メインカテゴリーを選択しなおす
【どうする家康】第46話あらすじ・感想考察「大坂の陣」|「これが戦じゃ…この世でもっとも愚かで醜い…人の所業じゃ!」
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年12月3日放送第46話「大坂の陣」の内容となります。
だいぶ大人になってからNHKの大河ドラマの面白さに目覚めました。今やってる「どうする家康」も観てます。観てるけれど、録画で観ているのでまだリアルタイムに追いついていません夏前くらいまではリアルタイムで観ていたのですが観られない週が続いてどんどん貯まり8月放送
慶長19年(1614年)、方広寺鐘銘事件をきっかけに、徳川氏と豊臣氏の関係が悪化。豊臣家は、浪人を集める策を採り、九度山の真田信繁の元にも使者を派遣して黄金200枚、銀30貫を贈り、信繁に九度山を出るように説得します。信繁は上田にいる父・昌幸の旧臣たちに参戦を呼びかけ、九度山を脱出して、子の大助幸昌と共に大坂城に入場しました。大坂で信繁の率いた軍は、鎧を赤で統一していたといいます。信繁は、大坂城の最弱部であ...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜徳川幕府の成り立ちとかはバッサリ端折ってるよねってことで第45話の感想ぉ〜!今回、豊臣秀頼をめちゃ持ち上げ…
大坂の天王寺公園内にある茶臼山古戦場跡を訪ねてみました。公園の入り口には、旧黒田藩屋敷長屋門があります。(碑文)現在中之島三井ビルの場所がおおむね福岡黒田藩の蔵屋敷で、これはその長屋門である。数少ない蔵屋敷遺構の一つで、昭和8年三井ビル建設に際し大阪市に寄贈された。旧黒田藩屋敷長屋門 蔵屋敷は諸大名が自国産物の保管、管理、販売のために設けた藩邸で、明治維新直後には135を数え、交通運輸(水運)に便利な堂...
1614年(慶長19)年、方広寺鐘銘事件により、豊臣方と徳川方と対立が激化すると、両家の調整役の片桐且元は、戦争を避けるために徳川家康との和平交渉に奔走しましたが、家康と交渉している間に、大野治長や淀から家康との内通を疑われるようになり、大坂城を追放されてしまいました。これが徳川方の冬の陣の宣戦理由となり、家康は総勢20万の大軍で、秀頼のいる大阪城を包囲させました。片桐且元一方、豊臣方は、旧豊臣系の大名に味...
慶長16年(1611年)3月28日、古希を目前にした徳川家康は、京の二条城にて19歳の豊臣秀頼と対面しました。関ヶ原の戦い以後、わずか65万石となり、実...
#373 第33回「裏切り者」感想~大河ドラマ『どうする家康』
小牧・長久手の戦い終わって、あの石川数正出奔事件を描く2023.08.27の大河ドラマ『どうする家康』の第33回「裏切り者」について秀吉との交渉役で一人徳川家…
以心崇伝(いしん すうでん)は、字は以心、法名が崇伝で、南禅寺金地院に住したため、金地院崇伝(こんちいん すうでん)とも呼ばれています。京都南禅寺金地院の慶長10年(1605)の住持となり、徳川家康に仕え、外交事務、方広寺鐘銘事件や寺社行政、寺院法度、禁中並公家諸法度などの起草、キリスト教の禁圧、紫衣事件に関与し、幕府の基礎づくりに貢献しました。黒衣(こくえ)の宰相とも称されましたが、称されましたが、家康の死...
かつて方広寺の大仏の台座があったとされているところは、「大仏殿跡緑地公園」として整備されています。中央の盛り上がったところに、大仏が安置されていたそうです。 大仏殿跡緑地 かつてこの地には、豊臣秀吉が奈良東大寺にならって創建し、その後秀頼が再建した方広寺の大仏殿が、偉容を誇って建っていました。現在の緑地はその中央部にあたり、2000年に遺構の状態を確認するための部分的な発掘調査が実施されました。調査...
#379 徳川家康のターン 徳川家康と武田信玄・勝頼親子10年抗争 その5
大河ドラマ『どうする家康』ではさらっと終わる徳川vs武田の抗争、信玄死後の高天神城をめぐる徳川家康のターン、歴史雑誌『歴史群像2023年8月号[雑誌]』の最新…
現在、11月28日(火)午前9時です。 午前6時から点滴が始まりました。 飲食はできないので、ただ手術の時間が来るのを待っているだけです。 病院に本を1冊持ってきました。 歴史をなぜ学ぶのか (SB新書)本郷 和人2022-01-05 他にやることがないので、読み終えてしま
京都国立博物館の平成知新館は、昭和41年に建てられた平常展示館をリニューアルしたもので、2014年9月に開館しました。設計は、谷口吉生氏。ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた世界的建築家です。庭を眺望できるレストラン広々としたロビーや展示場は解放感があって、ゆったりとできる空間です。庭園には噴水もあります。この噴水の辺りに、あの問題の方広寺の鐘があったそう...
#495 第45回「二人のプリンス」感想~大河ドラマ『どうする家康』
成長した豊臣秀頼と徳川家康に譲られた二代目将軍の徳川秀忠の二人のプリンスの間で徳川の天下のために静かに動く家康もついに決断をすることとなる大河ドラマ『どうする…
京都の東山にある方広寺は、天台宗山門派の寺で、豊臣秀吉により建立されました。しかし、「方広寺」という寺号は、江戸時代初期の文献には見られず、自然発生的なものとされています。方広寺大仏を発願した秀吉は、正式な寺号を定めておらず、当時は単に大仏(殿)、新大仏(殿)・京大仏(殿)・東山大仏(殿)・京東大仏(殿)・洛東大仏(殿)などと呼ばれていたそうです。天正14年(1586年)大仏殿の造営が開始され、文禄4年(...
のっけから出た,茶々サマのパワハラ〜www あ,オープニング元に戻った。あの回だけだったんか〜い! 結構気に入ったんだけどな〜。最終回とかで,も一度やってくれんかしら。 豊臣公家化戦略・・・頭の切れる息子は,飄々とした親父には勝てないんだよな〜。 清正クン,かっこい〜(笑) 秀頼クン,若いながら凄みを出してるのが,よき。偉大なる凡庸・秀忠クンとはえらい違い。 最初の対面の場から,和やかに火花散ってるし。 ど...
#385 第34回「豊臣の嫁」感想~大河ドラマ『どうする家康』
小牧・長久手の戦いのあとも緊張の続く中での秀吉の妹が家康の正室となる大河ドラマ『どうする家康』の第34回「豊臣の嫁」について瀬名と信康の誓いから解放される家康…
【どうする家康】第45話あらすじ・感想考察「二人のプリンス」|たくましき豊臣の跡継ぎと凡庸な徳川二代将軍
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年11月26日放送第45話「二人のプリンス」の内容となります。
元離宮二条城は、慶長8年(1603)徳川家康が京都の守護および上洛じょうらく時の居城として築城した城で、慶長16年(1611)3月28日、家康と豊臣秀頼の会見が行われました。当初、秀頼はこれを秀忠の征夷大将軍任官の際の要請と同じく拒絶する方向でいましたが、家康は織田有楽や高台院を仲介として上洛を要請し、ついには秀頼を上洛させることに成功しました。Wikipediaによると、「前日の27日未明に、福島正則などを留守居役として秀...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜関ヶ原後、どうなったかなぁ…って第44話の感想ぉ〜!「関ヶ原の戦い」後、豊臣秀頼に挨拶をした家康。茶々さん…
愛知県知多郡阿久比町の洞雲院は、徳川家康の生母である於大の方の菩提寺です。948年(天暦2年)、菅原道真の孫である菅原雅規が開基となり、洞雲院の前身となる久松寺を創建したと伝わります。1494年(明應3年)、雅規の後裔である久松定益が曹洞宗の洞雲院として再建しました。1547年(天文16年)、久松俊勝のもとに於大の方が再嫁され、坂部城に在城の15年間に三男四女の子女が出生しています。寺伝によれば、平安時代、天暦2...
岡崎の大泉寺は、徳川家康が生まれた翌年、母・於大の方によって創建された寺院です。於大の方が懐妊した際、俊恵蔵主という名僧が岡崎城内の持佛堂薬師如来前で毎日安産の祈願を行いました。家康が無事誕生したことから、俊恵蔵主を開基、安産を祈願した持佛堂の薬師如来を本尊とし、城の東北にあたる場所に大泉寺が建立され、以来安産祈願の信仰を集めるようになりました。開山時の表記は「大仙寺」でしたが、慶長6年(1602)に...
伝通院(傳通院)は、東京都文京区小石川三丁目にある徳川将軍家の菩提寺です。慶長7年(1602)に徳川家康の生母・於大の方が逝去し、伝通院を菩提寺としました。伝通院の墓地の北側に徳川家の墓域があり、於大の方、千姫などの墓が建っています。於大の方の墓家康の生母で、法名は伝通院。於大の方は享禄元年(1528)三河刈屋城主・水野忠政の娘として生まれ、天文10年(1541)岡崎城主・松平広忠と結婚し、竹千代、後の徳川家康...
三条天皇役に木村達成さんに決定 三条天皇・・どんな人 976年1月3日 ~ 1017年5月9日 天延4 ~ 寛仁元 1011年から1016年まで在位した、第67代天皇です。 冷泉天皇の第二皇子として生まれ、母は藤原兼家の長女である超子でした
東京浅草の浅草寺の総門である雷門、最初の門は平公雅(たいらのきんまさ)によって42年(天慶5)に建てられました。五重塔は、天慶5年(942)平公雅が本堂と共に建立したのを初めとして、その後数度倒壊、炎上に遭いましたたが、その都度再建されました。境内からスカイツリーが見えます。平公雅 たいらの-きみまさ平安時代中期の武人。平良兼(よしかね)の子。平将門(まさかど)の従兄弟。一族と抗争していた将門と対立,天慶(...
#392 TVメモ『家康VS秀吉 どうする家康コラボスペシャル(前編)』
大河『どうする家康』で小牧・長久手で戦火を交えた徳川家康と羽柴秀吉の特集『家康VS.秀吉 どうする家康コラボスペシャル(前編) - 歴史探偵 - NHK』の…
#486 第44回「徳川幕府誕生」感想~大河ドラマ『どうする家康』
関ヶ原の戦い後の徳川家康と茶々&秀頼の静かに進行していく対立を描いた大河ドラマ『どうする家康』の第44回「徳川幕府誕生」(11月19日放映)家康と茶々の本心を…
新たに、出演者発表!大河ドラマ『光る君へ』藤原頼通役は・・・
光る君へ出演者 藤原道長の嫡男、藤原頼通(ふじわらのよりみち)役が決まった 藤原頼通役を演じるのは渡邊圭祐さん 渡邊圭祐(わたなべ けいすけ)アミューズ所属:俳優・タレント 生年月日:1993年11月21日出身地:宮城県 身長:18
富士見櫓から蓮池濠の石垣沿いに遊歩道を北に進むと、植込みの中に松の大廊下跡の標石があります。松の大廊下跡忠臣蔵でおなじみの元禄14年(1701年)3月14日赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が殿中で吉良上野介義央への刃傷事件を起こした場所です。廊下に沿った襖戸に「松」と「千鳥」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれ、江戸城で2番目に長い廊下でした。石室抜け穴とか、金蔵とか諸説がありますが...
戦勝報告の時の茶々サンのお顔が,コワイんだわ・・・。治部ドノに続いて,息子にまで不信感を吹き込むなど,ラスボス活動に余念がありません(笑) 詐欺師,違った謀臣正信サンも,他の皆も年取ったのぉ。まあ,しょっちゅう戦さに出てれば,体の傷みも増えるわけだし・・・その筆頭が万千代だよなぁ。語り死に・・・。 タイトル音楽,ピアノ主体に編曲が変わりましたな。映像も変わってるし,終盤へ向けての助走ですか〜。 息子に...
どうする家康 第44話「徳川幕府誕生」 ~征夷大将軍就任と世襲~
関ヶ原の戦いに大勝利を収めた徳川家康は、慶長8年(1603年)2月12日に朝廷より征夷大将軍の職に任ぜられ、事実上、江戸を中心とした武家政権を開始しまし...
【どうする家康】第44話あらすじ・感想考察「徳川幕府誕生」|関ヶ原はまだ終わっていない…平平コンビの最期に感涙
この記事は2023年大河ドラマ【どうする家康】のあらすじ、感想、考察記事です。2023年11月19日放送第44話「徳川幕府誕生」の内容となります。
現在の江戸城の前身は、 1457年 に 麹町台地の東端に太田道灌 が築いた 平山城 です。 1590年 に 徳川家康 が江戸城に入城してからは、徳川家の居城となり、江戸幕府が開幕すると、大規模な拡張工事が行われました。3代・徳川家光に至る数回の工事で完成し、その後、数度の火災と改修を繰り返しましたが、本丸は幕末に焼失。明治になって皇居となり、西の丸跡に宮殿が建てられました。現存建造物としては、本丸の富士見櫓、宝蔵、...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いよいよ関ヶ原の戦いだぁ〜ってことで第43話の感想ぉ〜!城攻めではなく、石田三成の誘いに乗った徳川家康。決…
慶長5年(1600年)井伊直政は、徳川家康から佐和山18万石を拝領し、井伊家を彦根へと移しました。直政は生前、彦根にも龍潭寺を建立するよう言い残し、井伊谷・龍潭寺の五代目の住職となった昊天が遠江国から分寺し、彦根の龍潭寺を開山しました。龍潭寺の建立されている佐和山は、石田三成の居城・佐和山城があった地でもあることから、参道の入り口近くに石田三成の像があります。いつものように、石田様にご挨拶して、緑に囲まれ...
彦根城跡から夢京橋キャッスルロードに出ると、通りの真ん中に浄土宗の宗安寺があります。井伊直政の正室・東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪に建立された安国寺を前身とします。井伊直政が高崎城主となると安国寺は移転。1601年佐和山入城に伴い、佐和山城下へ移され、宗安寺と改名。1603年、彦根城築城の際、現在の地へ移転されました。赤門は、石田三成の佐和山城の表門を移築したものと伝えられています。現在の本堂は、...
どうする家康 関ヶ原 ちょうど今朝 ドリフターズを読んでいて 赤鬼井伊直政が 島津に鉄砲で撃たれるところを読んでいたので 「これかぁ」 って思いました タイムリーでした 石田治部少輔三成 今回の 石田三成 褒める人も多いですが 私は 「う〜ん?」 という感じでした 歌舞伎役者に飽きたというか 亀治郎とか ちょっとドラマで見すぎましたね 今までにも 大河や他のドラマで歌舞伎役者の人が出てますが その人たちを超える演技だったとは とても思えないというか 松本幸四郎さんとかのほうが 普通に上手かったような気がします 茶々や 石田三成など 物語の後半を彩る敵役が イマイチなので 尻すぼみというか そん…
関が原で東西両軍が激突する4日前の慶長5年(1600年)9月11日、徳川家康は清州に到着し、翌12日もそこに逗留しました。ところが、中山道を進軍している...
どうする家康 第43話「関ヶ原の戦い」 その2 ~エピローグ~
「その1」のつづきです。 慶長5年(1600年)9月15日、美濃国は関が原において、東西両軍15万人余の軍勢が衝突した関が原の戦いは、わずか半日、徳川家...
#480 2023年11月の購入本 その2 2024年の大河『光る君へ』に向けて
2024年の大河ドラマ『光る君へ』を楽しむために2023年11月購入した本の第2弾の3冊『藤原道長「御堂関白記」を読む (講談社学術文庫)』『月と日の后(上)…
彦根市栄町の蓮成寺が、この地に建立されたのは1602年のことで、前身は石田三成の居城佐和山城にありました。1559年、当時の城主・磯崎丹波守員昌(かずまさ)が織田信長の命により法華丸を建立したのが始まりです。1600年の関ヶ原の戦いで三成が敗れると、法華丸も廃寺となりました。しかし、彦根藩初代藩主・井伊直政の命令により現在の地に蓮成寺として再建されました。蓮成寺の正面側には彦根藩の足軽屋敷が立ち並び、彼らの檀...
慶長5年(1600)10月1日、石田三成は、徳川家康の命により、京の六条河原で斬首されました。享年41。辞世は筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり三成の首は三条河原に晒された後、生前親交のあった春屋宗園、沢庵宗彭に引き取られ、京都大徳寺の三玄院に葬られました。大徳寺山門(金毛閣)大徳寺三玄院前の石田三成墓所石碑こちらには、石田三成の墓所があります。こちらの塔頭は、一般公開されておらず...
前回の補遺:稲チャンの「一歩も通しませぬ」って・・・通せんぼは本多家のお家芸かッ(笑) で,アヴァンでこれまでの戦のおさらいね。幾つも泣かせるシーンが;;; 輝元サン,もう最初から最後まで目が泳ぎまくって,まあ。そりゃ,茶々サンもイラつきますわな(笑)何度もタイトル回収すんなよ〜♪ 開戦前の静かなモノローグが,いいですな。 で,先陣のお墨付き,出すのねえ。口実に使った忠吉クンは,どこ? 今回の脚本,とにかくポン...
関ヶ原の戦いに敗れた石田三成は、伊吹山の東にある相川山を越えて春日村に逃れました。その後、姉川に出た三成は、曲谷を出て七廻り峠から草野谷に入り、小谷山の谷口から古橋に逃れました。しかし9月21日、徳川家康の命令を受け、三成を捜索していた田中吉政の追捕隊に捕縛されました。東軍の攻撃を受けて三成の居城・佐和山城は落城し、三成の父・正継、兄・正澄を含む石田一族の多くは殺害されました。9月22日、三成派大津城に...
#405 第35回「欲望の怪物」感想~大河ドラマ『どうする家康』
戦なき世の実現のために、ついに秀吉に臣従を誓うため上洛した家康と果てしなき征服欲にかられた秀吉を描いた大河ドラマ『どうする家康』の第35回「欲望の怪物」につい…
#477 第43回「関ヶ原の戦い」感想~大河ドラマ『どうする家康』
美濃で向かい合う徳川家康と石田三成、ついに二人の手紙工作の結果なる天下分け目の関ヶ原の戦いを描いた大河ドラマ『どうする家康』の第43回「関ヶ原の戦い」(11月…
【どうする家康】第43話あらすじ・感想考察「関ケ原の戦い」|戦なき世などまやかしの夢「それでもわしはやらねばならぬ」
家康は、赤坂の陣所で三成との決戦の時を迎えようとしていました。 https://twitter.com/nhk_ieyasu/status/1721132756208431131 前回のあらすじはこちら 【どうする家康】第42話あらすじ・感