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朝鮮の歴史 新羅の朝鮮半島統一と白村江の戦い 楽しい世界史 -中国と東アジアの歴史-
朝鮮にはさまざまな建国神話があるが、燕の将軍・衛満(えいまん)が半島へ逃れて建国した衛氏朝鮮が最初の国家と言わ
起源前年57年から紀元後668年まで(三国時代) 新羅(しらぎ)、百済(くだら)、高句麗(こうくり)三国時代で同一民族で同一言語を使いました。高句麗は朝鮮半島北部から中国の満州、遼東地域まで広闊な領土を占め、新羅(しらぎ)は朝鮮半島南部の東側地域、百済は西側地域を占めていました。中国の文化が入ってきて、仏教は372年はじめて高句麗に紹介されました。三国の文化は日本の古代国家にたいへんな影響を及ぼしました。新羅が中国の唐と連合軍を組み百済を攻撃した時、百済は日本の古代国家の軍事支援を受けて抗戦しましたが660年に敗亡し、相次いで668年に高句麗が敗亡して統一新羅という単一国家が生まれました。 6…
「アジア旅行地ガイド」に「韓国朝鮮の歴史1」を公開しました。 慶州は、韓国の南東沿岸にある都市です。 1,00…
「アジア旅行地ガイド」に「じっくり学ぼう!韓国・朝鮮史1(古代~新羅)」を公開しました
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『日本書紀』第九巻神功紀(気長足姫は女帝ではないので、本来ならば紀ではなく伝とすべきだと思いますが、同書には伝が設けられていないことと、敢て一巻を割いていることから、便宜上神功紀とします)は、次のような書き出しで始まります。気長足姫尊は、稚日本根子彦大日日天皇(開化天皇)の曾孫、気長宿禰王の女です。母を葛城高顙媛と言います。仲哀天皇の二年に皇后に立てられました。幼くして聡明で賢く、容貌も麗しく、父王も訝しがるほどでした。九年の春二月に仲哀帝が崩じました。時に皇后は天皇が神の教えに従わずして早く崩じたことを傷み、祟るところの神を知って財宝の国を求めようと思いました。そこで群臣及び百僚に命じ、罪を…
記紀に見る新羅征伐 新羅征伐を考察する 記紀に見る新羅征伐 神功紀本文に描かれた皇后の新羅出兵は次のようなものです。秋九月に諸国に令して船舶を集め兵士を練りましたが、時に軍卒が集まりませんでした。皇后が「これは神の御心だろう」と言って、大三輪社を立てて刀矛を奉ると、軍衆が自ずと集まりました。出発に臨んで皇后が吉日を卜ったところ、まだ日がありました。皇后は親ら斧鉞*1を執り、三軍に令して言うには「鐘鼓が節無く乱れ、帥旗が混じり乱れる時は、士卒は整わないものである。財を貪り物を欲し、私を懐いて妻妾を顧みれば、必ず敵の捕虜となる。敵が少なくとも軽んじ侮ってはならぬ。敵が強くとも怖じて屈してはならぬ。…
新羅から渡来した女神が祀られた『赤留比売命神社(三十歩神社)』【大阪市平野区】
前回紹介した杭全神社から徒歩10分程の平野区平野東に、大正3年から指定された杭全神社の境外末社があります。平野公園の隣です。赤留比売命(あかるひめのみこと)神社という社名で、三十歩神社とも呼ばれているそうです。ご祭神が「三十町歩」の土地を三十歩と聞き間違えたこ