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新宿区高田馬場にある諏訪神社は、 弘仁年間(810 - 824年)の創建と伝えられ、小野篁により大国主命・事代主命を祀ったのがはじまりとされています。当初、奥羽街道の一部松原街道に面していたので、松原神社と称されていましたが、江戸時代初期に、尾張の徳川家の祖である徳川義直により諏訪神社と改名されました。その後も源頼義父子や源頼朝、太田道灌等が再造したといいます。寛永年間(1624 - 44年)徳川家光が造営。徳川家...
<二条城(中編)>の”城門”を巡るー”鳴子門”と対の”桃山門”、招造庇が付く”南中仕切門”
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
徳川家基(とくがわ いえもと)は、10代将軍徳川家治と田沼意次の推薦で側室となったお知保の方(蓮光院)との間に生まれました。幼年期より聡明で文武両道だったため、将来の第11代将軍として期待されていました。しかし、安永8年(1779年)2月21日、鷹狩りの帰りに立ち寄った品川の東海寺で、休息中に突然体の不調を訴え、江戸城に運ばれましたが、3日後の2月24日に江戸城で死去。享年18(満16歳没)。後継ぎを失った父・家治は...
<水口城>の”城門”を巡るー”徳川家光”上洛宿泊城として築城、出丸に復興高麗門と模擬長屋門
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<永原御殿>の”城門”を巡るー徳川三代が上洛時に宿泊、休憩に使用した御殿の移築門
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
いよいよ日光東照宮の核心地といえる奥社へと進みます。坂下門から207段の階段を登らなければなりません。それくらい・・・と思っていたのですが、ここへ来るまでに既に結構歩いていたので、足がへとへと(汗)それでも小学生を追い越しながら駆け上がりました!やっと到着!ここが徳川家康の神柩である奥宮御宝塔です。江戸時代の元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康は駿府(現在の静岡市)で死去した。遺命によって遺骸は...
江戸幕府の将軍あるいは大御所・大納言(将軍嫡子)が、東照大権現(徳川家康)を祀る日光東照宮へ参拝する日光社参は、江戸時代を通じて合計19回実施されました。特に徳川家光は、その数10回と歴代将軍の中で最多でした。将軍の日光社参には大名や旗本をはじめ、莫大な数の人馬が供奉し、安永5年(1776年)の10代徳川家治の社参では、行列の先頭が日光にあるとき、最後尾はまだ江戸にあったとも言われているほどの規模で、莫大な...
徳川幕府歴代15人の将軍には、正室の他にもそれなりの人数の側室がいました。 その歴代分の全部を合算すると一体何人になるのかは知りませんが、その中に たった一人だけ、極めて異例で「例外」的な扱いを受けた女性がいます。 二代将軍・秀忠(1579-1632年)の正室・お江サン(1...
では、目黒不動尊の本堂に向かいます。階段の脇には徳川家光ゆかりの「鷹居の松跡」があります。鷹居の松跡 鷹居の松跡 江戸幕府 3代将軍徳川家光 が寛永(1624~1644)の頃、目黒不動尊の近くで狩猟中に愛鷹 が行方不明になりました。家光が目黒不動別当の実栄という僧に祈らせたところ、鷹はたちまち境内の大きな松の枝に飛び戻ってきました。このことに家光は大いに喜び、この松を「鷹居の松」と命名したといわれています。 こ...
※「べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館」の記事の途中ですが、今晩の紀行に合わせて、「瀧泉寺・目黒不動尊」の記事を挟みます。東京都目黒区下目黒の瀧泉寺は、目黒不動尊として知られる天台宗のお寺です。黄表紙の作品のひとつ恋川春町の作・画の「金々先生栄花夢」の中に、目黒不動が登場します。金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)黄表紙。2巻2冊。恋川春町(こいかわはるまち)作・画。1775年(安永4)刊。「金々先生...
心造寺に隣接しているのが、五社神社・諏訪神社です。家康は、子供たちのお宮参りや、自身の厄除けの祈祷を五社神社で行ったといわれています。また諏訪神社は、3代将軍・徳川家光によって、現在地に遷され、昭和35年(1960)、隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社を合祀し、五社神社・諏訪神社となりました。両社ともに、秀忠のとして徳川家の崇敬を受け、子守り、子育ての神としての信仰されています。五社神社五社神社は、...
こんな謎がある。~江戸幕府第三代将軍・徳川家光(1604-1651年)が身に着けて いたのお守りには、なぜ「二世将軍」と書かれていたのか~三代将軍・家光がなぜ「二世将軍」との思いを持っているかについては色々な見解もあるようだが、その中には家光は二代・秀忠の子ではな
<小浜城>の”城門”を巡る-酒井家邸宅門、藩校”順造館門”が現存
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<七日市陣屋、吉井陣屋)>の”城門”を巡る-前田家支藩の陣屋門、鷹司松平家の表門が残ります
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
筆者の生息地・熱田では、地元の熱田についてもっとよく知ろう、もっとよく 知って貰おうとの趣旨のイベントがこ数年続けて開催されています。 うっかりすると噛みそうなタイトルですが、「あったか!あつた魅力発見市」と 銘打っています。 もっとも、こうした地元の啓発・情報発信という...
江戸幕府第二代将軍である父・秀忠(1579-1632年)とともに上洛(1623年)した 徳川家光(1604-1651年)は、朝廷より,将軍宣下を受けました。 第三代将軍の誕生です。 そして二年後、大御所だった秀忠が死去した際には再びの上洛を果たしました。 その大きな目的の...
江戸幕府第三代将軍・徳川家光(1604-1651年)のエピソードには割合ユニークに 感じられるものも少なくありません。 たとえば、将軍職に就任した際に諸大名に発したこんな言葉。 ~余は生まれながらの将軍である~ 将軍になる人自体が非常に稀である上に、そこに「生まれながらの...
<二条城(前編)> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-国宝”二の丸御殿”
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。 「御殿」については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。 全国「御殿」を巡…
<江戸城> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-”喜多院”へ移築された江戸城”西の丸別院御殿”
全国の城郭建造物「御殿(居館)シリーズ」をお届けしています。 御殿については、「はじめに」の中で、軽く触れましたのでどうぞご覧ください。 全国「御殿」を巡る”…
源氏物語絵巻の公開があると知って行きました。尾張徳川家が保管してきた宝物の数々です。音声ガイドが国仲涼子さんだったので、つい借りました。 (広告:暑くなってきたので、ハンディー扇風機を紹介します。) もののふの備え 武士ですから、甲冑や陣太
江戸幕府の第三代将軍となった徳川家光(1604-1651年)の政治姿勢を眺めると、 少なからず「上から目線」であることに気が付きます。 家光の祖父である初代将軍・家康(1543-1616年)も、また父である二代将軍・ 秀忠(1579-1632年)も、かつては諸大名らと共に...
滝山寺境内の滝山東照宮は、三代将軍・徳川家光の命により勧進されたものであり、日光、久能山とともに、東照宮三宮とされています。正保元年(1644年)、徳川家光は徳川家康が生まれた岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、酒井忠勝、松平正綱らに命じてその場所の選定を行わせたところ、家康もよく訪れていた滝山寺に観請するのが良いということになり、正保3年(1646年)9月17日に創建されました。創建以来、滝山寺が別当...
久能山東照宮に行くには、「静岡鉄道日本平ロープウェイを利用する方法と「久能山下からの徒歩ルート」があります。車:東名静岡・清水インターより日本平山頂(約40分)⇒ 山頂より日本平ロープウェイ(5分)バス:JR静岡駅より、しずてつジャストライン日本平線(約50分)終点「日本平」で下車すると、ロープウェイ乗場入口です。私はロープウェイを利用しました。この前の台風で山肌が削られたり、崩れたりしたところがあるそう...
東京浅草の浅草寺の総門である雷門、最初の門は平公雅(たいらのきんまさ)によって42年(天慶5)に建てられました。五重塔は、天慶5年(942)平公雅が本堂と共に建立したのを初めとして、その後数度倒壊、炎上に遭いましたたが、その都度再建されました。境内からスカイツリーが見えます。平公雅 たいらの-きみまさ平安時代中期の武人。平良兼(よしかね)の子。平将門(まさかど)の従兄弟。一族と抗争していた将門と対立,天慶(...
歴史人「徳川15代将軍ランキング」総合1位は?町人人気1位は?女好き1位は?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、歴史人「徳川15代将軍ランキング」総合1位は?町人人気1位は?女好き1位は?です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想
目次基本情報御由緒御朱印境内案内参拝を終えて地図基本情報神社名:雉子神社御祭神:日本武尊・天手力雄命・大山祗命社格等:村社鎮座地:東京都品川区東五反田1-2…
浜松城から歩くこと10分。五社神社・諏訪神社があります。五社神社は、徳川家康によって、2代将軍・徳川秀忠誕生の際に産土神(うぶすながみ)として、浜松城内から現在地に遷されました。家康は、その後も子供たちのお宮参りや、自身の厄除けの祈祷を五社神社で行ったといわれています。また諏訪神社は、3代将軍・徳川家光によって、現在地に遷され、昭和35年(1960)、隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社を合祀し、五社神社...
顕弘山 蓮花院 極楽寺(→神奈川県横浜市緑区西八朔町)は創建年代の詳細は不明ですが、戦国時代に僧の元海が中興開基したと伝わる真言宗豊山派寺院です。元海は1533(天文2)年に死去しているため、中興は武蔵国が扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の領国であった頃と推察されます。ご住職の話によると、本山の星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の住職の多くが、この極楽寺の住職を経てから王禅寺に入ったとのこ...
二度にわたる「大坂の陣」(冬1614年/夏1615年)を制したことによって、かつての主家・豊臣家を滅亡にまで追い込んだ徳川家康(1543-1616年)は、その後も諸大名をコントロールすべく対策を怠ることはなかった。目につく大名に対してはしっかりイチャモンをつけ、次にはその
【東京タワーとその周辺その4】芝東照宮の几号水準点、家光が植えた!?天然記念物の公孫樹、社殿に見入る!
2023年4月10日、前回の記事からの続きです。不意に現れた芝東照宮(芝公園4-8-10)芝公園の一画に鎮座しています。御祭神は徳川家康公。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされています。 鳥居の前が駐車場になっているのが少し残念。扁額は平成12年(2000)に改修されたもの。「家達」と書いてあります。徳川家達(とくがわいえさと)とは、徳川宗家第16代当主。幻となった「1940年東京オリンピック」...
岡崎の善立寺は、1467年(応仁元年)に日護が安城に創建したのが始まりとされています。安祥城主であった松平親忠が深く信仰を寄せており、1497年(明応6年)、安祥城主松平親忠より田地3反が寄進されました。その後、親忠の曾孫である松平清康が岡崎城に入ると、1532年(天文元年)に本寺も岡崎へ移転しました。1543年(天文12年)に松平広忠より寺内と田2反を安城の替地として寄進されています。1590年(天正18年)、徳川家康が...
山田風太郎 (ふうたろう) のSF時代小説「柳生十兵衛死す」を読んだのは今年の1月でした。二人の剣豪が主人公として登場します。一人は江戸時代の3代将軍、徳川家光の頃に生存していた時代劇でお馴染みの「柳生十兵衛」。そして、もう一人は室町時代の3代将軍、足利義
掛川城より東に500mほどのところにあった掛川古城は、山内一豐が現在の位置に掛川城を築城する以前、戦国時代の明応6年から文亀元年の間に、今川氏が遠江支配の拠点として重臣・朝比奈泰煕に築かせたと言われています。その後、遠江における今川氏の勢力拡大に伴い、掛川古城では手狭となり、永正9年から10年頃に現在の地に掛川城が築かれました。龍華院は、掛川古城があったところで、東側には空堀が残っています。1568年、掛川城...
藤沢御殿の堀跡(→神奈川県藤沢市藤沢2丁目)は、現在の藤沢市民病院と藤沢公民館の間にあった藤沢御殿(→徳川将軍家の宿泊所)とその堀跡です。小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東入封を果たした1590(天正18)8月1日以降、家康は領国支配の拠点、休憩・宿泊所として御殿や御茶屋を設置しました。御殿は、江戸に至る街道沿いの府中・小杉・神奈川・鎌倉・藤沢・中原・大磯・箱根・元箱根に作られました。藤沢御殿は神奈川御殿と同時...
「大奥(男女逆転)」映画版/TBS版/NHK版 キャスト比較
映画やドラマのリメイク作品のキャスト比較。リメイク以外の、同原作・同テーマの作品も比較。その他気になったこと、好きな事をを調べてまとめています。
東寺(とうじ)国宝 五重塔は徳川家光が再建 日本一の高さ 京都
日本で最初に作られた密教寺院で、弘法大師空海によって日本ではじめての密教寺院になり、真言密教の根本道場となりました。五重塔(国宝)は高さ54.8mを誇り、日本一の高さの木造建築で、落雷などで焼失しましたが修復され、現在の五重塔は徳川家光の寄進による江戸時代前期のものだそうです。 国宝の金堂は、東寺の中心堂宇で、空海に下賜された823年までには完成していたと推定さています、現存の建物は1603年に再建されたもで、建物内部には、本尊の薬師如来と日光菩薩・月光菩薩像などが安置、その周囲には十二神将などの仏像がずらり並び、その迫力に圧倒されます。 講堂には、密教の教えを視覚的に表した、立体曼荼羅(りったいまんだら)の形で、大日如来像などが安置されています。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2009.07.22 京都府京都市南区九条JR..
こんにちは、lemonです大奥、どんどん面白くなってる家光編もよかったけど綱吉編も期待できそう3人の将軍それぞれみんな素敵〜4話の感想はこちら↓↓『大奥〈三代…
こんにちは、lemonです今日は愛知県知事選挙だったので投票に行ってきましたよまた大村さんになるのかな……。大奥〈三代家光・万里小路有功編〉4話2〜3話の感想…
岡崎市明大寺町にある六所神社は、松平氏発祥の地である松平郷の六所神社より祭神の勧請を受けて、徳川家康の祖父・松平清康が創建しました。一之鳥居松平家の産土神として松平家・徳川家の崇敬が篤く、江戸幕府の厚い保護を受けました。二之鳥居家康誕生の際には、松平氏の産土神としての拝礼があったといわれ、現在も「安産の神様」として信仰されている神社です。5万石以上の大名だけが上ることを許されたという石段極彩色の楼...
春日局 下働きから大奥のラスボスへの出世 楽しい日本史 -偉人編- 21
徳川家光の乳母(めのと)として知られる春日局。その春日局がどのように生まれ、どのように大奥のラスボスのポジショ
こんにちは、lemonです単発ドラマだと思ったら連ドラでした!家光の回も面白かったです春日局、お万の方といえば、松下由樹さんと瀬戸朝香さんのイメージだな忘れて…
「西福寺」に、埼玉県で一番高い木造建築の三重塔に会いに行った!【埼玉・川口市】
埼玉県川口市の西福寺には、県内3ヶ所のみ現存の江戸時代の三重塔の一塔が残る。県内で最も高い木造建造物です。徳川将軍家光の長女千代姫が奉納者であったなど、その興味深い歴史を振り返りながら、平安時代創建の古刹の境内を巡ります。
NHKドラマ10『大奥』第3話・三代将軍家光・万里小路有功編◆家光(堀田真由)の過去…
『大奥』第3話・三代将軍家光・万里小路有功編有功(福士蒼汰)は、家光(堀田真由)から贈られた猫に『若紫』と名付ける。若紫の存在で家光と有功の距離は次第に縮まっていく。一方で、有功の部屋子・玉栄は有功のことを良く思わない者たちから嫌がらせを受
「おせんげんさん」の名で親しまれている静岡浅間神社は、神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の3社と4つの境内社の総称で、賎機山(しずはたやま)の麓に鎮座しています。古来より時の権力者からの保護を受けてきましたが、竹千代(徳川家康)は幼少の頃今川氏の人質として、ここから約1kmのところにある臨済寺に預けられていた頃から、生涯に渡って当社を篤く崇敬したそうです。竹千代は、14歳の時、今川義元が烏帽子親となって、...
楽しい日本史 -戦乱と泰平の世へ- 徳川家光の統治と外交政策 家光はなにをした
江戸幕府の3代将軍 徳川家光が何をしたかを簡単に解説 徳川家光って何をしたの? 何がすごかったの? 参勤交代っ
NHKドラマ10『大奥』第2話・三代将軍家光・万里小路有功編◆春日局(斉藤由貴)が残虐で怖い!!
『大奥』第2話・三代将軍家光・万里小路有功編謎の奇病「赤面疱瘡(あかづらほうそう)」が流行り始めた頃、3代将軍・徳川家光が死亡。家光の乳母である春日局(斉藤由貴)は、将軍の死を隠そうと、実の息子である稲葉正勝にあることを告げる。その6年後、
ここから徳川家康の廟所参道を進みます。廟門から神廟までの間をつなぐ参道には、家康公に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が立ち並んでいます。神廟家康の遺骸が埋葬された場所に立つ廟当初は小さな祠が建てられていましたが、徳川家光によって高さ5.5mまわり8mの石塔が建てられ、家康の遺命に従い、西向きに建てられています。墓の裏側さて、家康といえば天海の存在も忘れてはいけません。1608年、駿府城にて天海は家康との初対面...
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 幸運エネルギーをONにして人生を書換える一生開運アチューメント2800名以上…
大龍山 福昌寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)は、僧の国抽太山が開山したと伝わる曹洞宗寺院です。国抽太山は江戸時代前期の1651(慶安4)年4月15日に死去しているので創建はそれ以前のことと分かります。3代将軍徳川家光が死去するのは国抽太山が死去した5日後の4月20日のことです。 福昌寺は、江戸時代には本山・末寺の制により幕府より15石の寺領を拝領した慈雲山 大林寺(→神奈川県横浜市緑区長津田6丁目)の末寺として幕藩体制の...