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臘八摂心は終わったが、摂心中に解説しきれなかった流布本『普勧坐禅儀』を学んでいきたいと思う。然れば即ち、上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡ぶこと莫れ。専一に功夫せば、正に是、弁道なり。修証自ら染汚せず、趣向更に是、平常なる者なり。凡そ夫、自界他方、西天東地、等しく仏印を持し、一ら宗風を擅にす。唯、打坐を務めて兀地に礙えらる。万別千差と謂うと雖も、祗管参禅弁道す。何ぞ自家の坐牀を抛却して、謾らに他国の塵境に去来せん。若し、一歩を錯れば、当面蹉過す。古来より、上記引用文の最初の箇所をもって、まさに「普勧」の真実義を開陳されていると解されている。・この段は的く普勧の意なり。面山師『聞解』・これ則ち普勧の誠意、涙実に痛腸を出ずるなり。指月師『不能語』特に、面山師は自らの見解を龍樹尊者『大智度論』巻83に見える「「世尊...流布本『普勧坐禅儀』参究8(令和5年度臘八摂心8)
さて、臘八摂心も円成し、今日は釈尊の成道をお祝いする日となった。なお、日本に成道会を伝えたのは、道元禅師だとされる。日本国先代、曾て仏生会・仏涅槃会を伝う。然而ども、未だ曾て仏成道会を伝え行わず。永平、始めて伝えて既に二十年。自今以後、尽未来際、伝えて行うべし。『永平広録』巻5-406上堂以上の通りだが、この上堂は建長2年(1250)頃だと推定されるため、そこから20年前となると、道元禅師が中国留学から帰国された1227年以降、少し落ち着かれてからになるだろうか。その折、道元禅師による釈尊成道への思いは、弟子たちを前に行われた正式な説法であった上堂で知ることが出来る。不明巻1-37上堂仁治2年(1241)巻1-88上堂寛元3年(1245)巻2-136上堂寛元4年(1246)巻3-213上堂不明巻3-240...今日は釈尊成道会(令和5年度版)
臘八摂心7日目。早速に流布本『普勧坐禅儀』を学んでいきたいと思う。若し坐従り起たんには、徐々として動身し、安詳として起つべし。卒暴なる応らず。嘗観すれば、超凡越聖、坐脱立亡、此の力に一任す。況んや、復、指竿針槌の転機を拈じ、払拳棒喝の証契を挙する、未だ是、思量分別の能く解する所に非ず、豈、神通修証の能く知る所為らんや。声色の外の威儀為るべし、那ぞ、知見の前の軌則に非ざらん者や。坐禅から立ち上がる場合、今はどこか、競うようにして一気に単から下りようとする場合がある。だが、実際にはそうであってはならない。ここで指摘されているように、「徐々として動身し、安詳として起つべし。卒暴なる応らず」となるべきである。つまり、数十分から数時間程度、坐禅の状態であったとき、その身体はかなり固まっている。そして、それから徐々に...流布本『普勧坐禅儀』参究7(令和5年度臘八摂心7)
臘八摂心6日目。本日も流布本『普勧坐禅儀』の本文を学んでいきたいと思う。所謂、坐禅は習禅に非ず。唯、是、安楽の法門なり。究尽菩提の修証なり。公按現成し、羅篭未だ到らず。若し此の意を得ば、竜の水を得るが如し、虎の山に靠するに似たり。当に知るべし、正法自ら現前し、昏散先より撲落す。ここでは、坐禅と悟り、いわゆる修証観について論じられている。まず、「坐禅は習禅に非ず」の文脈であるが、これは特に、流布本系統の前後でいわれることであり、「坐禅儀」巻では、「坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり、不染汚の修証なり」ともいわれる。いわば、習禅とは、安楽の法門ではないし、不染汚の修証でもないと定義できる。また、ここについては更に、「行持(下)」巻に於ける達磨尊者への提唱を見ていく必要がある。・しばらく嵩山に掛錫すること九...流布本『普勧坐禅儀』参究6(令和5年度臘八摂心6)
臘八摂心4日目。本日も流布本『普勧坐禅儀』の本文を学んでいきたいと思う。夫、参禅は、静室宜し。飲食節あり。諸縁を放捨し、万事を休息すべし。善悪を思わず、是非を管すること莫れ。心意識の運転を停め、念想観の測量を止むべし。作仏を図ること莫れ、豈、坐臥に拘らんや。今回から、徐々に「坐禅の儀則」の部分に入っていく。「参禅」については、「坐禅儀」巻に見えるように、「参禅は坐禅なり」という理解で良い。師家に公案を問うことを「参禅」といったりするが、曹洞宗ではこの語を坐禅の意味で取る。そして、続いて環境と、その坐禅に入る際の心構えになる。環境としては、ここでは簡単に、「静かなところが良い」「飲食には節度があるべきだ」と理解されるところだが、指月慧印禅師の『不能語』を拝読すると、前者については「万境の閒なり」とし、後者に...流布本『普勧坐禅儀』参究4(令和5年度臘八摂心4)
臘八摂心3日目である。本日も流布本『普勧坐禅儀』の本文を学んでいきたいと思う。所以に須らく尋言遂語の解行を休すべし。須らく回光返照の退歩を学すべし。身心自然に脱落し、本来の面目現前せん。恁麼の事を得んと欲わば、急ぎ恁麼の事を務べし。これまで2回の記事に於いて「不染汚(無分別)の修証」について採り上げてきた。それが、『普勧坐禅儀』を読み解いていくための、基本線である。その上で、では、そのような「不染汚」とはどのようにして会得されるべきなのか?それを示したのが、この冒頭の2行であるといえる。前者については、仏道を習うときに、言語を逐って知解でもって把握するようなことを止めるべきだということであり、正しく不染汚を会得するならば、「回光返照の退歩」を学ぶべきだという。まず、前者について見ていくが、このような指摘が...流布本『普勧坐禅儀』参究3(令和5年度臘八摂心3)
臘八摂心2日目である。本日も流布本『普勧坐禅儀』の本文を学んでいきたいと思う。直饒、会に誇り悟に豊かに、瞥地の智通を獲、得道明心して、衝天の志気を挙げ、入頭の辺量に逍遙すと雖も、幾くか出身の活路を虧闕せる。矧んや、彼の祇園の生知たる、端坐六年の蹤跡見るべし、少林の心印を伝えし、面壁九歳の声明、尚聞こゆ。古聖既に然り。今人、盍ぞ弁ぜざらん。今日は以上の一節を学んでみたい。この部分について要約すれば、「大悟という魔境」からの脱却を考えていることになる。前項に於いては、道本円通を誤解しないように明記されているが、そこから「行」へと展開されていくのが、この箇所である。これは、現在の曹洞宗でも同様で、非常に憂慮しているのだが、道元禅師は「大悟体験(或いは己事究明などという人もいるし、見性という人もいる)」に重きを置...流布本『普勧坐禅儀』参究2(令和5年度臘八摂心2)
この坐より摂心。今日から8日まで曹洞宗寺院では臘八摂心を修行する。この行持については、【摂心―つらつら日暮らしWiki】を参照いただくと良いだろう。さて、毎年の臘八摂心では、何かの典籍を一週間(プラス数日)かけて読み込むことにしているのだが、今年はいよいよ道元禅師著、宗門坐禅の根本聖典『普勧坐禅儀』(流布本系統)にしてみたい。また、予め申し上げておけば、今回は敢えて祖山本『永平広録』の訓読に従って読み込み、それによって宗旨を把握してみたい。また、江戸時代以前の註釈書に依りつつ、道元禅師の他の著作を読みながら全体を把握することにしたい。よって、これにより従来いわれてきたことと異なる内容になるかもしれないことも合わせてお断りする次第である。なお、従来の区分の方法では、流布本系統が持つ四六駢儷体の構造から、全1...流布本『普勧坐禅儀』参究1(令和5年度臘八摂心1)
『緇門警訓』に見る坐禅の説示7(令和4年度臘八摂心短期連載7)
令和4年度臘八摂心7日目である。明日は成道会の記事なので、この記事が今回の短期連載、最後の記事となる。『龍門仏眼遠禅師坐禅銘』の末尾の文章を見ておきたいと思う。生死永く息み、一粒の還丹、金を点じて汁を成し、身心客塵、透漏無門なり。迷悟且く説き、逆順論を休む。細に昔日を想い、冷坐尋覓すれば、然も不別なりと雖も、也た大狼藉なり。刹那の凡聖、人の能く信ずること無し。匝地忙忙にして、大に須らく謹慎すべし。如し其れ知らずんば、端坐思惟、一日築著す。伏惟伏惟。『緇門警訓』巻上以上が、今回見ている『坐禅銘』の末尾の部分である。意味としては、前回の記事をご覧いただきつつ学んでいただければ良いのだが、心の働きにとらわれがなく、自由自在であれば、生死輪廻が長く止まり、水銀から戻った丹薬が、わずか一粒でも金の汁を出す(この辺は...『緇門警訓』に見る坐禅の説示7(令和4年度臘八摂心短期連載7)
『緇門警訓』に見る坐禅の説示6(令和4年度臘八摂心短期連載6)
令和4年度臘八摂心6日目である。一昨日から、『龍門仏眼遠禅師坐禅銘』を見ているので、続けて見ていきたいと思う。初心鬧乱、未だ回換することを免れず。所以に多方渠を教えて静観せしむ。端坐し神を収め、初則ち紛紜して久久なれば恬淡なり。六門を虚閑すれば、六門稍や歇す。中に於いて分別す、分別、纔かに生ずれば、已に起滅を成す、起滅、転変し、自心より現ず。還た自心を用いて反観一遍す。一反不再、円光頂戴し、霊焔騰輝して、心心無礙、橫ままに該竪に入る。『緇門警訓』巻上まず、この文章は、仏道修行の初心者から、徐々に坐禅に慣れて境涯が深まる様子を示している。つまり、初心者は心が混乱することを改めることが出来ないので、その者を指導し、静かに観察させるという。そして、端座し、外に向かいがちな心の働きを内に収めれば、最初は混乱してい...『緇門警訓』に見る坐禅の説示6(令和4年度臘八摂心短期連載6)
『緇門警訓』に見る坐禅の説示5(令和4年度臘八摂心短期連載5)
令和4年度臘八摂心2日目である。昨日から、『龍門仏眼遠禅師坐禅銘』を見ているので、続けて見ていきたいと思う。禅、何ぞ不坐ならん、坐、何ぞ不禅ならん。了得すること是の如くなれば、始めて坐禅と号す。坐する者何人ぞ、禅是れ何物ぞ。而も之に坐せんと欲せば、仏を用って仏を覓む。仏、用覓せずんば、之を覓むるも転た失す。坐、我観せず、禅、外術に非ず。『緇門警訓』巻上坐禅というと、どこか一体のものだと思っているが、どうやら、禅と坐とで分ける考えがあったらしい。とはいえ、上記の文章では、それを批判し、むしろ、禅が坐で、坐が禅であるという考えを推し進め、了得すれば「坐禅」になるとしている。その上で、坐と禅とが一体となった「坐禅」から、続けて「坐する者」が何者で、「禅」とは何者か?と尋ねている。これは、坐とは人が行うべきもので...『緇門警訓』に見る坐禅の説示5(令和4年度臘八摂心短期連載5)
『緇門警訓』に見る坐禅の説示4(令和4年度臘八摂心短期連載4)
令和4年度臘八摂心3日目である。今日からは、『龍門仏眼遠禅師坐禅銘』を見ていきたいと思う。なお、この著者は仏眼清遠禅師(1067~1120、臨済宗楊岐派・五祖法演禅師の法嗣)という禅僧である。『勅修百丈清規』を見ていると、五祖法演禅師が仏眼清遠禅師を書記に任命した話などが載っている。また、同じ『緇門警訓』には、「三自省」という偈頌も載っているのだが、それも機会があれば見ていきたいと思う。しかし、今回からは『坐禅銘』である。心光虚映にして、体、偏円を絶す。金波匝匝、動寂常に禅なり。念起念滅、用いずして止絶す。任運滔滔、何ぞ曾て起滅せん。起滅寂滅、大迦葉現ず。坐臥経行、未だ嘗て間歇せず。『緇門警訓』巻上この「心光虚映」というイメージが、実は捉えにくいと思う。我々自身の意識とは、それこそ現象学で解明したように、...『緇門警訓』に見る坐禅の説示4(令和4年度臘八摂心短期連載4)
『緇門警訓』に見る坐禅の説示2(令和4年度臘八摂心短期連載2)
令和4年度臘八摂心2日目である。今日も、仏心本才禅師『坐禅儀』を見ていきたいと思う。今、学家を見るに、力めて坐しても不悟の者は、病、依計に由り、情、偏邪に附き、迷て正因に背き、枉て止作に随う。不悟の失、其れ斯に在るなり。若し也、一念を斂澄して、密に無生に契は、智鑑廓然として、心華頓に発し、無辺の計執、直下に消磨し、積劫の不明、一時に豁現す。忘を忽ちに記するが如く、病の頓に癒えるが如し。内に歓喜の心を生じ、自知、当に作仏すべし。即知、自心の外に別仏無きことを。然る後に悟に順いて、増修し修に因て、而も証す。証悟の源、是の三別無し、名づけて一解一行三昧と為し、亦た無功用の道と云う。『緇門警訓』巻上今回は、仏心本才禅師『坐禅儀』を3つに分けてみたので、中間の部分である。まず、本才禅師は、当時の学人に対して苦言を呈...『緇門警訓』に見る坐禅の説示2(令和4年度臘八摂心短期連載2)
『緇門警訓』に見る坐禅の説示1(令和4年度臘八摂心短期連載1)
「この坐より摂心」ということで、今日12月1日から7日までは「臘八摂心」となる。当方も、普段は中々坐禅できていないが、この一週間はしっかりと坐る時間を得たいと思っているし、今朝は既に坐ってきた。そこで、例年この機会に、坐禅に関する祖師方の教示を拝受するように心掛けているが、今年は『緇門警訓』を選んだ。本書は、元代の皇慶2年(1313)に、臨済宗破庵派の永中という僧侶によって編集された文献で、元々存在した『緇門宝訓』(編者等不明)を増補したものである。本書には、禅僧達による様々な教誡が収録されているが、坐禅に関する教えも複数確認される。よって、7日間で少しでも読み進めてみたい。また、漢文だけで良いのであれば、『大正新脩大蔵経』巻48に収録されているので、ネット上で本文を見ることも容易であるから、参照していた...『緇門警訓』に見る坐禅の説示1(令和4年度臘八摂心短期連載1)