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こんにちは。今回は仙台藩の領地内で 一国二城として仙台城とともに存在した 白石城をご紹介します! 白石城 この地域はもともと伊達家の領地でしたが、 秀吉により没収、会津の蒲生氏に与えられました。 関ヶ原の戦いの直前、伊達氏はこの地を奪還、 再び伊達氏の支配下となりました。 伊達氏の腹心である片倉小十郎景綱によって大改修され、 以後260年間片倉氏の居城となりました。 一国一城の令が出ていたにもかかわらず、 二城が許されたのは、景綱の功績、力量が 江戸幕府にも認められていたからだとも言われています。 白石城は令和3年に発生した地震で被災し、 現在復旧工事を行っており、令和4年9月まで 行われる予…
今日のお城は 知和城【美濃国】の紹介であります。 場所は岐阜県八百津町の木曽川沿いにあって、そこは支流との合流点の三角形の地形であり二方向をその河川を天然の堀として活用し正面は堀にて防備し
今回は三大山城の一つ 岩村城【美濃国】の紹介です。 この城の起源は鎌倉時代からこの地を治める遠山氏が築いたものだそうです。 その後、時代は移りかの織田信長が息子をここへ養子を送るもまだ幼か
今回のお城は【筑前国】福岡城 を紹介してみます。 以前に大河ドラマでもやっていた「軍師 管兵衛」こと黒田孝高の城であります。(※正確に言えば嫡男の長政が築城) それはかの関ヶ原の合戦
こんにちは。 今回は中世地方武士の居館として 方形館の形状が保存されている 100名城のひとつ、足利氏館をご紹介します。 鑁阿寺本堂 足利氏館は平安時代末期に源義国により 築かれたとされています。 周囲に堀と土塁を造り、邸宅としていました。 現在でもこの堀や土塁は状態良く保存されています。 鎌倉時代はじめになり、義国の孫である 足利義兼により氏寺として館内に 持仏堂を建立、これが鑁阿寺のはじまりだと 言われています。 鑁阿寺本堂は国宝に指定されています。 足利氏館そのものは現存していませんが、 館跡として、史跡として整備されており、 鑁阿寺も状態良く保存されています。 大変見ごたえがあります!…
今回のお城は【志摩国】の 鳥羽城 を紹介します。 この城の場所は、現在の鳥羽水族館がある裏山にあたるところにありました。 当時は完全に海に浮かぶ海城で、それもそのはず築城したのは九鬼嘉隆と
こんにちは。 今回は徳川300年の歴史を伝える 「出世城」として名高い「浜松城」 をご紹介します。 浜松城 浜松城は駿府に攻め込んできた武田信玄の 侵略に備え、1570年に家康により築城されました。 三方ヶ原台地に沿い、西北の最高所に天守曲輪、 その東に本丸、二の丸、さらに東南に三の丸と、 ほぼ一直線に並ぶ、「梯郭式」の築城法となっています。 *「梯郭式」・・・各曲輪が隣接しながら、階段状になっている様式 こちらは家康が29~45歳までの17年間過ごしたお城です。 家康はその後「駿府城」へ移りました。 その後25代の城主が誕生しましたが、 その中には在城中に幕府の要職に就いたものも多く、 「出…
水戸城~徳川御三家にふさわしいお城~弘道館の梅も見ごろです!
こんにちは。 今回は徳川御三家のひとつ 「水戸徳川家」にふさわしい 土塁と堀が特徴的なお城 「水戸城」をご紹介します。 水戸城 大手門(再建) 水戸城は現在、いわゆる「天守閣」などは 存在せず、土塁や堀、薬医門の門などの遺構が 残されています。 また大手門や二の丸角櫓などが最近再建されて とても見ごたえがあります。 水戸城全体図。 水戸城は土塁と堀によって東から 「下の丸」「本丸」「二の丸」「三の丸」の 4つの曲輪を形成しています。 見どころは「本丸」から「三の丸」に多数あります。 「水戸学の道」として整備されており、 ぐるっと一周するとだいたい3km、2~3時間くらい かかります。 今回はJ…
駿府城~家康大御所時代の居城~日本一大きい天守台があります!
こんにちは。今回は家康が隠居後、 10年間を過ごした「駿府城」をご紹介します。 巽櫓 「駿府城」も坂道などが少ない「平城」です。 JR静岡駅から徒歩15分ほどで行ける アクセスの良いお城です。 「駿府城公園」として整備されています。 「東御門」「巽櫓」「坤櫓」が 見どころとなっています。 「東御門」と「巽櫓」は それぞれ1996年と1989年に再建されたものです。 2021年に内部をリニューアルしたばかりで、 とても綺麗です。 「坤櫓」も2014年に復元されたばかりの 綺麗な櫓です。 駿府城公園全体図(公式HPより引用) 静岡駅から駿府城公園に向かっていくと まず見えるのは「巽櫓」です。 二重…
こんにちは。今回は徳川の栄枯盛衰を 見守ってきたお城「二条城」をご紹介します。 二条城 唐門 二条城は1603年家康により 京都御所の守護と上洛の際の宿泊所として 築城されました。 1867年には15代将軍慶喜が大政奉還の意思を 表明したことでも有名です。 二の丸御殿・庭園・唐門など 400年の歳月を経ても鮮やかに存在しており、 大変見ごたえがあります。 1994年にはユネスコ世界遺産として登録されました。 二条城城内マップ(公式HPより引用) 二条城の敷地は正方形に近い形をしていて 取り囲むようにお堀があります。 街中にあり、坂道もない「平城」で とても見学しやすいお城だと思います。 入場は…
こんにちは。今回は現存している木造天守で、 高さ15m!と日本一小さい丸亀城をご紹介します。 丸亀城天守。 丸亀城は秀吉に信任された生駒親正によって 1597年高松城の支城として築城されました。 1615年一国一城令により一旦廃城となりましたが、 1643年山﨑家治により再建され、 1660年丸亀藩主の京極高和によって天守が 完成されました。 現存している12天守の一つです。 とっても小さな可愛いお城です。 丸亀城はJR丸亀駅から徒歩15分程度で行ける アクセスの良いお城です。 現存している天守もさることながら、 石垣がとても素晴らしいです! 敷地内に着いてからは、ちょっと坂道が つらい!かも…
こんにちは。今回は築城から 400年以上の月日を超えて なお美しい現存12天守のひとつ 南海随一の名城、高知城をご紹介します。 高知城 関ヶ原の戦いの功績により 土佐一国を拝領した山内一豊は 1601年より築城を開始、 1603年に高知城に入城しました。 1727年城下町の火災により大部分を焼失、 1753年に再建されました。 その後は幾度となく自然災害や 廃城の危機を乗り越え、現在に至っています。 高知城はJR高知駅からとさでん交通の電車で 15分程度、徒歩でも25分程度でアクセスできます。 坂道もなく、街中にあるお城で 気軽に立ち寄れるお城です。 天守や本丸など状態良く保存されており、 と…
こんにちは。今回は2019年に復元された 日本で一番新しい天守閣尼崎城をご紹介します。 尼崎城天守閣 尼崎城は江戸幕府の大阪を直轄地とし、 西国支配の拠点とするため、1617年譜代大名戸田氏鉄に 尼崎城を築城させ、大阪の西の守りとしました。 甲子園球場の3.5倍にも相当する三重の堀、 四層の天守をもつ広大な城であったとされています。 戸田氏、青山氏、松平氏など代々譜代大名が 藩主をつとめ、約250年間続きました。 明治時代になり廃城が決定し、 惜しくも建物は壊されてしまいました。 堀なども埋め立てられ、 ほとんど姿を消してしまいましたが、 2015年尼崎市創業の家電量販店の 創業者安保氏の多額…
今回のお城は 長浜城【近江国】の紹介であります。 場所はその名称の通り滋賀県長浜市にあり、かの豊臣秀吉(※当時は羽柴秀吉)が始めての城持ち大名となったことでも知られる城であります。 しか
今日のお城は【伊勢国】桑名城 の紹介であります。 場所は桑名市の揖斐川河口付近に位置しており現在は九華公園となっております。 この地は戦国時代より伊藤氏 → 滝川氏 → 一柳氏など~、目まぐるし
本丸櫓群土浦城は現在二つの櫓と櫓門と門が存在し、櫓門と門は現存遺構で、二つの櫓の内、東櫓は復元で、西櫓は昭和まで残っていましたが台風で破損し解体、その後に解体した廃材を利用し再建されたという現存に近い復元となっています。太鼓櫓門現存遺構西櫓解体から再建された櫓東櫓復元された櫓櫓の隣が現存遺構の門である霞門です。土浦城は東西櫓の再建で本丸櫓群がすべて再建されている城址となっており、何気に珍しいお城...
今日のお城は【三河国】にある 武節城 を紹介します。 場所は昔の言い方をすれば信濃国との境にある奥三河の平山城で、当時は今川氏、武田氏、後の徳川氏などの間で紛争の絶えない地域であったそうで
今回の城は【美濃国】小里城 の紹介であります。 この城の起源は土岐氏の流れをくむ小里光忠が築いたものだそうです。 その後に武田軍がこの地へ侵攻し近隣の岩村城が攻略され拠点としました。 織田
中学校の修学旅行依頼30年弱ぶりに二条城を訪れました。城壁通常の城壁には狭間という銃眼が設けられていますが、江戸時代という平和な時代に建てられたお城だけあって狭間がついていないという非常に珍しい城壁です。東南隅櫓現存する二つの二層櫓の一つで東大手門の直ぐそばにある櫓西南隅櫓東南隅櫓と違い唐破風が用いられた櫓で場内からだとみずらいので城外から撮影しました。二の丸御殿とその周辺二の丸御殿内部は残念な...
今日のお城は 沓掛城【尾張国】を紹介します。 場所は現在で言う田園地帯が広がる豊明市で、当時は三河国との境だったことから要衝の地であったようです。 この城の名が知られたのは、かの今川義元
今日のお城は 加納城【美濃国】を少し紹介します。 この城は岐阜城から南へ数キロのところにある平城であり現在では宅地化が進み本丸の石垣などが残存するのみであります。 かの関ヶ原の合戦に
淀城は城址としてほとんど整備されていない為、あまり見るところはないですが、立派な天守台の石垣が残されています。天守台大きな天守台ですが、残されている絵図ではこの天守台の上に5層の天守と二層の櫓二つがのっているのですが、絵図が正しいとするとすこし狭く感じます天守台には施錠されていて入れないようになっていました。 遺構が少ないので、せめて天守台には入りたかったです。
今日は【美濃国】竹中氏陣屋(別名:岩手城)の紹介です。 名称の通りかの軍師として知られる竹中重治(※半兵衛)の嫡子である重門が築いたものです。 重治の時代にすでにこの背後の山に菩提
今日は【遠江国】にある 掛川城 を紹介します。 場所はその城名通り現在の静岡県掛川市にあって、ここの見ものはなんと言っても日本初の木像復元天守であります。 他にも実際に現存する二ノ丸御殿におい
今回のお城は【紀州国】の 和歌山城 であります。 この城はかの豊臣秀吉公が天正13年(1585)紀州征伐後にその弟の秀長に命じて、築城の名手である藤堂高虎などを介し築城をしたのが起源だそうです。
大阪城、岸和田城をみた翌日は和歌山まで足を延ばし、和歌山城を見てきました。庭園・おはしろうか庭園と藩主の生活と仕事ばだった西の丸をショートカットできるようにつないだ橋で、平和な時代の城らしい設備です石垣和歌山城は徳川御三家の居城ですが、その前は豊臣時代に最初のお城が築かれたそうで、そのせいか見られる石垣も野面積みっぽいのと切込み接ぎっぽいのが見ることができます。天守曲輪天守は第二次大戦の空襲で...
今日のお城は 黒野城【美濃国】を紹介します。 場所は岐阜城がそびえる金華山から長良川を挟んで北西に数キロのところにあり、築城は文禄3年(1594)に加藤貞奏公によるものだそうです。 現在は多少
世の中がコロナ禍になる数年前、長男が大学生だった頃に夫と2人で青春18切符を有効活用し、関東での下宿先をゴールに珍道中を楽しんでいました。 珍道中を楽しむ旅を知ったのは、まだ私が幼い頃。 というのも、実家の向こう三軒両隣...
今回のお城は【遠江国】にある 高根城 を紹介します。 場所は現在の静岡県浜松市のかなり山間に入ったところに位置しており、それは当時の遠江国であり信濃国や三河国との国境に近いこともあって、
今日は【美濃国】一日市場館 の紹介です。 その場所は岐阜県瑞浪市の県道352号沿いにあり、JR瑞浪駅からもほど近いところでした。 また正直言うとここへは、B級グルメを求めてドライブした帰
今日は我が【尾張国】にある 犬山城 の紹介であります。 それは今更ながら紹介するまでもなく国宝に指定された日本の現存12天守のひとつで、中でも一番最古の天守でもあるのです。 そんな天守の場
今日のお城は【遠江国】横須賀城 を紹介します。 場所は静岡県掛川市の南に位置しております。 この城が建てられた理由は、甲斐の武田氏が遠江に進出し高天神城が奪取されてしまったことからそこ
~第八章~ 第八章は「雷の砲」です。鉄砲鍛冶集団の国友彦九郎が英知をかけて造った大筒。新な積石を城に運びさらなる石垣を造ろうとする穴太衆の匡介。“無双の立花宗茂”と“蛍の京極高次”の大津城をめぐる攻防戦がテーマです。
~第七章~ 「塞王の楯」の第七章は「蛍と無双」です。この章の始めは・・・ 【大津城は瞬く間に包囲を受けた。だがすぐさま、戦端が開かれた訳ではない。西軍から降伏を促す使者が来たのである。要衝の大津を労せず取り返せるならば、それに越したことはないという西軍の思惑が透けて見える】から始まります。
~第五章と第六章~ 著作者の今村翔吾氏は「塞王の楯」、第五章「泰平揺る」で、秀吉が急速に衰え始め、臥所で寝込む日が度々あるという事を記述しています。
~第三章と第四章~ 直木賞の今村さんの受賞作は「塞王の楯」は「『絶対に破られない石垣』が平和を生むと信じる石工の匡介と、『どんな城も落とす砲』こそが戦を鎮めると考える鉄砲職人の彦九郎の物語。
~第一章と第二章~ 第166回直木賞は今村翔吾氏(37)の「塞王の楯」と米澤穂信氏(43)の「黒牢城」に決まりました。今村氏の受賞作は「『絶対に破られない石垣』が平和を生むと信じる石工の匡介と、『どんな城も落とす砲』こそが戦を鎮めると考える鉄砲職人の彦九郎の物語。戦国の職人たちの熱が作者の書く言葉に乗り、「今を生きる者に問う」という時代小説。532頁にわた…
~欧州の城塞都市と日本の城下町~ 欧州では新型コロナ第6波もピークアウトしたとして規制を解除し、パリなどの都市でも日常生活に戻っています。一方、日本の感染者は初めて10万人超え規制も続いています。東京では2万人超に、病床使用率も53%超になりました(2月3日 日経新聞電子版より)
今日は【伊豆国】にある 山中城 を紹介します。 ここは本城である小田原城を守るためにつくられた沢山ある支城のひとつであります。 基本的にこの北条氏の城は、本城を含めそのすべてにおいて土でつ
大阪城を見た後は岸和田城を見に行ってきました。岸和田城の本丸は櫓や門、天守が復元されていて視界を遮る樹木なども少なく、外観を楽しむにはうってつけのお城です。天守天守は現在は復興天守の三層の天守が建てられていますが、元々は、5層の天守があり、天守喪失後に三層の天守と二層の小天守の再建申請がされましたが、再建がされなかったそうです。八陣の庭三国志の八陣をテーマにしている枯山水っぽい庭だそうです。
今日のお城は【武蔵国】の 八王子城 であります。 この城は小田原城の周囲に配置されていた沢山ある支城のひとつでありましたが、そんな支城の中でもこの城には凄い特徴がありまして、当時まだ関東の城にお
2021年の12月に大阪、和歌山でお城巡りをしてきました。最初に行ったのが大阪城です。大阪城は豊臣秀吉が建築したお城ですが、現在残っている遺構は徳川時代のものです。天下の名上にふさわしい巨城ですが、残念なのが天守です。大阪城天守外観現在の天守は徳川時代の天守台の上に作られた復興天守で、徳川時代と豊臣時代がごっちゃになった天守が建っています。豊臣時代の天守は黒に金で飾られた壮麗な天守で、徳川時代の...
今日は【相模国】の 石垣山城 を紹介します。 以前に同じ相模国の小田原城を紹介したことがありましたが、今回紹介する城はその小田原城を攻め落とす為にかの豊臣秀吉が築城したものでした。 し
愛媛を一通り回った翌日は四国を電車で移動し、岡山から新幹線に乗ることにしたので、途中の今治駅で下車し今治城を見てきました。今治城は層塔型天守を考案した築城名人の藤堂高虎が自身の居城として作られましたが、大坂の陣で功績をあげた為、直ぐ別の領地へ移封されてしまいました。築城当初は天守がありましたが、移封の際に亀山城に寄贈したと言われており、天守は残っていませんでしたが現在は模擬天守として再現されてい...
今回は【遠江国】の家康で有名な 浜松城 の紹介です。 このお城は、かの徳川家康公が三河国の岡崎城から今川氏の旧領である遠江国その先の駿河国の支配までを見据えて拠点を移したのものでした。 その後
今日は信州の松本城(別名:深志城)を少し紹介します。 もうメジャー過ぎて今更ではありますが、やはり【国宝】でもあるその5重天守は、複合連結式とも呼ばれる形式で、大天守の廻りに付属する小天守
今回紹介するお城は丹波国の福知山城であります。 ちょうど昨年からの大河ドラマで明智光秀主役の『麒麟が来る』がやっており旬かなと思いまして、また前回の京都の旅ブログで紹介した亀岡城にも関連してま
今回紹介する寺院は三河国の本證寺であります。 ここはどちらかと言うと城カテゴリーで紹介した方がいいのかもしれませんが、一応こちらでアップしてみました。 それは当時この寺院の構造が2重の水
今日は山城国の伏見城について少し紹介します。 この伏見城は計3度も建てられたそうで、その最初は文禄元年(1592)に豊臣秀吉が隠居後に住まう城として指月山に築城したそうですが、慶長の大地震によ
湯築城は愛媛を収めた大名家で豊臣秀吉によって取り潰された河野氏の居城として作られたお城です。現在も2重の堀と要塞部分があった山、平地部分の居住区が残されており、居住区は一部家屋が再現されています。武家屋敷平地部分にあった武家屋敷が二棟再建されていました。そのうち一棟は内装も再現されており、マネキンと一緒に展示されています。御殿跡武家屋敷のお国は城主が住んでいた可能性がある御殿と庭園があった区画が...
静岡県の美術館で開催されていた富野由悠季の世界展のついでに足を延ばし、掛川城へ行ってきました。掛川城の天守は戦後初の木造建築天守として再建され、正確な外観が不明だったため、同じ山名一豊が建築した高知城が掛川城に似せて建築したとの文献から、高知城の天守をモチーフに再建を行っているそうです。掛川駅を降りるとすぐに天守が見られます。天守内部は博物館の様になっています。掛川城の二の丸御殿は現存する建築で...
東京都下に住んでいる私にとって他県ではあるが行きやすく、遺構が多く残っている小田原城へ行ってきました。二の丸隅櫓は元々倍くらいの大きさだったらしいのですが地震で倒壊し、その後現在の規模で再建されたそうです。銅門は当時の建築手法で再建されているようで大きな木材にチョウナで削ったような跡も再現されていました。銅門内部は公開されており、中で駄目な小田原評定をしていました。北条氏直、氏照、氏政の御三方常...
昨年2020年 12月25日から境港、松江、出雲へ行っていました。境港で水木しげるロードを堪能した後、松江への直通バスで松江城へ行きました。現存12天守の一つですが、築城時期が判明したことで6年前に63年ぶりに国宝指定を受けた国宝としては新しいお城です平成になってから復元された二の丸櫓群の一つで登城を知らせる太鼓があった櫓だそうです。ちゃんと太鼓が置かれていました武具の保管庫に使われていたといわ...
今年の2月20日卒業した学校に用事があり、ついでに甲府城と武田神社へ寄ってきました私が学生時代は甲府城はほぼ放置されていたというか、城址として活用されておらず、城内になぜかプロペラ機が展示してあったりしていましたが、久しぶりに行ってみると城址として復元整備されており驚きました。甲府城は武田家滅亡後、徳川支配になり、さらにその後、豊臣家の家康牽制の重要拠点となり徳川時代には江戸防衛の要として将軍に...
緊急事態宣言が解除された隙をついて今年の3/27、3/28に姫路城、明石城、尼崎城へ行ってきました。姫路城は色々なお城を見てきましたが、なんというか他の城とは一線を画しています。三の丸より北側は備前丸以外は城壁や多聞櫓が残っていたり、復元されていたりで、かなりお城の外観が保たれています。更に他の城では樹木が伸び放題で町から城の遺構がほとんど見えないということがざらにありますが、姫路城は樹木の管理...
緊急事態宣言が解除された隙をついて今年の3/27、3/28に姫路城、明石城、尼崎城へ行ってきました。姫路城でたっぷり4時間以上見て回った後、宿に行くには時間が早かったので、翌日の予定だった明石城を繰り上げて見に行くことに。明石城は天守台が残っていますが、天守が一度も建てられたことが無いお城です。かつては本丸には三重櫓が4棟あったそうですが、現在は巽櫓と坤櫓の2棟現存しています。通常ならいずれかの...
緊急事態宣言が解除された隙をついて今年の3/27、3/28に姫路城、明石城、尼崎城へ行ってきました。尼崎城の天守は本来別の場所でしたが、開発の影響で現在の場所に再建されており、外観は過去の絵図から忠実に再現された外観復元天守です復元の元になった絵図で、尺貫法で寸法も書かれており、これを現在のメートル法に計算して再建されたそうです。中は博物館となっており、スタッフがアグレッシブかつ親切で色々説明し...
宮島を出た後は、広島城を見てきました。広島城は元々、大天守一棟と小天守二棟のほか、大量の二重櫓や多聞櫓で囲われた巨城でしたが、明治維新後は陸軍の基地となり、さらに戦災で残存建築を失ってしまいました。現在は原爆で焼失した大天守の外観復元と二の丸櫓群が復元されています。江戸城や姫路城など多くのお城は防衛の為、本丸が高台の上で狭いことが多いのですが、広島城は本丸が凄く広く、二の丸は大きめの馬出レベルの...
連休初日を広島で過ごし、二日目は広島港から高速船に乗って愛媛の松山へ移動。松山城、湯築城、道後温泉本館を見て回りました。松山城は山頂にあるため、リフトを利用したのですが、コインロッカーに荷物を預けた際にうっかり広角レンズも一緒に預けてしまい、室内の撮影がうまくできませんでした。復元された櫓も多いようですが本丸周辺の櫓が多く復元されており、それだけでも見ごたえは最高です天守は姫路城と同じ連立式で小...
今回は以前に行った安芸国の広島城について紹介します。 この城は僕の大好きな構造の天守で、それは古式望楼型5重天守であり黒い下見板の外観においてもその好きな要因の一つであります。 これら
今回は【遠江国】にある 小山城 を紹介します。 場所は静岡県の大井川河口に近い所にあります。 その起源は今川氏とされその後、織田信長により桶狭間にて今川義元が討たれると今度は徳川家康と武田信
今日は備前国の岡山城を少しばかり紹介したいと思います。 前回の広島城(※安芸国)と同じ中国地方つながりと言うことでこちらにしてみました。 岡山城はかの豊臣秀吉の五大老の一人でもあった
今日紹介するのは美濃国の岐阜城(※稲葉山城)であります。 今年の頭(※1/31)に行ったもので、アップするの忘れてました。 ここは自宅から比較的に近隣であることからすでに何度も訪れてますが、今回
今日紹介するのは西尾城【三河国】であります。 ここは比較的に近隣であることもあって今回で3度目の訪問でした。 まず初めて行った(2011/12)時は、単純にこのお城を見るという気分で、2回目の(2014
今回はいよいよ【播磨国】姫路城 の登場であります! もうここにおいては城をあまり知らない方でも聞いたことがあるくらい有名な城で、今や国宝のみならず世界遺産にも認定されています。 以前に紹介
今日は【播磨国】の 赤穂城 を紹介したいと思います。 ここへ行ったのは、正直なとところ姫路城へ行ったついでだったのですが、実際にこの城を生で見ると立派で壮大な城でありました。 それは素
今回はかる~いのりで【美濃国】藤橋城 の紹介です。 何度も断っておきますが、今回はかるい気持ちで見ていただけたら幸いです。 もうこのお城は完全なる観光地的な意味合いの施設であって、そこに
今日は国宝でもある彦根城【近江国】を紹介します。 慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後に徳川四天王と言われた一人である井伊直政がこの近江国を任されて、それまで治めていた石田三成の佐和山城の資材
今回は【伊賀国】の 上野城 を紹介したいと思います。 この城の見どころはなんと言っても本丸西面の30mあると言われる超高石垣でしょう。 築城当時はまだ豊臣方の大阪城が脅威であったので、築城の名
今日は【飛騨国】の 帰雲城(向牧戸城・荻町城)について、またその周辺の白川郷も合わせて紹介したいと思います。 帰雲城は、内ヶ島氏3代(※4代とも)が室町時代から戦国時代にかけて今で言う荘
今回の紹介するのは【信濃国】高島城 であります。 場所は長野県の諏訪湖の畔でして、風光明媚な場所でもであり周辺には温泉なども点在して観光地となっております。 また現在でこそ干拓や埋め立てな
今日は【大和国】にある 郡山城 を少し紹介します。 訪れたのは数年前のことでしたが、ココへ行く前には下調をべをして、実際にこの城を生で見た感想は噂通りの壮大な城郭でありました。 例えるのなら
今日は【加賀国】の 金沢城 を紹介したいと思います。 金沢と言えば世間的には、兼六園、加賀100万石とかが一般に連想されますが、僕は初期の前田利家公が整備した際に建てたと言われている5層大天守に
今日のお城は【伊勢国】の 神戸城 の紹介であります。 場所は三重県鈴鹿市で、神戸と書いて「かんべ」と読みます。 さて城址ですが、本丸の一部と天守台の野面積みによる石垣が残るだけのものなのですが
今回も前回に続き【伊勢国】の 津 城 を紹介します。 場所は三重県津市で当時は安濃津城(※津城)と呼ばれていたそうです。 現在の城郭へと仕上げたのは徳川家康からの信頼が厚く築城技術には定
今日も三度【伊勢国】で 松ヶ島城 であります。 いよいよ伊勢国に3つあったと伝わる最後の五重天守は、この松ヶ島城であります。 もろんこの城主もかの織田信長に関係しておりまして、その次男である信
今回の城も【伊勢国】で 松阪城 の紹介であります。 前回の松ヶ島城を紹介した際に少し触れたこの松阪城ですが、なんと言ってもこの城をつくったのがかの蒲生氏郷でありました。 僕の中での氏郷公は、
今日は【越前国】の 丸岡城 を紹介したいと思います。 このお城はなんと言っても現存天守がありそれは一時、日本最古の現存天守かと尾張の犬山城と争っていました。 残念ながら最近の研究で江戸
今日は【尾張国】の 大野城・大草城 の紹介です。 この2つのお城には関連がありまして、まず大野城からその城主は織田信長公の弟、長益(※有楽斎)でありました。 その後、水利の悪さから北へ2
今日は我が【尾張国】の 清須城 を紹介します。 今更ながら言わずもがな織田信長の天下布武の出発点と言ってよいこの城、その後、小牧山城、岐阜城、安土城と天下統一に邁進したことは誰もが知る
今回は【尾張国】にある 小牧山城 を紹介します。 少し前までこの城はかの織田信長が美濃攻略のための前線基地(※付城)と言うのが通説でありました。 しかしながら発掘など研究が進むと現在は本丸
今日は【近江国】にあった信長の 安土城 の紹介です。 すでにその名は誰もが知るかの織田信長公の最終的な居城となった城であります。 これらにおいては長い年月を掛けて発掘の結果、また石垣などの
今回は【美濃国】にある 苗木城 を紹介します。 この城は僕の住む隣県である岐阜県中津川市にあるのですが、それは一見何も建築物など残存していない山城に分類されるものですが、とにかく石垣がすごく
今日のお城は我が【尾張国】小口城 の紹介です。 場所は現在の愛知県北部(※丹羽郡大口町)に位置しており、長禄3年(1459)頃に織田広近(※岩倉織田氏)によって築城されたそうです。 時代は永禄
今日のお城は【紀伊国】の 赤木城 を紹介します。 このお城を築いたのはすでに築城の名手と何度も紹介しているかの藤堂高虎公でありました。 この地は秀吉の紀州平定時から度々一向一揆が発生していたよ
今日のお城は【摂津国】にある 池田城 の紹介です。 昨今ではこの池田市長の問題がマスコミを騒がせましたが、このお城については予想以上に整備がしっかりされていて、模擬天守は別にしても当時の屋形な
今日は【美濃国】の 郡上八幡城 の紹介です。 この地は周囲を山に囲まれた長良川と支流の吉田川の合流点に栄えた城下町で、今でもその風合は十分に感じ取れます。 また郡上踊りでも有名な地でもあり
今回のお城は【相模国】の 小田原城 の紹介です。 この小田原城においては歴史も深くその起源は室町時代からだそうです。 しかしながら現代の天守(※再建)が建つ立派な城郭は天下泰平となった徳川の時
今回紹介するのは【美濃国】の 大垣城 であります。 現在でも水都と言われる大垣は自噴する湧水が豊富で、そんな当時の大垣城は4重もの水堀で囲まれた堅固なお城だったようです。 天守においては国
今年最後のお城は【美濃国】墨俣城 を紹介します。 しかし今回このお城について書こうか少し迷いました。 それは昔から歴史の一部として当たり前に習ったこの一夜城が、最近は幻化しているよ
今日は【飛騨国】の 神岡城 など周辺を紹介します。 場所は岐阜県の最北端であり富山との県境にもほど近い飛騨市神岡町にあります。 これらは当時の武田信玄を後ろ盾にその重臣の山県昌景の縄張りに
今回は近隣【尾張国】にある 新居城 の紹介です。 自宅から比較的近隣でもある尾張旭市にあるお城で、またの名を旭城とも言うそうです。 城は南北朝時代のもので、地場のもの(※水野氏)が築城したと
今回のお城は【和泉国】の 岸和田城 の紹介です。 まず岸和田と聞けばやはり今ではだんじり祭りですね。 僕自身まだ一度も生では見たことがないのですが、今回はそんなだんじりの町のシンボルと言
今日のお城は【越前国】大野城 の紹介であります。 この城の起源は、かの織田信長公に仕えていた金森長近がそれまでの戦功によりこの越前国を与えられて、天正4年(1576)から4年を費やし竣工させ
今回は【越前国】の 勝山城 の紹介なのですが・・・ 正確に言うと勝山城と言うお城は過去に実在しており石垣などが残っていたそうですが、現在は開発により消失してしまったそうです。 そんなことで今回紹
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