宗門に於ける「得度」の位置付けに関する一考察
以前から、一部の宗派や寺院で「在家得度」という表現があることが気になっていた。この「在家得度」が、良く分からない。いや、悪い意味で言っているのではないのだが、ちょっと今回は突っ込んで考えていきたいので、敢えて申し上げるが、分からないのである。さらに、これは言葉的な問題もある。一応「得度」とは、中村元先生『仏教語大辞典』では③として「僧となること。在家から仏門に入ること。出家に同じ」となっていて、その語意の出典に『禅苑清規』と『日本霊異記』を挙げている。だとすれば、おそらく禅宗だけのことではあるまい。したがって、「在家得度」とは語義矛盾している可能性がある。なお、「得度」という言葉について、おそらく意味としては「度牒(戒牒)」を受けるという意味があるのだろうし、その意味では「受戒した人」という意味になるのだ...宗門に於ける「得度」の位置付けに関する一考察
2024/02/17 08:58