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高貴山 福聚院 正覚寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、創建年代等の詳細は不明の高野山真言宗寺院ですが、寺伝によると鎌倉時代には創建されていたといい、本尊は運慶作の不動明王坐像と伝わります。境内に4つある古碑のつち1つは室町時代の永享(→1429年~1441年)の年号が入っているため、古い寺院であることは確かなようです。室町時代には戦乱などで荒廃したようですが小田原北条氏の統治下に僧の継院が中興開基したと記されま...
金剛山 福昌寺(→神奈川県川崎市多摩区菅北浦5丁目)は、寺伝によると安土桃山時代前期の1573(天正元)年に僧の恵賢が開山したと伝わる天台宗寺院です。当初は現在の野戸呂稲荷神社(→神奈川県川崎市多摩区菅野戸呂)あたりに建立されたようですが、江戸時代初期に現在地に移転したようです。戦国時代の小沢七村は、小田原北条氏の家臣佐保田河内守某・佐保田山城守政房父子が治めていたため、野戸呂稲荷社あたりへの建立は佐保田氏が行...
弘仁山 衆芳院 薬王寺(→神奈川県横浜市青葉区大場町)は、創建年代の詳細は不詳ですが、江戸時代前期に僧の俊誉が中興開基したと記されていますので、創建はそれ以前であったことが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により「東の高野山」の異名を持つ星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺として幕藩体制の一翼を担った真言宗豊山派寺院です。王禅寺文書には有名寺院の三ヶ寺に数えられるほど立派な寺で...
平等山 星谷院 善教寺(→神奈川県横浜市港北区新羽町)は、戦国時代前期の1492(明応9)年に死去した僧の慈海が池辺村星谷(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)に開基した瑠璃光山の山号を称した天台宗寺院が寺の起こりと伝わります。その後現在地に移転し、江戸時代前期の1612(慶長17)年に浄土真宗に改宗して西本願寺派に属しました。浄土真宗改宗時に山号と院号を平等山星谷院に改めたようです。寺の縁起には、戦国時代には小田原北条氏4代...