メインカテゴリーを選択しなおす
正3-2-1③『仏性』第二段その1③〔あの説くこと、行じること、証明すること、忘れることなども、そっくりそのまま仏性が現前する時節の因縁である〕
#私というのは虚構である
気になるブログをフォロー!
登録は不要で無料で使えます
フォローできる上限に達しました。
新規登録/ログインすることでフォロー上限を増やすことができます。
フォローしました
リーダーで読む
『正法眼蔵』読解・御抄私訳
正3-1-7『第三仏性』第一段その7〔仏性は、無始無終のものでもない。この何物〈仏性〉がこのように現前しているからである〕
正3-1-8後半〔すべての存在と衆生と仏性は一つだから、衆生は仏性に逢いようがない〕
正3-1-11『第三仏性』第一段その11〔人は妄想分別を覚知と思っているが、そうではない〕
正3-1-12『第三仏性』第一段その12〔覚知は神経細胞の動きではない〕
正3-1-13『第三仏性』第一段その13〔仏性は必ずあるぞ、天地のありとあらゆるものはみな仏性であるから〕
S3-3-2〔日常の様々な生活のいとなみはみな神通不可思議な仏智恵のはたらきであり、仏性の現成だ。〕『正法眼蔵第三仏性』第三段その2(本文/私訳)
S4-6-1〔真の自己のありようを求める心を発こす〕『正法眼蔵第四身心学道』第六段その1(本文・私訳)
S4-6-2六段その2〔発菩提心ハツボダイシンは居処に関わりがない。発オコこせばある、発こさなければない。〕『正法眼蔵第四身心学道』六段その2(原文・私訳)
S3-2-1〔仏性のことを知ろうとするならば、仏性が現前するこの今の時の因縁を当に観じてみよ。〕『正法眼蔵第三仏性』第二段その1(本文・私訳)
S3-2-1『正法眼蔵第三仏性』第二段その1〔仏性のことを知ろうとするならば、仏性が現前するこの今の時の因縁を当に観じてみよ。〕(聞書抄現代語訳)
S3-1『正法眼蔵第三仏性』第一段〔すべての存在は仏性である〕(聞書抄現代語訳)
S4-5-3 『正法眼蔵第四段身心学道』第五段その3〔心学道は、解脱する日があり、透脱する時がある。〕(聞書抄現代語訳)
S4-5-3〔心学道は、解脱する日があり、透脱する時がある。〕『正法眼蔵第四身心学道』第五段その3(原文・私訳)
S3-1-5『正法眼蔵第三仏性』第一段その5〔草木花葉実種は一つ一つがみな仏性である〕(聞書抄現代語訳)
S3-1-5〔草木花葉実種は一つ一つがみな仏性である〕『正法眼蔵第三仏性』第一段その5(本文・私訳)
S4-3-2〔心で心を学ぶという道理を、あらゆる世界の眼玉として仏のありようの上で丸めてきた〕『正法眼蔵第四身心学道』第三段その2(原文・私訳)
S3-1〔すべての存在は仏性である〕『正法眼蔵第三仏性』第一段(原文・私訳)
S4-5-1 〔家の家に非ざることを知って、家を捨て出家する〕『正法眼蔵第四身心学道』第五段その1(原文・私訳)
S4-5-2〔垣根・壁・瓦・小石がそのまま心の現成だ〕『正法眼蔵第四身心学道』第五段その2(原文・私訳)
S4-5-2『正法眼蔵第四身心学道』第五段その2〔垣根・壁・瓦・小石がそのまま心の現成だ〕(聞書抄現代語訳)
S3-1-3 〔仏と性は全く異なっているものではなく、それが仏性の覚知である〕『正法眼蔵第三仏性』第一段その3(原文・私訳)
S3-1-3 『正法眼蔵第三仏性』第一段その3〔仏と性は全く異なっているものではなく、それが仏性の覚知である〕(聞書抄現代語訳)
S4-5-1 『正法眼蔵第四身心学道』第五段その1〔家の家に非ざることを知って、家を捨て出家する〕 (聞書抄現代語訳)
S3-1-4 〔仏性の覚知は意識の変化ではない〕『正法眼蔵第三仏性』第一段その4(原文・私訳)
S3-1-4 『正法眼蔵第三仏性』第一段その4〔仏性の覚知は意識の変化ではない〕(聞書抄現代語訳)
S2-6-1 〔般若は仏世尊だ、仏世尊は般若だ〕『正法眼蔵第二摩訶般若波羅蜜』第六段その1(原文・私訳)
S2-6-1 『正法眼蔵第二摩訶般若波羅蜜』第六段その1〔般若は仏世尊だ、仏世尊は般若だ〕(聞書抄現代語訳)
S1-16 〔本来仏だから坐禅するのだ〕 『正法眼蔵第一現成公案』第十六段 完 (原文・私訳)
S1-16 『正法眼蔵第一現成公案』第十六段 完 〔本来仏だから坐禅するのだ〕 (聞書抄現代語訳)
S1-15 〔その現れたものを何々だと抑えて見れば(見成)、何ぞ必ずしも何々ならん(何必)で、これという確固たる断定ができない。と同時に何必は仏法である。〕『正法眼蔵第一現成公案』第十五段(原文・私訳)
S4-3-1 〔箇の不思量底を思量せよ=思量が生ずる前のこの身心の無心な様子を思量せよ〕『正法眼蔵第四身心学道』 第三段その1(原文・私訳)
S4-3-1 『正法眼蔵第四身心学道』 第三段その1 〔箇の不思量底を思量せよ=思量が生ずる前のこの身心の無心な様子を思量せよ(聞書抄現代語訳)
S4-2-2『正法眼蔵第四身心学道』第2段その2〔不思量で仏道を学び、思量で仏道を学ぶ〕 (聞書抄現代語訳)
S4-2-2〔不思量で仏道を学び、思量で仏道を学ぶ〕『正法眼蔵第四身心学道』第2段その2(原文・私訳)
S1-15 『正法眼蔵第一現成公案』第十五段〔その現れたものを何々だと抑えて見れば(見成)、何ぞ必ずしも何々ならん(何必)で、これという確固たる断定ができない。と同時に何必は仏法である。〕 (聞書抄現代語訳)
S2-5 『正法眼蔵第二摩訶般若波羅蜜』 第五段〔風鈴は般若を説いており、その音はチリーンチリーンだ〕 (聞書抄現代語訳)
S2-5 〔風鈴は般若を説いており、その音はチリーンチリーンだ〕 『正法眼蔵第二摩訶般若波羅蜜』 第五段(原文・私訳)
S2-4 〔般若を守護することは、般若を受持し読誦することだ〕 『正法眼蔵第二摩訶般若波羅蜜』第四段 (原文・私訳)
S2-4 『正法眼蔵第二摩訶般若波羅蜜』第四段〔般若を守護することは、般若を受持し読誦することだ〕 (聞書抄現代語訳)
S1-14 [この身心に生じる、見える・聞こえる・香る・味がする・体感がある・思えるという活動に従って、私のいない真のありようが現前する=現成公案する〕 『正法眼蔵第一現成公案』第十四段(原文・私訳)
S1-14 『正法眼蔵第一現成公案』第十四段〔この身心に生じる、見える・聞こえる・香る・味がする・体感がある・思えるという活動に従って、私のいない真のありようが現前する=現成公案する〕 (聞書抄現代語訳)
S1-13- 1〔仏法がもし身心に充ち足りれば、どこか足らないと思われるものである〕『正法眼蔵第一現成公案』第十三段その1 (原文・私訳)
S1-13- 1『正法眼蔵第一現成公案』第十三段その1〔仏法がもし身心に充ち足りれば、どこか足らないと思われるものである〕(『聞書抄現代語訳)
S2-2-2[甚だ深い般若波羅蜜は微妙であり測り難いのだ]『正法眼蔵第二摩訶般若波羅蜜』第二段その2(原文・私訳)
S4-2-1『正法眼蔵第四身心学道』第二段その1〔発菩提心ホツボダイシンの身心の自活動を学ぶのだ〕 (聞書抄現代語訳)
S4-2-1〔発菩提心ホツボダイシンの身心の自活動を学ぶのだ〕『正法眼蔵第四身心学道』第二段その1(原文・私訳)
S4-1-3[仏道を学ぶには、心を学び身を学ぶことだ]『正法眼蔵第四身心学道』第一段その3
S1-13-2[自分の修行の眼力の及ぶ範囲だけを理解し会得するのだ]『正法眼蔵第一現成公案』第十三段その2(原文・私訳)
S1-13-2『正法眼蔵第一現成公案』第十三段その2[自分の修行の眼力の及ぶ範囲だけを理解し会得するのだ] (聞書抄現代語訳)