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井沢元彦の「天皇になろうとした将軍」を10年ぶりに再読しました。異なった雑誌に、著者が連載した足利幕府初代将軍「尊氏」と3代将軍「義満」についての読み物を一冊にまとめた本です。南北朝時代と呼ばれる14世紀 (1337年 – 1392年) の日本は、朝廷が2つ存在し、そ
では、鹿王院の中門をくぐってみましょう。中門本庭は舎利殿前に広がる嵐山を借景とした庭園で、苔で覆われ、石組と植え込みを配した平庭式枯山水庭園。「鹿王院庭園」の名称で京都市の名勝に指定されています。庫裏寛文年間(1661年 - 1673年)の再建。客殿単層入母屋棧瓦葺の建物で、1890年(明治23年)再中興峨山和尚の代の再建。扁額「鹿王院」は、山門の『覚雄山』の額と同様、足利義満の筆。客殿から見た庭園。舎利殿へと進んで...
京都市右京区嵯峨北堀町にある鹿王院(ろくおういん)。前に紹介した曇華院に隣接しています。鹿王院は、臨済宗系単立の寺院で、山号は覚雄山。本尊は釈迦如来。開基は足利義満、開山は春屋妙葩。京都市右京区嵯峨にある臨済宗天竜寺派の寺。正称は覚雄山大福田宝幢禅寺。1379年(天授5・康暦1)足利義満が春屋妙葩(しゆんおくみようは)を開山に迎え,この地に宝幢(ほうどう)寺を開創し,さらに寺内に妙葩の塔所として開山堂を...
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。いよいよ吉備津神社の拝殿・本殿に参拝します。 『ゲームブック風アドベンチャーゲーム 【香川県…
用事があってふらっと自転車でお出かけしてみると、普段は通過するだけの商店街の雰囲気が いつもとはちょいと違っていました。 目立つ場所に「〇〇(商店街名)まつり」のポスターがあって、ついそれに 目が移ったのです。 「魔が差す」って、こういうことを言うのかもしれません。 そこに...
室町時代の初期と後半にあたる南北朝時代・戦国時代について、『期間』『関わった人物』『起こった理由』などのポイントを年表を見ながら押さえていきます。視覚からも情報をインプットすると、時代の流れをしっかりつかめて覚えやすい!
吉備津神社の社前のさびれっぷりにおののきつつも、正面階段をのぼり、北随神門をくぐった我ら。まずはご本殿にお参りしましょうここ拝殿前にはさすがに参拝者が並んでおられ、ほっとしました。失礼ながら。え~この拝殿およびうしろの本殿は、国宝だそうです。「社伝によれば」、仁徳天皇(あの前方後円墳の代表格に葬られているとされる第16代の天皇さんですね)が、5社72の末社をこの地に建立させたのが吉備津神社の社殿の始ま...
堺港から高梁SAを経由して、どっどどっどとバイクを走らせ着きましたるは、吉備津神社でございます。ただいま時刻は午後2時。素泊まりだから朝ごはんは宿ではなく途中のコンビニでパンをちょこっとかじった程度。そりゃ腹もすくよねと、とりあえず昼ご飯をとることにしてました。が。うんあのね。吉備津神社のまわりって、「栄えて」いると思ってたんですよ。来るまでは。だって「三備一宮」って謡われていたんだもの。三備とはつ...
今日の京都検定:東山殿(銀閣)を造立した、室町幕府八代将軍は誰?
ペッチー 今日の京都検定の問題について解説するよ! 京都検定3級合格を目指して、京都について勉強をしています。
この国では長い間、天皇が至高の存在とされてきました。 現代日本人の意識はともかくとして、民族の歴史的な信仰心という点ではそのように 表現しても構わないのでしょう。 なぜなら、その信仰心は~天皇とは天から降臨された天照大神の御子孫である~と しているからです しかも、この国の...
足利義満がしたことは何?金閣寺建立など知っておきたい5つの重要な事柄
金閣寺の建立をしたのは室町時代の3代将軍・足利義満。室町時代の政治・経済・文化の最盛期を築きあげた人です。義満が室町幕府の実質的な支配者として権勢を振るうために他にしたこととはなんでしょうか。この記事では金閣寺の建立以外にも義満が行った政治の安定、南北朝の統一、明との貿易、建築美術への貢献、そして文学・芸術とのかかわりについて書いています。
目次 1 京都市嵯峨にある臨済宗の寺院『鹿王院』 2 室町幕府三代将軍足利義満により建立 3 美しい嵐山の「借景」と「枯山水」のお庭 4 「舎利殿」を中心に嵐山を「借景」する庭園が美しい 5 とても静かに庭園を楽しめる穴場的寺院 1 京都市嵯峨にある臨
原典ではメッチャ難しい言葉が並んでいるようですが、それを口語に直すと、 ~豊かで瑞々しいあの国は、わが子孫が君主として治めるべき国土です。 わが孫よ、行って治めなさい。 さあ、出発しなさい。 皇室の繁栄は、天地とともに永遠に続き、窮まることがありません~ これくらいの...
【京都・金閣寺】雨空の 緑にひとり 黄金色|60歳からの御朱印めぐり〔004/541〕
金閣寺を参拝した日は雨。空に色はなく、遠景の山並みや樹々が雨にくすむなか、金閣は変わらずその色彩を放っていました。※この記事は昨年(2022年)秋参拝の内容をまとめたものです。
山名時熙は、山名義時の長男で、父の義時の死後、山名氏の惣領の座に就いた。 しかし、父の山名義時は、山名時氏の五男であったため、長男の師義の息子達、即ち、嫡流…
鯰は大変上品だった 吉川 ますや 弐 出来ればご声援お願いいたします m(__ __)m 既に水族館に入るところ死亡してました。 こちらは有栖川公園の鯰 元南部藩邸あと びっくりするほど大きいですね。真打登場此処だけでしか出さない 鯰のすっぽん煮 真打登場です! ...
【京都・相国寺】相国の 禅の名刹 静寂に|60歳からの御朱印めぐり〔040/541〕
相国寺(しょうこくじ)は室町幕府第3代将軍・足利義満が創建した禅寺。京都五山二位に列せられています。背の高い松の植木が印象的な境内は、禅寺らしい穏やかな空間でした。
これも「日本の常識は世界の非常識」のひとつに当てはまるのかもしれんが、日本の歴史にはなんとも不思議な現象がある。 それは、~どんなに大きな権力を獲得した実力者でも、天皇家以外に生まれた 者は決して「天皇」にはなれない~ ということだ。他の国なら、その実力
~自分は歴史にはとんと疎くて、実は室町時代と鎌倉時代のどちらが 先なのかも、よく分かっていない~詳しいことは忘れてしまったが、昔の小説に、こう語る自称・歴史オンチが登場していたような記憶がある。ままあり得ないことでもないのだろうが、この手に倣った「分から
興栄山 信乗院 万福寺(→神奈川県横浜市青葉区田奈町)は、『新編武蔵風土記稿』には創建年代は不詳とありますが、寺伝によると南北朝時代中期の1369(応安2)年9月に僧の快秀が創建したと伝わる高野山真言宗寺院です。本尊は薬師如来像で、江戸時代には本山・末寺の制により摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)の末寺に置かれ幕藩体制の一翼を担いました。万福寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武...
日本民族は無宗教・無信仰である。 こんな意見もあるようですが、筆者的にはこれはちょいと違うのではと感じています。 むしろ、真相はこんな風に言えそうな気もしているのです。 ~日本民族はメッチャ強力な、それもいくつかの信仰心を有している~ 例えば、大晦日には除夜の鐘の音に触れ、...
***** 小旅のルート ***** 車折神社、鹿王院(2020年40-1 & 2) - Google マイマップ2022年7月5、6,9日の記事www.g…
足利義満の築く所にして鹿苑寺と号す 衣笠山の麓にありて境域宏廣林泉の幽雅なる驚くに堪へたり 三層の楼台閣下の鏡湖池に映じ有名の奇石点々水に浮ぶ 又岩下水龍門瀧名 […]
新年は煌びやかな 金閣寺【臨済宗相国寺派】の紹介です。 場所は京都市の北区にあって、その正式名称は鹿苑寺(※ろくおんじ)と言うそうです。 実のところ一昨年の上洛2020の旅で最初に訪れたので