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まずは、以下の一節をご覧いただきたい。禅宗では、安名について決して超越的な「われ関せず」の態度をとっていない。寺といわず、僧といわず、俗といわず、その名前を安ずることについては、慎重に考慮し、等閑にしないということについて、永平道元禅師の安名の史実を探ってみることにする。〈中略〉北条時頼の仏教名の道崇は、道元禅師が授けられたものであるともいわれており、〈中略〉これが史実に合致するかどうか知らないが、〈中略〉北条時頼が天下の政道に携わりつつ道を道崇する、その宗教精神を重んじて、道崇とつけられたものであろう。道は、道元の道の字を授けられたものともいわれている。永久岳水先生『曹洞宗法名・戒名の選び方』国書刊行会・平成15年、14~15頁永久先生は、『正法眼蔵』の書誌学的研究や、室内学研究で知られているが、その一...道元禅師の安名観について
「戒名」という用語について、江戸時代に使用されるに至った状況について、以前アップしていた記事を書き直して、今後アップしていきたいのだが、その用語に関連して、江戸時代の禅林に関する事典、無著道忠禅師『禅林象器箋』(寛保元年[1741]序、なお、元禄10年[1697]から本書の原著になる著作の執筆が始まったとする先行研究がある)を参照したところ、「戒名」という用語は、およそ見出せなかった。これは同時に、この時代以前の文献で、或る程度流通したものに、同用語が見当たらない可能性が高いことを意味している。一方で、「法名」は存在していた。なお、無著禅師も同用語の典拠は、中国の丹霞天然禅師のことを用いている。そこで、この記事では類語としての「安名」について採り上げてみたい。●安名新戒と為る者、初めて法名を命ずるなり。増...『禅林象器箋』に見る「安名」の記事
これは、【安名と戒名について】の続編的記事である。それで、宗門に於ける「安名」という語の典拠について、少し遡ることが出来たので、それを記事にしておきたい。なお、前回の記事では、中国などでの用法に着目して記事にしたけれども、今回は宗門に於ける諸清規・諸作法から検討してみたい。まず、繰り返しになるけれども、道元禅師に由来する『出家略作法』には江戸時代の面山瑞方禅師校訂本(『得度略作法』)も含めて、「安名」の語は出ていない。確認だが、弟子に授けるもの(名前を書いた紙)も、「名前を与える」意味での語の両方とも出ていないのである。よって、道元禅師の頃は、出家に因む名前(僧名・戒名)の授与に、「安名」とは使われていなかったことを指摘するものである。それで、江戸時代になってきて、出家得度作法が多様化してくると、幾つかこ...「安名」の語について