或る禅僧の語録に見える無心戒の話
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。上堂、僧問う、無心、即ち是れ戒なり。如何なるか是れ無心戒。師云わく、野色に寒霧籠もり、山光に暮煙を斂む。『古雪哲禅師語録』巻4中国明代の禅僧・古雪真哲禅師の言葉であるが、ここで「無心戒」について問われている。それに対し、自然の風景を読み込むことで、「無心」を表現したものとなっている。この辺、徹底無心を追究すると、自然の様子に自ずと展開されることを意味している。そこで、問題も残る。つまり、その無心の様子が、「戒」になるかどうか、である。そうなると、明らかに異なる宗義を持つ宗派も存在している。即ち知る、全心是れ戒なり、全戒是れ心なり。心を離れて戒無く、戒を離れて心無し。南嶽慧思『受菩薩戒儀』これは、伝説的な天台宗の祖師となる南嶽慧思の見解ともされる文脈だが、ここで、「...或る禅僧の語録に見える無心戒の話
2023/01/12 09:58