メインカテゴリーを選択しなおす
■『徳川御三家』紀州徳川家の居城『和歌山城』(和歌山県和歌山市)
目次 1 市内虎伏山に天守そびえる和歌山のシンボル 2 紀州徳川家伝来の金印『獅子紐印』 3 まずは和歌山『護国神社』へご挨拶 4 いよいよ暴れん坊将軍の『天守閣』へ 5 和歌山市内が一望!大天守からの眺めは格別 1 市内虎伏山に天守そびえる和歌山の
家康の側室にお万は2人いる 水戸・紀州初代の母 養珠院の故郷
徳川家康には多くの側室がいて、その相関図を調べても微妙に一致しなくて混乱してしまいます。私が暮らす千葉県勝浦市は家康の側室の1人お万の故郷なのですが、実はお万がもう1人いたり、歴史には諸説ありますので、私なりに整理してみました。
将軍吉宗を輩出した紀州徳川家の居城「史跡 和歌山城」(和歌山県和歌山市)
紀州徳川家の始まりは、徳川家康の十男「頼宜」、徳川御三家の紀州藩からは、吉宗をはじめ6人の将軍が誕生した。築城は、紀州を平定した羽柴秀吉が弟の秀長に命じて築城、関ケ原の合戦の後、浅野家が城主となり、その後に前述の徳川頼宜が城主となる。さて、和歌山銘菓とい
今回のお城は【紀州国】の 和歌山城 であります。 この城はかの豊臣秀吉公が天正13年(1585)紀州征伐後にその弟の秀長に命じて、築城の名手である藤堂高虎などを介し築城をしたのが起源だそうです。