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明治時代以降次第に解禁されていったようですが、それまでの社寺や霊山などでは 「女人禁制」、つまり女性に対する入山禁止を原則としていました。 そこには、現代における「女性差別」とか「女性蔑視」とはいささか意味合いの 異なる「信仰上の理由」があったとされています。 そうしたとこ...
古代史の超概略その2「大和政権を支えた氏姓制度と政権争いの始まり」
【大和政権の執権職の大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)の設置】古墳時代の4世紀中頃に大和政権が誕生し、大王(おおきみ、天皇)を補佐して政治を担う最上位に大臣(おおおみ)と大連(おおむらじ)の職が置かれました。その地位には天皇が政治的、職務的に優れた氏族に与えた称号の中で姓(かばね)、臣(おみ)と連(むらじ)を持つ氏族の最有力者が就きます。 臣(おみ)と連(むらじ)を持つ氏族の職分に違いがありました。連(むらじ)の姓(かばね)は特定の職務をもって奉仕する集団で、連の氏族は宮廷(朝廷)に付属し、大王(天皇)に隷属的に強く結びついていました。軍事氏族で有力者の大伴氏と物部氏は大和政権の中枢部の大連…
蘇我韓子は、雄略天皇9年(465年)、雄略天皇の命で、紀小弓、大伴談、小鹿火宿禰と共に大将に任じられ、新羅が、百済地域に進出して、城を奪い、対馬海域を押さえ…
「古代史の復元」の紹介 https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/12/29/022326 199 継体天皇即位 https://mb1527.thick.jp/N3-25-11keitai.html AD494年10月大嘗祭を間近に控えたあわただしい中に、 仁賢天皇の母と三男の橘王が参内した。 仁賢天皇が勅使を二人の住む播磨へ派遣し呼び寄せたのである。 この二人は雄略天皇から逃避行した時、丹波田疾久方にかくまわれ、 その後播磨に住んでいたのである。 記紀において弘計王、億計王が播磨で見つかったとされたのは、 この母子の所在地に差し替えられたものと考えられ…
8月上旬に初めてコロナに感染。家族と職場に持ち込み、ひどく恨まれてしまったが、感染経路は通勤途上以外全く思い当たらない。コロナ禍以前の状態に戻った満員電車に1時間以上も揺られていれば、さもありなんか。いまだ咳止まず。【ここでの課題メモ】これまで5回にわたって宝皇女の“興事好き”について語ってきた。自説の根幹としてあげた以下の3つのうち、残りは鎌足失脚説だ。・乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想・宝皇女...
【桜井市山田】蘇我倉山田石川麻呂ゆかりの『山田寺跡』発掘調査で東回廊の連子窓見つかる
昨年末に飛鳥応援大使になったことですし、今年は例年にも増してたくさん明日香村を訪問したいなと考えております。今回は今年2月に明日香村を訪れた時に自転車で回った場所をいくつか紹介したいと思います。飛鳥資料館が建っているあたりはもう明日香村ではなく桜井市にあた
【橿原市菖蒲町】玄室内部の見学可能 蘇我入鹿・蝦夷親子のお墓説のある『菖蒲池古墳』
今回は近鉄線岡寺駅付近にある『菖蒲池古墳』を紹介します。菖蒲池古墳は橿原市菖蒲町、明日香村と橿原市の境目に位置しています。小高い丘の上にあるので見晴らしが良いです。1月下旬に訪れましたが向かいの山が冠雪しているのが見えました。菖蒲池古墳は7世紀中頃に築造さ
梅雨の晴れ間のうちにと思ってたら早くも梅雨明けしたけど、そんな晴天の日、一度は訪れてみたいと思っていた明日香村へまずは始まりのお寺、飛鳥寺へ縁起~曽我氏の氏寺…
関裕二先生の奈良ツアー(12/5 新潮講座)〜飛鳥編〜今日はここを歩き登っていきま〜す⛰『甘樫丘』飛鳥の中心にある標高148mの緩やかな丘。頂上からは明日香村…