メインカテゴリーを選択しなおす
2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」 2026年の大河ドラマが、「豊臣兄弟!」とNHKから発表されました(2024/3/12)。主人公は、豊臣秀吉公の弟・豊臣秀長公で、仲野太賀さんが演じます。脚本は八津弘幸さんです。 本ブログの伯耆守は、黎明
信長と家康の同盟、その前に家康と秀吉の謎(3) 番外編~権力をあてにすると町は廃れ行く~
元々武士の力が弱かった博多は、大内氏に脅され、豊後大友に侵略され、大友と肥前・龍造寺の争いが激化し戦場と化し荒廃した。 秀吉は、荒廃した博多の復興を餌に博多の商人を取り込んだ。秀吉は、博多の商人から買い付けた物資で博多の取引先を攻撃する。
既に報じられていますが、再来年2026年の大河ドラマが発表されました。題名が…豊臣兄弟豊臣って秀吉さんだな主人公は豊臣秀吉…ではなく、弟の豊臣秀長秀長が主人公…
リフィーディング症候群(refeeding syndrome)と兵糧攻め
以前、このブログで「リフィーディング症候群」について解説し、その典型例として、豊臣秀吉による兵糧攻めの事例を紹介しました。このケースは、これまで国内の医学界では、同症候群の疑い事例として有名ではあったものの、関連する医学論文は発表されておらず、あくまで逸話以上のものではないものとして扱われてきたようです。そこで今回、鹿野泰寛医師(東京都立多摩総合医療センター)、青山彩香医師(JA茨城厚生連総合病院水戸協同病院)、山本隆一朗学芸員(鳥取県立博物館・中世担当)の3氏が、豊臣秀吉による兵糧攻めの事例(「鳥取の渇え殺し」)に関し、2年がかりで史料を集め、とくに『信長公記』と『豊鑑』の記述(以前のブログもご参照ください)を医学的見地から精査しました。その結果、この大量死に関し、粥そのものには問題はなかったことを確認...リフィーディング症候群(refeedingsyndrome)と兵糧攻め
書寫山秀吉本陣 所在地:兵庫県姫路市 書寫山 太閤との関係:戦 秀吉の中国攻めの本陣です。中国攻めで秀吉は、三木城の別所と毛利に挟まれ、窮地に立たされます。その窮地を脱する術として、黒田官兵衛が秀吉に「書写山圓教寺へ本陣を移す」ことを進言し、秀吉は、助言を受け入れて書寫山に本陣を構えたと言われていいます。 写真は本陣と言われる場所からみた風景。ここから太閤殿下は何を思ったのでしょうか。 書寫山圓教寺 書寫山といえば圓教寺です。西国二十七番札所であり、「西の比叡山」とも呼ばれる天台宗のお寺。966年に性空上人によって創建されたと言い伝えられている歴史の深いお寺です。そのため、国の重要指定文化財に…
木之本駅から歩いて約5分の浄信寺は、通称「木之本地蔵院」と呼ばれています。本尊は地蔵菩薩(秘仏)。境内には秘仏本尊の写しである高さ約6メートルの地蔵菩薩大銅像があり、これは日本三大地蔵の一つとされ、眼の地蔵菩薩として信仰を集めています。地蔵菩薩大銅像身代わり蛙片目をつぶった蛙がずらり・・・天武天皇の時代、難波浦(大阪府)に金光を放つ地蔵菩薩像が漂着し、これを祀った金光寺を難波の地に建てたのが始まりで...
賤ヶ嶽:岡田秀文 総合:★★★★★(太閤殿下の魅力度:★★★ 話の面白さ:★★★) 時代小説とか歴史小説は史実の解釈が関わってくるので作者との相性が大事だと思っています。真実は誰にもわからないので。その点、岡田先生とは相性が良い気がします。 太閤殿下好きにはたまらない秀吉像です。とにかく、頭がよい天下人としての秀吉の魅力がたっぷり。 中国大返し、山崎の合戦、そしてタイトルになっている賤ヶ岳の戦いまでの話を当事者の視点だけではなくて、周りの武将の視点も混ぜつつ書いていて、読んでいて楽しいです。登場人物たちの秀吉への畏怖と嫉妬、忠義とお家存続に揺れる葛藤をうまく表現していて読んでいて臨場感がありま…
太閤秀吉愛用の手水鉢 所在地:兵庫県姫路市 姫路神社内 太閤との関係:所縁 姫路神社内にある太閤殿下が愛用したと言われる手水鉢 姫路城訪問の際に寄りました。姫路城についてのレポートはまた、追ってアップしたいです!姫路城は世界遺産に登録されているだけではなく、我らの太閤殿下にとっても重要な拠点だった場所!
No59 姫路城 所在地:兵庫県姫路市 城地種類:平山城 築城年代:1580年、1601年 築城者:羽柴秀吉、池田輝政 太閤との関係:居城 世界遺産、国宝の姫路城。秀吉の中国攻めの際、黒田孝高(黒田官兵衛)が居城だった姫路城を献上。その後、秀吉が改修を行い、3層の天守閣等を築いたそう。秀吉の中国攻めの拠点となったお城。太閤殿下以降の城主については省略(笑) 見どころの多いお城ではあるのですが、まずはその見た目が美しいですよね。The お城と言う感じで。姫路城で秀吉に関するエピソードで一番好きなのはやはり、本能寺の変後、備中高松城から軍を率いて引き返した秀吉が、この城で蔵の中の食料・金銀全てを部…
2024年2月6日朝イチに明石城に行き、神戸での打ち合わせと現場視察が終わり、やや時間があったので出張の最後は大阪城に行くことにしました。大阪城といえば、やはり豊臣秀吉。大阪府民の心にも豊臣秀吉が強く刻まれています。しかし、現在の大阪城は歴史上ではやや複雑。豊臣秀吉の時代の天守閣は大坂夏の陣で焼失、その後徳川家が天守閣を造るも落雷焼失、現在の天守閣は昭和6年に府民の寄付金によって復興されました。当時は発掘調査も進んでいなかった為、今残っている大阪城は豊臣秀吉が造ったものと皆思っていたそうです。しかし、実際には秀吉時代の大坂城は江戸幕府に埋められて新たな巨大城郭に変貌を遂げました。つまり、現在見ることのできる櫓も石垣も、全て徳川が造ったものになります。徳川期の石垣の上に豊臣期の天守閣を復興した形になります。...大坂城@大阪府
【豊国神社】京都の出世、仕事運のパワースポットに行ってきました!
豊国神社はどんな神社?豊国神社とは、京都府東山区にある神社です。豊臣秀吉(とよとみひでよし)が祀られています。豊臣秀吉は、農民の子として生まれながらも最終的には天下人まで出世しており、それにあやかって出世のご利益が得られると言われています。
徳川家康(12)華厳の巻!家康決意の上洛へ…そのとき家臣は?秀吉は?そして茶々は?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、徳川家康(12)華厳の巻!家康決意の上洛へ…そのとき家臣は?秀吉は?そして茶々は?です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌など
さてさて…昨日、天神さまのことを記事にしたけれど…まぁ我が家のイヌのこととか完全プライベートなもの以外は下調べをしてから書くんだけどね… そうしたら…京都の北…
豊臣秀吉と徳川家康。この二人に微妙に絡む松下之綱。この3人の関係性を知るには、鎌倉時代まで遡らなければならない。 歴史は単純じゃない。血脈を知らないと理解出来ないことがたくさんある。 全ての事象に歴史的な意味がある。人の縁は実に不思議だ。
第六十九候 1/15〜1/19 雉始雊 きじはじめてなく 雉が初めて鳴く時期 冬の日や湧き出る清き醍醐水 ツアー4回目最後は京都市にある第11番札所 上醍醐寺(世界遺産) ご本尊は准胝観世音菩薩 貞観16年(874)に、聖宝理源大師によって開創 豊臣秀吉が慶長3年(1598)に行った「醍醐の花見」のお寺です 何度か焼失しましたがそのつど再建されました 現在は平成20年8月の落雷が原因による火災によりお堂が焼失したため、下醍醐・伽藍内の観音堂に、准胝観音を安置し、参拝、納経、朱印を受けているそうです 国宝・三宝院唐門(からもん)。豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」の翌年、慶長4年(1599)に造られ…
平安京大内裏の蘭林坊があったところ(上京区土屋町通出水上る東側)は、豊臣秀吉の聚楽第があった時代には、豊臣秀勝の邸宅があったと推定されています。豊臣秀勝没年:天正13.12.10(1586.1.29)生年:生年不詳安土桃山時代の武将。織田信長の4男で,羽柴(豊臣)秀吉の養子。通称於次。生年は定かではないが,天正10(1582)年の秀吉書状に於次は「十五六」とあることから永禄11(1568)年ごろの誕生と思われる。養子となったのは天正5,6年であろう。当初は長浜城の留守にあったが,同10年3月以降は秀吉と共に中国地方を転戦し,山崎の戦にも従軍。秀吉が大徳寺で行った信長の葬礼では秀吉と共に喪主を務めた。同年10月丹波亀山城主となり従五位下丹波守に叙任,次いで正四位侍従。同11年の賤ケ岳の戦,翌12年の小牧・長...聚楽城武家地豊臣秀勝邸跡伝承地(京都)
2023年12月12日大阪から再び京都へ。淀城に行くか、二条城に行くか悩みましたが、時間もあるのでゆっくり伏見城を目指すことにしました。伏見城は豊臣秀吉が隠居後の城として築城したのが始まりとされています。伏見城は戦国時代に歴史のキーポイントとなる城ですが、城としては不運な運命でもありました。元は豊臣秀吉の隠居城としての計画でしたが、息子の秀頼の誕生により天守を持つ本格的な城郭に整えられました。初代の伏見城を指月伏見城と呼びます。しかし1596年に慶長の大地震により築城中に倒壊。この場所が城地に向かないと判断した秀吉は、現在の明治天皇伏見桃山陵になっている、伏見木幡山に移して新たに築城しました。この時代の伏見城を木幡山伏見城と呼びます。当時は最新技術を集結した五層の豪華絢爛な大天守が建っていたようです。また...伏見城@京都府
#535 まとめ 下賤の身から天下人へ『新史 太閤記』について
司馬遼太郎先生が秀吉を主人公にそのなりあがりを描いた小説『新史 太閤記(上下) 合本版(新潮文庫)』の全体を通してのレビューと大河との比較司馬遼太郎先生による…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 113.徳川家康・百壱
「外様」とは、本来、主家とは、緩い主従関係を持った、家臣を意味する。 江戸幕府での外様大名とは、関ケ原の戦い後、徳川家康に従った、豊臣家の大名である。 外様…
赤塚の戦い 織田信秀の死後、信長が家督を継いだことから、1552年鳴海城の城主・山口教継(のりつぐ)とその子・教吉(のりよし)が、今川方に寝返る。山口教吉が守る鳴海城に向け、信長は軍勢800で出陣し、中根村(名古屋市瑞穂区)、小鳴海(名古屋
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 112.徳川家康・百
淀殿の真意は、不明であるが、豊臣家を滅ぼすまで、降伏しなかったのは、自分自身が、「天下人」の「母」としての地位に執着したのかもしれない。 また、大阪城に集結…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 111.徳川家康・九十九
織田家が、豊臣秀吉の天下を受け入れ、豊臣政権、江戸時代を生き延びたのに対して、豊臣家は、徳川家康に滅ぼされた。 徳川家康は、豊臣秀吉の死の時点では、豊臣家を…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 110.徳川家康・九十八
羽柴秀吉は、中国大返しによって、明智光秀に勝利し、主君の織田信長の仇を討った。 織田信長には、嫡男の信忠の他に、次男の信雄及び、三男の信孝を始め、信秀、長次…
三顧の礼!三国志孔明由来、意味現代語訳、史実使い方わかりやすく
三顧の礼は、三国志の蜀漢の昭烈皇帝劉備が、諸葛亮を三度も訪れて軍師に招いたことが由来です。 諸葛亮は ...
歴史人「大坂の陣12の謎」!家康の狙いは?淀君は悪女か?秀頼は秀吉の子か?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、歴史人「大坂の陣12の謎」!家康の狙いは?淀君は悪女か?秀頼は秀吉の子か?です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や
#526 レビュー 秀吉、信長の下でなりあがり『新史 太閤記 前編』 司馬遼太郎
大坂の陣を題材にした司馬遼太郎先生の小説『新史 太閤記(上)(新潮文庫)』を読みました。『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』と比べてどうかレビューしたい…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 109.徳川家康・九十七
木下藤吉郎として、織田信長に仕え、羽柴秀吉として、大名になり、豊臣秀吉として、天下統一を果たした、豊臣家は、秀吉の死の十七年後に、遂に滅亡したのである。 既…
#過去の振り返り 2023大河ドラマ『どうする家康』に備えて、年末年始に読む本
みんなの回答を見る2023年の『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』を楽しむにあたって読んだのが、司馬遼太郎の歴史小説などの種本といわれる徳富蘇峰による『…
徳川家康(11)竜虎の巻!石川数正出奔す…家康と秀吉、白熱する駆け引きの行方
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、徳川家康(11)竜虎の巻!石川数正出奔す…家康と秀吉、白熱する駆け引きの行方…です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感
福島正則公像 福島正則公像 福島正則(1561‐1624) 尾張清洲城主、安芸広島城主、のちに信濃川中島4万5千石(高井野藩)に改易。尾張国海東郡二ツ寺村(現在の愛知県あま市)に生まれる。母が秀吉の叔母であった縁で、秀吉の近習に取り立て
#347 第30回「新たなる覇者」感想~大河ドラマ『どうする家康』
一気に天正壬午の乱に、秀吉と勝家の主導権争いを終わらせて家康の前に新たに羽柴秀吉が立ちはだかることになる2023.08.06の大河ドラマ『どうする家康』の第3…
Vtuberパチスロで負ける!! 攻略法使用であそべるパチスロ台
真天下布武はブタエナ向き?この台不人気で放置してたけどこの台・・ブタエナる向け(゜ロ゜)ホールにあるなら遊んでる方を狙う秀吉は奥方ロリロリなのでロリコン?出ないですよ弱中ATが多いよ通常ジャグラーのように運で遊ぶのがパチスロ不人気アイドルマスターなど遊んでる
#357 第31回「史上最大の決戦」感想~大河ドラマ『どうする家康』
家康対秀吉、最初で最後の直接対決の2023.08.13の大河ドラマ『どうする家康』の第31回「史上最大の決戦」について見違えるような覇気をまとった戦国の英雄、…
今村翔吾「八本目の槍」!三成はなぜ戦ったのか?七本槍だけが知る三成の本当の姿
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、今村翔吾「八本目の槍」!三成はなぜ戦ったのか?七本槍だけが知る三成の本当の姿です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想
#367 第32回「小牧長久手の激闘」感想~大河ドラマ『どうする家康』
ついに直接対決の2023.08.20の大河ドラマ『どうする家康』の第32回「小牧長久手の激闘」について徳川四天王勢ぞろい!距離が離れる石川数正勝負のカギは、織…
#373 第33回「裏切り者」感想~大河ドラマ『どうする家康』
小牧・長久手の戦い終わって、あの石川数正出奔事件を描く2023.08.27の大河ドラマ『どうする家康』の第33回「裏切り者」について秀吉との交渉役で一人徳川家…
かつて方広寺の大仏の台座があったとされているところは、「大仏殿跡緑地公園」として整備されています。中央の盛り上がったところに、大仏が安置されていたそうです。 大仏殿跡緑地 かつてこの地には、豊臣秀吉が奈良東大寺にならって創建し、その後秀頼が再建した方広寺の大仏殿が、偉容を誇って建っていました。現在の緑地はその中央部にあたり、2000年に遺構の状態を確認するための部分的な発掘調査が実施されました。調査...
ラッキーなことに、車窓観光からおりての観光になった椎根の石屋根倉庫。その後われら一行が向かったのは、万松院でした。万松院。元和元年(1615年)に宗家20代義成(よしなり)が父義智の冥福を祈って創建した寺で、以降、宗家累代の菩提寺となりました。このブログで何度もお世話になっている「長崎しま旅行こう」HPにそう書いてあるように、対馬を明治まで治めた宗家の菩提寺です。HPや観光マップをみると、なんだか山の中にある...
#381 TVメモ『どうした?石川数正~なぜ家康の忠臣は出奔したのか~』
大河『どうする家康』で徳川家を出奔し秀吉の臣下となった石川数正の2023年8月30日放送の『どうした?石川数正 〜なぜ家康の忠臣は出奔したのか〜 - 英雄た…
#382 石川数正出奔に揺れる徳川家 from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
石川数正が出奔した8月27日の大河ドラマ『どうする家康』、徳川家中の反応を信濃国小諸城の大久保忠世について、弟の大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三…
#385 第34回「豊臣の嫁」感想~大河ドラマ『どうする家康』
小牧・長久手の戦いのあとも緊張の続く中での秀吉の妹が家康の正室となる大河ドラマ『どうする家康』の第34回「豊臣の嫁」について瀬名と信康の誓いから解放される家康…
有休を使い4連休を作り、2泊3日で浜松観光を楽しんできました。旅行へ行こうとした矢先にコロナが流行し自粛モードへ…しかし当時のブラック企業「RでY・なコーポレーション」でボロボロになりながらもここまで約5年、諦めずに続けてきた500円玉貯金が今へと繋がり、旅行と言う現実になりました。さて、浜松到着時は12時を回った所、事前調査した浜松餃子が食べれるお店、五味八珍でさっそく餃子を頂きました。美味しい!!! 浜...
#386 小牧・長久手の戦い from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
家康と秀吉が激突した「小牧・長久手の戦い」について、大河ドラマ『どうする家康』では8月13・20日と繰り広げられていました。それを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 88.徳川家康・七十六
方広寺鐘銘事件は、バカバカしい程の徳川家康の言い掛かりであるため、本項において、簡略化して説明する。 方広寺は、京の大仏と呼ばれ、豊臣秀吉が、発願し、建設さ…
「泣かぬなら~○○○○ほととぎす~」。詠んだ人の性格を表すと言われている有名な句です。詠んだのはもちろん、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、そして柴犬ですね。
#392 TVメモ『家康VS秀吉 どうする家康コラボスペシャル(前編)』
大河『どうする家康』で小牧・長久手で戦火を交えた徳川家康と羽柴秀吉の特集『家康VS.秀吉 どうする家康コラボスペシャル(前編) - 歴史探偵 - NHK』の…