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『釈氏要覧』を見ていたところ、面白い項目を見出したので、紹介がてら学んでみたい。護戒事業方等経に云く、鬼神を祭祀することを得ざれ、鬼神を軽んずることを得ざれ。神廟を毀壊することを得ざれ。仮使、有人の祭祀する有れども、亦た彼の人を軽んずることを得ざれ。亦た彼と与に往来することを得ざれ〈文多く、載せず〉。それで、『方等経』を典拠にしているとはいうが、『大方等陀羅尼経』巻4「護戒分」からの引用であるらしい。しかも、良く見てみるとこの一節は、「善男子復有五事」として、実践すべき5項目となっている。そのため、一応、5行で表現してみた。それから、拙僧的に良く分からないのは、これが何故「護戒事業」と呼称されたかだが、これも引用された原文を見ていたら、すぐに理解出来た。それは、先の一節に続いて、「是の如くの五事、是れを行...護戒と鬼神信仰について
まずは、以下の一節を見ていきたい。是れ仏家の宏範にして児孫の諦信し来れる家常の茶飯なりとす。見よ在家の仏弟子となるにも受戒なり、僧の剃髪式の内容も受戒なり、〈中略〉仏祖の宏範何れの所にかある。故に換言すれば、受戒は吾人一超して仏家に入る戸籍転換法である。否仏祖位を継ぐ家督相続式である。原田祖岳老師『禅学質疑解答』丙午出版社・大正6年、54~55頁要するに、原田老師は仏祖の広い規範について、児孫が信じてきた家常の茶飯だとしているのである。つまりは、仏弟子たる者、誰しもが護持してきたことだということになる。そこで、原田老師のご見解としては、受戒については児孫がよく信仰するための、日常的なものだとしており、よって、在家が仏弟子になるにも受戒、僧が僧になるための剃髪式も受戒であるというが、これはもはやいうまでもな...洞門の受戒を世間の営みに喩えるなら?
何かを読んでいたときに、『日葡辞書』に『血脈』の語が出ていることを知ったので、確認しておきたい。Qetmiacu.ケッミャク(血脈)系統表のように書き記された技芸,あるいは,教義.または,その教義や技芸を宣布した初期の人々とその後継者とを記した表.そして坊主(Bonzos)は,往々この表を教区内の信者に授けて,それで霊が救われるとか,その表に赤インク〔朱墨〕で記されている著名な人々の数に仲間入りするとかと信じさせるのである。Qetmiacuuotcutayuru.(血脈を伝ゆる)この表を教えて引き渡す.Qetmiacuuosazzucaru.(血脈を授かる)坊主(Bonzo)から上のような書き物をその坊主(Bonzo)の名前と一緒に受け取る.それによって霊が救われるに違いないと考えながら.岩波書店『邦訳日...『日葡辞書』に於ける『血脈』の語について
以下の一節をご覧いただきたい。戒を受ける主体が仏であることは、菩薩戒の特徴の一つである。というのも、一般に、声聞乗における通常の受戒儀礼の場合は、戒は比丘から授けられるのが原則であり、このように他の修行者を介して戒を受ける方法は従他受戒と通称される。この受戒法は、いわゆる師資相承の系譜を遡ると、釈迦牟尼仏にまで連綿と繋がる点が重要である。間接的にではあるが、釈迦牟尼仏の制定した戒律を代々受け継ぐという性格がある。一方、菩薩戒においては、瞑想や夢の中に釈迦牟尼仏や他の仏や菩薩が現れ、かかる仏や菩薩から直接に戒を授かるという場合がある。この受戒は、仏や菩薩に菩薩の誓願を自ら表明することによって実現するため、しばしば自誓受戒と呼ばれる。船山徹先生『六朝隋唐仏教展開史』法蔵館・2019年、251頁確かに菩薩戒は人...「菩薩戒」とは誰から受けるのか?
禅僧にとって、戒法とは何だったのだろうか?このような見解がある。今この戒を仏祖正伝ととけば、戒法をいやがる禅宗僧の云様は、禅宗は悟りの宗旨なれば、なにの戒法と云ことがあるべきと、亦書冊のはしのよめる僧は、其上に証拠を引て云は、伝灯録及び諸家の録にも、授戒と云ことは見へず、後人の初めたることと云、これ大邪見、愚妄の至なり。面山瑞方禅師『若州永福和尚説戒』(宝暦9年版)乾巻・2丁表、カナをかなにするなど見易く改めるこの説示を見て、拙僧は今でも同じなのではないか?と思うようになった。いや、この見解が現代の現場にまで反映しているのかもしれない、ということだ。しかし、何故、禅宗の悟りと、戒法とが対立するのだろうか?拙僧にはそれが解せない。例えば、道元禅師は禅の悟りと、釈尊の教えとが矛盾しないことを論じている。或いは...禅僧にとっての戒法
先日から、「安名」について色々と記事を書いたが、もう一つ『血脈』についても書いておきたかったので、これを記事にしておきたい。十四年己酉師、六十七歳の春三月。真俗、師を瑞光に請待す。夏四月、知了、母の冥福のために僧堂を造立す。落成の日、師を請うて小参せしむ。六月に至りて、師、病衰すと雖も、日日に学道を激励す。真俗二万余人の為に、帰戒・血脈を授く。乃ち是れ末期の転法輪なり。『瑞光隠之和尚年譜』享保14年(1729)項、『曹洞宗全書』「史伝(下)」巻、450頁上段これは、江戸時代の曹洞宗侶・隠之道顕禅師の最晩年の様子を記したものである。隠之禅師は、かの月舟宗胡禅師や徳翁良高禅師に参じ、最終的には卍山道白禅師の法を嗣いだ。そして、その最期が近付いてくると、病衰しながらも僧侶・俗人問わず、二万人以上のために、三帰戒...或る『因脈』授与の現場