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1.犬山城の沿革犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537)に木下城を移して築城したと伝えられています。こののち江戸時代初期にかけて城主はめまぐるしく入れ替わりました。天正12年(1584)に小牧・長久手の戦いの際には、緒戦で
~この日本に元の大軍が二度(文永の役1274年/弘安の役1281年)まで侵略を 仕掛けてきたが、いずれとも失敗に終わった~ 「元寇」あるいは「蒙古襲来」ともいうこの出来事に対して、日本人が持つ平均的な イメージはこのくらいのものかもしれません。 しかし、これを間違いとする...
どうする家康いよいよ佳境に近づいて来ました。今までにないストーリーではありますが、毎回楽しみに見ています。国宝松本城は立地といいとても綺麗なお城です。アルプスを背景とした景色は絶景です。お堀に白鳥が泳いでいる様はヨーロッパ的な印象もあります。どうして裏切った⁉️交渉役として板挟みになったのでしょう。プラス秀吉の人たらしの上手さでしょうか?とは言え、実際に松本城の城主になったのですから秀吉はちゃんと厚遇しました。宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。水彩画シャンティー城🏰-リタイアじーじの徒然絵日記パリ近郊にあるシャンティー城です。パリからすぐにいける立派なお城です。いつも観光客で一杯でした。この構図、日本のどこかの会社のCMで使われている構図と良くにていま...gooblog富山城...どうする家康石川数正国宝松本城
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜1週、番組がお休みだったねってことで第35話の感想ぉ〜!家康がついに秀吉と対面。対面の前日に会いにきた秀吉…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 60.徳川家康・四十八
豊臣秀吉の直轄領は、太閤蔵入地と呼ばれたが、畿内及び、九州に二百二十万石である。 即ち、徳川家康は、天下人であり、主君の豊臣秀吉を超える、大大名になったと言…
【どうする家康】#35 母も弟も恐れる「欲望の怪物」秀吉、家康は太刀打ちできるのか
欲望底無しの秀吉 NHK大河ドラマ「どうする家康」第35回「欲望の怪物」が9/17に放送された。前回までに家康は、秀吉を認めて自らの天下取りを諦めた。他の人が戦の無い世を実現してくれるのならそれでいい、それを支えようと方向転換した。 しかし、秀吉の欲望は底無し。天下統一後も海外へ食指を伸ばそうとし、戦を止める考えはない。このドラマでは「海外進出が信長の夢だったから夢を継ぐ」ではなく、「まだあんなにあるじゃん」的な、食べ物は食い尽くさなければ満足しない、自分の欲にどこまでも正直な人物として秀吉を描くようだ。 ムロツヨシの秀吉は表向きひょうきんでもあり裏には底知れぬ怖さもあり、それを声音でコントロ…
高台寺御朱印 参拝日:令和5年(2023年)3月15日 拝観時間・拝観料 アクセス 清水寺から産寧坂(三年坂)・二寧坂(二年坂)を通って高台寺の登る坂に来ました。 八坂の塔と京都タワーが見えます。 庫裡 庫裡の左手に拝観受付が有りその横に御朱印受付も有りましたのでこちらで御朱印を頂きます。 朱印料は300円でした。(2023年3月現在) 遺芳庵 観月台と開山堂 小方丈は工事中でした。 方丈に上がり波心庭を拝見します。 残念ながら枝垂れ桜は時期的につぼみが固そうです。 勅使門 奥には霊山観音が見えます。 開山堂に向かいます。 開山堂 霊屋(おたまや)に向かいます。 霊屋(おたまや) 内陣右側の厨…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 59.徳川家康・四十七
蟄居中の北条氏直は、富田一白と津田盛月を通し、徳川家康に対して、赦免の執り成し依頼を行っている。 翌年の1591年(天正十九年)2月、早々に徳川家康を通して…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 58.徳川家康・四十六
しかし、北条氏政が、講和条件を拒否したために、豊臣秀吉が、黒田官兵衛孝高に命じ、交渉に当たらせた。 6月16日、北条氏政の重臣であった、松田憲秀の長子の笠原…
評価:85点/公開:2017年/米国/ジャンル:アメコミ/監督:タイカ・ワイティティ 2011年の『マイティ・ソー』、2013年の『マイティ・ソー~ダーク…
天正14年(1586年)10月14日、浜松を発って上洛の途についた徳川家康は、同月20日に岡崎で大政所の到着を見届け、同月27日に大坂城にて豊臣秀吉と対...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 57.徳川家康・四十五
浅野長政は、5月20日時点で、豊臣秀吉の命に従って、急ぎ軍を返すと、武蔵国方面に侵攻しており、寿能城及び、岩付城を攻めた。 5月21日時点にて、浅野長政は、…
まだ寺の小僧だった石田三成と、豊臣秀吉が出会った場所とされている観音寺まで足を延ばしてみました。三成の出生地・石田よりバスで米原方面に向かい、観音寺下車。観音寺は、もとは伊吹山中にあり、僧三修が開いた伊吹四大寺として隆盛を極めていましたが、13世紀に山を降り、現在地に移ったとされています。堂宇は正徳5年(1715)に再建の本堂(国の重要文化財)、薬師堂、鐘楼、山門などからなります。当寺は、鷹狩で立ち寄っ...
石田会館に向かう道を左に曲がると、八幡神社があります。石田神社とも呼ばれ、本殿の裏に石田三成一族と家臣の供養塔があります。 本殿 三成の辞世の歌「筑摩江や 芦間に灯すかがり火と ともに消えゆくわが身なりけり」三成の自筆による歌「残紅葉 散り残る紅葉はことにいとおしき 秋の名残はこればかりとぞ」 墓石出土跡昭和16年まで、石田家に関係があると思われる墓石(関ヶ原の後、この地の人が、徳川方の追及を逃れる...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 55.徳川家康・四十四
松井田城主で、北条氏累代の重臣、大道寺政繁は、北方軍を碓氷峠で、迎え撃ったが、与良が、真田勢の先方の真田信幸隊に打ち取られた。 主力は、真田軍と激戦になった…
お延暦寺を訪問するのは2回目ですが、一回目は若い時でほとんど印象がありませんでした。あまり仏教とか歴史に興味がなかったからだと思います。今回の訪問の印象はとても違ったものでした。一番印象に残ったのは、あちらこちらにある巨木とそのなかに点在する歴史的建築物、現在工事中の根本中堂、不滅の法灯とご祈祷を見るにつけ感動いたしました。森の中の道でお堂を回っていると何か心が洗われるような気がしました。西塔の釈迦堂です。比叡山焼き討ちの後、秀吉の命により三井寺より移築したものだそうです。巨木に囲まれており、清々しい気持ちになりました‼️宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。三井寺金堂国宝-リタイアじーじの徒然絵日記三井寺に行って詣りました。学生のころ、古文で三井寺詣りという表現があったことを思い...世界文化遺産延暦寺釈迦堂重要文化財
バス停石田から石田会館とは反対の方向、北へ進み、民家の間に挟まれた道を行くと、石田三成産湯の井戸があります。石田三成の死後、400年の記念事業で、平成12年に復元されました。 三成は、1560年、近江国坂田郡石田村で生まれました。父・正継は、「村の武士」といわれる土着の豪族で、京極家や、浅井家に仕えた後、帰農したとされています。三成は、三男として誕生、幼名は佐吉。長兄は早世し、次兄・正澄は、三成と前後して、...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 55.徳川家康・四十参
北条軍は、伊豆の南端の下田城を防衛線として、水軍を集結させていたため、西伊豆の諸城砦には、少数の陸戦部隊しか、配置していなかった。 同年の3月1日、豊臣秀吉…
石田三成生誕の地(1)秀吉と三成出逢いの像~石田三成の屋敷跡
次回9月17日の「どうする家康」予告を見ると、いよいよ石田三成が登場するようです。そこで、過去の記事より、「石田三成生誕の地」を紹介します。長浜駅を降りると、駅前に「秀吉と三成出逢いの像」があります。長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩の途中に観音寺(米原市朝日町)へ立ち寄りました。汗をかいた様子の秀吉公を見た寺小姓の佐吉少年は、大きな茶碗にぬるいお茶をなみなみと持ってきました。秀吉公がもう一杯頼むと、少年...
三井寺の境内はとても広大かつ多数の歴史的建築物が建っております。そのなかで特に目を引くのが三重塔です。重要文化財ですが、秀吉が奈良吉野から伏見城に移築していたものを家康が更に三井寺に移築したものだそうです。手前が一切経蔵でこちらは毛利輝元が山口から移築したものだそうです。中は書庫になっていました。広大な境内、残暑の中大変でしたが、途中に冷房の利いた現代建築の文化財修蔵庫で仏像等の展示があり助かりました。宜しければポチお願いします。にほんブログ村過去の投稿記事です。色鉛筆初詣-リタイアじーじの徒然絵日記日本では、正月の初詣は大事な習慣です。パリでは、初礼拝は大事かな?そんな話聞いたこと無いので、その様な習慣はないのかな⁉️初詣行かれましたか?初詣行かれた方ポチお...gooblog色鉛筆世界遺産天龍寺庭園-...三井寺三重塔と一切経蔵
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜数正さん、出奔してちゃって大変だぁ…ってことで第34話の感想ぉ!家康の元を出奔し、秀吉に仕えることになった…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 54.徳川家康・四十弐
11月24日、豊臣秀吉は、北条氏との手切れ書を北条氏及び、諸大名に配布した。 同日の豊臣秀吉から、徳川家康への書状では、来春の出陣決定と陣触れを出したことを…
8月29日に「秀吉時代の遺構が残る竹生島の宝厳寺」の記事を掲載しましたが、社殿修復前の2011年訪問時の褪せた色の社殿の画像でした。先日、滋賀県在住の友人が、竹生島を訪問し、宝厳寺の修復後の画像を送ってくれましたので、改めて鮮やかな色彩の宝厳寺の記事をアップします。竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より、「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 53.徳川家康・四十壱
豊臣秀吉は、北条氏政、徳川家康から事情聴取を行い、沼田領内の三分の二を北条氏政、三分の一を真田氏とする、譲歩に近い裁定を行った。 豊臣秀吉は、北条氏の当主の…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 52.徳川家康・四十
1586年(天正十四年)11月1日、徳川家康は、京へ上ると、11月5日、朝廷に正三位に叙される。 この時、多くの徳川家康の家臣が、叙任されている。 徳川家康…
どうする家康 第34回「豊臣の花嫁」 ~天正大地震と朝日(旭)姫の輿入れ~
石川数正の調略に成功した豊臣秀吉は、対徳川家康対策をふたたび強硬姿勢に転換、東に兵を向けます。一方の徳川方も、数正出奔を機に軍制を武田流に改める改革を行...
石川数正は、徳川家康の片腕として酒井忠次とともに活躍しましたが、小牧・長久手の戦いの後に突如出奔、豊臣秀吉に臣従しました。出奔の理由は、「豊臣家との和睦派として家中で孤立を余儀なくされた」「秀吉に調略された」「松平信康の後見人を務めていたため、天正7年(1579年)の信康切腹事件を契機に家康と不仲になっていた」「徳川家のために犠牲となった形で投降したふりをした」など諸説ありますが、はっきりした理由はわ...
先日紹介した、大阪商工会議所(大阪市中央区本町橋)敷地内の #若宮商工稲荷神社。あらためて参拝し、お口の中にあるという #勾玉 を確認しにあらためて参拝してきました #阿吽(あうん)#豊臣秀吉 目次 若宮商工稲荷神社 狛犬さん 狛犬さんのお口の中を拝見 狛犬さんのオスとメス・考 本文 若宮商工稲荷神社 狛犬さん www.zero-position.com タテに細長い境内参道脇のユニークな狛犬さんの、口の中の勾玉を拝見しに、再度、参拝してきました。 若宮商工稲荷神社 狛犬さん(右側の狛犬さんの口の中に勾玉) 商工会議所ができる前の若宮稲荷神社(大阪市HPから) よくよく考えてみると、狛犬さんは…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜小牧長久手の戦いの後から始まったねってことで第33話の感想ぉ〜!今回は悩める石川数正が主役でしたね。秀吉と…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 51.徳川家康・三十九
1586年(天正十三年)11月29日、日本列島中央部を「天正大地震」が襲った。 被害は、甚大であり、中部、東海・北陸の広範囲に及んだ。 地震発生の際、豊臣秀…
天正14年(1586年)に入ると、豊臣秀吉は織田信雄を通じて徳川家康の懐柔を試み、妹の旭姫を正室として岡崎城に送りました。 しかし、一向に上洛の気配を見せない家康に対し、今度は母の大政所を旭姫の見舞いとして、岡崎に送りました。さすがの家康も上洛に応じざるを得ず、ついに重い腰を上げ、浜松を出立し、大坂に向かうことに。 この間、岡崎では、鬼作左と呼ばれた本多作左衛門重次が、大政所の世話役を務めました。剛毅...
静岡浅間神社から5分ほど北に行ったところに瑞龍寺というお寺があります。1560年(永禄3年)、能屋梵藝によって開山され、徳川家康が居城を駿府城に定めた際に寺領が与えられました。天下取りを目指した豊臣秀吉は、家康と同盟関係を築くため、天正1586(14)年、自分の妹である旭姫を、夫の佐治日向守(さじひゅうがのかみ)離縁させ、 築山御前の死後、正室を持たなかった家康に嫁がせました。同年、旭姫は、家康と共に浜松城から...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 50.徳川家康・三十八
1586年(天正十三年)1月2日、徳川家において、主君の徳川家康に次ぐ、筆頭家老の重臣である、石川数正が、出奔し、羽柴秀吉に帰属する、事件が発生した。 石川…
天正地震は、天正13年11月29日に日本の中部地方で発生した巨大地震です。震源や地震の規模には諸説ありますが、揺れの範囲などから見てM8.0級の巨大地震だった可能性もあり、近江の長浜城や美濃の大垣城は全壊、尾張の清洲城も半壊するなどの被害に遭いました。これにより、豊臣秀吉方は、大きな被害を受け、計画していた徳川討伐の計画を取りやめることになり、徳川方と講和への方向に傾いていきます。秀吉は、妹の旭姫を家康...
<RC造り復興「大坂(大阪)城」> 徳川時代の天守台に建つ秀吉時代の豪華絢爛な外観復興天守
2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。 『<北から南へ「…
<RC造り模擬「岸和田城 天守・小天守」> 五重天守台に復興で建てられた三重三階「天守」
2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。 『<北から南へ「…
2011年9月に滋賀県長浜市の竹生島を訪問しました。長浜港から竹生島クルーズで30分で到着。この日は、朝から雨が降ったりやんだりのあいにくの天気でした。晴れていたら、もっとくっきりと琵琶湖が見渡せたでしょう。「延喜式」式内社の都久夫須麻神社(竹生島神社)と西国三十三所観音霊場第30番札所・宝厳寺があります。明治時代初期の神仏分離までは、宝厳寺が都久夫須麻神社の別当をつとめていました。船着場から祈りの階段と...
小牧・長久手の戦いで思わぬ敗北を喫した羽柴秀吉でしたが、ここからが秀吉の本領発揮。織田信雄をあの手この手で懐柔し、天正12年(1584年)11月11日、...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜昨日アップする予定だったのに、疲れて見てる途中で寝てしまって一週遅れたねって第32話の感想ぉ〜!羽柴秀吉軍…
大阪城は、天正11年(1583)、石山本願寺跡に豊臣秀吉によって築かれ、豊臣氏の本拠となりました。豊臣氏滅亡後は、徳川幕府によって再建され、現在は、「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されています。豊臣時代の大天守は、外観5層で、鯱瓦や飾り瓦、軒丸瓦、軒平瓦などに黄金をふんだんに用い、奥御殿の内部もまた金銀の装飾に溢れ、大坂城を訪れた大友宗麟は、あまりの豪華さに驚き、「三国無双の城である」と称えたといいま...
<RC造り模擬「伏見(桃山)城」> まもなく還暦を迎える”キャスルランド”のモニュメント天守
2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。 『<北から南へ「…
<RC造り復興「福知山城 天守・小天守」>特異な外観が近年見つかった古写真と合致しているのが判明
2023年7月7日から『北から南へ「天守」シリーズ』をスタートさせ、初回の「プロローグ」では「天守」についてのエピソード等をお話をしました。 『<北から南へ「…
どうする家康 第32話「小牧長久手の激闘」 ~小牧・長久手の戦い(後編)~
天正12年(1584年)3月17日に起きた羽黒の戦いで徳川家康・織田信雄連合軍が大勝利を収めたあと、徳川軍は小牧山城に、羽柴秀吉軍が楽田にそれぞれ陣を布...
群青戦記(ブレイブ)強さランキングTOP15!最強の高校生は誰?
笠原真樹が描く人気漫画『群青戦記』。『ブレイブ -群青戦記-』として映画化もされた本作のキャラ最強ランキングTOP10を紹介します。不破や戸田といった高校生アスリートの強さも考察しているのでぜひ読んでみてください。
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜唯一の直接対決への序曲だねってことで第31話の感想ぉ〜柴田勝家を討ち、さらに大きくなる秀吉。そうなると家康…
【若宮商工稲荷神社】口に勾玉を含みイカれた目のユニークな狛犬さん【五代友厚】【豊臣秀吉】
オフィス街にある #大阪商工会議所 敷地内の #若宮商工稲荷神社。会議所の歴代会頭の像が建っている所の階段の奥にひっそりと鎮座。他で見たことがないユニークな #狛犬さんは一見の価値 目次 五代友厚公の像 若宮商工稲荷神社 個性的な狛犬さん 境内と御本殿 本文 五代友厚公の像 (34.6841524, 135.5112243/大阪市中央区本町橋2−8/大阪商工会議所敷地内) 薩摩の人で、明治期、大阪の経済発展の礎を築いた五代友厚公は一番左。 朝ドラ「朝が来た」で、ディーン・フジオカさんが演じて、よく知られるようになりましたね。 大阪商工会議所 初代・七代・十代会頭像(左の初代は五代友厚公像) 市…
どうする家康 第31回「史上最大の決戦」 ~小牧・長久手の戦い(前編)~
越前北ノ庄城にて柴田勝家を滅ぼした羽柴秀吉は、織田信長の後継者として日増しに勢力を強めはじめます。勝家とともに秀吉と対抗していた信長の三男・織田(神戸)...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜見るのも感想も1週遅れたなってことで第30話の感想ぉ〜!『本能寺の変』の後、『山崎の戦い』で明智光秀を討っ…
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その3 ~賤ヶ岳の戦い、越前北ノ庄城の戦い~
「その2」のつづきです。清洲会議以降、決定的な対立関係となった羽柴秀吉と柴田勝家。もはや天下を視野に入れた秀吉にとって勝家は邪魔な存在であり、一方の勝家...