継体持統㉙:斉明天皇暗殺説
百済救済を決断した斉明天皇は、軍を率いて北九州まで行幸し、北九州で唐突に崩御した。何があったのか? 斉明天皇九州行幸の理由 日本書紀によると、660年7月の百済滅亡の報に接し、斉明天皇は「筑紫(九州)に行幸し、救援の軍を派遣する」こととし、661年1月に難波を出発して3月には博多港の那大津に到着。病気等の前触れなく661年7月に突然崩御した。 天皇皇后の親征は異例中の異例で、畿内を離れての遠征は、神武東征、景行親征、仲哀親征と、神功皇后の三韓征伐しかない。雄略天皇は新羅親征を企図するも断念し、継体天皇も結局親征は行っていない。 なぜ、斉明天皇が北九州へ行幸したのか。 『継体持統㉘:斉明天皇九州…
2025/05/25 10:00