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< 勝竜寺城>の”城門”を巡るー細川藤孝のお城でしたが、山崎の合戦時には明智光秀の本陣として使用
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<安土城>の”城門”を巡るー伝”二の丸”跡に”秀吉”が祀った”織田信長”の廟所
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中で、未掲載だった中部地方以北の「城門」に戻って掲載していましたが、本日から…
天下を取った秀吉に一番欠けていたもの、それは「資格」平たく言えば「箔」だった。 つい最近まで下層出身者の「出世物語」を売りにしてきたのだから、それが無いのも無理はない。この時代、強いというだけではダメで、やはりそれにふさわしい「資格」を備えていなければ、
10月のアメリカ大統領選挙に続き、11月に入ってからは国内の衆議院選挙、 さらには、その経緯が話題になった兵庫県知事選挙、ついでのことに筆者の 生息地での名古屋市長選挙と、このところあれこれの選挙が慌ただしく続きました。 そして結果といえば、アメリカ大統領選は事前予想されて...
<由良古城> シンプルな縄張りの東面に貼りつく”石積み”は当時のモノであってほしい!
10/12(土)の淡路島お城巡りの4城目は「由良古城」(兵庫県洲本市由良町)です。 前回のブログでは、「渡船」から「由良桟橋」に上陸後、「徳島藩由良藩邸の表門…
9/10で使用期間が終了の「青春18きっぷ」を使い、9/9に「姫路城」(兵庫県姫路市)の「特別公開」を観た後、「姫路駅」から2駅大阪側にある「御着(ごちゃく)…
<小松陣屋> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-1万石の陣屋建造物が多く残るお寺”仏心寺”
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。 「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。 全国「御殿」を巡…
<龍野城> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-御殿再建ブームに先駆けて建てられた御殿
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。 「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。 全国「御殿」を巡…
豊臣秀吉(1537-1598年)なる人物の名乗りにおける変遷は、一般的にはこのように理解されてる。① 木下藤吉郎秀吉/(1561年) おねとの結婚を機に② 羽柴藤吉郎秀吉/(1573年頃)「羽柴」の名字を名乗る③ 羽柴筑前守秀吉/(1574年) 「官職名」を名乗るまた、これとは
武将 名言 グッズ ハンドタオル 豊臣秀吉 1 一歩一歩、着実に… オリジナル 戦国武将 かっこいい 座右の銘 スローガン 【ポジティブグッズ】PSTV価格: 900 円楽天で詳細を見る 羽柴秀吉の名言から学ぶ現代社会の知恵 名言1:「勝つことが全てではない、負けないことが全てだ。」 この言葉は、戦国時代の厳しい戦いの中で生まれたものです。秀吉は、ただ勝利を追い求めるだけではなく、如何にして負けないかを重視しました。現代社会でも、勝ち負けに一喜一憂するのではなく、失敗しないための準備や戦略が重要です。失敗から学び、再挑戦するための基盤を築くことが、成功への第一歩です。 現代の知恵 ビジネスでも…
一触即発!家康対秀吉「小幡城」「龍泉寺城」!小牧・長久手の結末は?
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、一触即発!家康対秀吉「小幡城」「龍泉寺城」
家康を辿る城旅「楽田城」!秀吉、楽田城に入る…小牧山を包囲する砦群
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「楽田城」!秀吉、楽田城に入
家康を辿る城旅「犬山城」!小牧・長久手の火ぶた…池田恒興寝返りの急襲"犬山城の戦い"
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、家康を辿る城旅「犬山城」!小牧・長久手の火
#251 『信長公記』を読むその28 巻14の1 :天正九(1581)年 対毛利戦
『信長公記』巻14 天正9(1581)年のその1は、対毛利戦で活躍する羽柴筑前守秀吉(豊臣秀吉)のかの有名な”鳥取城の飢え殺し”です。 北へ西へ広がる分国 西…
上月城攻めの毛利方陣城・仁位山城。 その2 <③郭④郭と畝状竪堀>
「その1」のつづきです。仁位山城②郭から③郭へ向かいます。 ③郭です。ここも傾斜がついていて、自然地形って感じなんですよね。経年の堆積物でそうなってしまっ...
前稿で紹介した上月城の北東約500mという至近距離に、仁位山城跡があります。ここは、上月城の援軍として駆け付けた羽柴秀吉方が陣を布いたという説もあれば、上...
#266『信長公記』を読むその38 巻15の6 :天正十(1582)年 本能寺の変直前
『信長公記』最終巻の巻15 天正10(1582)年のその6は、本能寺の変直前までの動きについてです。 四国攻めの準備、家康の京・堺見物の中、本能寺の変へと進む…
秀吉と光秀の天下分け目の天王山"山崎の戦い"!秀吉の本陣跡「山崎城」へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、秀吉と光秀の天下分け目の天王山"山崎の戦い
「その1」のつづきです。上月城主郭まで攻略したので、つづいて尾根伝いに西側の郭を攻めます。 主郭西側の虎口。縄張り図では桝形虎口になっていますが、微妙。。...
播磨国佐用町上月。現在の兵庫県佐用町には、かつて荒神谷川を挟んで北に大平山上月城、南に荒神山上月城がありました。城ははじめ大平山に築かれ、のちに荒神山に本...
長水城、篠ノ丸城を攻略したので、続いて聖山城を攻めます。聖山城は篠ノ丸城の出城だったともいわれ、天正8年(1580年)の羽柴秀吉による長水城、篠ノ丸城攻め...
紅葉が美しい篠ノ丸城跡を歩く。 その4 <三重堀切~畝状竪堀>
「その3」のつづきです。篠ノ丸城二ノ丸の西側にある三重堀切を見にいきます。 二ノ丸(主郭という説も)の西側を見下ろすと、さっそく大きな堀切が。 降りてきま...
紅葉が美しい篠ノ丸城跡を歩く。 その3 <主郭周り~二ノ丸>
「その2」のつづきです。篠ノ丸城主郭まで攻略しましたが、城域はまだまだあります。 主郭西側の横堀。南側から見ています。右側が主郭を囲う土塁です。往時はもっ...
#325 第27回「安土城の決闘」感想~大河ドラマ『どうする家康』
天下取りと「信長を殺す」ことを決め、その策実行のために信長の本拠安土城に乗り込み、信長と対峙して、本能寺の変直前までの2023年7月16日の大河ドラマ『どうす…
#535 まとめ 下賤の身から天下人へ『新史 太閤記』について
司馬遼太郎先生が秀吉を主人公にそのなりあがりを描いた小説『新史 太閤記(上下) 合本版(新潮文庫)』の全体を通してのレビューと大河との比較司馬遼太郎先生による…
#528 レビュー 秀吉、天下人へ『新史 太閤記 前編』 司馬遼太郎
大坂の陣を題材にした司馬遼太郎先生の小説『新史 太閤記(下)(新潮文庫)』を読みました。本能寺の変から、いかに織田家を乗っ取り、織田家同僚らを従えて天下統一を…
2023年12月10日関西方面の城巡りニ城目は京都にある山崎城です。明智光秀が本能寺の変で織田信長を打ち、備中高松城(岡山県)にいた羽柴秀吉が中国大返しと呼ばれる凄まじいスピードで戻って明智軍と戦いました。その際にこの天王山付近に羽柴秀吉は陣を張り、明智光秀に勝利。羽柴秀吉は標高270mの天王山の山頂に山崎城を築きました。天主もあり、高層建築物があったとされています。翌年、大阪城の工事が本格化したことで山崎城は破却。時の城となりました。勝龍寺城のあるJR京都線、長岡京駅から一駅。山崎駅が搭城口の最寄駅となります。ローカルな駅。この一帯は山崎合戦で激戦を繰り広げた地であるものの、今はすごくのどかな街並み。京都の駅から比較的近いのに、景色が変わります。この山崎駅から歩いて5分ほどで、天王山の登山道に到着。京都...山崎城@京都府
#526 レビュー 秀吉、信長の下でなりあがり『新史 太閤記 前編』 司馬遼太郎
大坂の陣を題材にした司馬遼太郎先生の小説『新史 太閤記(上)(新潮文庫)』を読みました。『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』と比べてどうかレビューしたい…
#332 第28回「本能寺の変」感想~大河ドラマ『どうする家康』
唯一の友、家康に討たれたかったかのような信長と討てなかった家康の別れが描かれた2023年7月23日の大河ドラマ『どうする家康』の『本能寺の変』について唯一の友…
#347 第30回「新たなる覇者」感想~大河ドラマ『どうする家康』
一気に天正壬午の乱に、秀吉と勝家の主導権争いを終わらせて家康の前に新たに羽柴秀吉が立ちはだかることになる2023.08.06の大河ドラマ『どうする家康』の第3…
にほんブログ村にほんブログ村 私は間違ったことはしていない…石田三成が関ヶ原の戦いまでに多くの武将に見捨てられた根本原因 能吏としては完璧だが、人心を読み解く…
#392 TVメモ『家康VS秀吉 どうする家康コラボスペシャル(前編)』
大河『どうする家康』で小牧・長久手で戦火を交えた徳川家康と羽柴秀吉の特集『家康VS.秀吉 どうする家康コラボスペシャル(前編) - 歴史探偵 - NHK』の…
#396 小牧・長久手の戦いその1~『松平家忠日記を読む』から見る
8月20日の大河ドラマ『どうする家康』では描かれていた家康と秀吉の最初で最後の直接対決のを『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)』で見…
#398 小牧・長久手の戦いその2~『松平家忠日記を読む』から見る
8月20・27日の大河ドラマ『どうする家康』では描かれていた家康と秀吉の最初で最後の直接対決の”小牧・長久手の戦い”とその終わりを『家康家臣の戦と日常 松平家…
#402 TVメモ『家康VS秀吉 どうする家康コラボスペシャル(後編)』
大河『どうする家康』で小牧・長久手の後も続く徳川家康と羽柴秀吉の対決『家康VS.秀吉 どうする家康コラボスペシャル(後編) - 歴史探偵 - NHK』の感想…
歴史に派手なデビューを見せたものの、その後については案外よく知られていない人物もいる。たとえば、「本能寺の変」(1582年)の後、織田家後継者を巡る関係者協議の折に登場した「三法師」もその一人だ。当初は、本能寺に倒れた織田信長(1534-1582年)の息子たちである次
天正14年(1586年)10月14日、浜松を発って上洛の途についた徳川家康は、同月20日に岡崎で大政所の到着を見届け、同月27日に大坂城にて豊臣秀吉と対...
バス停石田から石田会館とは反対の方向、北へ進み、民家の間に挟まれた道を行くと、石田三成産湯の井戸があります。石田三成の死後、400年の記念事業で、平成12年に復元されました。 三成は、1560年、近江国坂田郡石田村で生まれました。父・正継は、「村の武士」といわれる土着の豪族で、京極家や、浅井家に仕えた後、帰農したとされています。三成は、三男として誕生、幼名は佐吉。長兄は早世し、次兄・正澄は、三成と前後して、...
石田三成生誕の地(1)秀吉と三成出逢いの像~石田三成の屋敷跡
次回9月17日の「どうする家康」予告を見ると、いよいよ石田三成が登場するようです。そこで、過去の記事より、「石田三成生誕の地」を紹介します。長浜駅を降りると、駅前に「秀吉と三成出逢いの像」があります。長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩の途中に観音寺(米原市朝日町)へ立ち寄りました。汗をかいた様子の秀吉公を見た寺小姓の佐吉少年は、大きな茶碗にぬるいお茶をなみなみと持ってきました。秀吉公がもう一杯頼むと、少年...
8月29日に「秀吉時代の遺構が残る竹生島の宝厳寺」の記事を掲載しましたが、社殿修復前の2011年訪問時の褪せた色の社殿の画像でした。先日、滋賀県在住の友人が、竹生島を訪問し、宝厳寺の修復後の画像を送ってくれましたので、改めて鮮やかな色彩の宝厳寺の記事をアップします。竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より、「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立...
三谷幸喜「清須会議」儂が!オレが!いやおれが…信長の後を継ぐのは誰だ?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、三谷幸喜「清須会議」儂が!オレが!いやおれが…信長の後を継ぐのは誰だ?です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や読み
どうする家康 第34回「豊臣の花嫁」 ~天正大地震と朝日(旭)姫の輿入れ~
石川数正の調略に成功した豊臣秀吉は、対徳川家康対策をふたたび強硬姿勢に転換、東に兵を向けます。一方の徳川方も、数正出奔を機に軍制を武田流に改める改革を行...
石川数正は、徳川家康の片腕として酒井忠次とともに活躍しましたが、小牧・長久手の戦いの後に突如出奔、豊臣秀吉に臣従しました。出奔の理由は、「豊臣家との和睦派として家中で孤立を余儀なくされた」「秀吉に調略された」「松平信康の後見人を務めていたため、天正7年(1579年)の信康切腹事件を契機に家康と不仲になっていた」「徳川家のために犠牲となった形で投降したふりをした」など諸説ありますが、はっきりした理由はわ...
静岡浅間神社から5分ほど北に行ったところに瑞龍寺というお寺があります。1560年(永禄3年)、能屋梵藝によって開山され、徳川家康が居城を駿府城に定めた際に寺領が与えられました。天下取りを目指した豊臣秀吉は、家康と同盟関係を築くため、天正1586(14)年、自分の妹である旭姫を、夫の佐治日向守(さじひゅうがのかみ)離縁させ、 築山御前の死後、正室を持たなかった家康に嫁がせました。同年、旭姫は、家康と共に浜松城から...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 50.徳川家康・三十八
1586年(天正十三年)1月2日、徳川家において、主君の徳川家康に次ぐ、筆頭家老の重臣である、石川数正が、出奔し、羽柴秀吉に帰属する、事件が発生した。 石川…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 49.徳川家康・三十七
羽柴秀吉は、滝川雄利を使者として、浜松城に送り、徳川家康と講和しようと試みた。徳 川家康は、返礼として、次男の於義丸、即ち、結城秀康を秀吉の養子にするために…
お万の方は、知立神社の神主家・永見貞英と刈谷城主水野忠政の女の間に生まれた娘で、徳川家康の正室・築山殿に仕えたとされています。後に、双子の子を授かり、家康の側室となって、双子のうちひとりの永見貞愛(ながみ さだちか)は、知立神社の神主となりますが、31歳の若さで病死しています。(『柳営婦女伝系』などでは、秀康は双子で誕生し、弟はすぐに亡くなったとされている)もう一人の結城秀康は、羽柴秀吉の養子として羽柴...
2011年9月に滋賀県長浜市の竹生島を訪問しました。長浜港から竹生島クルーズで30分で到着。この日は、朝から雨が降ったりやんだりのあいにくの天気でした。晴れていたら、もっとくっきりと琵琶湖が見渡せたでしょう。「延喜式」式内社の都久夫須麻神社(竹生島神社)と西国三十三所観音霊場第30番札所・宝厳寺があります。明治時代初期の神仏分離までは、宝厳寺が都久夫須麻神社の別当をつとめていました。船着場から祈りの階段と...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 48.徳川家康・三十六
四国では、6月11日、長宗我部元親が、十河存保の十河城を落し、讃岐国を平定した。 第二次十河城の戦いである。 徳川家康は、長宗我部元親に「淡路・摂津・播磨を…
蟹江城合戦の舞台となった蟹江城址は、JR関西本線蟹江駅下車徒歩15分ほどのところにあります。蟹江城は、永享年間(1429~1440)に北条時任により築城されました。戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)があり、大野、下市場、前田の三つの支城がありましたが、天正12年(1584)の蟹江合戦において、織田・徳川連合軍により落城、翌年の大地震で壊滅し、今は石碑と井戸を残すのみです。蟹江城合戦(蟹江合戦)とは、...