8-8-5 和議の決裂と再征
『アジア専制帝国世界の歴史8』社会思想社、1974年8日本の朝鮮侵攻5和議の決裂と再征わが慶長元年(一五九六)九月一日、明の暦では万暦二十四年九月二日、秀吉は大坂城において、明朝の勅使を引見した。秀吉をはじめ、いならぶ諸将は、いずれも明の皇帝から贈られた衣冠をつけて、得意の面もちである。秀吉にしてみれば、待ちのぞんでいた明朝の勅使であった。それも、わが要求をみとめてわざわざ派遣されてきたもの、と考えたに違いなかった。勅書の奉呈はぶじに終わった。秀吉はいよいよ満足であった。ただ明使の「楊・沈が関白に見ゆるや、卑屈の状は言うに堪えざるものがあった。これは随行の者が帰ってから、ひそかに人に語ったところである。ゆえに、小人は重用すべからずということを、まさしく知った。」明国の記録(両朝平攘録)は、このように伝えて...8-8-5和議の決裂と再征
2024/01/18 04:11