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薬王山 医王院 福泉寺(→神奈川県横浜市緑区長津田町)は、寺伝によると室町時代中期の1492(明応元)年3月15日に僧の尊祐が開基した小さな寺院が前身となります。尊祐は熊野山 観音院 玉泉寺(→東京都狛江市東和泉3丁目)を開基したことで以前ご紹介した僧侶です。この小さな寺院は戦国時代に荒廃したようですが、安土桃山時代後期に小田原北条氏の旧臣で北条氏滅亡後に1500石で徳川氏の旗本に取り立てられ長津田村の領主となった岡野房...
興栄山 信乗院 万福寺(→神奈川県横浜市青葉区田奈町)は、『新編武蔵風土記稿』には創建年代は不詳とありますが、寺伝によると南北朝時代中期の1369(応安2)年9月に僧の快秀が創建したと伝わる高野山真言宗寺院です。本尊は薬師如来像で、江戸時代には本山・末寺の制により摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)の末寺に置かれ幕藩体制の一翼を担いました。万福寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武...
摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)は、平安時代前期の10世紀(→901年~1000年)に延命院という草庵が前身ですが、戦乱や自然災害、恩田郷を治めていた恩田氏(→金沢北条氏の被官)の没落により、延命院は鎌倉時代末期には廃寺寸前となっていました。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が行った建武の新政は一部の例外を除き公家にも武家にも評判が悪く1335(建武2)年には各地で北条氏与党による叛乱(→中先代の乱など)が相次ぎ...
子之辺神社(このべじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区恩田町)は、江戸時代後期の1846(弘化3)年に別当寺として祭祀を司った高野山真言宗寺院の摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)の住職空弁が再建したと伝わります。創建年代や祭神は不詳ですが、1955(昭和30)年代に著された『都筑の丘に拾ふ』には「子野辺」と「此野辺」の社号が使われているとあるので、「ねのべ」ではなく「このべ」と読むことが分かります。「野」...
上恩田杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区あかね台1丁目)は、江戸時代に創建された神社で、江戸時代後期の1852(嘉永5)年3月の社屋造営の棟札が現存しているといいます。アメリカ東インド艦隊司令長官のマシュー=カルブレイス=ペリーが「黒船」を率いてい浦賀(→神奈川県横須賀市)に最初に来航するのは、翌年の1853(嘉永6)年6月3日のことです。上恩田杉山神社は、江戸時代には高野山真言宗の摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉...