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訪問日:2023年12月2日今年(2023年)は北条氏綱が伊勢から北条に改称して500年という記念の年であり、諏訪間館長のX(Twitter)で12月に小田原北条氏誕生500年記念講演会「戦国大名 北条氏綱を語る」が開催されることを知っ...
医王山 金剛寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)は、江戸時代中期の1748(寛延元)年に長谷川道全という人物が開基し、約40年後の1786(天明6)年に大継良智(→本山の雲松院19代住職)が曹洞宗寺院として開山したと伝わります。創建の時期は天明の飢饉により多くの死者が出ていた頃と重なります。この地にはもともと北条氏綱(→小田原北条氏2代目)統治下の1540(天文9)年に明翁永寿という僧が創建した草庵があったようです。真偽の程は定かで...
法性山 円融寺(→神奈川県川崎市高津区子母口)は、北条氏綱統治下の1532(天文3)年に池上本門寺(→東京都大田区池上1丁目)の9代住職日純によって開山されたと記される日蓮宗寺院です。創建寺は真言宗寺院だったようですが、その住職の正善坊と日純が問答をした結果、日蓮宗に改宗したと伝わります。円融寺は過去に何度か火災で本堂を焼失したらしく、近世では文化年間(→1804年~1818年)に、近代では太平洋戦争末期の1945(昭和20)年4月...
顕弘山 蓮花院 極楽寺(→神奈川県横浜市緑区西八朔町)は創建年代の詳細は不明ですが、戦国時代に僧の元海が中興開基したと伝わる真言宗豊山派寺院です。元海は1533(天文2)年に死去しているため、中興は武蔵国が扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の領国であった頃と推察されます。ご住職の話によると、本山の星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の住職の多くが、この極楽寺の住職を経てから王禅寺に入ったとのこ...
関戸城跡(→東京都多摩市桜ヶ丘1丁目)は、金比羅宮付近の「天守台」と呼ばれた地域にあった中世の軍事施設跡です。多摩市教育委員会が設置した標柱には「一帯の山を城山」といい「物見台的城塞として敵を察知したり、急変を狼煙(のろし)などで知らせる通信拠点であった」と記されています。「天守台」は江戸時代になってからの呼び名ですが、江戸時代に関戸城はなく、この場所に天守閣が存在したことはありません。1213(建暦3)年の...
↑東京都調布(ちょうふ)市の深大寺(じんだいじ)に残る中世城郭、標柱には「都旧跡」とありますが、現在は国指定史跡の深大寺城跡を訪問しました。史跡の概要は、文化遺産オンライン様の解説より、一部を以下に引用させて頂きました。深大寺城跡は、関東平野南部に広がる武蔵野台地の南縁辺部の、標高約50mを測る舌状台地の一角に所在する、3つの郭からなる戦国時代の城跡である。 台地の東側には開析谷によって形成された...
鵠沼山 清光院 万福寺(→神奈川県藤沢市鵠沼神明3丁目)は鵠沼最古の寺院で、鎌倉時代中期の1245(寛元3)年に、親鸞(しんらん)の直弟子で関東六老僧の1人のである源海が開山・創建した浄土真宗大谷派(→東本願寺)寺院です。『新編相模風土記稿』には「寛元三年(→1245年)僧源海創建す、俗姓は安藤駿河守隆光、武州(→武蔵国)荒木住人なり」と記されていますが、「駿河守」というのは誤伝となります。当時の駿河守は伊具北条有時(→義時の...
里見義豊が、安房里見氏の当主になったのは、未だ、五歳であったため、里見義通の弟、叔父の実堯が、義豊が、十五歳になるまで、後見人として、家督を預かることになっ…
無量山 慈眼寺(→神奈川県藤沢市渡内)は、小田原北条氏の2代北条氏綱(ほうじょううじつな)の信頼を受けて一門に迎えられた北条綱成(ほうじょうつなしげ→玉縄城主)が、僧の韓嶺を開山に迎え、天文年間(→1532年~1555年)に開基したと伝わる曹洞宗寺院です。この場所は、平将門の乱(→939年~941年)の平定にも参加した村岡五郎こと平良文(たいらのよしふみ→下総千葉氏の祖)の邸宅跡にあるといいます。江戸時代には本山・末寺の制により...
豊栄稲荷神社(とよさかいなりじんじゃ→東京都渋谷区渋谷3丁目)は、鎌倉時代前期に渋谷高重が創建した田中稲荷社と、江戸時代に但馬豊岡藩(→外様大名京極氏)の下屋敷で祀られた豊沢稲荷社の2社を前身とする神社です。田中稲荷社はもともと現在の渋谷駅(→東京都渋谷区道玄坂1丁目)近くにあり、戦国時代の1524(大永4)年に北条氏綱と扇谷上杉朝興の合戦の際に被害を受け、江戸時代前期の1703(元禄16)年8月に再建されたようです。江戸時...
金王八幡宮(こんのうはちまんぐう→東京都渋谷区渋谷3丁目)は、平安時代後期の1092(寛治6)年に渋谷氏の祖・河崎高家によって創建され、高家の子・渋谷重家はここを中心に居館(→「渋谷城」)を築き渋谷荘(しぶやのしょう→荘園)の経営を行いました。以来、金王八幡宮は渋谷氏の氏神として崇敬され、神仏習合の頃は、隣接する渋谷山 親王院 東福寺が別当寺として祭祀を司りました。縁起によると、渋谷重家には嫡子(→家督継承者)がなく金...
渋谷山 新王院 東福寺(→東京都渋谷区渋谷3丁目)は、平安時代後期の1173(承安3)年に源義家(→源頼義の嫡子)が開基、僧の円鎮が開山した天台宗寺院です。創建当初は「新王院」といい、鎌倉時代前期の1202(建仁2)年にこの地の地頭渋谷高重が住職の円証に帰依したことから「渋谷山 常照院 円証寺」と改めたといいます。東福寺と寺号が改められたのは江戸時代に堂宇が再興されてからですが、ここでは全て「東福寺」で表記を統一します。1...
妙厳山 本覚寺(→神奈川県鎌倉市小町1丁目)は、室町時代中期の1436(永享8)年に鎌倉公方足利持氏が開基、僧の日出が開山した日蓮宗寺院です。2代住職の日朝(→のち身延山久遠寺の11代住職)の時代に、日蓮宗総本山の身延山久遠寺(→山梨県南巨摩郡身延町身延)より日蓮の骨を分けたので、「東身延」(ひがしみのぶ)とも呼ばれています。本覚寺が建つ場所は鎌倉幕府(→頼朝期の大蔵幕府)の裏鬼門にあたり、頼朝が鎮守のため夷堂(えびすどう)...
青龍山 円福寺(→神奈川県川崎市高津区下作延7丁目)は、戦国時代前期に小田原北条氏の2代北条氏綱の家臣となった増田駿河守満栄が開基、僧の雪点が開山した曹洞宗寺院です。山号は、創建以来彗日山→蒼龍山→青龍山と変遷したようです。増田駿河守は、北条氏の軍役・課税台帳である『小田原衆所領役帳』によると下作延(しもさくのべ→川崎市高津区)で70貫の知行を受けているので、合戦の際には本人+9人の足軽を率いて戦場に赴くことが...
松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)は、鎌倉時代後期の元亨年間(1321年~1324年)に本覚院として創建された寺院を、戦国時代前期の1523(大永3)年に北条氏綱の家臣・二宮織部正(にのみやおりべのじょう)が父親の菩提のため見誉上人を招いて泉谷寺として中興開基したと伝わる浄土宗寺院です。現在は横浜市港北区ですが江戸時代には都筑郡・橘樹郡の郡境にあり、本堂は橘樹郡、庫裏は都筑郡にありました。泉谷寺が開基...