎌倉時代の当時は相当の家柄であったと思われます。宗仲が叔父の日昭から折伏を受け大聖人に帰依したのは立宗宣言から3年後の康元元年(1256)で、その後に宗長も兄の折伏により大聖人に帰依しています。二人の父である康光は極楽寺良観の熱心な信徒だったので兄弟の入信には当初から反対したと思われまずが兄弟は大聖人への信仰をやめることなく却…