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今日11月11日は、「麺の日」らしい。なので、以前から目を付けていた、或る偈頌を紹介しておきたい。静乱不二声聞、喧を厭うて静を求む、猶お麺を棄て餅を求むるが如し。餅、即ち従来是れ麺なり、造作、人に随って百変す。煩悩、即ち是れ菩提なり、無心、即ち是れ境無し。生死、涅槃と異ならず、貪瞋、焔の如く影の如し。智者、無心にして仏を求む、愚人、邪に執し正に執す。徒労にして空しく一生を過ごし、如来の妙頂を見ず。婬慾に了達して性空なり、钁湯鑪炭自から冷しし。『宝誌和尚十四科頌』、『景徳伝灯録』巻29この「宝誌和尚」というのは、我々的には「ニアミスの人」という感じである。何かといえば、例えば、宗門の人に「梁の武帝」というと、大概は、菩提達磨尊者によって「無功徳」「廓然無聖」「不識」の言葉を言われた人というイメージが強いこと...11月11日麺餅の偈頌
先日、とあるところで「両班」という表現について、これを用いることは大丈夫か?というような質問を頂戴した。それで、気になったので調べてみた。そもそも「両班」とは何かというと、禅宗叢林の運営にかかわる役目の僧をいい、特に、現在であれば法堂などで整列するときに東側に知事(六知事)、西側に頭首(六頭首)が列をなす。これを各々を班として、「両班」とするのである。なお、江戸時代の学僧・無著道忠は『禅林象器箋』「第七類職位門」の中で、「忠曰く、朝廷の制、文武両班有り。禅林、これを擬す。故に東西の両班有るなり」とした。ここでいう、「朝廷の制」とは何かというと、朝鮮半島の王朝で「貴紳を以て両班と為す。両班とは、文班・武班なり」という見解を見たことがあるのだが、上記の通り仕官した者を、その役目に応じて文武の2つに分けたという...両班と両序
みなさま こんばんは この前の土曜日、認知症の父親が入居してる特養から電話が有り、父親の呼吸が荒く血中酸素濃度も低いと伝えられました。 ですので、翌日の日曜日の11時に面会の予約を入れました。 が。。。 日曜日は、自治会の役員会が有るので8
中国臨済宗の大慧宗杲禅師(1089~1163)にこんな教えが残されている。黄面老子、纔かに悟了して、便ち此の如き広大なるを見得す。然る後に、慈を興し、悲を運んで、生死の海に於いて、此岸に著かず、彼岸に著かず、中流に住せず。而も能く此岸の衆生を運載して、彼岸に到らんと欲す。生死の中流に住せず。『大慧普説』巻17黄面の老師というのは、釈迦牟尼仏のことである。よって、釈尊が悟って、広大なる仏法を見得し、その後、慈悲を興して生死の海の中にあって、迷いの岸にも悟りの岸にも、その中にも留まらず、迷いの岸にある衆生を運んで、彼岸に到ろうとしたというのである。釈尊の慈悲による衆生済度を意味しているといえる。浄土教系の文章を集めた文献に、このように書いてある。阿弥陀仏と観音・勢至と大願の船に乗り、生死の海を泛る。此岸に著か...彼岸と此岸とその間
いままでに紹介した、開運法に関する記事の中で、トイレの神様や、 台所の神様を紹介してきましたが、 ふと、思ったことが1つ。 お風呂に関する神様、存在するのだろ…
今日8月8日は、「そろばんの日」となっている。禅宗とは、世俗的な言葉を使って教えを説くというのが得意である。よく「禅語」などともいわれるが、この「禅語」も、何か特殊な言葉というのではなく、仏教の世界から見ると、世俗の言葉を使うから特殊に聞こえるが、世俗の方から見れば、余り珍しい表現ではない、という話になる。であれば、今日のそろばんの日に因んで、算盤ネタは何かないのか?と思っていたら、いくつか出て来たので、それを見ていきたいと思う。この文脈から、禅の側で、算盤の本質を、どう捉えていたかが分かる。問う、如何なるか是れ祖師西来意。云く、庭前の柏樹子と神前の酒台盤。是れ同なるや、是れ別なるや。答う、指数の労も解けず、算盤を動かせ。『霊機観禅師語録』この語録は、中国清代の僧のものである。この人を拙僧は良く知らない。...禅とそろばん(算盤)
『禅ごよみ365日: 毎日に感謝したくなる』より印象に残った禅語についてです。読み:そうげんのいってきすい(曹源の一滴水)解説:大河も一滴の水から始まる。何事…
とても似たような用語に、「五辛」と「五葷」がある。同じだという場合もある。なお、江戸時代以降の禅宗寺院に良く見られる「禁葷酒入山門」という石碑は、「葷と酒を山門に入ることを禁ず」となるわけだが、この場合の「葷」とは「五葷」を指している。ただ、一方で菩薩戒を見ていくと、「五葷」よりは「五辛」表記が一般的な気がする。なんじ仏子、五辛〈大蒜、革葱、慈葱、蘭葱、興渠〉を食することを得ざれ。是の五種、一切食中に食することを得ざれ。若し故らに食する者は、軽垢罪を犯す。『梵網経』巻下「食五辛戒第四」以上の通りである。しかし、それでは「五葷」はどこに出てくるのか?最近の『大蔵経』検索サイトで調べてみると、「五葷」は中国明代以降の文献にしか出てこない。前述の「禁葷酒入山門」について、黄檗宗到来以降だという話があるので、明代...五辛と五葷に関する雑談
以下の一節を見ていただきたい。戒師・二闍黎、聖像前に於いて大展三拝し訖んぬ。戒師、作梵闍黎、座に就いて、乃ち法事に入る。『禅苑清規』巻9「沙弥受戒文」この記事で問題にしたいのは、戒師・二闍黎とあることである。なお、この文章は「沙弥受戒文」であるから、在家信者から沙弥にするための受戒法を示したものである。もし、これが比丘になる具足戒の受戒であれば、二闍黎とは、羯磨阿闍梨と敎授阿闍梨になるところだが、それが異なっているわけである。そして、既に上記一節で、「作梵闍黎」と出ているように、儀式中に梵唄を唱える役目の僧である。よって、これが闍黎の一である。それではもう一つは何かと言えば、以下の一節が見られる。引請闍梨〈戒師の前に於いて坐具を大展し三拝、胡跪合掌す〉。同上「沙弥受戒文」を全部調べると、二闍黎とは作梵闍黎...『禅苑清規』「沙弥受戒文」に見える「戒師・二闍黎」について
個人的に興味深い一節を見出したので、採り上げておきたい。如何なるか是れ僧。師云く、鶏狗戒を持せず。『仏光国師語録』巻6、『大正蔵』巻80所収ご存じの方が多いと思うが、仏光国師とは鎌倉時代に来日した無学祖元禅師(1226~1286)のことである。そこで、無学禅師が指摘されることとしては、僧侶とは如何なる存在か?という問いに対して、端的に「鶏狗戒を持せず」としている。これは、中国の宋代、三宝に関する問いというのは、それ自体「公案」として機能しており、今回はその内「僧宝」についての問いとなっている。そこで、ここで無学禅師が意図したところを読み解いてみたい。まず、「鶏狗戒を持せず」とはあるが、この内、「鶏狗戒」は仏道以外の戒として認識されているかと思う。例えば、以下の一節などはどうか。云何が菩薩、戒を修治するや。...無学祖元禅師の問答に見える「鶏狗戒」について
ちょっと気になったので記事にしてみたい。実は、拙僧はこの両方の語句を混同して用いていた。考えてみれば、どちらが「正しい」といったような確認を怠っていたことに気付いた。そこで、今日はその辺を考えてみたい。まず、この語句については中国禅宗六祖慧能禅師(638~713)に由来すると思われる。韶州刺史韋拠請し、大梵寺に於いて妙法輪を転じ、并びに無相心地戒を受く。門人紀録し目けて壇経と為し、盛んに世に行わる。『景徳伝灯録』巻5「曹渓慧能禅師章」ここに、「無相心地戒」という表現が見えており、一方で、「心地無相戒」は無い。よって、古い表現は「無相心地戒」であったことが分かる。しかし、一般的に見られる『六祖壇経』を確認すると、慧能禅師は先に挙げた用語は勿論のこと、「心地戒」「無相戒」ともども用いていない。慧能禅師の言葉と...心地無相戒?無相心地戒?
【鎌倉・円覚寺】時宗が 祈り捧げる 禅寺かな |60歳からの御朱印めぐり〔016/541〕
また来てしまいました、鎌倉。前回から1週間しか経ってませんが・・・今回は北鎌倉エリアをめぐる計画です。 まずは、円覚寺。北条時宗が創建した鎌倉五山二位の大きな禅寺です。※2022年11月参拝
【鎌倉・建長寺(前編)】大禅寺 鎌倉一の 威容かな |60歳からの御朱印めぐり〔020/541〕
ついに来ました、建長寺。鎌倉五山第一位にふさわしく、堂々たる陣容の見どころの多い寺院です。※2022年11月参拝
今日7月10日は、語呂合わせで「納豆の日」である。その日に因んで、以下の偈頌1首を見ておきたい。納豆を贈るの韻に和す糲飯藜羹に芥薑無し、貧家寂寞として陰を送ること長し、故人の恩露一筐賜る、飢腹膨脝して風味香しし。『円通松堂禅師語録』巻2「偈頌」、『曹洞宗全書』「語録一」437頁上段まず、この語録は現在の静岡県掛川市内に所在する円通院の松堂高盛禅師(1431~1505)の語録である。よって、内容は、中世室町期の曹洞宗に関する教えであると理解して良い。更には、どなたかが松堂禅師宛に「納豆」を贈ってくれて、しかも漢詩も添えられていたようなので、それに和して、お返しの偈としたものだろう。上記の一偈から、中世の曹洞宗で「納豆」という語句が用いられていたことは明らかなのだが、これが、発酵食品としての「納豆」なのかどう...今日は納豆の日(令和5年度版)
旧暦の日付では、という条件は付くけれども、7月5日は栄西禅師の忌日とされる。以前も見たことがあるのだが、この辺は少し後の時代にはなるけれども、以下の記事を参照しておきたい。さて、かの僧正、鎌倉の大臣殿に暇を申して、京に上りて、臨終仕らん、と申し給ひければ、御年たけて、御上洛煩はしくも侍り。いづくにても御臨終あれかし、と仰せられけれども、遁世聖を世間に賤しく思ひ合ひて候ふ時、往生して京童部に見せ候はん、とて、上洛して、六月晦日の説戒に、最後の説戒の由ありけり。七月四日、明日終るべき由披露し、説戒目出くし給ひけり。人々、最後の遺戒と思へり。公家より御使者ありけるに、客殿にして御返事申して、やがて端座して化し給ひにけり。門徒の僧どもは、由なし披露かな、と思ひけるほどに、同じき五日、安然として化し給ひけり。かたが...7月5日栄西禅師忌(令和5年度版)
中国禅宗六祖慧能禅師は難しい人である。何故ならば、未だ在家の身のままでその悟りを認められ、印可証明されてから、出家して大僧となったためである。そのため、六祖の出家をどう扱うかは、宗旨上1つの問題であった。曹渓六祖、優婆塞身を以て法性寺に寓せし時、印宗法師、為に其の髪を薙ぐ。寺主智光律師をして、比丘具足戒を授けしむ。祖、是れ多生の善知識、一切の戒法、自然に具足す。然るに印宗、告げる所に応じて化門の式成る。今時の一般の具足類に非ず。卍山道白禅師『対客閑話』、『曹洞宗全書』「禅戒」巻・5頁下段、訓読は拙僧江戸時代の学僧・卍山道白禅師の説示であるが、ここからは、卍山禅師の修証観なども伺うことが出来よう。まず、上記内容が何を意味しているかといえば、六祖は優婆塞=男性の在家信者の立場でもって、法性寺に入っていたが、時...六祖慧能禅師の出家に関する一解釈
たいがい「一日(朔日)」は、禅宗の修行道場では、様々な行持や季節の変化が感じられる日になる。特に六月一日は、夏に向けて準備をしていく日であり、色々なことが始まったり終わったりする。始まることといえば、「風呂」と「打扇」であろう。・六月一日自り淋汗。隔日に沐浴するなり。或いは、六度沐浴の中間に、一沐浴す。又、施主臨時の沐浴を除くなり。・又、六月一日自り、堂中は斎時に打扇す。打扇の法は、聖僧の脇、左の柱に「住扇牌」を掛けて、遍槌の後、打扇す。行者は二人。或いは四人。同じく扇を持して入堂し、聖僧の前にて問訊し、上下間に相い別れて打扇す。折水桶、出て後、頭の行者、扇の柄を持して、「住扇牌」を打すこと一下すれば、諸行、これを聞いて、皆扇を住む。前の如く当面に問訊して出堂す。ともに『瑩山清規(下)』年中行事上記内容は...禅宗修行道場の六月一日(令和5年度版)
今日という日付の語呂合わせで、「三八念誦の日」・・・には決まっていない。当方で勝手に、この日は禅林で、日付の3・8の日に行われている「三八念誦」について考える日だと決めている。この「三八念誦」については、例えば以下の記述が参照可能である。比丘に示す、慎んで放逸なること勿れ増一阿含経に云わく、眼、色を以て食と為す。耳、声を以て食と為す。鼻、香を以て食と為す。舌、味を以て食と為す。身、触を以て食と為す。意、法を以て食と為す。涅槃、放逸無きを以て食と為す。如今の叢林中、三八念誦、鐘を鳴らして衆を集め、維那、白して云わく、衆等、当に精進を勤むるは頭然を救うが如くすべし。但だ無常を念じて慎んで放逸すること勿れ、と。此の語、増一と頗る同じ。往往にして聞く者、以て常例と為す。風の樹を過ぎるが如く、略して采を餐せざれ。仏...「三八念誦」という話(令和5年度版)
今日は3月1日である。旧暦の頃であれば、この時に閉炉だったり、止掛搭だったり、幾つかの禅林行持があるものだが、新暦だと意外と当たらない。強いていえば、いわゆる「解間」ということである。そこで、色々と思ったが、或る著名な禅僧の問答が残っているので、それを見ていきたい。三月旦の上堂。睦州和尚云わく、現成公案、你に三十棒を放つ。敢て大衆に問う、如何なるか是れ、現成公案。是れ軽烟の柳眼を遮り、微かな雨花腮を湿す底莫しや。是れ三通鼓鳴りて四衆雲集する処莫しや。是れ南禅不説を説き諸人無聴にして聴く処莫しや。阿呵呵、地に就いて拾い得たり麗水の金。拈起すれば却て是れ新羅の鉄。『夢窓正覚心宗普済国師語録』巻上これは、南北朝期などに活躍した臨済宗の夢窓疎石国師の語録から引用してみた。意味としては、中国の陳睦州和尚がいうには、...三月一日の説法(令和5年度版)
禅宗の考え方なのかもしれないが、いわゆる修行道場としての「叢林」について、どういう場所であったのか、見ておきたい。演祖曰わく、所謂叢林とは、聖凡を陶鑄し、才器を養育するの地、教化の従出する所なり。群居類聚すると雖も、之を斉しく率い、各おの師承有り。今、諸方、先聖の法度を務め守らず、好悪偏情なり、多く己の是を以て物を革む。後輩をして当に何れの法を取らしむるべきか〈二事坦然集〉。『禅林宝訓』巻1こちらの『禅林宝訓』という文献だが、中国臨済宗楊岐派の大慧宗杲禅師(圜悟克勤禅師の法嗣)と竹庵士珪禅師(仏眼清遠禅師の法嗣、なお圜悟と仏眼はともに五祖法演禅師の法嗣)が、先人の言葉を集め、更にはコメントを付すなどした文献を、沙門浄善が編集して中国南宋の孝宗皇帝の時代の淳熙年間(1174~1189)に成立している。上記、...叢林とはどのような場所か?
ここ数日、釈尊の説法期間についての話をしたが、それに関連して、禅宗で使う、或る表現に注目してみたい。保寧勇和尚示衆して、釈迦老子、四十九年の説法、曽て一字も道著せず。『虚堂和尚語録』巻5「頌古」これは、かなり説明的に示されているのだが、更に略して、「四十九年不説一句(或いは一字)」とのみ表記することもある。仏、力めて四十九年不説一句を問うに如かず。『景徳伝灯録』巻16以上のように、禅宗では不立文字という主張がなされるに至るが、その中で釈尊が成道されてからというもの、一字一句をも説かなかった、という話になっていくのである。とはいえ、これは禅宗だけのオリジナルというわけでもなく、更に言えば、どうも典拠があるらしい。且つ、世尊、涅槃会上に於いて曰わく、我が四十九年の説法、未だ曾て一字をも説かず。即ち首楞厳中に亦...禅宗に於ける「四十九年不説一句」について
今日、2月4日は立春である。そうなると、日本では「立春大吉」と書かれた御札を、門の正面から見て右側の柱に添付したりする(左側は「鎮防火燭」札)けれども、実際、「立春大吉」という4字で調べてみると、古い文献には出てこない。ただ、「立春」と「大吉」で調べると、一定の文章がヒットする。例えば、以下の一節などはどうか?上堂、立春の日、百事大吉なり。門上に桃符を釘うち、籬頭に篳篥吹く。林下の参玄の人、口有りて只だ壁に掛く。泥牛鞭起すれば春耕に趂き、通身総て是れ黄金骨。『月江正印禅師語録』この月江正印禅師という人は、13~14世紀にかけて中国で活躍した禅僧で、日本からの参学者も多くがその指導を受けたともされる。その人の語録に、上記の一節が出ていたので、見ておきたい。まず上堂語なので、おそらくは当時の立春に行われた説法...立春大吉(令和5年度版)
以前も、他の目的のために拙ブログで引いたこともあるのだが、とりあえず以下の一節を見ておきたい。菩薩戒経に云く、「我が本元自性清浄なり」。若し自心を識り見性すれば、皆な仏道を成ず。『六祖壇経』以上のような引用文があるのだが、これは実は、「取意」の文章となっていて、典拠とおぼしき一節は以下の通りである。是の如き十波羅提木叉、世界に出づ。是の法戒は、是れ三世一切の衆生、頂戴受持するところ、吾今、当に此の大衆のために重ねて十無尽蔵戒品を説くべし。是れ一切衆生の戒の本源にして自性清浄なり。『梵網経』下巻中国成立とされる『梵網経』であるが、戒の本源に「自性清浄」を設定していることが分かる。しかし、六祖慧能禅師は、あくまでも「我が本元」を自性清浄だとしている。その本元たる自心を知り、見性(自性を見る)すれば、仏道を成ず...『六祖壇経』に引く『菩薩戒経』の話
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。上堂、僧問う、無心、即ち是れ戒なり。如何なるか是れ無心戒。師云わく、野色に寒霧籠もり、山光に暮煙を斂む。『古雪哲禅師語録』巻4中国明代の禅僧・古雪真哲禅師の言葉であるが、ここで「無心戒」について問われている。それに対し、自然の風景を読み込むことで、「無心」を表現したものとなっている。この辺、徹底無心を追究すると、自然の様子に自ずと展開されることを意味している。そこで、問題も残る。つまり、その無心の様子が、「戒」になるかどうか、である。そうなると、明らかに異なる宗義を持つ宗派も存在している。即ち知る、全心是れ戒なり、全戒是れ心なり。心を離れて戒無く、戒を離れて心無し。南嶽慧思『受菩薩戒儀』これは、伝説的な天台宗の祖師となる南嶽慧思の見解ともされる文脈だが、ここで、「...或る禅僧の語録に見える無心戒の話
或る問答で「大修行底の人」と対で用いられた「大作業底の人」について、議論されたことは無かったのだろうか?ということが気になった。それで、以下の問答があったので考えてみた。問う、大修行人、還た地獄に入るや也た無しや。師云く、裏許に在り。僧曰く、大作業人、還た天堂に上るや也た無しや。師云く、鰕の跳べども斗を出でず。『建中靖国続灯録』巻6「仏印了元禅師」これをそのまま採れば、まず、大修行人が地獄に入ることがあるだろうか?という質問に対して、「裏許に在り」という話になっている。これは、大修行人が地獄に堕ちるはずが無いという「前提」があってのことなのだが、この場合地獄の内側にいるという意味なのだろう。何故こうなるのかはこの問答からは知られないようだが、大修行人は修行で何かを目指してしまい、その結果分別が出て来て地獄...「大作業底の人」について
本日は中国禅宗二祖慧可大師が、達磨大師の下で断臂した日として伝えられている。その様子については、既に【本日は慧可断臂の日(令和3年度版)】という記事で見たところである。そこで、今年は、あくまでも「断臂」という言葉が、その後の禅宗でどのように用いられたか、その一端を見ておきたい。上堂に云わく、黄梅の夜半、伝心の偈、少室巖前に断臂する時、肉剔りて瘡を作すも痛みを知らず、直に至り今の如きは是非を成ず、払子を以て禅床を撃ちて、下座す。『黄龍慧南禅師語録』中国臨済宗黄龍派の黄龍慧南禅師の語録から、上堂語を引用してみた。慧南禅師が上堂されていわれるには、黄梅山での夜半に、伝心の偈が詠まれた。それは、嵩山少林寺の少室峰の達磨大師が面壁九年していた巌前で、二祖が断臂したためであった。その時、肉を剔って、傷が出来ても、二祖...今日は慧可断臂の日(令和4年度版)
『緇門警訓』に見る坐禅の説示2(令和4年度臘八摂心短期連載2)
令和4年度臘八摂心2日目である。今日も、仏心本才禅師『坐禅儀』を見ていきたいと思う。今、学家を見るに、力めて坐しても不悟の者は、病、依計に由り、情、偏邪に附き、迷て正因に背き、枉て止作に随う。不悟の失、其れ斯に在るなり。若し也、一念を斂澄して、密に無生に契は、智鑑廓然として、心華頓に発し、無辺の計執、直下に消磨し、積劫の不明、一時に豁現す。忘を忽ちに記するが如く、病の頓に癒えるが如し。内に歓喜の心を生じ、自知、当に作仏すべし。即知、自心の外に別仏無きことを。然る後に悟に順いて、増修し修に因て、而も証す。証悟の源、是の三別無し、名づけて一解一行三昧と為し、亦た無功用の道と云う。『緇門警訓』巻上今回は、仏心本才禅師『坐禅儀』を3つに分けてみたので、中間の部分である。まず、本才禅師は、当時の学人に対して苦言を呈...『緇門警訓』に見る坐禅の説示2(令和4年度臘八摂心短期連載2)
以前、【雪峰義存禅師の出家事情】という記事をアップしたことがあるのだが、それと関連したような、していないような記事である。第三十祖僧璨大師は、何許の人か知らざるなり。初め白衣を以て二祖に謁し、既に度を受け法を伝う。舒州の皖公山に隠れ、属して後、周の武帝、仏法を破滅す。師、太湖県司空山に往来し、無常処に居ながら十余載を積む。時の人、能く知る者無し。隋の開皇十二年壬子歳に至り、沙弥道信有り、年始十四なり。来たりて師を礼して曰わく、願わくは和尚、慈悲、乞うらくは解脱の法門を与えよ。師曰わく、誰か汝を縛るや。曰わく、人の縛るもの無し。師曰わく、何を更に解脱を求めんや。信、言下に於いて大悟し、九載服労す。『景徳伝灯録』巻3これは、中国禅宗三祖(インドの初祖・摩訶迦葉尊者から数えると三十祖)となる鑑智僧璨禅師について...『景徳伝灯録』に見える破仏について
中国禅宗青原下の羅漢桂琛禅師(865~926)の言葉に、興味深いものを見付けたので、採り上げておきたい。童子たりし時、日に一たびの素食なり。言を出すに異有り。既に冠にして親を辞して、本府万歳寺の無相大師に事え、披削し、登戒し、毘尼を学ぶ。一日、衆の為に台に升り、戒本を宣べて布薩し已んぬ。乃ち曰く、持犯は但だ身を律するのみ。真の解脱には非ざるなり。文に依りて解を作して、豈に聖を発せんや。是に於いて南宗を訪ね、初めて雲居・雪峯に謁して参訊勤恪す。『景徳伝灯録』巻21まぁ、禅僧っぽいといえばそれまでだが、いわゆる戒律の持犯について、根本的なことを述べていることが分かる。そういえば、桂琛禅師が出家した「無相大師」だが、もちろん、妙心寺の開山である関山慧玄大師のことではない。中国の無相大師である・・・誰、これ?中国...羅漢桂琛禅師の持戒観
今日、10月5日は禅宗系で達磨忌とされる。いわゆる震旦初祖円覚大師菩提達磨大和尚の忌日である。中国では、宋朝禅以降に「祖忌」として法要を営むようになり、やがて、いわゆる「達磨忌」として一般化した。例えば、以下の記述などはどうか?祖忌〈達磨忌、十月初五なり。伝灯に出づ〉堂司、疏を具し、先づ方丈に覆す。首座、香花等の供養を安排す。或いは昏鐘鳴、念誦諷経す。或いは斎前には、如しくは念誦せず。只だ出班焼香するのみ。挙経拈香して、回身せず。『入衆須知』おそらくは、清規の記述としてはこの辺が古いと思う。本書に先行する『禅苑清規』ではまだ立項されていないが、宋代の禅僧達の語録に「祖忌」が見られるようになる。そして、日付は「十月初五(五日)」であり、『景徳伝灯録』を典拠としている。以て化縁已に畢るも、伝法して人を得る。遂...今日は達磨忌(令和4年度版)
今日は9月2日、語呂合わせで「宝くじの日」である。・9月2日は「宝くじの日」!(宝くじ公式サイト)詳細は上記サイトをご覧いただければ良いのだが、当方ではまた別の角度から「くじ」について考えてみたい。ところで、「くじ」というと、神意を問うたり、未来を知ったりと、意外と宗教との親和性が高い。ただし、仏教的な観点だと、この「くじ」はどう判断されるのだろうか?そもそも、未来の良し悪しを知るなどという時、「くじ」などに「外注」しても良いのだろうか?と思っていたら、その辺を指摘した文章を見付けたので、見ておきたい。生死の路頭を認錯して、去来を出づるの閒話を説き、一世の人忙を惹き得て、終日に籤を求め卦を打つ。『林野奇禅師語録』巻8「復益城姚中丞」意味としては、本来は仏道の一大事であるべき生死について誤って理解し、去来か...9月2日宝くじの日(令和4年度版)
皆様、こんにちは~!ローズマカロンです(*^^*) 京都髙島屋7階の尾張屋さんに伺いました。(ホームページよりお借りして
禅の根本教典 六祖慧能の「六祖壇経」 生死事大、無常迅速。見性成仏。
たちばな出版 「六祖壇経(ろくそだんきょう)」 中川孝解説、法海編。六祖壇經=六祖大師法宝壇経は仏教の経典で禅宗における根本教典の一つ、中国禅宗の第六祖・慧能禅師の説法集です。 六祖壇経(ろくそだんきょう) 中川 孝 たちばな出版 六祖壇経(ろくそだんきょう) 禅宗における...