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三島市内で驚いた事もう一つ。27年はギリでもう無理かもしれんので、28年以降のか?大河ドラマの誘致活動を開始していた!そのネタとは後北条氏(小田原北条氏)5代の100年間を描くというものだ!カムカムエヴリバディの大河ドラマ版みたいな感じか?!大河初5人の主演俳優って豪華過ぎじゃない?!初代北条早雲が住んだ山城が「鎌倉殿の13人」大河館からそんなに遠くは無い、歩きでも行ける所にあったので、大河館入る前に行って来た事を思い出した。今年の源氏物語ネタも全く関係ないし、来年も江戸時代といっても、「どうする家康」のように初期じゃ無い。「暴れん坊将軍」より数十年後の江戸市中が主たる舞台のよう。静岡県、絶望的に関係無し!長年、大河便乗大国を誇って来たので、ここでまた奮起せにゃ!といった所でしょうか?!でも、全国にライバ...三島市行って驚いた!②〜静岡県大河ドラマ情勢最前線!〜
今回の行き先は神奈川県小田原市 小田原へ行くのは人生初です☆ もともと城など大河ドラマの舞台になる場所に興味があります。 小田原は品川から新幹線で25分くらいで行けます。一応、新幹線に乗る気分を味わえるプチ旅行でした。 いざ小田原へ 連休中日(前日荒天)だったため9時50分...
上杉謙信撃退も納得!「金山城」は石垣堅固な巨大山城【群馬・太田市】
日本100名城に数えられる金山城は、関東では珍しい石垣を持つ戦国時代の山城。石積土塁が囲む大手虎口や堀切などの防御手法が体感できる。上杉氏、武田氏、小田原北条氏などの有力大名からの攻撃を受けながら落ちなかった堅牢な城でした。
「八王子城」秀吉軍と壮絶な戦いをした北条氏の山城【東京・八王子市】
豊臣秀吉の小田原征伐において、北条氏支城の八王子城では壮絶な戦いが繰り広げられた。その歴史をたどりつつ、日本100名城の一つ八王子城跡をめぐる。山頂部にある本丸跡や、発掘と復元が進んで見どころも多い山麓部の御主殿跡などをめぐりその歴史をたどる。アクセス方法や施設紹介など、訪問時に役立つ情報を併せて紹介します。
鉢形城、北条氏らしい堀や土塁が城好きを唸らせる城跡【埼玉・寄居町】
日本100名城の一つ鉢形城跡は、荒川の断崖絶壁を要害にした小田原北条氏の城郭跡。広大な範囲にわたり北条氏らしい堀や土塁などの遺構が良く残っています。城址公園内は良く整備されており、ハイキングとして歩くのも楽しいですよ。
関宿城、梁田氏と北条氏が10年間激突した水運の要衝【千葉・野田市】
河川交通の要衝だった関宿城は、戦国時代には争奪戦の舞台となった。江戸時代には江戸近郊の重要拠点として、譜代大名が城主を務めます。関宿城博物館や周辺の河川敷をめぐりながら、関宿城や関連する水運の歴史などをたどる。
横浜から東海道で1時間の小田原に行って来ました!小田原城チケット当日購入可能です。天守閣以外であれば不要PayPay等も対応しており、現金なくても大丈夫外観天守閣からの風景小田原グルメも!駅近の...
武蔵松山城跡、激しい争奪戦が繰り返された戦国の城跡【埼玉・吉見町】
"武蔵松山城は戦国時代の平山城。北武蔵の要衝だったため、扇谷上杉・小田原北条・甲斐武田・越後上杉の争いが絶えず起こった。巨大空などの遺構が良く残っており、山城歩きが体感できます。そんな武蔵松山城跡を、その歴史もふり返りながら、見どころ・歩きどころを紹介。 "
小倉城(武蔵)、石積が珍しい北条氏配下の戦国の山城【埼玉・ときがわ町】
埼玉県ときがわ町の武蔵小倉城は比企地域に多く造られた城郭の代表的な一つで、関東では希少な石積みのある山城。郭や土塁などの遺構が良く残っており、国の史跡にも指定されています。立ち寄ったランチスポットや御城印販売所の紹介もあります。
2023年11月、今回の散歩も前回と同様、武蔵嵐山駅から。3週間前はここから謎の山城である杉山城址と赤鬼青鬼の鬼鎮神社へ歩きました。あの時は夏日でしたが、いきなり12月上旬の気候。今年は秋が短い。紅葉で有名な嵐山渓谷を絡めて、小倉城址と菅谷館跡を目指します。前回
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜いよいよ日本平定の小田原攻めだねってことで第37話の感想ぉ〜!小田原攻めに家康は反対してるように描かれてま…
芳林山 向嶽禅院 戒翁寺(→神奈川県川崎市麻生区早野)は、戦国時代の天正年間(→1573年~1591年)に夏蒐山 修廣寺(→神奈川県川崎市麻生区片平2丁目)の3代住職玄頓和尚(げんとんおしょう)によって開山されたと伝わる曹洞宗寺院です。1590(天正18)年に小田原北条氏が滅亡すると北条家臣の庇護を失い衰退しましたが、江戸時代初期の寛永年間(→1624年~1645年)に北条遺臣から幕府旗本に取り立てられた富永重吉(とみながしげよし)が早...
< 外人さんに聞かれて何もまともに答えられなかった件 > 梅雨の中休みに、友人と連れ立って上野駅からぶらぶらと、台東区、かっぱ橋道具街に行って来ました。風がそこそこ吹いている日でしたけれど、蒸しっと暑い曇天の日。 その友人の母親が腱鞘炎になってしまって、野菜の皮むきがうまく出来ないので、なんとかいうスーパーな切れ味のピーラーを買うっていうんで、付き合いで一緒に行ったんですね。情報はしっかり把握していたみたいで、目的のピーラーはすぐに見つかりました。 刃の部分が斜めになっているピーラーでしたね。チカラを必要としないんだそうです。 ただの付き添いですからね、ピーラーについては、ふううんっていう感想…
岩沢山 香樹院 天宗寺(→神奈川県横浜市都筑区川和町)は、戦国時代の1539(天文8)年に小田原北条氏に仕えた地侍岩沢伊左衛門が開基、松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)の5代住職東誉が開山した浄土宗寺院です。岩沢伊左衛門は北条氏滅亡後に帰農し、山号と院号は自身の名字と法名から採ったと記されます。江戸時代には泉谷寺の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。当時の観音堂に安置された観音像は厩戸王(うま...
大栄山 東樹院 多聞寺(→神奈川県川崎市中原区宮内1丁目)は、創建の詳細は不明ですが、天正年間(安土桃山時代→1573年~1592年)に小田原北条氏の家臣石井源左衛門が中興開基したと伝わる真言宗智山派寺院です。石井氏は北条氏滅亡後も当地に残り帰農したようです。もともとは多摩川寄りにあったようですが洪水の被害を受け、現在地に移転したと記されます。江戸時代には龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)...
2021年12月29日の散歩です。先日、幼少期を過ごした柏周辺を散歩しました。その時訪れた増尾城址の元城主である平川氏が、小金城主の大城氏の家臣だったことを知りました。自分の新婚時代に過ごしたアパートの最寄り駅が、小金城趾駅です。今回の散歩は、昔住んだ新松戸から
2022年1月、のぼうの城こと忍城散歩の続きです。水城公園を貫いて南東に伸びていた公園通りが、ここで向きを東に変え、片側一車線の道に変わります。歩道のない橋で新忍川を渡ります。この付近は、新忍川、忍川などいくつかの水の流れが北から南に流れています。これらの川
2022年1月の散歩です。2021年末は、増尾城址、小金城趾と、小田原後北条氏系の城跡を訪れたので、今回は八王子城にしようと考えていました。が、二日前に関東南部に大雪警報が出るレベルの積雪があり、断念。山城を攻めるコンディションではないかと。そこで、雪の少なかった
2023年最初の散歩は、石垣山城へ。まずは東海道線で早川駅へ。ホームからは海はかすかに見えるだけ。特徴的な橋は、西湘バイパスの小田原ブルーウェイブリッジというそうです。早川港への航路です。早川駅は、ホームは15両対応の長さですが、駅舎は非常にこじんまりとしたロ
2022年3月の散歩です。最近は後北条氏関連の城址を目標に散歩する機会が多いのですが、今回は神奈川の津久井城址を目指して、橋本駅から散歩開始です。新宿からは、京王線準特急橋本行に乗車です。隣のホームには準特急高尾山口行が止まっています。どちらも7000系電車ですが
2022年4月の散歩です。今回は、北条氏照の居城、滝山城です。前回の散歩は約一か月前の津久井城でした。その時は橋本駅から8kmほど歩いた後の城攻めだったため、死にそうになりました。その失敗を踏まえ、今回は八王子駅からバスで移動します。久しぶりに八王子駅に来ました
2022年9月末に、八王子城跡を散歩しました。八王子城跡の最寄り駅は、高尾駅です。いつ見てもカッコ良い駅舎です。駅からは頻繁にバスが出ています。高尾街道から美山通りに入り、ちょうど中央高速の下をくぐるところに霊園前・八王子城跡入口バス停があります。高速の橋脚に
2022年10月、山中城跡を散歩しました。その記録を。静岡県三島市、最寄駅から徒歩で向かうのはさすがにつらい。一応三島駅からのバスがあるようですが、ここは車で。前日の夜にGoogleMapで調べると2時間程度とのことでしたが、土曜日の朝はあちこちで渋滞が発生しており、3時
浮岳山 昌楽院 深大寺(→東京都調布市深大寺元町5丁目)は、奈良時代中期の733(天平5)年に虎柏山 日光院 祇園寺(→東京都調布市須佐町2丁目)を開基した満功(まんく)上人が創建した天台宗寺院です。750(天平勝宝2)年に水神の深沙大王像を安置して淳仁天皇の勅額で「浮岳山 深大寺」と名付けられました。全国的にみても創建時の記録がしっかりと残されている数少ない寺院の1つといえます。創建時は法相宗(ほっそうしゅう→南都六宗の1つ...
長谷山 祥泉院(→神奈川県横浜市青葉区みたけ台)は、戦国時代前期に玉雄山 宝泉寺(→神奈川県藤沢市遠藤)の2代住職・碧岑東全が開山した曹洞宗寺院で、江戸時代には本山・末寺の制により玉雄山 宝泉寺の末寺となりました。祥泉院の開基は、寺伝によると鎌倉公方足利氏の家臣で中鉄村(なかくろがねむら)の領主村田太郎左衛門祥本と伝わります。ただ、碧岑東全と村田太郎左衛門祥本が死去した1548(天文17)年の頃、鎌倉公方は下総古河城...
法言山 安立寺(→神奈川県川崎市多摩区東生田1丁目)は、小田原北条氏の旧臣佐伯馬之介が、江戸時代前期に父の佐伯隼人の追福のため僧の日等を招いて開山した日蓮宗寺院です。江戸時代には日蓮宗の法縁から日蓮宗大本山の1つ長栄山 大国院 池上本門寺(→東京都大田区池上1丁目)の末寺となりました。開基した佐伯氏は、江戸時代には徳川氏の直参とならず帰農して百姓になっていたようです。安立寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編...
蓮秀山 本柳寺(→神奈川県横浜市緑区鴨居2丁目)は、戦国時代に小田原北条氏の家臣・柳下豊後守・同若狭守父子が開基、僧の一楊院日教が開山した日蓮宗寺院と伝わります。柳下氏は1590(天正18)年の北条氏滅亡後は鴨居村に帰農し、江戸時代には名主として村の指導層に名を連ねています。今でも鴨居地区に多くの土地を持つ地主としても知られています。本柳寺は日蓮宗の法縁から江戸時代の本山・末寺の制で日蓮宗大本山の1つ小湊山 誕...
瑞照山 慈眼院 東観寺(→神奈川県横浜市緑区東本郷1丁目)は高野山真言宗寺院で、創建年代は不詳ですが、寺伝によると奈良時代に行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献した僧)が勧進(→資金集め)のために当地を訪れた際に聖観音像を彫り観音堂を建てたのが寺の興りで、平安時代に僧の快円が堂宇を整備したといいます。その後廃寺になったものの、戦国時代中期に小田原北条氏の家臣で小机城代(→城主代理)笠原越前守信為の子・笠原信康が...
亀甲山 本覚院 専念寺(→神奈川県横浜市港北区新羽町)は、安土桃山時代末期の1601(慶長6)年に新羽村の村民良太郎の先祖清太郎が開基し、僧の耕公が開山したと伝わる浄土宗寺院です。清太郎は、小田原北条氏の旧臣で1590(天正18)年の北条氏滅亡とともに帰農した村の有力者と比定されています。江戸時代の専念寺は、本山・末寺の制により近隣の浄土宗寺院の中本字格である松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)の末寺と...
久松山 長福寺(→神奈川県横浜市都筑区仲町台4丁目)は、戦国時代中期に僧の自山応大が開山した曹洞宗寺院です。長福寺は平安時代前期に平将門が創建したと伝わる熊野社の別当を勤めていたことから、江戸時代には江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)から熊野社領として社領5石余を拝領しています。戦国時代には小田原北条氏の家臣である師岡山城守が伽藍を修復しようとしたものの果たせなかったようです。長福寺は江戸時代後期の1830(...
鹿沼城跡で小田原北条氏の城に多くみられる「障子堀(しょうじぼり)」が新たに発見された。 同城は戦国時代末期は壬生氏の拠点で、同氏は宇都宮氏から離反して小田原北条氏に従ったが、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で主家とともに滅亡して廃城になったという。[朝日新聞]...