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自己と宇宙の真相を道元禅師が自覚され『正法眼蔵』として著され、高弟が最古の注釈書『御抄』を遺されました。その全75巻にチャレンジします。ご叱正等いただければ大変ありがたく存じます。
本日のランキング詳細
2021/11/27
正3-13-6『第三仏性』十三段その6〔たとえ仏法の片鱗を学び得たとしても、すでに心の用い方が錯アヤまっている〕
正3-13-5『第三仏性』十三段その5〔自他ともに仏性に覆い蔵くされているといっても、まだ自分は解脱していないなどと言ってはいけない〕
正3-13-4『第三仏性』十三段その4〔知っているから、ことさらに犯すことができるのである〕
正3-13-3『第三仏性』十三段その3〔知っていながらことさらに罪を犯す〕
正3-13-2『第三仏性』十三段その2〔この皮袋に撞入すると言うこの僧の脚下を、見誤ってはならないのである〕
正3-13-1『第三仏性』十三段その1〔犬に仏性は有るのですか無いのですか? 趙州は言う、「有」。〕
正3-12-1④後半『第三仏性』第十二段その1④後半〔趙州は言う、「犬に犬の業識があるからだ」〕
正3-12-1④『第三仏性』第十二段その1④〔趙州は言う、「犬に犬の業識があるからだ」〕
正3-12-1③『第三仏性』第十二段その1③〔一切衆生にみな仏性が有るのに、どうして犬に仏性が無いのか〕
正3-12-1②『第三仏性』第十二段その1②〔趙州ジョウシュウは、「無」と言う〕
正3-12-1①『第三仏性』第十二段その1①〔趙州ジョウシュウ大師にある僧が、「犬にも仏性は有りますか、どうですか」と問うた〕
正3-11-7②第十一段その7②〔半分でも全部でも、指の先ほどでも全大地でも、みなこれは何ものにも依りかからない仏性なのである〕
正3-11-7-①『第三仏性』第十一段その7①〔虎を陥れ虎をなで、相対を超越している仏性〈異類〉の中を自在に行く〕
正3-11-6『第三仏性』第十一段その6〔これは黄檗オウバクが、かの南泉を相手にできなかったということではないのか〕
正3-11-5②『第三仏性』第十一段その5②〔もしわらじ代を返さなかったら、わらじを履きません〕〔聞書私訳〕
正3-11-5①『第三仏性』第十一段その5①〔もしわらじ代を返さなかったら、わらじを履きません〕
正3-11-4②『第三仏性』第十一段その4②〔飲み水代はしばらくおく、わらじ代は誰に還させるのか〕〔聞書私訳〕
正3-11-4①『第三仏性』第十一段その4①〔飲み水代はしばらくおく、わらじ代は誰に還させるのか〕
正3-11-3②『第三仏性』第十一段その3②〔一頭の牛が出て来て、モーモーと鳴く〕〔聞書私訳〕
正3-11-3①『第三仏性』第十一段その3①〔一頭の牛が出て来て、モーモーと鳴く〕
正3-11-2②『第三仏性』第十一段その2②〔聞書私訳〕〔「長老が会得した処ではないのか」で仏の一面が出る〕
正3-11-2①『第三仏性』第十一段その2①〔「長老が会得した処ではないのか」で仏の一面が出る〕
正3-11-4②『第三仏性』第十一段その4②〔聞書私訳〕〔たとえ十二時の中にあっても、何ものにも倚りかからない〕
正3-11-4①『第三仏性』第十一段その4①〔たとえ十二時の中にあっても、何ものにも倚りかからない〕
正3-11-3『第三仏性』第十一段その3〔仏性を明らかに見るとは、誰の所作なのか〕
正3-11-2『第三仏性』第十一段その2〔行脚アンギャ中の飲み水代はしばらくおいておこう、しかし履き破ったわらじ代は誰に返させるのか〕
正3-11-1②『第三仏性』第十一段その1②〔定と慧を等しく学べば仏性を明らかに見ることができる。この理はどうか。〕
正3-11-1①『第三仏性』第十一段その1①〔定と慧を等しく学べば仏性を明らかに見ることができる〕
正3-10-2②『第三仏性』第十段その2②〔この身心〈是仏〉の在る処が、すなわち清浄で至妙な仏国土なのである〕
正3-10-2①『第三仏性』第十段その2①〔すでにこの身心は仏性の在り処カである〕
正3-10-1④『第三仏性』第十段その1④〔蟻の身も、ただよくこのようであれば、すべて清浄で至妙な仏国土であり、不可思議なものである〕
正3-10-1③『第三仏性』第十段その1③〔仏は、妨げのない智慧を車として、因果を載せて運んで行くのである〕
正3-10-1②『第三仏性』第十段その1②〔仏は、何にも妨げられない智慧である〕
正3-10-1①『第三仏性』第十段その1①〔仏は仏道によって生きている人であり、この仏としての存在が仏性である〕
正3-9-5②『第三仏性』第九段その5②〔「一切諸仏は無仏性」ということはいまだ夢にもみたことはないであろう〕
正3-9-5①『第三仏性』第九段その5①〔もし仏性を説き得れば、仏性が表れて仏性にしてしまうから説くことがなくなるのである〕
正3-9-4『第三仏性』第九段その4〔「有仏性」と言っても「無仏性」と言っても仏法僧を謗ることになるが、言わないわけにはいかない〕
正3-9-3②『第三仏性』第九段その3②〔張さんが酒を飲めば、李さんが酔う、と言ってはならない〕
正3-9-3①『第三仏性』第九段その3①〔もし一切衆生だけに仏性があるというなら、それは悪魔の仲間だ〕
正3-9-2②『第三仏性』第九段その2②〔「無仏性」は、全世界を自己の家宅とする自己の経巻である〕
正3-9-2①『第三仏性』第九段その2①〔「無仏性」という一本の杖が釈尊と塩官を呑み込んでしまった〕
正3-9-1②『第三仏性』第九段その1②〔「悉有仏性」=「有仏性」=「無仏性」〕
正3-9-1①『第三仏性』第九段その1①〔潙山は「一切衆生は無仏性である」と言う〕
正3-8-3後半『第三仏性』第八段その3後半〔一切の仏性は有衆生である〕
正3-8-3『第三仏性』第八段その3〔一切の仏性は有衆生である〕
正3-8-2①後半『第三仏性』第八段その2①後半〔衆生でないものは、有仏性ではない〕
正3-8-2①『第三仏性』第八段その2①〔衆生でないものは、有仏性ではない〕
正3-8-1②『第三仏性』第八段その1②〔心はみな衆生であり、衆生はみな有仏性なのである〕
正3-8-1①後半『第三仏性』第八段その1①後半〔塩官国師は「すべての生きとし生けるものは有仏性である」と言う〕
正3-8-1①『第三仏性』第八段その1①〔塩官国師は「すべての生きとし生けるものは有仏性である」と言う〕
正3-7-4③『第三仏性』第七段その4③〔評釈〕〔この身心はこのまま仏性の現れだ〕
『正法眼蔵』番外編 〔未だ見ぬ次世代のあなたへ〕
正3-7-4②『第三仏性』第七段その4②〔聴教だけ、参禅だけということは、仏道にはない〕
正3-7-4①『第三仏性』第七段その4①〔これは一枚の画に描いた餅のようですね〕
正3-7-3⑦『第三仏性』第七段その3⑦〔餅の画一枚で誰が今でも腹が一杯で飢えないなどと言えようか〕
正3-7-3⑥『第三仏性』第七段その3⑥〔身に円月の相を現す姿を描くには、法座上に龍樹の姿を描くべきである〕
正3-7-3⑤『第三仏性』第七段その3⑤〔まことの身の現れに出会っているのに、画に描いた餅を珍重してはならない〕
正3-7-3④『第三仏性』第七段その3④〔それまで龍樹や提婆のように「身の現れは仏性である」と言った者はいなかった〕
正3-7-3③『第三仏性』第七段その3③〔量り知れないほど多いすべての我々の日常生活は、仏性であるこの身の現れのその時その時の様子である〕
正3-7-3②『第三仏性』第七段その3②〔身の現れは仏性〈向かうと必ずきちっとその通りあること〉である〕
正3-7-3①第七段その3①〔仏性〈向かうと必ずきちっとその通りあること〉というものは、とらわれるものなく、カラリと開けて明らかである〕
正3-7-2⑤『第三仏性』第七段その2⑤〔龍樹尊者の後継ぎ伽那提婆尊者は、はっきりと満月の相を識り、円月の相を識り、身の現れを識り、諸仏の性を識り、諸仏の体を識った〕
正3-7-2④『第三仏性』第七段その2④〔きまった形の無いものが更に無相になり切るとき、身に現れるのである〕
正3-7-2③『第三仏性』第七段その2③〔この身に現れるのは、まず我を立てておごり高ぶる心を除くべきであるから、龍樹ではなく、諸仏の体である〕
正3-7-2②『第三仏性』第七段その2②〔いかなる処にも麤ソ(あらい)という円月相、細という円月相、迷・悟、衆生・仏という円月相が在る〕
正3-7-2①『第三仏性』第七段その2①〔「身に円月相を現し諸仏体を表す」とは、龍樹が坐禅をしている様子である〕
正3-7-1⑥『第三仏性』第七段その1⑥〔「仏性は大でなく小でない」と聴く通りに聴く〕
『第三仏性』第七段その1⑤〔眼が見る様子から学ぶ;眼の働きの真相〕〔『正法眼蔵』評釈〕
正3-7-1④『第三仏性』第七段その1④〔仏性〈向かうと必ずその通りにあること〉を見ようと思うなら、先ず我慢を除くべきである〕
正3-7-1③『第三仏性』第七段その1③〔本物の説法は決まった形は無い〕〔私訳〕
正3-7-1②『第三仏性』第七段その1②〔真実の説法は決まった形は無い〕
正3-7-1①『第三仏性』第七段その1①〔天竺テンジク国の龍樹リュウジュ尊者ソンジャ〕
正3-6-2③『第三仏性』第六段その2③〔草木・叢林・人・物・身心・国土山河はみな無常〈いつも初めて〉であるから、みな仏性である〕
正3-6-2②『第三仏性』第六段その2②〔常は未転である〕〔聞書私訳〕
正3-6-2①『第三仏性』第六段その2①〔常は未転である〕
正3-6-1⑦『第三仏性』第六段その1⑦〔無常は仏性である〕
正3-6-1⑥『第三仏性』第六段その1⑥〔外道の常・楽・我・浄と、仏の常・楽・我・浄とは、はるかに異なる〕
正3-6-1⑤『第三仏性』第六段その1⑤〔一切諸法が若し無常であれば、即ちあらゆるものはみな自性があり、まさに生死を受けるに違いない〕
正3-6-1④『第三仏性』第六段その1④〔無常は即ち仏性である。有常は即ち善悪など一切のものを分別する心である〕
正3-6-1③『第三仏性』第六段その1③〔常に凡夫、或いは常に聖人であるなら、それは仏性ではない〕
正3-6-1②『第三仏性』第六段その1②〔今、自身を現わすことによって済度すべき者には、自身を現わしてその者の為に法を説く〕
正3-6-1①『第三仏性』第六段その1①〔無常は仏性である、有常は善悪など一切のものを分別する心である〕
正3-5-3④『第三仏性』第五段その3④〔この第五段で「嶺南人無仏性」とあるのは大いに動揺させるが、そのわけは六つ〕
正3-5-3③『第三仏性』第五段その3③〔仏法で言ういろいろな無は、無仏性の無から学ぶべきである〕
正3-5-3②『第三仏性』第五段その3②〔釈迦仏の悉有の有が、どうして四祖五祖の無仏性の無から法を嗣ツがないことがあろうか〕
正3-5-3①『第三仏性』第五段その3①〔人に南北の違いがあっても、仏性に南北の違いはない〕
正3-5-2③『第三仏性』第五段その2③〔聞いて歓ぶべきことは衆生は無仏性である〕
正3-5-2②『第三仏性』第五段その2②〔仏性は成仏よりのちに具わるものであると学ぶことが、正しく的を射ていることである〕
正3-5-2①『第三仏性』第五段その2①〔仏性は成仏よりのちに具わるのである〕
正3-5-1②『第三仏性』第五段その1②〔すでに仏であるのに、さらにどのような仏になろうというのか〕
正3-5-1①第五段その1①〔仏になることを求める〕
正4-4-4 ②第四段その4②〔色即是空とは、色(物質)を無理やり空とするのではなく、空を分けて強いて色を作り出すのではない〕
正4-4-4 ①第四段その4①〔仏性は空であるから無と言う〕
正3-4-3③『第三仏性』第四段その3③〔無仏性に何という標準がある〕
正3-4-3②『第三仏性』第四段その3②〔仏性は七通八達しているからふさいではならない〕
正3-4-3①第四段その3①〔四祖が言われた「汝は無仏性だ」〕
正3-4-1②第四段その1②〔お前は何ガという姓だな、仏性という姓だな〕
正3-4-1①『第三仏性』第四段その1①〔何という姓か?仏性という姓です。お前に仏性など無い!〕
正3-3-2③『第三仏性』第三段その2③〔日常生活が、神通不可思議な仏智恵のはたらきに滞らされるといっても、仏道修行が絶え間なく継続するのである〕
正3-3-2②『第三仏性』第三段その2②〔私達の日常生活の際限ないはたらきは、際限ない神通力のはたらきである〕
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