戦国巡礼絵巻
住所
神奈川県
出身
ハンドル名
ラーマさん
ブログタイトル
戦国巡礼絵巻
ブログURL
https://sengokubook.com/
ブログ紹介文
日本各地に残るお城、戦国時代関連の展示会、寺社などを訪れた時に感じたことを紹介しています。
自由文
-
更新頻度(1年)

43回 / 239日(平均1.3回/週)

ブログ村参加:2019/01/20

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ラーマさんのブログ記事

1件〜30件

  • 「戦国北条氏の城を歩く」講座と山中城めぐり

    訪問日:2019年9月7日 歴史作家である伊東潤さんの講座「戦国北条氏の城を歩く」の聴講(場所:三島市民文化会館)にプラスして、午後に伊東潤さんと一緒に山中城をめぐるイベントが開催されることを伊東潤さんのメールマガジンで知り、申し込んでいました。以下、参加して印象に残ったことを書きます。 講座「戦国北条氏の城を歩く」 ・豊臣秀吉軍が西から小田原城を攻める際、3つのルートがあり、その1つが東海道で、

  • 北条氏康ゆかりの吉兆の亀:松原神社

    訪問日:2019年9月1日 以前小田原を訪問した時に入手した小田原城裏路地名所MAPという案内に松原神社の紹介があり、以下の「吉兆の大亀」が載っていました。 吉兆の亀 戦国時代、この神社の池に奉納された大きな亀を吉兆であるとして、小田原北条氏3代目当主北条氏康が参詣し、舞を奉納した。すると、その翌年、日本三大夜戦の一つ「河越の夜戦」で関東管領軍を大逆転の末に破った。この戦いは北条氏が関八州に大きく

  • 大坂冬の陣図屏風:誰が何のために描かせたのか?

    大坂の陣を描いた屏風絵としては、黒田家に伝来していた大阪夏の陣図屏風が有名です。私も大阪城のお土産として、大阪夏の陣図屏風の絵を購入したことがあります。大坂の陣は冬の陣と夏の陣がありましたので、大坂冬の陣図屏風も存在します。しかし、原本は所在不明で、色の指示が書き込まれている未完成版が東京国立博物館に残されているだけです。 凸版印刷株式会社は、書き込まれた色の指示を基に大坂冬の陣図屏風をデジタル技

  • 淀殿のお墓:大阪 太融寺

    訪問日:2019年8月17日 20年ぐらい前のことだと思いますが、仕事で太融寺周辺のホテル(法華クラブ大阪)に宿泊した際、ホテルにあった周辺案内を何気なく見てみると、淀殿の墓とあり、「このような場所に淀殿のお墓があるのか」と驚き、訪れた記憶が今でも残っています。お盆のUターン時に少し時間がありましたので、太融寺を訪れることにしました。 太融寺はJR大阪駅から徒歩で10分ほどの場所にあります。大阪の

  • 夏炎天下の姫路城

    訪問日:2019年8月17日 お盆休みの帰省の折、姫路城を訪れました。ゴールデンウィークの帰省の際にも訪問したのですが、その時は有料区域に入る待ち時間が1時間半とあり、入城を諦めていたのでした。そこで今回改めて、姫路城を訪問することにしました。 JR姫路駅からの眺め 電車がJR姫路駅に近づくと、車窓から姫路城を探します。無事その姿を確認することが出来、姫路に到着したなと実感しました。姫路駅の中央改

  • 夏炎天下の明石城

    訪問日:2019年8月11日 お盆休みの帰省の折、明石城に立ち寄りました。明石城にはゴールデンウィークにも訪れたのですが、その時は天気があまり良くなく、気に入った写真が撮れなかったので、夏空の下の明石城を撮りたかったからです。また5月3日にNHKで放送されたテレビ番組「あなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル「第3弾」」で明石城のお薦め撮影ポイントが紹介されていたのですが、前回訪問時は

  • 明智光秀の首塚:京都 東山

    訪問日:8月11日 BS朝日で放送された「京都ぶらり歴史探訪『歩くとわかる明智光秀』」で、京都東山にある明智光秀の首塚と和菓子屋・餅寅が販売している光秀饅頭が紹介されているのを見て、「必ず訪れよう」と思い、お盆休みの帰省を利用して、訪れることにしました。 明智光秀の首塚 首塚は京都市営地下鉄東西線の東山駅からほど近い場所にありますので、公共機関を利用して訪れるならば東山駅で下車するのが一番です。し

  • 武田家の家宝 楯無鎧 公開に行きました

    訪問日:2019年8月7日 城めぐりアプリの歴史イベント情報で、菅田天神社(山梨県甲州市)に伝わる楯無鎧が8月7日に公開されることを知りました。 武田家に代々伝わったことで知られている楯無鎧。戦国時代好きとしては一度は実物を見ておきたいものです。ということで、休みを取って訪問することにしました。 塩山駅 菅田天神社の最寄り駅であるJR塩山駅までは少し贅沢ですが、特急かいじに乗車することにしました。

  • 小田原城天守閣「センゴク権兵衛」原画展の感想

    訪問日:2019年7月24日 2018年は伊勢宗瑞(北条早雲)が北条氏綱に家督を譲ってから500年、2019年は伊勢宗瑞が亡くなってから500年ということで、小田原市では、2018年と2019年の2年間に渡り「北条早雲公顕彰五百年事業」を行っています。そして、その一環として、2019年7月6日から9月8日まで、小田原城天守閣で特別企画展『「センゴク権兵衛」原画展ー「センゴク権兵衛」に描かれた小田原

  • 京都ぶらり歴史探訪「歩くとわかる明智光秀」の感想

    BS朝日で、6月25日に京都ぶらり歴史探訪「歩くとわかる明智光秀」が放送されました。興味深い内容でしたので、録画し、やっと見ることが出来ましたので、その感想を以下に書きます。 光秀饅頭、光秀首塚 京都東山にある和菓子店・餅寅では、明智家の家紋である桔梗紋をあしらった光秀饅頭が売られている。光秀饅頭が売られている理由は、餅寅が明智光秀の首塚を守り続けているからである。元々は明智光秀の子孫が塚を守って

  • 横浜市歴史博物館での「道灌以後の戦国争乱」に行きました

    訪問日:2019年7月7日 横浜市歴史博物館では6月15日から7月31日まで、企画展「道灌以後の戦国争乱」を開催しています。この展示が開催されることを知った時、横浜市に住む私にとって横浜市歴史博物館は非常にアクセスし易く、かつ展示内容も非常に興味深いものなので、必ず訪れようと思いました。また、フロアレクチャー(展示解説)が3回開催されるとありましたので、フロアレクチャーが開催される7月7日に訪れる

  • 小雨の掛川城

    訪問日:2019年7月1日 掛川近郊に所用があり、6月30日は掛川市のホテルに宿泊。翌7月1日に少し時間があったので、掛川城を訪れることにしました。 大手門エリア まずは大手門からです。といっても、実はホテルから天守を目指して歩いていると偶然大手門が目に入ったので、立ち寄ったのが真相です。訪問後調べると、平成7年(1995年)に復元されたものとのことです。 掛川城大手門礎石根固め石、掛川城大手門番

  • 直江兼続の「愛」はどんな意味

    7月4日、dTVチャンネルで「乃木坂46山崎怜奈 歴史のじかん 知れば知るほど愛おしい直江兼続」を見ました。直江兼続は大河ドラマ「天地人」で一般には有名になった武将ですが、私は前田慶次が主役の小説「一夢庵風流記」や漫画「花の慶次」に出てきた直江兼続の印象が最も強いです。 番組の冒頭、直江兼続がかぶっていた兜につけられていた前立の「愛」は何を表しているのかという話になり、ゲストの外川淳さんは愛は直江

  • 知恵泉「徳川三代の天守 創業者 家康のシンボル、後継者秀忠・家光のシンボル」の感想

    NHKのテレビ番組「知恵泉」で、6月11日に「徳川三代の天守(前編)創業者 家康のシンボル」、6月25日に「徳川三代の天守(後編)後継者秀忠・家光のシンボル」が放送されました。 知恵泉のサイトには、前編に関して 徳川家康・秀忠・家光の3代将軍は、代替わりの度に江戸城天守を3度建て替えた。なぜなのか?それぞれの将軍が天守にこめた思いを2回シリーズで探る。今回は家康の天守。 関ケ原の戦いに勝利し、将軍

  • 東京国立博物館 月例講演会「日本のよろい」を聴講しました

    訪問日:2019年6月22日 東京国立博物館では毎月、月例講演会を開催しており、6月のタイトルは「日本のよろい」でした。東京国立博物館のサイトには 日本のよろい(甲冑)は、武具であると同時に、様々な材料や技術が集められた美術工芸品です。その見どころと魅力をわかりやすくご紹介します。 とあり、私はよろい(甲冑)に関しては全然知識がないので、甲冑に関する知識を増やす良い機会だと思い、聴講することにしま

  • 東京国立博物館 月例講演会「日本のよろい」を聴講しました

    訪問日:2019年6月22日 東京国立博物館では毎月、月例講演会を開催しており、6月のタイトルは「日本のよろい」でした。東京国立博物館のサイトには 日本のよろい(甲冑)は、武具であると同時に、様々な材料や技術が集められた美術工芸品です。その見どころと魅力をわかりやすくご紹介します。 とあり、私はよろい(甲冑)に関しては全然知識がないので、甲冑に関する知識を増やす良い機会だと思い、聴講することにしま

  • 北条氏 禄寿応穏と書かれた虎の印における虎の意味

    戦国時代、小田原を本拠地として関東一円を支配した北条家は、2代目の北条氏綱から禄寿応穏(ろくじゅおうおん)と書かれた虎の印を使用していました。 禄寿応穏とは「領民の禄(財産)と寿(生命)は応(まさ)に穏やかなるべし」を意味し、善政を敷いた北条氏に相応しい言葉だといえます。では、虎にはどのような意味があるのでしょうか。現代人の意識では、虎は百獣の王であるライオンと並ぶ強い動物ですので、虎が北条氏で、

  • 早雲公五百年忌シンポジウム「小田原北条氏とその城郭」を聴講しました

    訪問日:2019年5月2日 北条早雲は1519年に没したと言われており、今年(2019)は没後500年の節目の年となります。ということで、様々なイベントが予定されており、その中の一つとして、 ・早雲公五百年忌シンポジウム「小田原北条氏とその城郭」 が開催されると案内がありましたので、チケットを購入し、当日、会場の小田原市民会館大ホールを訪れました。 プログラムは ・趣旨説明「小田原北条氏とその城郭」 諏訪間 順さん ・記念講演「秀吉が造った石垣山城と秀吉が見た北条の城」 中井 均さん ・記念講演「小田原北条氏の城」 黒田 基樹さん ・お城トーク 「北条氏の城のみどころ・城めぐり」 萩原 さちこさん、春風亭昇太さん、中井均さん、黒田基樹さん、諏訪間順さん でした。本シンポジウムは有料ですので、全てを説明することはせず、中井さんの記念講演のみ紹介したいと思います。 秀吉が造った石垣山城 織田信長は小谷城攻めの際、豪華な陣城を構えており、敵方の戦意を消失させる狙いがあったと考えられる。また浅井方の磯野員昌が立て籠もる佐和山城を攻めた際、陣城を構える包囲網を完成させ、7ヶ月の籠城戦の末、佐和山城は開城して、降伏している。つまり、自軍に損傷を与えること無く、勝利している。 石垣山城は小田原合戦の陣城として築城された。豪華な陣城、自軍に損傷を与えずに勝つという、上記に示した特徴を有しているが、総石垣による築城という異なる特徴がある。 石垣山城に天守台はあったが天守があったかは記録に残されていない。陣城に天守台というのは賤ヶ岳の合戦で柴田勝家の本陣に天守台があった。よって、陣城に天守台は異例ではなく、石垣造りが異例であった。 関東勢が見たこともないような織豊系城郭そのものを築くことにより、戦意を喪失させたのである。 → 小田原城は惣構でしたので、兵糧の心配は約20万人が参陣していた豊臣方のほうにあったと思います。敵の戦意を喪失させる豪華な城ということで、総石垣の城を短期間で造った秀吉のアイデア、実行力は凄かったと改めて思いました。 秀吉が見た北条の城 惣構の城

  • 明石城築城400周年記念 坤櫓・巽櫓の特別公開(坤櫓編)

    訪問日:2019年4月28日 2019年は明石城築城400周年ということで、明石城築城400周年記念事業の期間中(3月23日~11月30日)様々なイベントが開催され、その一つとして、重要文化財に指定されている坤櫓と巽櫓が公開されます。 私は ・兵庫県出身で、明石城の櫓は小さい頃から見ていた ・坤櫓と巽櫓の中には入ったことがない ということで、是非、期間中に訪れたいと思っており、ゴールデンウィーク中に訪問することにしました。 明石城完全攻城ガイドブック JR明石駅で下車。中央改札から出ると、明石城址である明石公園がある北口ではなく、反対の南口に向かいました。観光案内所で「明石城完全攻城ガイドブック」を購入するためです。値段は100円と大変良心的な値段で、内容も分かりやすく、明石城を訪れた際は購入することを強くお薦めします。 明石城 坤櫓 北口から明石駅を出、南堀を見ながら、歩を進めると、太鼓門に到着しました。石垣の向こうに坤櫓と巽櫓が見え、良い写真ポイントだと思います。 中に入ると、両櫓がよりはっきり見え、良い感じです。両櫓が建つ石垣の近くまで来ると、「こんなに石垣が高かったのか」と驚きました。小さい頃から何度か明石公園に来ており、この石垣も何度か見ているはずですが、興味を持って見るのとそうでないのでは、同じものを見ても、感じ方が全然違うと改めて思いました。 本丸まで上がり、坤櫓と巽櫓を土塀に沿って見ると、こちらも良い感じです。 坤櫓と巽櫓はどちらも公開されている日がありますが、基本的はどちらかしか公開されていません。訪れた日は坤櫓が公開の日でしたので、坤櫓に向かいました。公開日は「櫓公開カレンダー」(pdfファイル)に記載されていますので、訪れる前に確認しておきましょう。 訪れると、1階は常時公開しており、2階と3階は時間制で、整理券を配っていましたので、整理券を貰い、時間まで1階を見学することにしました。中には明石城のジオラマがあり、西に明石川、北側に剛ノ池という天然の堀があり、お城は六甲台地の端に築かれていることが分かり、有意義でした。またジオラマを見ていると、ガイドの方が気さくに声をかけてくれ、色々話せたのも楽しかったです。

  • 明石城築城400周年記念 坤櫓・巽櫓の特別公開(坤櫓編)

    訪問日:2019年4月28日 2019年は明石城築城400周年ということで、明石城築城400周年記念事業の期間中(3月23日~11月30日)様々なイベントが開催され、その一つとして、重要文化財に指定されている坤櫓と巽櫓が公開されます。 私は ・兵庫県出身で、明石城の櫓は小さい頃から見ていた ・坤櫓と巽櫓の中には入ったことがない ということで、是非、期間中に訪れたいと思っており、ゴールデンウィーク中に訪問することにしました。 明石城完全攻城ガイドブック JR明石駅で下車。中央改札から出ると、明石城址である明石公園がある北口ではなく、反対の南口に向かいました。観光案内所で「明石城完全攻城ガイドブック」を購入するためです。値段は100円と大変良心的な値段で、内容も分かりやすく、明石城を訪れた際は購入することを強くお薦めします。 明石城 坤櫓 北口から明石駅を出、南堀を見ながら、歩を進めると、太鼓門に到着しました。石垣の向こうに坤櫓と巽櫓が見え、良い写真ポイントだと思います。 中に入ると、両櫓がよりはっきり見え、良い感じです。両櫓が建つ石垣の近くまで来ると、「こんなに石垣が高かったのか」と驚きました。小さい頃から何度か明石公園に来ており、この石垣も何度か見ているはずですが、興味を持って見るのとそうでないのでは、同じものを見ても、感じ方が全然違うと改めて思いました。 本丸まで上がり、坤櫓と巽櫓を土塀に沿って見ると、こちらも良い感じです。 坤櫓と巽櫓はどちらも公開されている日がありますが、基本的はどちらかしか公開されていません。訪れた日は坤櫓が公開の日でしたので、坤櫓に向かいました。公開日は「櫓公開カレンダー」(pdfファイル)に記載されていますので、訪れる前に確認しておきましょう。 訪れると、1階は常時公開しており、2階と3階は時間制で、整理券を配っていましたので、整理券を貰い、時間まで1階を見学することにしました。中には明石城のジオラマがあり、西に明石川、北側に剛ノ池という天然の堀があり、お城は六甲台地の端に築かれていることが分かり、有意義でした。またジオラマを見ていると、ガイドの方が気さくに声をかけてくれ、色々話せたのも楽しかったです。

  • 再建された尼崎城に初訪城

    訪問日:2019年4月27日 家電量販店の旧ミドリ電化(現・エディオン)創業者である安保詮(あぼ・あきら)さんが私費を投じて再建した尼崎城が2019年3月29日に一般公開されました。安保さんは1959年に旧ミドリ電化の前身「みどり電気」を尼崎市で創業し、2015年に「創業の地に恩返しがしたい」と天守閣の復元を市に申し出、完成後の2018年11月30日に尼崎市に寄贈しました。 なるべく早く再建された尼崎城を訪れたいと思っていましたが、訪れる機会が恵まれましたので、阪神梅田駅に向かいました。 尼崎城へのアクセス 阪神梅田駅から電車に乗り、阪神尼崎駅で下車。ホームを降りて出口を探すと西口と北口があり、尼崎城に行くにはどちらに行くのか書いていませんでしたので(見つけられなかっただけかもしれません)、とりあえず北口から出ました(結論としては北口と西口のどちらかも行けますが、西口の方が良いと思います)。 北口から出てもどう行けば分かりませんでしたので、googleマップで確認すると、尼崎城は駅の南東方向にあることが分かり、そちらに向かって適当に歩いていくと天守が見え、早く天守のところに行きたいと思いましたが、庄下川があり、行くことが出来ません。令和の時代においても、尼崎城の外堀であった庄下川に阻まれてしまいました。 駅の方向を見ると庄下川を橋で渡っている人が見え、結局、また駅まで戻ってきました。線路に沿って東方向に歩くと、スロープがあり、その先に橋があり、渡ると尼崎城の天守まで直ぐです。 尼崎城 天守内部 外観を眺めた後、天守の中に入りました。 一階は無料ですが、上層階は有料で500円です。チケットを購入すると、まずはエレベーターで5階に行き、そこから下りながら見学するシステムでした。5階は「わがまち展望ゾーン」、4階は「ギャラリーゾーン」で、尼崎市で生まれた画家・萩原一青の名城手ぬぐい百城が展示してありました。3階は「なりきり体験ゾーン」、2階は「尼崎城ゾーン」でした。

  • 大阪城 テーマ展「戦国の世の祈り」

    訪問日:2019年4月27日 大阪環状線の電車がJR大阪城公園駅に到着すると、多くの人が下車しました。当日はゴールデンウィークの初日であり、「さすが大阪城は人気があるな」と思いましたが、大阪城ホールでコンサートがあるため、より沢山の人が下車したようです。 大阪城公園駅から少し歩くと大阪城ホールがあり、そこで左折し、しばらく歩くと、青屋門があり、それをくぐると、天守と内堀が見え、「格好良いな」と思いました。現在の天守は1931年に再建されたものであり、お城好きの中には評価しない人もいますが、私はとても良い天守だと思っており、3月23日にテレビ朝日で放送された「お城総選挙」で大阪城が第二位に選ばれたのも納得です。極楽橋と天守と石垣は本当に絵になる風景です。 少し歩くと、「豊臣秀頼 淀殿 自刃の地の碑」を示す案内があり、立ち寄りました。 慶長20年(1615年)の大阪夏の陣では、旧暦の5月8日、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母淀殿が山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えている。 それにちなんで平成9年(1997)、現在の山里丸の一画に大阪市の手によりこの記念碑が建てられた。 とあり、観光客が歩くルートから少し外れていますので訪れる人は少ないですが、私は大阪城を訪れた時には必ず訪れるようにしています。 少し歩き、天守の正面へ。改めて格好良いなと思います。また外国人の方が多かったです。海外から関西観光に来たならば、大阪城は外せませんね。大阪城天守閣では3月21日から5月19日まで「テーマ展 戦国の世の祈り」を開催していますので、それを見に行きました。 戦国の世の祈り まずは、あいさつが書かれており、そこの 日本が戦国乱世から天下統一へと向かう時代、政治・文化・宗教などあらゆる面で伝統的な価値観がゆらぎ、新しい秩序が作られてきました。その中にあって、なお人々は日々の営みの中で、あるいは人生の重要な局面で、人知を超えた存在を畏れ、その加護を受けようとしました。 という言葉が印象に残りました。令和の時代になり、科学技術の発展により、ますます新しいサービスや価値観が生まれてくると思います。そのような時代においても、神仏に対する思いというのは過去からずっと変わらないと思います。

  • 桜の彦根城

    訪問日:2019年4月14日 彦根城の夜桜を見た翌日、改めて、彦根城を訪れました。当日は12時頃から雨が降る予想で、かつ、人があまりいない時の写真を撮りたく、彦根城の観覧開始時刻である8時30分少し前に券売所に到着するようにしました。 いろは松近くの桜 まずは昨日、夜桜を見た場所へ。昨夜は沢山の人がいましたが、訪れた時は一人の方が写真を撮っているだけで、随分違うなと感じました。当日の天候は曇りでしたので、快晴時に比べて見劣りすると思いますが、それでも十分綺麗でした。 8時20分ぐらいに表門券売所に到着すると、既に10人ぐらいの方が並んでおり、少し驚きました。彦根城の観覧券には何種類かありますが、今回は彦根城・玄宮園を観覧できるチケット(800円)を購入し、中へ。 彦根城内 天秤櫓と廊下橋を通り、 太鼓門櫓を通ると、本丸に到着し、天守が見えました。彦根城の天守は大きくはありませんが、どっしりとした力強さを感じます。 着見台から見る、桜と石垣も良かったです。立派な石垣を見ていると、古城という気分を持ちました。 特別公開されている西の丸三重櫓の中にも入りました。 玄宮園 彦根城を観覧した後、玄宮園へ。玄宮園には何度か入ったことがありますが、今回が一番美しく感じられました。以前訪れた時と異なる印象を受けるのも再訪の楽しみですね。 最後に 彦根城は彦根観光の中心ですが、彦根市にはまだまだ沢山の見どころがありますので、これからも折を見て訪問したいと思います。

  • 彦根城の夜桜

    訪問日:2019年4月13日 どこで見たかは忘れましたが、彦根城の夜桜の写真がとても美しく、是非、訪れたいと思いました。今春は夜が寒い日が多く、桜の開花から満開までのペースが遅くなっており、日本気象協会の「国宝・彦根城の桜開花情報 2019」では「散り始め(満開後、50%以下の花が散っている状態)」でしたが、2日前までの「満開」でしたので、彦根城を訪れることにしました。 彦根城ライトアップ JR彦根駅で下車し、駅前から真っ直ぐ伸びる道を歩きます。突き当りで、左折し、いろは松の近くに来ると、沢山の人が集まっているのが見えたので、そこに行い、お城の方を見ると、写真で見た、桜がお堀の水面に映り込む幻想的な風景が目に入りました。 期待した通り、とても綺麗で、桜の状態が少し心配でしたが、訪れて良かったと思いました。桜と城は絵になる風景で、お花見の人気スポットになっているお城が各地にたくさんありますが、その中でも、彦根城の夜桜の美しさは全国でベスト10に入ると思います。 しかし、残念な点も有り、場所が狭く、かつ、沢山の人がいるので、ゆっくりと鑑賞が出来ないことが改善点に挙げられると思いました。 H3最後に 彦根城の夜桜は本当に綺麗ですので、一見の価値があります。交通の便も良いですので、まだ鑑賞したことがない方には強くお薦めします。

  • 「明智光秀・最期の謎!歴史研究者とたどる、戦国時代の小栗栖」ツアーに参加しました

    訪問日:2019年4月13日 「本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ、落ち延びる途中、落ち武者狩りの百姓に竹槍で刺されて深手を負い、自害した」 という話を初めて聞いて以来、明智光秀が百姓に刺された場所は人里離れた山奥というイメージをずっと抱いていました。 まいまい京都の4月開催コースに関する案内を見ていると、 【小栗栖】明智光秀・最期の謎!歴史研究者とたどる、戦国時代の小栗栖 - 光秀を討った"長兵衛"の正体とは!?小栗栖城跡から明智藪まで - を発見、集合場所が京都市営地下鉄東西線石田駅とあり、明智光秀が刺された場所は山奥ではなく、地下鉄の駅から歩いていける場所にあることを知って驚き、参加の申込みをし、参加できることとなりました。 小栗栖 石田駅の近くに山科川が流れており、山科川を挟んで、東側が醍醐、西側が小栗栖(おぐりす)だそうです。醍醐には、もちろん有名な醍醐寺があり、何度も訪れたことがありますが、反対側の小栗栖に訪れたのは今回が初めてでした。 「明智藪 天正18年6月13日 明智光秀が討たれたといわれる場所」と書かれた木碑の背後には現在竹藪はありません。これはずっと荒れ放題になっていた明智藪を来年の大河ドラマ「麒麟がくる」が始まると沢山の人が来ることが予想されるので、整備するためとのことです。竹の成長は早いので、夏には元に戻るそうです。ですので、現在の姿が逆に貴重かもしれませんね。 明智藪からほど近い場所にある小栗栖城跡にも立ち寄りました。戦国時代、小栗栖地区は飯田氏が在地の領主だったそうで、最初の写真の石碑には 「小栗栖の付近にさしかかったところを信長の近臣小栗栖館の武士集団飯田一党の襲撃によりあえない最後を遂げたといわれている」 と書かれており、刺したのが農民でなく、飯田氏ならば、小栗栖館(城)から出撃したのでしょうね。小栗栖城跡は私有地で許可がないと入れませんので、このようなツアーは貴重です。 ガイドの方が「(刺された後)明智光秀は何を思い、この辺りを進んでいたのか想像してみましょう」と話され、私は「本能寺の変を起こしたのは正しかったか」、「自分がやろうとしていた政治を後を継ぐ者に実現して欲しい」などを考えていたのかなと思いましたが、光秀ゆかりの地を色々訪れ、考えてみたいと思います。 最後に

  • 桜の名古屋城を見に行きました

    訪問日:2019年4月7日 名古屋市営地下鉄名城線市役所駅で下車。7番出口から地上に出ると、左側に石垣が見え、「やっぱり、名古屋城は大きいな」と感じました。 天守と桜 観覧料500円を払い、東門から中に入り、歩いていると、東南隅櫓と天守が見えてきました。天守を見るとワクワクしますね。清正公石曳きの像を見つつ、表二之門をくぐり、本丸に入ります。復元された本丸御殿があり、当然中を見学しますが、その前に天守を見たいと思い、歩を進めると、桜と天守が見え、その風景はとても綺麗でした。 本丸御殿 次は本丸御殿の中を見学。今回初めて名古屋城の本丸御殿に入りましたが、その完成度の高さに驚きました。おまけに写真撮影も可能で、一度の訪問でお気に入りの場所になりました。 単純に美しいですが、そこに込められた意味を知ることも大切です。 玄関には虎と竹が描かれており、よくある解説では、この画を見て「昔の人は豹(ひょう)を虎のメスだと思っていたので、虎と豹が描かれています」と説明されますが、もっと大切な意味があります。こちらの「牡丹に唐獅子 竹に虎」に書いてあるとおり、虎は象に勝てず、象が入って来れない竹藪に逃げ込みます。つまり、竹藪の中は虎にとって安心できる場所です。よって、玄関に竹と虎の画を描くことにより、来客者に「ここは安心できる場所ですので、リラックスして下さい」というメッセージを送っているのです。 鸞(らん)も彫られていました。Wikipediaには「鳳凰が歳を経ると鸞になるとも、君主が折り目正しいときに現れるとしている」と書かれており、徳川家が正しい政治を行っているので、鸞が出現していることを意味しています。鸞は先月訪れた二条城の二の丸御殿入り口にも彫られており、異なるお城で同じものを発見するのも楽しいですね。 上記のように、そこに込められた意味を知れば、より本丸御殿を楽しめると思います。もちろん、私も全部理解している訳ではないので、もっと学びもっと楽しみたいです。 名古屋おもてなし武将隊

  • 桜の岡崎城を見に行きました

    訪問日:2019年4月6日 名鉄東岡崎駅で下車。改札を出ると、北口と南口がありましたが、岡崎城に行くにはどちらに行けばよいかは書かれていませんでした。しかし、きっと北口だろうと思い、北口から駅の外に出て、地図アプリで確認すると、合っていました。 駅から少し歩くと、乙川に出、そこから竹千代通りを歩けば岡崎城に到着しますが、乙川の河川敷を歩けるようになっていましたので、竹千代通りから河川敷に降り、岡崎城址公園に向かって歩くことにしました。河川敷の土手には桜が植えられており、桜がとても綺麗でした。また菜の花もあり、桜と菜の花の組み合わせもとても良かったです。岡崎城近くの河川敷には沢山の屋台が出ており、賑やかでした(昼食は屋台で食べました)。 岡崎城 神橋を渡り、城内へ。神橋から見る龍城堀も良い感じでした。 龍城神社にはお参りする長い列があり、「人気のある神社なんだな」と思い、天守閣の前へ。やはり、天守閣を見ると「お城に来た」という気がします。早速、桜と一緒に天守閣の写真を撮りました。しかし、桜は乙川と伊賀川沿いを中心に植えられており、桜と天守閣を一緒に撮れるポイントが思ったより少なく、その点は残念でした。 天守閣の中に入館しようと思いましたが、桜まつりで沢山の人が岡崎城址公園を訪れており、チケットを買う長い列が目に入りました。案内板を見ると、三河武士のやかた家康館も一緒に見るならば、家康館で共通券を購入したほうが混雑時は便利とあり、家康館にも入館するつもりでしたので、家康館に向かうことにしました。 途中、天守閣の裏側(?)に行くと、深い堀があり、正面から見た時とは、かなり印象が異なりました。 家康館で共通券(500円)を購入し、館内を見学。次に天守閣内を見学して、その後、城内をめぐり、徳川家康銅像、徳川家康しかみ像、本多忠勝像、産湯の井戸などを見ました。しかみ像は徳川宗家十八代当主から平成19年に寄贈されたそうで、私はしかみ像が好きなので、スマホの壁紙に設定しました。また本多忠勝は徳川の武将の中では一番好きな武将ですので、格好良かったです。 最後に

  • 桜の小田原城を見に行きました

    訪問日:2019年4月4日 今年(2019年)は4月に記録的な強い寒気が入り、寒の戻りがありましたので、桜の開花から満開までのペースが緩んでいました。訪問日した4月4日の小田原城址公園の桜は七分咲きとのことでしたが、この日以外は訪問できそうにないので、訪れることにしました。 隅櫓と桜 JR小田原駅から歩いて小田原城へ。お堀端通りを歩いていると、桜と隅櫓の景色が見え、「お城と桜は似合うな」と感じました。個人的には、隅櫓と桜の景色が一番良かったです。 常盤木門と桜 馬出門、銅門を通って、二の丸広場へ。常盤木門と桜も綺麗でした。 天守閣と桜 常盤木門を通って、本丸広場へ。天守閣と桜も良い感じでした。ただ、正直な感想を書くと、もう少し天守閣と桜が一緒に撮れるポイントがあれば良いなと思いました。 最後に この日は平日にもかかわらず、沢山の人が小田原城を訪れていました(小田原城址公園は神奈川県のお花見人気スポットですので、当たり前といえば当たり前ですが)。桜を眺めている人達の楽しそうな表情を見ていると、元々戦いのために造られたお城ですが、平成(5月からは令和)時代には、平和のシンボルになっていると感じました。

  • 「【二条城】徳川将軍の巨大御殿!絢爛豪華なアート空間を味わい尽くす」に参加しました

    訪問日:2019年3月31日 まいまい京都が主催するツアー「【二条城】徳川将軍の巨大御殿!絢爛豪華なアート空間を味わい尽くす」に参加し、二条城を訪れました。全体的に非常に濃厚な内容で、特に唐門、二の丸御殿内の説明は非常に印象深いものでしたが、それらに関しては実際にツアーに参加して聞いていただくとし、それ以外のことで3つ書きたいと思います。 二条城が持つ2つの顔 二条城は大きく2つのエリアに分けることができる。ひとつは東側の天皇を迎えるためのエリア(エリア1)、もうひとつは西側の天守が存在した城エリアである(エリア2)。現在、二条城に入城する場合、エリア1の入り口である東大手門から入るが、城エリアにある西門とはイメージがかなり異なる。東大手門は一重の門であるが、西門は多くの城でみられる枡形虎口である。西側は西国大名に睨みを利かせるために本来の城のようにしたのではないか。 → 確かにエリア1にいる時には「城にいる」という感じがあまりしませんでしたが、エリア2に入ると「城にいる」という感じがしました。 東大手門は、徳川幕府初代将軍である徳川家康が伏見城で征夷大将軍の宣下を受けた後、二条城に入る時に通った門であり、西門は徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜が大政奉還後、二条城を出る時に通った門であり、どちらも歴史上の大きなイベントに関係するもので、その時の様子をイメージするのも楽しいものです。 本丸櫓門 本丸櫓門を初めて見た時、とても変わった形をしているなと思いました。現在も橋がかかっていますが、実は橋は元々は2階橋であり、寛永行幸の際、後水尾天皇は二の丸御殿内から橋の2階の畳廊下を通って、地上を歩くことなく、天守まで行かれたそうです。2階橋の一部は昭和5年頃まで残っていたそうですが、解体され、部材は保管されているそうです。是非、京都市には、2階橋を再建して欲しいですね。天皇と将軍が一緒に歩いた橋、歴史浪漫を感じ、大人気になることは間違いなしだと思います。 案内には「(二条城の天守は)天皇が登った唯一の天守閣と言われている」と書かれていましたが、ガイドの方は「聚楽第の天守にも登ったのではないか」と話されていたのが印象に残りました。 旧二条城の石垣