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飢えては喰らい楽しくて呑み穏やかなる眠りに安んず死生は可もなく不可もなく達せるかな達せるかな漢詩の良いところは、意味の謂わんとするところ、心情に沿うところの感得、それらを自由にさせてくれる遊び、とでもいいましょうか、私にとっては、その懐の深さにあると思っとります。また、特に酒を愛でることにおいて、李白と白楽天は大好きなご両人なのであります。はてさて達せるかな達せるかな白楽天もしくは白居易
魂よ謎を解くことはお前にはできないさかしい知者の立場になることはできないせめて酒と盃でこの世に楽土を開こうあの世でおまえが楽土に行けるとは決まっていないいつまで一生をうぬぼれておれようあるなしの論議などに耽っておれよう酒を呑めこう悲しみの多い人生は眠るか酔うかして過ごしたがよかろうルバイヤート(四行詩)より
経験とは、誰もが自分の間違いにつける名称である。とは誰が言ったか。試練にさらされることで思考が研ぎ澄まされ、人生というものをより切実に理解できるようになった。と言ったのは誰だったか。間違いないのは、その人はそれを経験した人だ。ということに気付き始めた経験からそう思う。経験について
縁あって、あつかましゅうもこの世の中におらしてもろうて63年ほどになります。つまるところ、世の中、奇跡なんか起こらないとおもうてるか。奇跡としか言いようがないとおもうてるか。それによって、合縁も奇縁も随分と変わってくるのではないですかね。知らんけど。合縁奇縁
禅の公案に「主人公」というものがある。今朝、朝刊を読んでいたら、ふとこれがあの「主人公」ではないか、また「唯我独尊」という公案もこれに類するものではないかと想うことがあった。向谷地生良氏の「当事者研究」といものについての記事であったが、「苦労」は「反省」から「研究」へと発想を変えることで自らを自らの手に取り戻すことができる。そのことを氏は「自分の苦労の主人公になる」と言う言葉で表現されているように思えた。借金苦、病苦、生活苦・・当事者自身がじぶんの苦情を理解することで救われる苦労もあるというものだ。ちなみに以下、記事を一部抜粋してみる。「当事者研究」をご存じだろうか。幻覚や幻聴、摂食障害、リストカット、統合失調症といった「苦労」を抱える当事者が、自身の症状が起こるパターンやプロセス、構造を「研究」する取り...主人公