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金印のポイント●封泥「封泥(ふうでい)とは古代の西アジアや中国において、重要物品を入れた容器や公的内容を記した木簡・竹簡の束を封緘するとともに、責任の所在を示す証明書として用いられた粘土の塊のこと。封緘、保管、輸送などを担当する責任者を記す記号や文字が刻
遺跡から見た邪馬台国その3 奴国と肥前肥後の遺跡の関係2019年06月21日 13:36水行陸行をこの地図から見れば、那珂川を下るのに3日、吉野ケ里まで背の高い藪をこぎながら歩いて2日もあれば行けたんじゃないか?ただし立派な中華の使者の行列なら10日の20日かかっても(わざ
「天孫降臨」の神話は、持統女帝(祖母)から文武天皇(孫)への皇位継承の経緯をモデルにしているという指摘もある。史実にヒントを得てお話(フィクション)を創作している、と言っているわけだ。もしこれが本当だとしたなら、この他にも同様のスタイルで「お話」を作った
考古資料からは歴史の真実がよく見えてくる。じいいいいっとながめていると、あっと気づくことが浮かび上がる。そこに真理を見出そうというのが筆者の歴史研究だ。今、筆者は過去記事を再読し始めている。けっこういいことを書いたなという記事がたまにある。たまにしかない
日牟禮(ひむれ)八幡宮「日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)は、滋賀県近江八幡市宮内町にある神社。「近江八幡市」の市名の由来となった神社である。古くから近江商人の信仰を集め、二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財である。境内地は八
鬼道(きどう)・中平年号・桓霊年間 半島渡来よりも長江・黄河「渡海人」
太乙禹余粮(たいいつ・うよりょう 唐古・鍵遺跡・1世紀から出土、太乙余根)◆まず中国年号「中平」について中平(ちゅうへい)は、後漢の霊帝(劉宏=りゅう・こう)の治世に行われた4番目の元号で、西暦では184~189年頃とされる。この時代の日本での出来事の記録A 『
700年しか続かなかった弥生時代の謎とは? 邪馬台国ロマンを求めて 吉野ケ里遺跡へ
https://youtu.be/eiNBCoebM44 縄文時代が1万3千年続いたのに対して、弥生時代がたった700年しか続かなかったことをあなたはご存知ですか?この動画では佐賀県にある吉野ヶ里歴史
◆「卑弥呼」のルーツ解明しました! ★『三國志』(巻三十倭人伝/著者・陳寿)の「魏志倭人伝」に記す元書~「復立卑彌呼宗女壹與年十三為王、國中遂定、政等以檄告喩…
昨日あげた「晋書)」 巻九十七 「四夷伝」 卑弥呼公孫氏也の信ぴょう性を書いておかねばならない。この部分の解釈、翻訳では以下のような解釈が多いことを書いておかねばならない。「その(王)家は昔は男子を君主としていた。漢末に倭人は乱れ戦いあって安定しなかったので、女
★【卑弥呼】の系図は、国宝指定【弥彦=高倉下命の系図】(京都府宮津市・籠神社/丹後の与佐宮)として保存されています … 東征に於いて最初に八尾の竹淵(タコチ)地域に来た神武(東征=反逆者・長髄彦討伐戦)の子孫が卑弥呼である事を魏志倭人伝(注・魏略)は記しています。それはつま...
『大阪府立弥生文化博物館』〜弥生時代で〜すヽ(*^ω^*)ノ
先週日曜日、大阪和泉市にある『大阪府立弥生文化博物館』弥生時代専門としては全国唯一です最寄駅から道中、このマンホールが沢山〜見ながら1人テクテク歩いたよ楽しみ…
弥生時代〜吉野ヶ里遺跡へ行きました〜魏志倭人伝とか。・:*:・(*´ー`*人)。・:*:・
去年の春、大きな声では言えませんが旦那の九州出張に便乗して佐賀県にある特別史跡『吉野ヶ里歴史公園』へ、行きました、内緒ねめちゃ暑かったから…昭和の服巻きしてま…
2024年8月25日 23日朝に帰国した我が東京息子、空港へ出迎えに行く前に飛行機の到着時間をネットで確認したら、ぎょえ!9:45着が8:50と1時間も早く到着じゃん!こんなことは初めてだ。朝のウォーキングを済ましシャワーを浴びても十分に間に合うと思っていたので、大急ぎでシャワーである。シャワー後は髪を乾かし、そのセワシイこと。そんな訳で、無事到着の息子は今日で三日目だが、着いたその日から毎夜続け...
8月に入っても暑いです。 暑いので家族旅行をしてきました。 今回のテーマはNIPPONIAホテル満喫の旅。 まずは奈良県田原本町にあるNIPPONIA田原本マルト醤油へ。 醤油蔵を活用したホテルです。 とても趣がある
さて、弧文・弧帯文・直弧文の中で、弧文は纏向石塚古墳でしか、弧帯文は吉備でしか出てこないのは不思議と言うしかない。実はこの三者にはなんらの関係もないのではないか?という疑問を持つ人も多かろう。纏向石塚弧文円盤吉備楯築遺跡弧帯文装飾古墳今昔紀行 Past and Pre
九州旅行4日目の最終日は、1泊した諫早市のホテル・ルートイン諫早インターを8時過ぎにに出発し、最後の目的地 佐賀県吉野ケ里町の 「吉野ケ里歴史公園」 に向かう。 諫早インターから長崎自動車道を通り、ホテルからのんびり走って約1時間40分くらいの距離。 吉野ケ里遺跡 は、日本最大級の弥生時代の遺跡・集落で国の特別史跡に指定。 弥生時代の環濠集落遺跡を公園として整備し、一般公開しています。 物見やぐらや...
教科書に落書きをすると、その落書きの線が動きだし正しい文に取り憑いて、文ををおかしくしてしまうのだ。卑弥呼は、邪馬台国の女王である。という文なら、卑弥呼は、東京都の首長である。という文になってしまうのだ。教科書に落書きをすると、間違った情報を手に入れてしまって自分のテストの点が悪くなるというわけである。...
皆さま 龍翠です。こんにちは。 長文連載モノが3本も続いて、編集者としては非常にバテました。 実は、連載記事の1回目で、下書き保存したモノが消えてしまい、一か…
皆さま 今回の一連の記事では、便宜上「邪馬台国」という漢字を、2-3世紀頃の日本の国号として使っています。 この漢字を「ヤマト」と読むのが正しいとする説が提唱…
皆さま 邪馬台国については昔から九州説と畿内説とに分かれて、研究者の間で論争になってきました。 最近の考古学的な発見や、後の大和王権の中心地であることから畿内…
遠隔透視で視た「邪馬台国」(1):ジョー・マクモニーグルによる「霊的考古学」(再掲)
皆さま ジョセフ・マクモニーグルは、1990年代までアメリカの軍部と諜報機関が運営していたスターゲート計画において、遠隔透視者として主導的な役割を果たした元ア…
*2024.4 新生活に向けて|靴さえあれば、どうにかなる。と思って気づいたら三足買っていた私(/・ω・)/*
おはようございます。 よつば🍀です。 // ネットは衝動買いしちゃうなぁなんておもっていたけれど、実店舗の方がよっぽどあぶないですね(;^ω^)
リアル・キングダム:巫師の視た"邪馬台国"(United Kingdom of Japan)
皆さま 私たちは日本の古代呪術や祭祀に関心を持っていますし、実際一族に伝わる呪術体系の多くは非常に古いモノも使っています。 日本というクニの成り立ちに際しても…
日本の歴史で、一番の謎と言えば「邪馬台国やまたいこく」です。邪馬台国は、2~から3世紀に日本にあった国です。その頃、日本にはたくさんの国がありました。邪馬台国は、たくさんの国の中で一番有名な国です。ほとんどの日本人が、邪馬台国という国があったことを知っています。でも、邪馬台国がどこにあったのか、誰も知りません。邪馬台国があったのは、日本の「弥生やよい時代」です。弥生時代、人々は田んぼで米を作るよう...
世界の中でも、これほど「太陽/お日サマ」にこだわりを持つ民族はそうそういない のではないでしょうか。 えぇ、この列島に棲んでいる、いわゆる「日本民族」のことです。 まず、その国の名前からしてが、「日本」(日の本)にしているという厳然たる事実が あります。 そして、この「日」...
#4156 高天原も卑弥呼の国もありつらむ取り巻く山のいづこも青き
令和6年2月22日(木) 【旧 一月一三日 先勝】・雨水 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)高天原も卑弥呼の国もありつらむ取り巻く山のいづこも青き ~大西民子(1924-1994)『歌集 風の曼陀羅』 佐賀県の吉野ケ里遺跡が発見されたのは今から35年前の1989(平成元)年2
弥生時代の環濠遺跡やその出土物を、真っ先に軍事面でとらえる傾向があるのは、その背景に魏志倭人伝の「倭国乱」の解釈の誤解があって、卑弥呼登場までの長期間にわたって大規模な内乱があったかのように刷り込まれてしまったことが要因と考えられる。 早くに古田武彦氏
150 孝元天皇・開化天皇 https://mb1527.thick.jp/N3-19-1kougen.html 日本書紀における、即位年齢は、 神武・綏靖・開化・崇神天皇が何れも51歳である。 偶然にしては重なりすぎである。 綏靖天皇は後で51歳で即位したように生誕年を逆算したようであるが、 51歳即位には何か意味があるのであろうか。 この当時成人年齢は31歳で孝昭天皇が最低年齢で即位している。 これは、前天皇が1年前に崩御しており、その崩御を隠していて、 孝昭天皇が31歳になるのを待って即位したためと考えられる。 同様に皇太子が51歳になった時に、前天皇は譲位する習慣があったのかもしれない…
奈良県桜井市にある小さな前方後円墳、箸墓古墳は邪馬台国の女王、卑弥呼の墓という説があります。日本の歴史に思いを馳せ、箸墓古墳を訪問しました。
良書「邪馬台国の滅亡―大和王権の征服戦争」若井敏明氏著(2010年第一刷発行)
最近反日極左カルトBSーTBSで邪馬台国ネタもやっていないし、反日左翼古代史批判からかなり遠ざかっていた時に偶然書店で衝撃の反日古代史本を見つけてしまったの…