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ブログタイトル
大河ドラマに恋して
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今年は大河ドラマ「麒麟がくる」のゆかりの地の紹介、歴旅の記録をアップしていきます。
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366回 / 365日(平均7.0回/週)

ブログ村参加:2013/09/04

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大河ドラマに恋して

しずかさんの新着記事

1件〜30件

  • 明智光秀ゆかりの地・可児市をめぐる(4)明智城跡 本丸跡

    本丸跡明智城址記馬防柵が作られています。展望台からは可児市を一望できます。この一帯は、のちに信長に仕えた光秀が先祖代々の土地を拝領したともいわれています。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

  • 明智光秀ゆかりの地・可児市をめぐる(3)明智城跡 二の丸~七ッ塚

    薄暗い木々の茂る中、上り坂をひたすら歩いて行きます。普通、城内の道といえば、くねくねと曲がりくねったところが多いですが、この道は直線的な道が続いています。しばらくすると、化石発見地の碑がΣ(・ω・ノ)ノ!大手道を登りきると、二の丸跡が見えてきます。二の丸跡「明智光秀公生誕の地」の幟七ッ塚弘治2年の落城で戦死した明智軍の七武将を祀った塚です。ここまで誰にも出会っていません(;´∀`)にほんブログ村 歴史ブログラン...

  • 明智光秀ゆかりの地・可児市をめぐる(2)明智城跡 大手門

    名鉄広見線明智駅から早歩きで約20分で明智城大手口に到着。土岐明智氏の出自の地であり、明智光秀を生んだ地との伝承を持つ明智城は、別名長山城または明智長山城とも呼ばれています。この辺りには、石清水八幡宮(京都府八幡市)の荘園・明智荘が置かれ、『美濃国諸旧記』によると、康永元年(1342)3月、美濃国可児郡明智庄長山に、美濃守護・土岐頼康の弟・土岐明智次郎長山下野守頼兼(しもつけのかみよりかね)がこの地に城...

  • 明智光秀ゆかりの地・可児市をめぐる(1)若宮神社~東栄寺

    いよいよ19日から「麒麟がくる」がスタートしますね!今日は「麒麟がくる」の主人公「明智光秀ゆかりの地」の紹介をします。名鉄の明智駅から徒歩でスタートし、明智城跡を目指します。途中、いつくかの寺社がありました。若宮神社太元神社の摂社で、仁徳天皇を祀る神社です。仁徳天皇は太元神社の御祭神である。仁徳天皇は、応神天皇の第四皇子で、御名を大鷦鷯尊(おほさざきのすめらみこと)と申し上げ、人皇代16代の天皇です。...

  • 大原を訪ねて(20) 宝泉院 盤桓園と血天井

    三つ目の庭園の盤桓園(ばんかんえん)は、「立ち去りがたい」という意味を持ち、客殿の西方を柱と柱の空間を額に見立てて鑑賞することから、「額縁庭園」という名でも親しまれています。「五葉の松」近江富士を型どる樹齢700年の五葉松は、京都市指定の天然記念物。70年ほど前に高浜虚子が無住寺の宝泉院を訪れ、「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んだとか。こちらで、盤桓園を眺めながら、お茶とお菓子をいただきました。これ...

  • 大原を訪ねて(19) 宝泉院 鶴亀庭園

    では、客殿に入ってみましょう。玄関の左側には江戸時代中期に作られた鶴亀庭園があります。池の形が鶴、築山が亀、山茶花の古木を蓬莱山と見立てているそうです。鶴亀庭園には、樹齢300年の沙羅双樹もたたずんでいます。客殿の手水鉢の水琴窟は、サヌカイトを使用しており、二連式の珍しい構造になっているそう。理智不二の名があり、密教の教理を音色で伝えるものとされています。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加して...

  • 大原を訪ねて(18) 宝泉院「宝楽園」

    続いて紅葉の参道を抜けて、三千院の参道の奥にある宝泉院へ向かいました。宝泉院も、実光院とともに大原寺勝林院の僧坊の一つです。山号は魚山、本尊を阿弥陀如来。声明の大家・宗快法印によって嘉禎年間(1235年頃)に創建され、当初は了性坊と呼ばれていました。正徳6年5月に宝泉院と改められ、現在に至ぃています。宝泉院には、盤桓園(ばんかんえん)、鶴亀庭園、宝楽園(ほうらくえん)という3つの庭園があります。そのうち...

  • 大原を訪ねて(17)勝林院 法華堂~梵鐘

    では、勝林院の境内を散策してみましょう。法華堂は、後鳥羽天皇ご冥福のため、梨本主尊快親王母公修明門院御計らいにて水無瀬の御所を以て仁冶元年 (1240)に建立されました。享保21年(1736)類焼し、現在の堂宇は、安永年度に再興されたものです。 法華堂は、後鳥羽天皇ご冥福のため、梨本主尊快親王母公修明門院御計らいにて水無瀬の御所を以て仁冶元年 (1240)に建立されました。享保21年(1736)類焼し、現在の堂宇は、安永年度に...

  • 大原を訪ねて(16)勝林院 天台声明発祥の寺

    勝林院は、寂源法師が長和2年(1013)に開いた天台声明発祥の寺です。別名『問答寺』とも『証拠堂』とも阿弥陀堂とも呼ばれています。寂源により建立された本堂は、火災や洪水により破損し、修復再建されてきました。江戸時代初期の徳川家光の代、春日局の願により、崇源院の菩提のために再建されたという縁起が高欄の擬宝珠に刻まれていますが、享保21年(1736年)正月の火災により焼失。現在のお堂は安永7年(1778年、徳川家治の頃...

  • 大原を訪ねて(15) 実光院 旧理覚院庭園

    では、外に出て、池泉廻遊式の「旧理覚院庭園」を散策してみましょう。旧理覚院境内にある庭園で、現在の客殿の西側に位置しています。旧理覚院の荒廃していた庭を歴代の住職が整備したもので、金毘羅山や小塩山を借景とするために庭木を低く仕立ててあります。多くの山野草が地植えされているため、四季折々の花が楽しめます。そして、秋にはこのような見事な紅葉を間近で堪能できます。庭園西北に位置する茶室「理覚庵」は、昭和...

  • 大原を訪ねて(14) 実光院 契心園

    今日は、実光院の庭園を紹介します。庭園は、池泉観賞式の「契心園」と、散策することができる池泉廻遊式の「旧理覚院庭園」があります。契心園は、客殿の南側に位置する 旧普賢院以来現存する庭園です。律川から引いた滝を落とす心字池が中心とした池泉鑑賞式庭園となっています。江戸時代後期の作庭と伝えられています。正面に石造の五重塔を乗せる築山の松は鶴を、池の島は亀を表しているそうです。にほんブログ村 歴史ブログラ...

  • 大原を訪ねて(13) 実光院 客殿

    茅穂橋を渡って実光院へ実光院は、寂源上人が声明を伝承する為に建立した天台宗魚山大原寺勝林院の子院です。応永年間に宗信法印によって復興され、元々は現・大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇の陵墓)が旧実光院でした。現在はその向かい側に位置しています。 1919年(大正8年)に大原陵を整備するため宮内省の命令で無住となっていた理覚院・普賢院の二院を統合して、この両院の地に移転することとなりました客殿の現在の建物は1921...

  • 大原を訪ねて(12)三千院 朱雀門~円融蔵

    橋を渡って、朱雀門の方へ進んでいきます。苔むした切り株朱雀門朱雀門は、往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門で、極楽院を本堂としていた頃の正門にあたります。その様式は藤原期の様式とも言われていますが、江戸時代に再建されたものだそうです。現在開扉は行われておりません。円融蔵(えんにゅうぞう)円融蔵は、平成18年秋に開館した重要文化財収蔵施設で、仏教・国文・国史、門跡寺院特有の皇室の記録や史伝等、中古・...

  • 大原を訪ねて(11)三千院 阿弥陀石仏

    観音堂から、紅葉の森を進みながら、赤い橋を目指して行きます。金色不動堂の北、律川にかかる橋を渡ったところに、鎌倉時代の大きな阿弥陀石仏(売炭翁石仏)が安置されています。この石仏は高さ2.25メートルの単弁の蓮華座上に結跏跌座(けっかふざ)する、定印阿弥陀如来(じょういんあみだにょらい)で、「欣求浄土(ごんぐじょうど)」を願ったこの地の念仏行者たちによって作られたものではないかとされています。またこの場...

  • 大原を訪ねて(10)三千院 金色不動堂~観音堂

    金色不動堂は、護摩祈祷を行う祈願道場として、平成元年4月に建立されました。本尊は、智証大師作と伝えられる秘仏金色不動明王で、重要文化財に指定されています。毎年4月に行われる不動大祭期間中は、秘仏のお姿を約1ヶ月間拝するこができるそうです。草木供養塔観音堂観音堂内には身丈3メートルの金色の観音像が祀られており、御堂両側の小観音堂には三千院と縁を結ばれた方々の小観音像が安置されています。観音堂の横に広がる...

  • 大原を訪ねて(9)三千院 弁財天

    往生極楽院を過ぎ、金色不動堂に向かう参道脇に、弁財天が祀られています。弁才天とも書く。インド神話のサラスバティーを漢訳し,女神の姿に造形化したもの。もとはインドのサラスバティー川の河神であり,のちに梵天の妃となったが広く信仰され,これが仏教に取入れられて音楽,弁舌,財富,知恵,延寿を司る女神となった。『金光明最勝王経』大弁財天女品によると,頭上に白蛇をのせ,鳥居をつけた宝冠をかぶった八臂の女神で,...

  • 大原を訪ねて(8)三千院 わらべ地蔵

    三千院には、たくさんのお地蔵さんたちがいます。境内のいろいろなところにおられますが、その中で有清園の苔の中に佇むわらべ地蔵と呼ばれる小さなお地蔵さまたちを撮影しました。わらべ地蔵と名づけられたこのお地蔵さまたちは、石彫刻家の杉村孝氏の手によるものです。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願い...

  • 大原を訪ねて(7)三千院 往生極楽院

    杉木立の中に佇む入母屋造、杮葺きの簡素な御堂が往生極楽院です。平安時代に『往生要集』の著者で天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が父母の菩提のため、姉の安養尼とともに建立したと伝えられています。内部は船底天井として、極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれています。堂内中心に鎮座する阿弥陀如来は来迎印を結び、向かって右側の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、左側の勢至菩薩は合掌し、両菩薩共...

  • 大原を訪ねて(6)三千院 有清園

    堂内から有清園へ有清園は、宸殿前から往生極楽院にかけて広がる庭は、池泉回遊式庭園で、中国の六朝時代を代表する詩人・謝霊運の「山水清音有(山水に清音有り」より命名されました。聚碧園との境は生垣と石垣で区切られています。青苔に杉や檜などの木々が立ち並ぶ様は、林の中に迷い込んだ錯覚すら覚えます。上部に三段式となった滝を配し、渓谷式に水を流して池泉に注ぐようになっています。にほんブログ村 歴史ブログランキ...

  • 大原を訪ねて(5)三千院 聚碧園

    客殿の庭園、聚碧園(しゅうへきえん)は池泉観賞式庭園で、東部は山畔を利用した上下二段式とし、南部は円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭を形成しています。江戸時代の茶人・金森宗和の作庭と伝えられています。聚碧園の隅にある老木「涙の桜」は、室町時代の歌僧頓阿(とんあ)上人が詠んだ一首に由来し、その桜は西行法師のお手植えとも、頓阿上人の友、陵阿(りょうあ)上人のお手植えとも伝わっています。(三千院HPよ...

  • 大原を訪ねて(4)三千院 苔アート

    明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。三千院の門を潜り、大玄関から拝観順路に沿って進むと、客殿、宸殿、及びこれらを囲む庭園があります。客殿は、西側の勅使玄関から続く書院で、大正元年に修補されました。明治39年、客殿各室には、当時の京都画壇を代表する画家たちの襖絵が奉納され、当時若い世代であった竹内栖鳳、菊池芳文、重鎮であった望月玉泉、今尾景年、鈴木松年といった新旧の画...

  • 大原を訪ねて(3)三千院 御殿門

    大原最初の目的地、三千院に到着。三千院は、三千院門跡とも称し、青蓮院、妙法院とともに、天台宗の三門跡寺院の1つに数えられています。三千院の境内は、境内南を流れる呂川(りょせん)と北を流れる律川(りつせん)という2つの川に挟まれています。呂川・律川の名は声明(仏教声楽)の音律の「呂」と「律」に由来します。境内南側には、往生極楽院の正門にあたる朱雀門、西側には御殿門があり、拝観入口はこの御殿門からです。...

  • 大原を訪ねて(2)懐かしいお宿

    三千院へ向かって歩いていると、一際美しい紅葉が見えてきました。三千院の門前にある大原を代表する料理旅館「芹生」さんです。もうかなり前のことになりますが、こちらの宿に泊まったことがあります。「芹生」さんは、ゆったりとくつろげる温泉・露天風呂、美しい日本庭園、京野菜や大原の山菜を活かした美しいお料理が評判でしたので、こちらのお宿を選びました。その日は大雨でしたが、こちらで三千草弁当をいただいた後、三千...

  • 大原を訪ねて(1)呂川沿いを歩く

    数年ぶりの大原の訪問です。比叡山麓に広がる大原の里は、かつては皇族や貴族が隠棲した地であり、今も豊かな自然が残る里山です。三千院までの呂川沿いの道には、大原名産・しば漬けをはじめとする漬物のお店や土産物屋が軒を連ねています。大原女の人形川沿いの紅葉を楽しみながら、三千院を目指します。ここを歩いていて、いつも思い出すのが「ろれつが回らない」という言葉。三千院の横を流れる呂川と律川からきたもので、こち...

  • 二尊院(2)本堂~庭園

    二尊院の山号は小倉山。正式には小倉山二尊教院華台寺(おぐらやま にそんきょういん けだいじ)といい、二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像に由来します。本堂 二尊を安置してある本堂は、永正18年(1521年)、三条西実隆によって再建されました。本堂に掲げられている後奈良天皇の自筆による「二尊院」は、この再建時に与えられたものです。本堂を取り巻く庭園もまた素晴らしいです。紅葉の馬場を...

  • 二尊院(1)総門~勅使門

    常寂光寺から二尊院へ。総門慶長18年(1613)に伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものと伝わっています。総門には文様(装飾のための図柄)があり、唐草模様、数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦などが施されており、室町時代の建築として京都市指定文化財となっています。総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅葉の名所として知られています。約百メートルの間にモミジとサクラの木が交互に植えられており...

  • 常寂光寺(2)竹林~多宝塔

    赤、黄、緑に染まる常寂光寺の境内多宝塔に向かって竹林の横の石段を上がっていきます。多宝塔 国の重要文化財。元和6年(1620年)8月建立で、高さ12m、方三間、重層、宝形造、檜皮葺。紅葉のトンネルを抜けて出口へ。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

  • 常寂光寺(1)山門~鐘楼

    嵯峨野の目的地に到着。常寂光寺は、慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創。本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営する。 仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築、仁王像は運慶作と伝えられる。山門江戸後期に改築されたもので、江戸中期出版の「都名所図会」には、袖に土塀をめぐらした薬医門が図示されています。仁王門仁王門...

  • 嵐山・嵯峨野散策(1)渡月橋~落柿舎

    この日は、午前中東山を散策し、午後から嵐山に向かったのですが、紅葉シーズン真っ盛りの日曜だけに、渡月橋の前から大渋滞。当分バスが動きそうにないので、渡月橋前の停留所で降りて歩いて行くことにしました。朝、清水寺からスタートし、永観堂まで歩きっぱなしでしたので、渡月橋近くのお店で遅いランチを取ることに。エネルギーチャージをしたところで、再び散策開始!野宮神社お店の前の木に吊るされた風呂敷風のプレゼント...

  • 高台寺(3)二つの茶室

    傘亭(安閑窟)伏見城から移築したものとされ、千利休好みの茶室と伝わっています。宝形造茅葺きの素朴な建物で、内部の天井が竹で組まれ、その形が唐傘に似ているところから傘亭と呼ばれています。時雨亭 傘亭の南隣にある珍しい2階建ての茶室。傘亭同様、伏見城からの移築で、千利休好みと伝わっています。傘亭との間は屋根付きの土間廊下でつながれています。竹林を抜けて出口へにほんブログ村 歴史ブログランキングに参加して...

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