『幻住庵清規』「開甘露門」に於ける「受戒」の意義について
これは、【『幻住庵清規』「開甘露門」に見る「五戒」について】で考えたことの焼き直しである。先の記事では、拙僧自身が「開甘露門」全体を理解していなかったので、ちょっとピントが外れた記事となっていた。そこで、改めて「開甘露門」を読み直したところ、この一節は、「普施法食文」と「盂蘭盆施食」という2パターンの法要について書いていることを理解した。前回の記事は、前者についての内容であった。しかし、後半の法要として行う場合に詠まれる文言を見ると、以下のような一節があった。若し過去現在の身口意業を懺悔し披陳せざれば、則ち倒懸を解くべからず。既に懺悔し已りても、若し帰依三宝せざれば、仏を称して師と為すも、則ち倒懸を解くべからず。既に帰依三宝しても、若し如来真浄戒法を具受せざれば、則ち倒懸を解くべからず。既に戒を具し已りて...『幻住庵清規』「開甘露門」に於ける「受戒」の意義について
2024/08/25 09:24