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医徳山 長王寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、横浜市立都田中学校の近くにある高野山真言宗寺院です。創建年代等の詳細は不明ですが、創建当初は鶴見川の傍にあり、医王山と号して行基作と伝わる薬師如来立像を安置する古い寺院だったようですが、おそらく鶴見川の氾濫により江戸時代初期の1617(元和3)年に僧の浄秀が現在地に移転して中興開基したと記されます。なお、医王寺と称していた頃の棟札が寺宝として残されているよう...
長唱山 実相寺 蓮乗院(→神奈川県川崎市高津区子母口)は、江戸時代前期の1661(寛文元)年8月7日に死去した浄蓮坊得蔵によって創建されたと伝わる真言宗智山派寺院です。旧本堂と旧本尊(→薬師如来像)は太平洋戦争末期の空襲で焼失しましたが、仏像疎開させていた準提観世音菩薩を新本尊として1956(昭和31)年に本堂を再建し、以後諸堂宇の復興が果たされたといいます。境内には鎌倉時代後期の「正応五年」(→1293年)と南北朝時代の...
星王山 宝蔵院 能満寺(→神奈川県川崎市高津区千年)は、もとは奈良時代の740(天平12)年頃に聖武天皇の勅命により創建された威徳山 月光院 影向寺(ようごうじ→神奈川県川崎市宮前区野川)の塔頭十二坊の1つとして行基が創建した天台宗寺院と伝わりますが、戦国時代の天文年間(→1532年~1554年)に現在地に移転し、僧の快賢によって開かれました。塔頭十二坊は本尊の薬師如来両脇侍像を守る12神の1体ずつを祀った堂宇で、「能満寺」もそ...
八幡山 宝袋寺(→神奈川県横浜市緑区十日市場町)は廃寺となった慈性寺の跡地にあり、江戸幕府開府前後の慶長年間(→1596年~1615年)に慈雲寺 大林寺(→神奈川県横浜市緑区長津田6丁目)の住職顕堂長察によって創建されたと伝わる曹洞宗寺院です。寺号は、この地で古い巾着袋が堀り出されたことに由来すると記されます。真偽の程は定かでありませんが、本尊の聖観音坐像は運慶(→東大寺南大門の金剛力士像などを彫った鎌倉時代を代表する...
引地山 養命寺(→神奈川県藤沢市城南4丁目)は、戦国時代の1570(元亀元)年に、本山である蟠龍山 宗賢院(→神奈川県藤沢市大庭)の3代住職・暁堂が開山したと伝わる曹洞宗寺院です。本尊の木造薬師如来坐像(→国指定重要文化財)は、源頼朝に仕えた御家人大庭景義(おおばかげよし)の守護仏と伝わり、鎌倉時代前期の1197(建久8)年の銘があり、前身となる寺院の存在を示唆します。養命寺は、その後衰退したようですが、江戸時代中期の延享年...
薬王山 医王院 福泉寺(→神奈川県横浜市緑区長津田町)は、寺伝によると室町時代中期の1492(明応元)年3月15日に僧の尊祐が開基した小さな寺院が前身となります。尊祐は熊野山 観音院 玉泉寺(→東京都狛江市東和泉3丁目)を開基したことで以前ご紹介した僧侶です。この小さな寺院は戦国時代に荒廃したようですが、安土桃山時代後期に小田原北条氏の旧臣で北条氏滅亡後に1500石で徳川氏の旗本に取り立てられ長津田村の領主となった岡野房...
興栄山 信乗院 万福寺(→神奈川県横浜市青葉区田奈町)は、『新編武蔵風土記稿』には創建年代は不詳とありますが、寺伝によると南北朝時代中期の1369(応安2)年9月に僧の快秀が創建したと伝わる高野山真言宗寺院です。本尊は薬師如来像で、江戸時代には本山・末寺の制により摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)の末寺に置かれ幕藩体制の一翼を担いました。万福寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武...
熊野山観音院 玉泉寺(→東京都狛江市東和泉3丁目)は、飛鳥時代前期の634(舒明天皇6)年に僧の浄慶法印が薬師如来と文殊菩薩を安置して開基した大輪寺という寺が前身の天台宗寺院ですが、鎌倉時代に廻国伝説をもつ5代執権北条時頼(ほうじょうときより→北条泰時の孫)が諸国行脚の折に、荒廃した堂宇を再造営したという寺伝を持ちます。そのためか山門の瓦には北条氏の家紋である三鱗紋が、本堂の瓦や寺紋には丸に三鱗紋が用いられてい...
久しぶりに保木薬師堂(→神奈川県横浜市青葉区美しが丘西2丁目)を訪問しました。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』石川村の条には「薬師堂 除地、四畝六歩、村の西にあり、東向にて四間四方の堂なり、薬師仏は坐像にて長二尺ばかり、萬蔵院持。」「萬蔵院 年貢地、村の西にあり、本山派の修験職なり。」と記されています。境内の案内板によりますと、江戸時代中期の1783(天明3)年に清沢村(→神奈川県...
京都出身のタロやんが、お寺さんを紹介するのね 。永福寺さんです🛕。なんやソラ っていう人が多いかも。 【 中は撮影禁止 意外と広いョ〜。】 ホやけど、ベタ…