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岡山県の北東部にある勝央〈しょうおう〉工業団地は、中国山地で最大の人口を抱える津山市に近く中国自動車道へのアクセスもよいことから、多くの企業が進出してこの地…
JUGEMテーマ:歴史 その3からの続き 《6》信仰の個別性 まず縄文草創期から早期・前期の土偶のサイズについて考えてみます。『縄文土偶ガイドブック』の中で三上徹也さんは、草創期から前期にかけてが半定住状態であったため、
JUGEMテーマ:歴史 その2からの続き 《5》旧石器の「顔」 前回までは縄文の顔なし土偶を見てきましたが、では縄文以前である旧石器時代はどうなのか? 縄文に直接つながるのが後期旧石器時代で今から約38000年前〜160
岡山県北東部の勝央町黒土〈くろつち〉で町道建設に伴う発掘調査をしていると、水田の下から大きな穴が東西30mにわたって見つかりました。深さ1mほどある穴の底は…
JUGEMテーマ:歴史 その1からの続き 草創期に次ぐ縄文時代の時期が早期で約11300年前〜7200年前の約4100年間とされます(谷口康弘『入門縄文時代考古学』より) 《3》早期の土偶と前期の土偶 三上徹也
貝輪出土分布図と弥生人が好んだ貝そして八咫鏡と平原内向花文鏡とスイジガイ
これはゴホウラ貝輪の出土分布図ここに山口県土井ヶ浜が入る。そしてこれはゴホウラ貝の産地地図日本の南西諸島からフィリピン沖、マレー半島、ボルネオ、ニュージーランド近海まで延々と続くが、南海でしか採集できない。ゴホウラ貝とそれ以外の南海産貝類ゴホウラ貝、イモ
岡山県立備前高校(現備前緑陽高校)の構内に広がる長縄手〈ながなわて〉遺跡は、片上〈かたかみ〉湾にそそぐ流川が形成した扇状地上にあります。平成5年(1993)…
JUGEMテーマ:歴史 その1からの続き 作られた主な時期で比べると竪穴系(4〜5世紀)が“旧世代型”、横穴式(5〜7世紀)が“新世代型”と呼べますし、その造成の違いで考
さて、弧文・弧帯文・直弧文の中で、弧文は纏向石塚古墳でしか、弧帯文は吉備でしか出てこないのは不思議と言うしかない。実はこの三者にはなんらの関係もないのではないか?という疑問を持つ人も多かろう。纏向石塚弧文円盤吉備楯築遺跡弧帯文装飾古墳今昔紀行 Past and Pre
岡山県勝央町の小池谷〈こいけだに〉遺跡は、黒土〈くろつち〉地区を南に見下ろす標高120mの丘の上にあります。この丘の先端で、長さ10m、幅6mの長方形に土を…
【独自】泥岩層から出土した大伽耶初の「大王」の痕跡…1500年の謎を解くか : 文化 : ハンギョレ新聞 (hani.co.kr)「大伽耶は、約1500年前に慶尚道西部と全羅道東部にかけて繁栄し、新羅と競合した強力な小国家だった。大伽耶の人々が最高首長を当時の新羅のように「大王
これまで何度も何度も直弧文・弧帯文・弧文の関係性を調べれば3世紀邪馬台国の位置決定に近づけるのだとここに書いてきたが、ほとんど反響がなく、反応もなかった。それで私は時間が来るまで待ち続けることにして、それきり直弧文からも、装飾古墳からも、葛城氏からも纏向遺
JUGEMテーマ:歴史 私の家の先祖代々の墓は大阪のとある霊園にあります。そこは特に宗旨宗派を問わないようで、浄土真宗である私たちの墓の隣のお墓はキリスト教ですし、裏手には韓国系と思われる方のお墓があったりします。ご先祖様も今はダ
「竪穴住居の埋土からイネのプラントオパールが見つかったらしい」 長縄手〈ながなわて〉遺跡という縄文時代中期末(約4000年前)の集落跡(「境界の縄文集落」を…
岡山県高梁〈たかはし〉市の臥牛山〈がぎゅうざん〉中腹にあるふいご峠駐車場は、ふもとの城見橋駐車場とシャトルバスで結ばれ、備中松山城跡(国史跡)へ上る起点とな…
どのようにして始まり、どのように広がったのか、未だに謎だと言われている日本の縄文時代。縄文時代の始まりが紀元前1万4千年というと、スンダランドと時代は重なって…
平成5年(1993)、岡山県備前市にある備前高校(現備前緑陽高校)で校舎改築が計画されました。遺跡地図に記載はありませんでしたが、市教育委員会に照会したとこ…
美作市〈みまさかし〉鍛冶屋逧〈かじやざこ〉B1号墳の横穴式石室(「いのちのリレー」をご覧ください)から見つかった7世紀中ごろの陶棺(焼きものの棺)を復元して…
岡山大学で考古学を学んでいた頃、鳥取県倉吉市で、ある遺跡の発掘調査に誘われました。聞けば、芋穴を掘っていたところ古墳時代(6世紀後半)の子持壺〈こもちつぼ〉…
標高80mの丘陵上にある赤磐市土井遺跡では、事前の調査で弥生時代の集落が確認されていたものの(「斜面の住まい」をご覧ください)、西向きの急な斜面が大半を占め…
岡山市街地の南部にある岡山大学医学部から県立岡山病院(現岡山県精神科医療センター)の一帯は、殿下渡領〈でんかわたりりょう〉として摂関家に受け継がれた鹿田〈し…
今から40年ほど前、鳥取県中部の倉吉市で向山〈むこうやま〉309号墳の発掘調査に携わりました。直径が10数mの円墳でしたが、大形の箱式石棺と思われる埋葬施設…
古墳の周濠は水田用のため池機能も持たされていた。天皇の陵墓も例外にあらず…! じつは、古墳は「単なる権力者の墓」ではなかった。周濠構造に秘められた「古代日本人の超技術」「水田稲作にとって最も重要なのは、いうまでもなく、水の安定的確保であるが、天候に左右さ
エジプトのピラミッド建設の謎が最新の科学的発見によって一歩解明されました。新たに発見された空間の詳細とその歴史的意義について詳しく解説します。古代エジプトの建築技術や社会に関する新たな視点を提供します。
平成23年9月3日に日本を襲った台風12号は、世界文化遺産に登録されている和歌山県の熊野古道に大きな爪痕を残しました。今から900年前、平安貴族たちがこの道…
岡山県南東部にある赤磐市〈あかいわし〉の土井遺跡は、古墳時代の埴輪窯〈はにわがま〉が見つかったことで知られていますが(「置き去りにされた盾持ち人」をご覧くだ…
平成14年(2002)4月、美作岡山道の建設が計画されている赤磐市〈あかいわし〉土井遺跡を訪れました。まもなく始まる発掘調査を前に現地の様子を確認するためで…
JUGEMテーマ:歴史 縄文の土器や土偶には現代の私たちからすると極めて奇妙、珍妙、摩訶不思議な形状、デザインのものが少なくありません。この度訪問した東京・北区飛鳥山博物館に展示された土偶もその一つと言えるでしょう。 北区飛鳥山博
オーバーツーリズムに悩む京都観光ですが、みなさんも人の多さに疲れてしまうのではないでしょうか。そしてどの場所の展示も似たり寄ったりな感じがしませんか?そこで今回は、とても見る値打ちのあるところなのに空いている、そんなレアな資料館「京都市考古資料館」をご紹介します。
岡山県の北東部にあった美作〈みまさか〉国の勝田〈かつまた〉郡は、平安時代の辞書に当たる「和名類聚抄〈わみょうるいじゅうしょう〉」によると勝田、飯岡、植月、塩…
温暖な気候を利用したオリーブ栽培や沖合の島々が織りなす多島美から、「日本のエーゲ海」と称される岡山県南東部の牛窓〈うしまど〉町(現瀬戸内市)。その東側に広が…
アイヌに忖度する学者が生き残る。※抜粋 河野本道は、昭和58年から平成5年までアイヌ協会(当時はウタリ協会)で『アイヌ史』の編集委員を務めていた。これには私の姉のチニタも関わっていた。しかし、『アイヌ史』の編集作業に際し、原稿をまったく入れないどころか、協会に都合の悪い記述の訂正ばかり求めるアイヌ協会の体質に苦労しながらも、客観的な編集姿勢を貫かれた。 それを気に入らなかったアイヌ協会は、彼に『ア...
勝央町黒土〈くろつち〉と美作市上相〈かみや〉の境を東西に走る道路は、江戸時代、津山藩によって整備された出雲街道にあたります。現在、その脇で発掘調査を行なって…
備前国分寺跡の西側にある赤磐市馬屋〈まや〉遺跡は、平成3~4年(1991~92)に山陽自動車道建設に伴って発掘調査が行われ、規則的に配置された奈良時代の建物…
弥生時代の岡山県では、竪穴住居の床を穿った穴に灰などを詰めて囲炉裏〈いろり〉に使ったと考えられています。しかし、ここに土器を据えて煮炊きを行っていた証拠は今…
JUGEMテーマ:歴史 その1からの続き 紀伊半島に人が住み始めたのは3万年前の旧石器時代のことで、その後の縄文時代の頃にはほぼ今の地形が出来上がっていたようです。 《4》東から西から 上は今回の紀伊風土記の丘