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古代史の超概略その1「確証ある日本史の始まりは古墳時代からでした」
日本史における時代区分 2015年に読んだ「アメリカの歴史Ⅰ」の中で著者サムエル・モリソンは「歴史は多少とも継続的な、年代のはっきりした物語を前提とする」と言っています。従って、中央アメリカのマヤ族・アステカ族、ペルーのインカ族、北米インディアンは文字をもたず、記録にとどめた過去の事柄は記憶に残っていた神話だけであったたため、1942年以前の「アメリカ史」は書くことはできなかったと言いました。 仏教伝来以前の歴史をほとんど知らない私は、仏教伝来の538年(一説には552年)に経典、暦、医療などと、一緒に漢字(文字)も伝わったと思っていたので、それ以前の歴史は神話だと思っていました。(*1959…
日本の古墳時代の歴史を確証するための朝鮮半島三国時代の超概略史
朝鮮半島三国時代の超概略史 日本史の古墳時代の年代と出来事を確証するため朝鮮三国時代の超概略史の表を作りました。 主な関係する年代と出来事は以下です。405年 百済が日本に漢字を伝えている538年 百済が日本に仏教を伝えている。414年朝鮮半島北(中国吉林省集安)に高句麗19代広開土王(クァンゲトワン)の功績を讃えた碑文に下記の文が記されています。*400年百済支援の倭軍(日本軍)新羅に侵攻したが高句麗軍が迫ると任那まで退却した。*404年高句麗軍は倭軍と戦い勝利した。 【参考】1.「明日への日本歴史 1 古代国家と中世社会」、五味文彦、山川出版社、20232.「入門 日本書紀 事典」、瀧音能…
#4493 蝋梅は夢のごとくに花咲けり任那日本府ここにほろびし
令和7年1月22日(水) 【旧 一二月二三日 仏滅】 大寒・款冬華(ふきのはなさく)蝋梅は夢のごとくに花咲けり任那日本府ここにほろびし ~岡野弘彦 『異類界消息』Photo:ロウバイ ~いこーよとりっぷ 任那日本府《みまなにほんふ》は古代朝鮮半島にあった倭国の出先統治機
龍鳳文環頭太刀(環頭部)6世紀前半 山清生草M13号墳 国立晋州博物館 任那日本府は、日本書紀の欽明紀のわずか10年ほどの期間に登場する、韓半島における加耶の組織であった。 だが、任那、とはされていないが、雄略紀
金銅製冠(複製)・金銅製大帯 東京国立博物館展示。 群馬県の山王金冠塚(二子山)古墳は、6世紀後半の前方後円墳。大正4年に金銅製冠が金銅製大帯、馬具類、鉄製甲冑、刀装具類などと共に出土した。金銅製冠は、新羅系のいわゆる出字型金冠であり、これを由水常
写真は、群馬県前橋市大室古墳群の公園内大室はにわ館展示の個人の作品 任那日本府とは、加耶の王族らによる組織であって、けっして、日本の倭国の出先機関でもなければ、軍事組織でもない。日本府が登場するのは、日本書紀だけであり、しかもその中の欽明紀のわずか10
任那日本府は、日本国(倭国)の出先機関などではなく加耶の組織だった。
任那日本府については、一般的に思われているイメージと、唯一の出典でその根拠となる日本書紀の欽明紀の記述とに大きな隔たりがあるように思われる。 最近では次のような理解になっている。「日本書紀で半島南西部の『任那』を当然のように支配地と見る見方は、今日では
「和」を説き、さらには「仏教」を保護したという事跡を承知しているせいか、 少なからずの人が、「聖徳太子」(574-622年)の人柄には、平和で穏やかという イメージを持っています。 しかし反面で、政治家としての太子が厳しい「軍事的決断」を迫られる場面に遭遇した ことも、当然...