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日本に於いては本来、僧侶・尼僧の統制に「僧尼令」が定められ、その上で出家者の振る舞いなどが規定されていたのだが、10世紀を経る頃には律令制が崩壊し、実質的に統制が取れなくなっていたという。然るに、江戸時代の儒学者である荻生徂来は、改めて国家による僧尼への統制を考えており、その結果、以下の主張が行われた。度牒再興せずんば、出家の治めはなりがたかるべし。古は三戒壇なれども、今は諸宗各別になりたる故、一宗一宗の本山に戒壇を立て、それより度牒を出すべき事也。第一僧に紛れ者あるまじ。出家の数も減少すべし。戒律の方より出家の奢やみ、殊勝になるべし。但し戒律を律宗の如くせば、諸宗に通用し難かるべし。律宗の規則は仏制なれども、時代の風俗殊の外に替り、国も別なるを、ただ形ばかり守りたるもの故、かえって偽り多し。ただ当時の風...荻生徂来『政談』に見る仏教教団統制法について