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<平福陣屋・利神(りかん)城>の”城門”を巡るー利神城廃城後の御殿邸門と陣屋代官支配時の門が残る
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<船上(ふなげ)城>の”城門”を巡るー明石城前に移築された”織田家長屋門”として残る
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<姫路城(9)>の”城門”を巡るー太鼓門脇に建ち上山里丸への入口となっている”りノ門”
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<姫路城(2)>の”城門”を巡るー”菱ノ門”を潜ると高麗門形式の”いノ門""ろノ門”が並び建つ
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<姫路城(1)>の”城門”を巡るー三の丸の出入口に建つ立派な復元”大手門”
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
今日は 三河国 にある 吉田城 を少し紹介します。 場所は豊橋市の国道1号線と豊川の交差する場所に位置しており、この豊橋と言う地名は明治以前まで吉田と言われていたそうです。 この城の起源は、永正
岡山城が改修されて以降、今まで訪れる機会がありませんでした。昨日、セッキー(関戸健二)のカレーをいただいた後、店から歩いて行きました。近いですからね。天気は下り坂でしたが、この時はまだ降っていませんでした。岡山城は最近ではお城の特集番組で何度か紹介されたので、結構人気が沸騰しており凄い人出になっていました。入場券売場は外まで続く長蛇の列でしたが、私には必殺の秘密兵器があります。それは、65歳以上の岡山市民は無料で入れるという、シルバーカードの特典です。いやあ、歳はとってみるもんだ(笑)という訳で、長い行列を横目にすんなりと入場できました。日頃、年寄とは気づいていませんが、たまには良いこともあるもんですね。岡山城は六層の大天守を有する巨大な城で、岩盤の形状をそのまま生かす作りになっている為、途中階までは五角..."新"岡山城観覧~金烏城~が綺麗になっていた!
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 87.徳川家康・七十五
豊臣家は、江戸の武家政権に対して、特別の地位を保持していた。 実質的には、徳川家の支配下には、編入されておらず、関ヶ原の戦い後に、西国に配置した、東軍の大名…
前のブログ記事で紹介した岡山市の オリエント美術館 に行って来ました。 写真撮影がダメだったので、展示品は紹介できません。 本展は、奈良の 天理大学 の所蔵品で構成されている。 本展は、昨夏、東京池袋の 古代オリエント博物館 で開催されていた! マルコポーロは、帰国後、ジェノヴァとの戦いで捕虜となり、投獄中に口述筆記してもらったものが「東方見聞録」とのこと。へぇ~。 ついでに 岡山城 へ 下の写真のように、岡山城 の外壁は黒塗りの下見板で覆われているので、別名「 烏城(うじょう)」と呼ばれています。 現在の岡山城天守閣は、昭和41(1966)年に鉄筋コンクリート・エレベータ付きで再建されたもの…
岡山市北区丸の内にある、岡山城の続きです。烏城カフェで、ピーチフロートと、コーヒーを楽しんだ後、展示物を見学しました。たくさんの観光客が来ていたので、全ては撮影出来ていないです。また、展示物の詳細は記録していないので、写真だけになります。体調が悪いので、
今日の城は【三河国】田原城 を紹介したいと思います。 場所は愛知県の田原町にあって、当時はここを拠点に渥美半島から三河湾の支配を睨んで、文明12年(1480)に 戸田宗光が築城したのが起源だそうです
「まちさんぽ 歴史編~御城印・御史跡印を集めようキャンペーン~」
こんにちは、一度はお城に住んでみたいカピバラです先日、歴史好きなオコジョさんから、「あいちの史跡をめぐって御城印・御史跡印を集めよう!」という素敵なキャンペーンについて教えてもらいました今日はそのキャンペーンについてご紹介します。御城印・御史跡印キャンペ
今回はいよいよ【播磨国】姫路城 の登場であります! もうここにおいては城をあまり知らない方でも聞いたことがあるくらい有名な城で、今や国宝のみならず世界遺産にも認定されています。 以前に紹介