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「聞こえてくる」如是我聞の意味。禅僧・松原泰道が説く釈尊の教え
釈尊の思想をよく耕している人たちには、釈尊のお姿がそこになくても、聞こえてくる。 聞(もん)=時間を超えて、さまざまと聞く。 「親鸞、道元、日蓮、空海の教え PHPカセットテープ集 生き抜くための道標」というブログ記事を以前書いたんですが、その中でもこの親鸞の巻が "神巻"...
とりあえず以下の一節をご覧いただきたい。万菴曰く、叢林の至る所、邪説熾然たり。乃ち云く、戒律必ずしも持せず、定慧必ずしも習わず、道徳必ずしも修めず、嗜欲必ずしも去らず。又た、維摩・円覚を引いて証と為し、貪瞋痴・殺盗婬を賛じて梵行と為す。烏乎、斯の言、豈に特に叢林今日の害を起こすのみならんや。真に法門万世の害なり。且た博地の凡夫、貪瞋愛欲・人我無明、念念攀縁して、一鼎の沸くが如し。何に由りて清冷せん。先聖、必ず大に此に於こる者の有ることを思って、遂に戒定慧の三学を設けて以てこれを制す。庶くは迴すべきなり。今、後生晩進、戒律を持さず、定慧習わず、道徳修めず、専ら博学強弁を以て流俗を搖動す。これを牽くとも返ること莫し。予、固より所謂、斯の言は乃ち万世の害なり。惟うに正因行脚の高士、当に生死の一著を以て弁明して誠...或る禅僧による持戒に関する歎き
鎌倉時代には様々な文献に、地震の様子などの詳細が載るようになるようだが、その一つを見てみたい。特に、禅僧のものは、現代の我々が、地震をどのように把握すべきかを考えさせてくれるように思うためである。地震に因む上堂。若し人、本源を見徹すれば、大地悉く皆な震動す。昨夜、建長の拄杖子、等正覚を成ず。直に六十八州の山川草木、美欣欣・鬧鬨鬨なることを得たり。八幡菩薩、若宮王子を引得して、頭を聚めて談論して云く「今従り以後、兵器戈矛、復た拈弄せざる。四海晏清にして、万邦入貢なり」と。然も是の如くなりと雖も、我が衲僧分上に在って、何の奇特か有らん。卓、拄杖す。永日寥寥、泰平を賀す。三条椽下、迎送を慵(ものう)くす。『大覚禅師語録(上)』「相州巨福山建長禅寺語録」大覚禅師というのは、道元禅師と時代的には重なる蘭渓道隆禅師(...鎌倉時代の地震と禅寺
禅僧にとって、戒法とは何だったのだろうか?このような見解がある。今この戒を仏祖正伝ととけば、戒法をいやがる禅宗僧の云様は、禅宗は悟りの宗旨なれば、なにの戒法と云ことがあるべきと、亦書冊のはしのよめる僧は、其上に証拠を引て云は、伝灯録及び諸家の録にも、授戒と云ことは見へず、後人の初めたることと云、これ大邪見、愚妄の至なり。面山瑞方禅師『若州永福和尚説戒』(宝暦9年版)乾巻・2丁表、カナをかなにするなど見易く改めるこの説示を見て、拙僧は今でも同じなのではないか?と思うようになった。いや、この見解が現代の現場にまで反映しているのかもしれない、ということだ。しかし、何故、禅宗の悟りと、戒法とが対立するのだろうか?拙僧にはそれが解せない。例えば、道元禅師は禅の悟りと、釈尊の教えとが矛盾しないことを論じている。或いは...禅僧にとっての戒法
今回のお話は少し性が絡んだ話題になっていますので、年端もいかぬ皆サンの閲覧に ついては、保護者各位においての管理監督をお願いしておきます。 では何歳以上なら自由なのか、という御相談もあるかもしれませんが、正直そこまで 粘らなければならないほど濃い内容でもありませんのでご安心...
今日紹介したい本は ↓ これ。禅僧が教える心がラクになる生き方 / 南直哉 (オーディオブックCD) 9784775951132価格:1,210円(税込、送料別) (2023/6/4時点)楽天で購入 「生きる意味なんて見つけなくていい」南直
ちょっと面白い問答があったので、見ておきたい。問、師、誰家の曲か唱えるや。宗風、阿誰に嗣ぐや。師云わく、銭有れば銭を使い、銭無くして貧を守る。『建中靖国続灯録』巻8「東京十方浄因禅院浄照禅師」これは、浄照禅師という人の対機(相手に合わせた指導のこと)である。なお、浄照禅師とは、かの潙山霊祐禅師(771~835)の弟子である。そして、上記の問答は何が問われているかというと、或る僧侶が浄照禅師に対して、誰から法を嗣いで、どのような宗風を鼓吹するのか?と聞いているのである。当然、潙山禅師の法嗣だから、その辺を答えるのかと思うと、決してそんな分かりやすい答えは言わない。むしろ、「銭が有れば銭を使い、銭が無くなって貧を守る」と答えている。或る種の「貧道」という言葉を地で行くような内容だが、そういう意味で良いのだろう...宵越しの金は持たない禅僧
今年の冬至は、今日12月22日である。そこで、今日は冬至に因んだ、禅僧の説法を学んでみたい。冬至の小参。天寒く人寒く、針頭鉄を削し、滴水滴凍、画餅飢えを充たす。丹霞、木仏を焼けば、餓狗、枯髏を齧り、鏡清、単を展かざれば、胡餅裏に汁を覓む。従上の老漢、既に把うるも定まらず。未だ免れず、時に随い、節を逐うことを。便ち陰消じて陽の長きを見る。小去大来、暖律飛灰し、繍紋線を添う。只だ無陰陽地の如きは、還た遷変の有らんや、也た無しや。拄杖を卓す、月、彎弓に似たり、少雨多風なり。『虚堂和尚語録』巻1虚堂智愚禅師(1185~1269)は中国南宋時代の臨済宗で活動した僧侶であり、その語録は日本にも伝来し、広く読まれたようである。その虚堂禅師が、冬至に小参をしておられるので、見ていきたい。内容は、天も人も寒く、まるで針で鉄...今日は冬至(令和4年度版)
中国禅宗青原下の羅漢桂琛禅師(865~926)の言葉に、興味深いものを見付けたので、採り上げておきたい。童子たりし時、日に一たびの素食なり。言を出すに異有り。既に冠にして親を辞して、本府万歳寺の無相大師に事え、披削し、登戒し、毘尼を学ぶ。一日、衆の為に台に升り、戒本を宣べて布薩し已んぬ。乃ち曰く、持犯は但だ身を律するのみ。真の解脱には非ざるなり。文に依りて解を作して、豈に聖を発せんや。是に於いて南宗を訪ね、初めて雲居・雪峯に謁して参訊勤恪す。『景徳伝灯録』巻21まぁ、禅僧っぽいといえばそれまでだが、いわゆる戒律の持犯について、根本的なことを述べていることが分かる。そういえば、桂琛禅師が出家した「無相大師」だが、もちろん、妙心寺の開山である関山慧玄大師のことではない。中国の無相大師である・・・誰、これ?中国...羅漢桂琛禅師の持戒観
今日、9月10日は、旧暦8月15日に当たり、いわゆる「中秋の名月」となる。なお、かつての禅僧は、この中秋に説法(上堂)を行い、偈頌(漢詩)を詠むなどし、この日を楽しんだ、というか、修行の機会に換えたのであった。元々、15日というのは上堂を行う機会でもあったので、それに合わせたわけである。今日は、そのような説法の一つを学んでみたい。上堂。去年の人、中秋の月を看る。今年の人、中秋の月を看る。今年の人、是れ去年の人なり。去年の月、是れ今年の月なり。還た、人有りて這裏に向かいて一隻眼を著得せん。若し也た著得すれば、径山、半院を分かちて伊とともに住す。其れ或いは未だ然らざれば、堂に帰りて茶を喫す。『大慧録』巻2中国臨済宗の大慧宗杲禅師(1089~1163)が径山能仁禅院で行った上堂である。この上堂だが、「中秋の上堂...中秋の名月(令和4年度版)
今日は9月9日、いわゆる「重陽の節句」である。この日について、例えば以下のような説明はどうか?▲九日重陽の御祝儀、九は陽数也、故に重陽と云、九をかさぬると云心也。〇菊酒九月九日蓬餅を食ひ、菊花酒を飲む、かくのごとくすれば人をして長寿ならしむ。〇菊花酒の製法、菊花舒る時、花も茎葉もともに、黍米にまじへてこれを醸し、来年九月九日に至てとり出して、これを飲む。〈二説ともに西京雑記に見〉三田村鳶魚氏編『江戸年中行事』中公文庫・昭和56年、51頁たいがい、重陽は陽数である九が重なった日という説明がされる。そして、菊花である。季節的なこともあり、今日は「菊の節句」でもある。また、菊は永遠の象徴でもあるから、菊花酒に長寿を期待したのであった。ということで、例年の通りだが、以下には「重陽の節句」に因んだ説法などを学んでみ...重陽の節句(令和4年度版)
とりあえず、以下の偈をご覧いただきたい。幽州未だ授戒を得ず一十に出家未だ是の時ならず、二十に出家正に是の時なり。今官壇の縁に遇うも未だ合わず、躘踵且く老沙弥と作る。『雪峰真覚大師語録』下巻「師偈語」これは、中国禅宗の雪峰義存禅師(822~908)の詠んだ偈である。これだけだと背景などは良く分からないが、雪峰禅師の伝記を見てみると、何を言おうとしているのか分かるのかもしれない。九歳にして出家を請うも、怒して未だ允されざる。十二にして家君に従い蒲田の玉潤寺に遊ぶ。律師慶玄有りて持行高潔なり。遽やかに之を拝して曰く、「我が師なり」。遂に留りて童侍と為る。十七にして落髪し、芙蓉山の恒照大師を来謁す。見て之れを奇とす。故に其の所に止まる。宣宗に至りて釈氏を中興す。其の道也た涅して緇ならず。其の身也た褎然として出づ。北して...雪峰義存禅師の出家事情