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かつて駒澤大学の学長を務めておられた忽滑谷快天先生の『正信問答』(光融館・大正15年)に、次のような一節が見える。問ふ禅宗には授戒といふ有難い法要が行はれて、その御血脈を戴きますと、死んでから善い処へ往かれると承つて居りますが、如何なものですか。答ふ御血脈は極楽行の汽車へ乗る切符ではない。従て御血脈を買うても死んでから役にたたないです。前掲同著「五十六授戒」項、159~160頁これはおそらく想定問答である。だが、実際にこういう意見はあったのかもしれない。『血脈』について、かなり素朴な信仰があり、それがあれば自らの望む場所、つまり極楽などに往生できるということである。それで、拙僧が様々な文献を見た限りによるけれども、これはこの通りである。それで、忽滑谷先生の指摘は、『血脈』は来世のことまでは守ってくれないと...忽滑谷快天先生『正信問答』に於ける『血脈』論
何かを読んでいたときに、『日葡辞書』に『血脈』の語が出ていることを知ったので、確認しておきたい。Qetmiacu.ケッミャク(血脈)系統表のように書き記された技芸,あるいは,教義.または,その教義や技芸を宣布した初期の人々とその後継者とを記した表.そして坊主(Bonzos)は,往々この表を教区内の信者に授けて,それで霊が救われるとか,その表に赤インク〔朱墨〕で記されている著名な人々の数に仲間入りするとかと信じさせるのである。Qetmiacuuotcutayuru.(血脈を伝ゆる)この表を教えて引き渡す.Qetmiacuuosazzucaru.(血脈を授かる)坊主(Bonzo)から上のような書き物をその坊主(Bonzo)の名前と一緒に受け取る.それによって霊が救われるに違いないと考えながら.岩波書店『邦訳日...『日葡辞書』に於ける『血脈』の語について
昨日、我が愛車のクラウンが修理のため入院となりました。 いつもお世話になっている車屋さんにお願いしたのですが、もともとは代車として軽自動車を貸してもらえるという当初の話でした。 ところが実際に代車とし
色々と読んでいる時に、以下の一節があることに気付いた。洞下は、永平祖師の家訓にて、剃髪の時、大乗戒の血脈を授かって、皆な菩薩僧なれば、剃髪戒臘が、祖意に叶うなり。面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻5「僧堂新到須知」実は、この一節を見て、拙僧は困ってしまった。その理由として、上記一節で、面山禅師は出家時に「大乗戒の血脈」を授かるとしている。ところが、面山禅師が編集して敷衍したという『得度略作法』には、血脈授与の項目が見えないのである。以前も見たことであるが、面山禅師の『得度略作法』は以下のような差定となっている。・準備物・奉請三宝・十仏名・嘆徳文・出家の偈・発心の偈・剃髪・安名・授坐具衣鉢法(坐具・五条衣・七条衣・九条衣・応量器)・授菩薩戒法(懺悔・三帰戒・沙弥十戒・三聚浄戒・十重禁戒)・回向・略三宝・処...出家時の『血脈』の有無について
今日も備忘録的な記事である。それで、以下は余り長くない記事である。宗門の古い形の「戒脈」として知られているのは、道元禅師が授けたという『授理観戒脈』及び『授覚心戒脈』が知られている。両者ともに現存している状況をかいつまんで説明しておきたい(春秋社『道元禅師全集』第7巻の解題を参照している)。・『授理観戒脈』⇒原本は散逸していて伝わらないけれども、永平寺で『三国伝灯菩薩戒血脈』と呼称されている。理観は、詳しいことは知られないけれども、道元禅師が敢えて、菩薩戒を明全和尚から授かったことを示しつつ臨済宗黄竜派・天台宗(ともに栄西禅師系)の戒脈が合揉されたものを授けられた。識語からすれば、文暦2年(1235)8月15日であり、思想的な内容については、「舎那七仏・三師の脈」とある。「舎那七仏」とは『梵網経』の思想的...「出家得度」における『戒脈』の意義
江戸時代末期に『伝光録』を開版した勝躅が知られる仏洲仙英禅師(1794~1864)の語録を詳しく読んでいた。その中に、『血脈讃題』という一節を見付けたので参究してみたい。血脈讃題仏仏の血脈、祖祖の肝腸。独尊の慧命、至聖道場。群生の帰処、含霊の本郷。心身の現在、相好著明。大意的的、体露堂堂。一面三世、箇裏十方。正法の符信、永代の紀綱。嫡嫡要を伝え、灯灯〈光を列す。芳を聯ぬ〉。過現未を通じ、已今当を貫く。高下平等、始終真常。恒沙の経数、八万の法蔵。周囲重畳、讃揚罄くし叵し。『円成始祖老人語録(巻中)』、『曹洞宗全書』「拾遺」巻、137頁下段、訓読は拙僧四言の古詩による讃ということになるが、平声・下七陽にて韻が踏まれている。内容としては、まず間違いなく、具体的な『血脈』の讃であるといえよう。意義としては、次のよ...或る学僧の『血脈讃題』
「因脈会」の作法については、既に【(4)】で書いた通り、戒師による説戒の時に併修された「因脈授与」が原型となっているため、いわゆる「道場」とは扱われないことを指摘した。ただし、その記事では、授戒として何が授けられているのかを明かさなかった。それについて指摘された文献があるので、今日はそれを見ておきたい。下午説戒之節因縁血脈ノ願アラバ室侍寮江相届用意之上、説戒時戒師三帰戒アリ、尤毎日用意同断也、『増福山授戒直壇指南』、『曹洞宗全書』「清規」巻・789頁下段~790頁上段実はこれでしかなく、全体の流れは分かりにくい。上記から分かるのは、因縁血脈の依頼があった場合には、室侍寮が準備するということと、説戒の時に戒師が三帰戒を授けること、そして毎日行う可能性があるということである。それで、三帰戒と因縁血脈という取り...「因脈会作法」考(5)
以前にアップした【(3)】の記事を書いた時に漠然と思っていたのだが、そういえば因脈会に関しては、授戒・授脈の場面のことを「道場」とは称していない。・因脈授与「因脈会行持日鑑」、『昭和修訂曹洞宗行持軌範』316頁つまり、道場ではないのである。この辺、授戒会・法脈会では、以下の通りである。・正授道場「授戒会行持日鑑」、前掲同著・308頁・正授道場「法脈会行持日鑑」、前掲同著・315頁この通りであり、両作法とも「正授道場」となっているのである。ただし、「因脈授与」となっている先ほどの作法について、実態は以下の通りである。直僚(因脈係)は、受者を整列させて加行位に就かしめる。戒師は三鼓、大擂上殿。まず説戒、終わって懺悔文を唱えしめる。室侍長(あるいは随行長)、洒水を行う。次いで戒師は三帰、三聚、十重禁戒を授け血脈...「因脈会作法」考(4)
前回の記事については、【(2)】をご覧いただければ良いと思うのだが、少しく気付いたことがあったので、記事にしておきたい。雑考に近いかもしれない・・・それで、まず、「因脈会」の「因脈」は、「因縁血脈」の略だとはされるが、その典拠はどこにあるのだろうか?気になったので調べてみたが、曹洞宗宗務庁刊『授戒会の研究』に付録されている各種戒会加行表を見てみると、畔上楳仙禅師や石川素童禅師が示されたという戒会指南書には、当たり前のように用いられているので、明治期には一般的であったといえよう。そうなると、「因縁血脈」の使用はその前になるとは思っていたのだが、以下のような一節を見出した。又血脈ヲ受ルニ四通リノ次第アリマス、一ニハ長老以上ハ傳戒ト云、二ニハ自身ニ受ヲ正戒ト云、三ニハ授戒ニ付テモ此ノ道場ニ得入來ナク、代人ニテ受...「因脈会作法」考(3)
既に、【「因脈会作法」考】で見たように、現行の『行持軌範』に於ける「因脈会作法」は、授戒会⇒法脈会⇒因脈会と、本来の授戒会から次第に略されたものであるけれども、その略され方を通して、現行の因脈会がどのような戒学に裏打ちされているかを考察する。まず、「因脈会作法」とはどのような流れになっているか、簡単に確認しておきたい。そもそも、宗門が公式に「因脈会作法」を定めたのは、『昭和改訂曹洞宗行持軌範』(昭和27年)であるが、以下のような説明となっている。概ね授戒会と同じ。唯、日時を短縮する。長さは四五日、短きは二三日或は一日とすることもある。又、月授戒と称して毎月一回(最後二日行ふ)修行することがある。因脈会には登壇並びに上堂は行はない。又、飯台を略して弁当持参とする。迎聖、歎仏、説教、施餓鬼、供養回向、説戒、読...「因脈会作法」考(2)
以前から、「因脈会作法」について、一言記事にしておきたかった。そもそも、宗門で「授戒会作法」を正式に軌範に組み込んだのは、昭和27年の『昭和改訂曹洞宗行持軌範』からとなる。ところで、現行の『昭和修訂曹洞宗行持軌範』では、「授戒会作法」に関連して、以下の3つが立項されている。・授戒会作法(5~7日)・法脈会作法(3~4日)・因脈会作法(1日)それで、これが『昭和改訂』だと「授戒会作法」と「因脈会作法」しか、目次には載っていない。よって、「法脈会」というのは後で出来たのだと思っていたのだが、ちょっとした違和感を憶えていた。それは、『昭和修訂』に於ける説明文である。・おおむね、授戒会と同じであるが、期間は三日ないし四日とする。ただし法脈会においては、戒師の完戒上堂及び戒弟の登壇は行わない(完戒上堂になぞらえて小...「因脈会作法」考
先日から、「安名」について色々と記事を書いたが、もう一つ『血脈』についても書いておきたかったので、これを記事にしておきたい。十四年己酉師、六十七歳の春三月。真俗、師を瑞光に請待す。夏四月、知了、母の冥福のために僧堂を造立す。落成の日、師を請うて小参せしむ。六月に至りて、師、病衰すと雖も、日日に学道を激励す。真俗二万余人の為に、帰戒・血脈を授く。乃ち是れ末期の転法輪なり。『瑞光隠之和尚年譜』享保14年(1729)項、『曹洞宗全書』「史伝(下)」巻、450頁上段これは、江戸時代の曹洞宗侶・隠之道顕禅師の最晩年の様子を記したものである。隠之禅師は、かの月舟宗胡禅師や徳翁良高禅師に参じ、最終的には卍山道白禅師の法を嗣いだ。そして、その最期が近付いてくると、病衰しながらも僧侶・俗人問わず、二万人以上のために、三帰戒...或る『因脈』授与の現場
『続曹洞宗全書』「禅戒」巻に収録されている逆水洞流禅師『在家血脈授与式』について検討してみたい。これは、『続曹全』では『剃度儀軌』の中に合冊されており、宝暦2年(1752)に校訂されたという奥書がある。それで、簡単に差定と内容を検討しておきたい。差定は以下の通りである(差定の各項目名は、拙僧が適宜付した)。・堂頭登座・受者三拝・浄道場・堂頭垂誡・奉請三宝・懺悔・洒水灌頂・三帰戒・四弘誓願・諸仏大戒授与・血脈授与・普回向(ただし、回向文は道元禅師『出家略作法』に準ず)・三拝・退堂この中で気になるのは、「四弘誓願」「諸仏大戒授与」「血脈授与」であろうと思う。それ以外は、普通の授戒(喪儀法に於ける授戒含む)などとそう変わらないからだ。そこで、「四弘誓願」であるが、これは、曹洞宗で一般的な得度作法や授戒作法には見...逆水洞流禅師『在家血脈授与式』について
「血脈」というのは、例えば受戒などをした時に、仏祖の伝灯を記載して、戒を受けた当人と仏祖との繋がりを示す物として理解される。もちろん、「戒」だけではなくて、宗旨・宗要を受けた場合などにも授与されることがある。そこで、それら「血脈」を受けた本人の葬儀の時に、棺に入れるべきか否かという議論があった。以下の一節などはどうか?血脈入棺問、僧は印信を棺に入れ、俗は血脈等を棺に納む。是れ、経巻を焚焼するの咎ならずや。答て曰く、罪は悪心より生ず。今、印信を帯し、血脈を持するは滅罪生善の為なれば、過無し。況や昔、日蔵上人、経と本尊と持ち玉ふを視て、琰魔王拝し玉ふ〈土砂勧信記〉を聞けば、今の印信・血脈は是れ仏祖相承の印璽なり。琰王、尚貴べし。而らば、血脈・印信等を亡者の身に帯せしむる事理ならずや。又、彼の随求陀羅尼を死骸に...葬儀時に棺へ「血脈」を入れるべきか否か?