洞門の受戒を世間の営みに喩えるなら?
まずは、以下の一節を見ていきたい。是れ仏家の宏範にして児孫の諦信し来れる家常の茶飯なりとす。見よ在家の仏弟子となるにも受戒なり、僧の剃髪式の内容も受戒なり、〈中略〉仏祖の宏範何れの所にかある。故に換言すれば、受戒は吾人一超して仏家に入る戸籍転換法である。否仏祖位を継ぐ家督相続式である。原田祖岳老師『禅学質疑解答』丙午出版社・大正6年、54~55頁要するに、原田老師は仏祖の広い規範について、児孫が信じてきた家常の茶飯だとしているのである。つまりは、仏弟子たる者、誰しもが護持してきたことだということになる。そこで、原田老師のご見解としては、受戒については児孫がよく信仰するための、日常的なものだとしており、よって、在家が仏弟子になるにも受戒、僧が僧になるための剃髪式も受戒であるというが、これはもはやいうまでもな...洞門の受戒を世間の営みに喩えるなら?
2025/05/13 07:25