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高貴山 福聚院 正覚寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、創建年代等の詳細は不明の高野山真言宗寺院ですが、寺伝によると鎌倉時代には創建されていたといい、本尊は運慶作の不動明王坐像と伝わります。境内に4つある古碑のつち1つは室町時代の永享(→1429年~1441年)の年号が入っているため、古い寺院であることは確かなようです。室町時代には戦乱などで荒廃したようですが小田原北条氏の統治下に僧の継院が中興開基したと記されま...
観音寺阿弥陀堂(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、昨日ご紹介した円国山 観音寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)の阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂及び墓地となっています。観音寺の山門から歩いて10分ほどのところにあります。『新編武蔵風土記稿』には阿弥陀堂の記載がありませんので、本堂の新しさから昭和時代に建てられたものと推察されます。境内には六地蔵があるようですが、樹木に覆われて1体しか目視できませんでした。【観音寺阿...
円国山 観音寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、創建年代、開山・開基等の詳細は不明の高野山真言宗寺院です。武相不動尊霊場11番、旧小机領三十三所子歳(ねどし)観音霊場18番に選定され、地元では奉安水子地蔵尊供養所としても知られます。山門から境内まで桜の木がいっぱいに植えられているので春はさぞ桜の名所となることでしょう。江戸時代には本山・末寺の制により瑞雲山 本覚院 三會寺(→神奈川県横浜市港北区鳥山町)の末寺...
高猿山 宝塔院(→神奈川県横浜市緑区白山2丁目)は、正徳年間(→1711年~1716年)に僧の祐円が堂宇を再建したため、祐円を中興開山とする高野山真言宗寺院です。創建年代等の詳細は不明ですが、もとは胴山という場所に創建され、江戸時代までに現在地に移転されたと記されます。江戸時代には旧小机領三十三所観音霊場にも選定されており、観音堂の本尊は、江戸時代から12年に1度子年の春だけ開帳する「子年観音」と呼ばれ親しまれてい...
仏法山 般若院 東漸寺(→神奈川県横浜市都筑区佐江戸町)は、室町時代前期の1440(永享12)年に僧の智運によって開山されたと伝わる高野山真言宗寺院です。寺伝によると、奈良時代の744(天平16)年に行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献した高僧)がこの地に留錫(りゅしゃく→行脚中の僧侶がある寺に泊まること)し草庵を結び、文殊菩薩を作り安置したといいます。これが寺の始まりとされ、1440(永享12)年に智運が不動明王を本尊として開山...
鴨居山 明王院 林光寺(→神奈川県横浜市緑区鴨居2丁目)は、室町時代中期の1449(宝徳元)年に僧の義慶が創建、安土桃山時代後期の1596(慶長元)年に僧の誓順が再興した開創500年を超える高野山真言宗寺院です。本尊は弘法大師(→真言宗の開祖空海)作と伝わる一尺五寸(→約45cm)の不動明王像です。江戸時代には幕府(→3代将軍徳川家光の時代)から寺領5石を拝領し、本山・末寺の制により瑞雲山 本覚院 三會寺(→神奈川県横浜市港北区鳥山町)...
瑞照山 慈眼院 東観寺(→神奈川県横浜市緑区東本郷1丁目)は高野山真言宗寺院で、創建年代は不詳ですが、寺伝によると奈良時代に行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献した僧)が勧進(→資金集め)のために当地を訪れた際に聖観音像を彫り観音堂を建てたのが寺の興りで、平安時代に僧の快円が堂宇を整備したといいます。その後廃寺になったものの、戦国時代中期に小田原北条氏の家臣で小机城代(→城主代理)笠原越前守信為の子・笠原信康が...
遍照山 光明寺(→神奈川県横浜市港北区新羽町)は、戦国時代前期の1496(明応5)年に什継僧都が開山した高野山真言宗寺院です。江戸時代には本山・末寺の制により、瑞雲山 本覚院 三會寺(→神奈川県横浜市港北区鳥山町)の末寺となりました。境内の隅には新羽天満宮が祀られており、別当寺の光明寺が今でも管理しているようです。光明寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡新羽村の条に次のように記...
補陀洛山 安養院 西方寺(→神奈川県横浜市港北区新羽町)は鎌倉時代初期の1190(建久5)年に、東大寺別当の勝賢僧正が現在の霊鷲山 感応院 極楽寺(→神奈川県鎌倉市極楽寺1丁目)の場所に開山した真言宗単立寺院です。1219(承久元)年に北条重時(→北条義時の3男)が極楽寺を中興開基すると西方寺堂宇は極楽寺境内に移されたようです。極楽寺・西方寺は1333(元弘3)年5月の鎌倉幕府(北条氏)滅亡後も鎌倉公方足利氏及び関東管領上杉氏に保護さ...