忽滑谷快天先生『正信問答』に於ける『血脈』論

忽滑谷快天先生『正信問答』に於ける『血脈』論

かつて駒澤大学の学長を務めておられた忽滑谷快天先生の『正信問答』(光融館・大正15年)に、次のような一節が見える。問ふ禅宗には授戒といふ有難い法要が行はれて、その御血脈を戴きますと、死んでから善い処へ往かれると承つて居りますが、如何なものですか。答ふ御血脈は極楽行の汽車へ乗る切符ではない。従て御血脈を買うても死んでから役にたたないです。前掲同著「五十六授戒」項、159~160頁これはおそらく想定問答である。だが、実際にこういう意見はあったのかもしれない。『血脈』について、かなり素朴な信仰があり、それがあれば自らの望む場所、つまり極楽などに往生できるということである。それで、拙僧が様々な文献を見た限りによるけれども、これはこの通りである。それで、忽滑谷先生の指摘は、『血脈』は来世のことまでは守ってくれないと...忽滑谷快天先生『正信問答』に於ける『血脈』論

2024/11/07 10:06