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ハワイ州観光局「ハワイスペシャリスト」フリーアナウンサー/タレント・伊藤嘉奈子です。YouTubeやってます!チャンネル登録してね平等院に行ってきました平等院…
読書記録:源氏物語(1)A・ウェイリー版[紫式部]何度も紹介していますが、1925年、ちょうど100年前に独学で英語翻訳された源氏物語を、日本語に戻し翻訳された、ちょっと不思議でエキゾチックな源氏物語。こ..
蟹黄豆腐羹 山中一男先生 出来ればご声援お願いいたします m(__ __)m 周瑜 (トニーレオン)と孔明 (金城武の)共演ひかれた古箏(3千年前からある) 7絃です。 題名は広陵散 ,この曲のアレンジで 源氏物語で光源氏が弾いた箏がこれだそうです 赤壁は208年 1800年も前の史実ですこれはスープと中にあるお豆腐の熱さ...
【芸能の在る処】 〜伝統芸能入門講座〜「旅する編」終わりました!
こんにちは。京都の朗読家 馬場精子です。ブログにお越しくださいましてありがとうございます。15日土曜、時々小雨も降る中、木ノ下裕一さんが案内をされ、私が各所で…
「源氏物語」の光源氏と藤壺は相思相愛なのか 原作ではそう思えないが「あさきゆめみし」は相思相愛として描いた
「あさきゆめみし」第1巻、第3巻 「源氏物語」のテーマのひとつは「女性の生きづらさ」 紫式部の名作「源氏物語」は、登場人物が悩み、苦しむ。一夫多妻社会での「女性の生きづらさ」はテーマのひとつだ。「女は男の浮気に黙って耐えないといけないのか」「愛人の1人として競争に巻き込まれたくない」といった心の叫びが描かれる。 私が一番好きな登場人物は、雲居雁(光源氏の息子・夕霧の妻)。 夕霧の浮気を責め、怒って実家に帰る姿は痛快だ。夕霧と雲居雁は、子どもの頃から互いに惹かれ、困難を乗り越えて結ばれた夫婦。それだけに、雲居雁が「私なんか、もう飽きてしまったの?」とひそかに悲しみ、夕霧の前では、強気な態度を取り…
「源氏物語の時代」(山本淳子著)を読んで考えた ビアンカ・フローラ論争~定子と彰子~清少納言と紫式部
「源氏物語の時代」 ビアンカ・フローラ論争 幼なじみで活発なビアンカか、富豪の令嬢でおしとやかなフローラか──。テレビゲームソフト「ドラゴンクエストV(ファイブ)」に花嫁選びイベントがある。どちらを選ぶべきか、1992年の発売から30年以上を経た今も、ネット上で論争が続く。 「フローラを選ぶべきよ。私のことは心配しないで」と、遠回しに気を引くビアンカを、けなげとみるか、ウザいとみるかは、論点のひとつだ。 フローラは、言動が乏しく、影が薄い。選択の前日夜も早々に寝ていて、悩みはなさそうに見えた。ただ、「主人公との縁談が進んでいたのに、ビアンカの恋心を察して、花嫁選びを提案した。思いやりがある」と…
現役時代、興味があったけど仕事に忙殺されて、なかなか踏み込めないでいた書物がありました。 「いづれの御時にか~」で始まる、平安時代に生きた紫式部という女性が書き綴った長編小説。「源氏物語」 原文を読破するにはとても至難の業なので、まずは現代語訳を読もう・・。 現代語訳にされ...
1006年(寛弘2年)12月29日、または、1007年(寛弘3年)12月29日に中宮の彰子の女房として、仕えたのが、日本史上、否、世界史上最古の長編小説、『…
紫式部と同じ時代を生きた「源氏物語」光源氏のモデルの一人でアラサーになって京都から宮城に来た“超イケメンな実力派・天才歌人”和歌の才能に優れ、中古三十六歌仙に選ばれた一人。職務をしながら様々な歌枕(和歌に多く詠まれる名所)を訪ねて回った。
[sales data]1987/11/12[producer]細野晴臣紫式部 源氏物語 O.S.T1985年に立ち上げた自身の「ノン・スタンダードレーベル」と「モナドレーベル」はF.O.Eのセールスが不発で、発展継続が難しくなりエピックに移籍しての第1弾。2024年 NHK 大河「光る君へ」は紫式部のドラマでしたが、本作はそのサントラではなく朝日新聞(東京本社)創刊100周年・テレビ朝日開局30周年・日本ヘラルド映画創設30周年記念づくしで1987年に公...
この歳になって・・初めて・・源氏物語・・なんとな〜く・・わかったような
この歳になって 初めて 源氏物語 なんとな〜く わかったような・・・ 昨年のNHK 大河ドラマ 「光る君へ」 で クローズアップされた 平安時代と 源氏物語 昔 むか〜し 高校の授業で 少しかじっただけの 源氏物語 今まで きちんと 読んだこと ありませんでした 実は・・・ 独身時代に 読もうと思って買った この本 ↓ 「グラフィック版 源氏物語」 円地文子著 一度も開くことなく 50年近く 我が家の本棚に💦 なので 物語の概要 さっぱり わかりませんでした で 先日 偶然 図書館で見かけた この本 なんとなく・・・ おもしろそう〜🎵 と 思って借りてきました で 少しずつ 読んでいって やっ…
『源氏物語』は、日本の古典文学であり、女流作家である紫式部(むらさきしきぶ)によって11世紀に書かれた物語です。物語は約54の巻からなり、平安時代の貴族社会を舞台に、貴族たちの愛と人生の模様を描いています。以下に、物語の概要を要約します。 **物語の概要:** 物語は、光源氏(ひかるげんじ)という貴族の男性を中心に展開されます。源氏は第一皇子であるため、父である天皇の関白である頭中将(くびかさのしょ…
長谷寺登廊の傍に一本の杉がそびえ立っていました。何故かとても気になりました。長谷寺が源氏物語で有名なのは、「玉鬘」の巻で、悲運の女主人公の運命が好転する様子を詠んだ歌に、二本の杉が登場するとのこと。残念ながらこの杉ではありませんが、とても気になる木でした。その2本の杉は現存するようですが、見逃しました。残念!!過去の投稿記事です。長谷寺山門-リタイアじーじの徒然絵日記駅からの参道を往くと最後に山門に到着します。自分自身にご苦労さんという感じです。景色が良く気持ち良く歩けましたが、距離は結構ありました。山門は仁王門と言うそうで...gooblog長谷寺登廊2重要文化財-リタイアじーじの徒然絵日記登廊を上から眺めました。ジグザグと本堂まで続く長い登廊です。上からはのどかな風景に癒されました。過去の投稿記事です...長谷寺一本杉
⑤平安の遊び ~偏つぎ~平安時代の遊び「偏つぎ」をしている様子が再現されています。偏つぎとは、主として女性や幼い子が漢字の知識を競い合った文字遊戯の一つ。漢字の旁(つくり)を示して、これに種々の偏をつけた文字を次々と考えさせ、行き詰まると負けになるもの。『源氏物語』では、「葵」の巻で、源氏が紫の君と偏つぎに興じる場面が出てきます。⑥四季のかさね色目に見る平安王朝の美意識かさね色目平安時代には、四季の彩...
日本最古の物語『竹取物語』『竹取物語』は通称で、晴れの場では、『竹取と翁の物語』と呼ばれ、『かぐや姫の物語』とも呼ばれることがあったそうです。『竹取物語』(たけとりものがたり、英語: The Tale of the Bamboo Cutter)は、平安時代前期に成立した日本の物語。「現存する日本最古の物語」とされて、現在では
④女房の日常・局 ~王朝女性の身嗜み・黒髪~平安時代の美人として重視されていたのは、美しい長い髪でした。『源氏物語』に登場する末摘花も、容姿こそ優れていなかったものの、髪だけは長く豊かでした。女房の身嗜み豊かな髪に見せるため、髢(かもじ)をつけた。髢(かもじ)とは、髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪・義髪のこと。平安時代では女性が髪を垂らすためにかもじを補ったとされる...
一度英語翻訳したものを日本語に戻し直した、ウェイリーの源氏物語。翻案好きの私にとっては、妙にエキゾチックなその置き換え具合が、たまらん面白かったのですが。図書館の返却期限が来たので、返してきました。次..
③仏名会・師走(十二月)の年中行事(『源氏物語』「幻」より)「幻」(まぼろし)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第41帖。出家を前にした光源氏の心情を四季のうつろいを通して描く。十二月、六条院で行われた御仏名の席で、源氏は久しぶりに公に姿を現した。その姿は「光る君」と愛でられた頃よりも一層美しく光り輝いており、昔を知る僧並びに出席した貴族たちは涙を流した。晦日、追儺にはしゃぎまわる三の宮を見る...
続いて、平安時代の衣装の展示です。十二単平安時代後期になって成立した晴の女房装束。構成は唐衣,裳,表衣 (うわぎ) ,打衣 (うちぎぬ) ,袿 (うちき) ,単衣 (ひとえぎぬ) ,袴などから成っている。唐衣はその最上衣で,もと中国の唐に発した奈良時代の背子 (はいし) の変化したもの。上半身丈で広袖がつき,地質,色目,文様などによって階級を異にした。裳は表衣の上から腰のうしろ半身だけをおおうもの。奈良時代は裙 (くん...
②王朝文化の粋を競う婚礼仕度・冊子作り~『源氏物語』に記された明石の姫君の婚礼仕度~(『源氏物語』「梅枝」より)源氏物語第32巻「梅枝」光源氏39歳。明石の姫君の裳着と入内の準備などを描いています。入内が決まると、持参品の草子などが集められます。草子「さくし(冊子)」の変化した語。「ぞうし」とも )(紙をとじ合わせて本の体裁にしたもの。書や歌や文章を書いてあってもなくても、冊子の形態をなしたものをいう。①...
市バス「西本願寺前」下車、西本願寺の斜め向かいのビルにある風俗博物館に出かけて来ました。エレベーターが5階に到着しドアが開くと、いきなり平安時代の世界が広がっています。風俗博物館では、『源氏物語』の六条院の館「春の御殿」を4分の1のサイズの模型で作り、人形・調度品・寝殿などで、源氏物語の世界を表現しています。①六條院移徙(『源氏物語』「少女」より)②王朝文化の粋を競う婚礼仕度・冊子作り~『源氏物語』に...
城南宮から徒歩数分のところに鳥羽離宮跡公園があります。伏見区竹田・中島・下鳥羽一帯は、平安時代後期に白河・鳥羽上皇が造営の離宮があり院政を行ったところです。院政のシンボルである鳥羽離宮は、白河天皇の御所として建てられました。白河上皇は、『源氏物語』を好み、光源氏が造営した六条院に触発されて鳥羽離宮を築いたといわれています。すべてが完成したのは、鳥羽上皇の時代になってからのことで、鳥羽殿とも呼ばれま...
宇治の「お茶と宇治のまち交流館 茶づな」のすぐ側に「菟道稚郎子尊宇治墓」(うじのわきいらつこのみこと うじのはか)があります。菟道稚郎子は、名前の「菟道」が山城国の宇治(現在の京都府宇治市)の古代表記とされるように、宇治地域と関連が深い人物である。郎子は宇治に「菟道宮(うじのみや)」を営んだといい、郎子の墓も宇治に伝えられている。郎子については『古事記』『日本書紀』等の多くの史書に記載がある。中でも、...
京都大原の地にて、大蛇伝説と源氏物語とツチノコを追う!…って欲張りすぎ?
本年2025年は巳年、ということで蛇絡みの伝説のひとつでも取り上げておかなきゃいかんだろう、というわけで、本投稿の舞台は京都の大原地区。 タイトルからもご推測いただけると思いますが、まったく繋がりがなさそうな3つのテーマを強引に結びつけて書いたので目次は必須。興味のあるテーマだけお読みになってもOKです、という親切設計(笑) 1.大原に伝わる大蛇伝説 2.ツチノコブームの震源地? 3.伊勢物語と源氏物語 3-1.大原の地にある伊勢物語ゆかりのスポット 3-2.源氏物語との関わり 3-3.「小野」の地名についてまわる神秘的なイメージ 1.大原に伝わる大蛇伝説 大原エリアと言えばおそらく三千院と寂…
10月に予約した書籍が、返却されたので二週間以内に借りに来い。次の予約があるから貸出期間の延長は認めんというメールが届いたので、受け取ってきたのですが。ちょっと年明けからこちら、洒落にならん状態で仕事..
「源氏物語」を生んだ一条朝は、紫式部、清少納言、安倍晴明など、おなじみのスターが活躍した時代。藤原道長が権勢をふるった時代とも記憶されているが、一条天皇は傀儡の帝だったわけえなく、「叡哲欣明」と評された賢王であった。「源 ...
行く年来る年は長谷寺から始まりました。年末に長谷寺、橿原方面に行って来ました。源氏物語由の長谷寺は予想以上に素晴しい所でした。今年の感謝と来年のお願いをしました。2025年が良い年になる事を願ってまいりました。過去の投稿記事です。石山寺参り-リタイアじーじの徒然絵日記紫式部が源氏物語を執筆したとされる石山寺、そしてその多宝塔です。此処は、当時に書かれた~日記によく登場する人気スポットだったようです。~日記は女性に...gooblog斑鳩の小径-リタイアじーじの徒然絵日記法隆寺のある斑鳩は大仏殿のある奈良市からは離れています。観光客も少なく、斑鳩の里の風情をゆっくりと楽しめます。こんな小径を歩きながら、古に想いを馳せることができ...gooblog平等院源氏物語の世界-リタイアじーじの徒然絵日記大河ドラマで...明けましておめでとうございます😊
松尾大社の南400メートルの地に鎮座する松尾大社の摂社である月読神社は、月読尊のみ一柱を祀っています。 斉衡3年(856年)に水害の危険を避けるため、当地に鎮座され、以降周辺に月神信仰が広がったとされています。『源氏物語』には、第4帖「夕顔」、第6帖「末摘花」、第8帖「花宴」など、男女の逢瀬の場面に月が出てきます。神門舞殿拝殿以前、台風の被害があったようです(;_;)解穢(かいわい)の水月延石 神功皇后が筑紫に滞...
華厳寺(けごんじ)は、京都市西京区にある臨済宗の寺院。享保8(1723)、学僧鳳潭8ほうたん9上人が最福寺跡地に華厳宗の再興の為に当寺を創建。慶応4年(1868年)、慶厳が入寺して臨済宗に改められました。『源氏物語』第38帖「鈴虫」では、光源氏が、女三の宮の御殿の庭に鈴虫を放ち、彼女の気を引くという場面が描かれています。八代目住職 台巌和尚が鈴虫の音に開眼し研究を始め、鈴虫を四季を通して飼育しているため、通称「鈴...
宇治川の鵜飼は平安時代からの歴史を持っており、『蜻蛉日記』には、天禄2年(971)奈良の長谷寺に参詣した藤原道綱母が川岸から鵜飼を見物しかがり火を焚いた数え切れぬほどの鵜舟が鮎を捕る様子が記されています。蜻蛉日記(岳亭春信画)平安時代の後期になると、仏教の教えの影響をうけて次第に宇治川での殺生が戒められるようになりました。平安貴族の没落と共に 衰退しましたが、大正なって再興され、現在では宇治の夏の風物...
【源氏物語】三十一帖「真木柱(まきばしら)」簡単あらすじと感想
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の三十一帖「真木柱(まきばしら)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。『源氏物語』三十一帖「真木柱(まきばしら)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届...
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の三十帖「藤袴(ふじばかま)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。『源氏物語』三十帖「藤袴(ふじばかま)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします...
大津・宇治”をかし”の旅(大津編) @2024/12 名古屋
名古屋マダムたちと一日観光!名古屋旅行の一日は、名鉄観光のバスツアーに参加しました。バスツアーは年齢層お高めの名古屋マダムたちが主役です。名古屋に行ったら...
この記事では、全54帖ある超長編『源氏物語』の二十九帖「行幸(みゆき)」のあらすじと主な登場人物を簡単にまとめました。『源氏物語』二十九帖「行幸(みゆき)」は『光る君へ』では何話のどの辺りのこと?についても独自の考察と感想もお届けします。『...
宇治橋の上流に位置する恵心院(えしんいん)は、境内に年中さまざまな花が咲き、「花の寺」として知られています。山号は朝日山。本尊は十一面観音。弘法大師空海によって開かれ、唐の青龍寺に似ていたため、龍泉寺と名付けられたと伝わっています。寛弘2年(1005年)、「往生要集」の著者として名高い恵心僧都源信によって再興され、恵心院と呼ばれるようになりました。源信は、宇治川に身を投げた『源氏物語』宇治十帖のヒロイン...
小御所小御所は、中世より宮中に建てられるようになった御殿で、江戸時代は天皇が幕府の使者、所司代、諸侯などを謁見した所です。上段、中段、下段という畳敷の三室を並べた部分を中心とし、江戸時代には、その四方に板敷の廂(ひさし)をつけた様々な様式に対応できる実用的なつくりとなっていました。明治維新の際、徳川慶喜の処置を決めるための「小御所会議」が開かれた場所としても知られています。御池庭小御所の東側にある池...
【光る君へ】#48 最終回!心広く潔い敗者の倫子様に涙😢 道長が守った泰平の世、まひろはその後の嵐(武士の世)到来を予感する旅へ
ロス決定!初回からのスゴイ仕掛けにも溜息 NHK大河ドラマ「光る君へ」最終の第48回「物語の先へ」が、1週間以上前の12/15に放送された。ずっと見続けたいのに、とうとう来てしまった最終回。ああ・・・そんなに簡単に気持ちが終われないってば・・・12/29の総集編を見ないと終われないな。いや、見ても終われない。ロス決定です。 最終回から1週間後の12/22(日)はちょうど忘年会だったので、「光る君へ」があるはずの時間帯を穴埋めするように放送された「ダーウィンが来た」のスペシャルを呆然と見る必要も幸いなかったが、もう「光る君へ」の放送が無いと思うと、ああ~と心の中で勝手に打ちひしがれてしまった。 …
清涼殿清涼殿は、紫宸殿の北西にある入母屋造、檜皮葺の建物です。 平安時代の内裏においては清涼殿が天皇の居住の場でしたが、天正期に御常御殿(つねのごてん)が造られて以降、天皇の日常生活の場は御常御殿へ移り、清涼殿は天皇の執務と儀式の場となりました。天皇はここで、四方拝、小朝拝、叙位、除目 (じもく) などの公事を行ないました。今の京都御所の清涼殿は、1885年造営されたもので、平安時代の様式をほぼ復元してあり...
正殿の紫宸殿では、高御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)を見学できます。紫宸殿本来は、天皇の私的な在所である内裏の殿舎の一つでしたが、平安中期以降、即位の礼や大嘗祭などの重要行事も紫宸殿で執り行うようになりました。入母屋桧皮葺の高床式宮殿建築。檜皮葺屋根実物模型『源氏物語』第1帖桐壺では、桐壺帝の第一皇子(後の朱雀帝)の元服の儀が催されています。高御座紫宸殿の中央に置かれている高御座は、即位礼...
新御車寄新御車寄とは、大正4年(1915)の大正天皇の即位の礼に際して、馬車による行幸を迎えるために新設された玄関です。天皇の行幸の際には、内裏の南側にある建礼門から出入りされるのが伝統を踏まえて新御車寄も南向きに建てられています。月華門本瓦葺丹塗十二脚門建礼門京都御所の南に位置する正門で、南御門とも呼ばれる檜皮葺切妻屋根の四脚門。天皇が行幸される際や譲位後に上皇となり仙洞御所へ遷御される際に使用され...
諸大夫の間諸大夫の間とは参内者の控えの間であり、格式の高い順に東から虎の間、鶴の間、桜の間と続く3室の総称とされています。御車寄の昇殿が許された高位の者以外は、諸大夫の間の西側にある沓脱石(くつぬぎいし)から昇降し、身分ごとに各室に控えました。古来、内裏では主要な御殿への昇殿が許される公卿・殿上人と、そうでない諸大夫との間には厳格な区別がありました。虎の間と鶴の間が小紋高麗縁の畳であり、それらの部屋...
12月初旬、京都御所の秋の特別公開「宮廷文化の紹介」に出かけて来ました。京都御所は通年公開していますが、秋と春の特別公開では普段見ることのできない部屋や調度などが公開されます。室内空間を再現した展示は35年ぶりだそう。この日は最終日でもって、日曜でしたので、大勢の見学者で列を成していました。入場口で荷物検査を受け、見学ルートに沿って進んで行きます。天皇の住まいである清涼殿の「西廂(にしびさし)」の調度...
京都市右京区嵯峨北堀町にある曇華院(どんげいん)は、単立宗教法人の尼寺。鹿王院に隣接しています。本尊は十一面観音。曇華院門跡とも呼ばれています。普段は非公開ですが、「秋の京都非公開文化財特別公開」で、本堂、庭園、茶室の他、尾形月耕(げっこう)が描いた源氏物語の錦絵など『源氏物語』にちなんだ寺宝や、源氏物語の世界が描かれている平安時代の遊び・「貝合わせ」の貝などが公開されました。かつて以仁王が住んでい...
「紫式部の書いた第三の物語が『光る君へ』」~NHK大河ドラマが終わった
NHK大河ドラマ「光る君へ」が終わった。 今回の大河は観方が特殊だ。 視聴者は推理劇を観るように、 脚本家の仕掛けを探った、という話。(写真:フォトAC) 【NHK大河ドラマ「光る君へ」が終わった】 NHK大河ドラマ「光る君へ」が終わりました。視聴率は「いだてん?東京オリムピック噺」に続くワースト2だそうですが、確かな爪痕を残したように思います。 個人的には、第2作「赤穂浪士」から60年間も大河ドラマを見続けてきた私にとっては、「平清盛」「麒麟が来る」「鎌倉殿の13人」を押しのけて、断トツの1位に上げたくなる作品です。吉高由里子の押さえた声と目の演技は毎回背筋が寒くなるほどすごかったですし、柄…
京都市右京区嵯峨広沢西裏町にある遍照寺(へんじょうじ)は、真言宗御室派の準別格本山の寺院です。山号は広沢山。本尊は十一面観音。永祚元年(989年)花山天皇(もしくは円融天皇)の御願によって、寛平法皇(宇多天皇)の孫である寛朝僧正が、広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたものです。寛朝が没すると次第に衰退、鎌倉時代には後宇多天皇により復興されましたが、室町時代の応仁の乱で廃墟と化しました。奇跡的に難を逃れた赤...
東福寺駅から徒歩5分、京都市東山区本町にある法性寺(ほっしょうじ)は、延長2年(924年)に藤原忠平によって創建されたと伝えられています。藤原氏の氏寺として栄え、藤原忠通(法性寺入道)の時代には、現在の東福寺と泉涌寺までの広大な寺域に大伽藍を構え、京洛21カ寺の一刹に数えられています。その後、兵火により衰退しましたが、明治以降、旧名を継いで再建されました。本堂の千手観世音菩薩像は、旧法性寺の潅頂堂(かんち...
雲林院は、京都市北区紫野にある大徳寺の塔頭です。こちらも『源氏物語』ゆかりの寺院です。もとは、淳和天皇の離宮・紫野院として造成された。紫野一帯は野の広がる狩猟地であったが、桜の名所でもあった。文人を交えてたびたび行幸したという。その後仁明天皇の離宮となり、やがて皇子常康親王に譲られた。869年(貞観11年)親王が亡くなった後、僧正遍昭に託し、ここを官寺「雲林院」とした。884年(元慶8年)、遍昭はこれを花...
おつかれさまです。 大河ドラマ『光る君へ』が終了して、ロスに陥っているそこのあなた!(←わたし) おすすめのドラマを紹介。 『知らなくていいコト』 知らなくていいコト[DVD-BOX] 吉高由里子 Amazon 『知らなくていいコト』は、2020年1月から3月まで日テレで放送されていたドラマ。 主演は 吉高由里子さん 柄本佑さん。 そして、 脚本は大石静さん。 さらに、 佐々木蔵之介さんも! 『光る君へ』とカブる! 放送されていたのは、ちょうど謎の流行り病が日本に来て、世の中がワサワサし始めた頃。 ステイホームとは言え生活の変化に戸惑い、のんびりドラマという感じでもなかったので、見ていない人も…