メインカテゴリーを選択しなおす
📕 ようこそ 📕 シーズン前の暇つぶし ちゃっちゃと終わってしまったので本でも読むかー 子供の頃から読書好き 児童文学から大人の階段ちょいと登って初めて…
木之本駅から歩いて約5分の浄信寺は、通称「木之本地蔵院」と呼ばれています。本尊は地蔵菩薩(秘仏)。境内には秘仏本尊の写しである高さ約6メートルの地蔵菩薩大銅像があり、これは日本三大地蔵の一つとされ、眼の地蔵菩薩として信仰を集めています。地蔵菩薩大銅像身代わり蛙片目をつぶった蛙がずらり・・・天武天皇の時代、難波浦(大阪府)に金光を放つ地蔵菩薩像が漂着し、これを祀った金光寺を難波の地に建てたのが始まりで...
最終回を迎えた大河ドラマ「どうする家康」。感想の第二弾だな最終回は徳川家康の最後……より、大阪城炎上の方が印象に残りました。千姫は秀頼と茶々の助命を家康に嘆願…
#529 まとめ 大坂冬&夏の陣を描いた『城塞 上中下』と大河比較
司馬遼太郎先生が徳川家康を主人公にした歴史小説『城塞(上)(新潮文庫)』『城塞(中) (新潮文庫)』『城塞(下)(新潮文庫)』の全体を通してのレビューと大河と…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 111.徳川家康・九十九
織田家が、豊臣秀吉の天下を受け入れ、豊臣政権、江戸時代を生き延びたのに対して、豊臣家は、徳川家康に滅ぼされた。 徳川家康は、豊臣秀吉の死の時点では、豊臣家を…
B073【真田信繁(幸村)公との歓談】家康公を直接撃った!?本名は真田信繁※真田幸村は江戸時代の劇で使われたそうです。本人は名前を一度も変えていないそうです。巫女>人望もあった人ですね。重鎮的な感じのイメージであんまり多くを語らないイメージの人ですね赤い鎧を着てわりと体格的にはそんな大きな人ではないですね。真田信繁(幸村)公>何かご用か?巫女>鎧甲をとって話を始めてくれようとしています。信繁公>我が家臣に何か用か?阿山>家康公を直接撃たれたのは信繁公ですよね?信繁公>さよう(剣を横にして持って)阿山>馬に乗って短銃で撃っていますよね?信繁公>さよう。阿山>家康公も認められていますから(※家康公との対談をご覧ください)※解説徳川家康公証拠の物品(カゴの穴、血のついた服、墓跡、短銃など)が揃っている籠にある鉄...【真田信繁(幸村)公との歓談】家康公を直接撃った!?
#527 秀頼の死は因果応報⁉ from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
12月10日放送の大河ドラマ『どうする家康』「XXXX」の大坂の夏の陣を大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫)』で見ていきた…
#524 第48回「神の君へ」感想~大河ドラマ『どうする家康』
乱世(穢土)をついに戦無き世(浄土)にした大河ドラマ『どうする家康』の最終回の第48回「神の君へ」(12月17日放映) 戦無き世(浄土)を実現した家康の家族と…
歴史人「大坂の陣12の謎」!家康の狙いは?淀君は悪女か?秀頼は秀吉の子か?
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、歴史人「大坂の陣12の謎」!家康の狙いは?淀君は悪女か?秀頼は秀吉の子か?です。 「夢中図書館 読書館」は、小説や雑誌などの感想や
#525 大坂夏の陣from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
12月17日放送の大河ドラマ『どうする家康』「神の君へ」の大坂の夏の陣を大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫)』で見ていきた…
大坂夏の陣の戦いの火蓋が切られたのは、慶長20年(1615年)4月26日。豊臣方の大和郡山城攻めからでした。その後、4月29日には紀州路方面での樫井の戦...
#523 和議から夏の陣へfrom『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
12月10日放送の大河ドラマ『どうする家康』「乱世の亡霊」の大坂冬の陣の和議から夏の陣にむけてを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜大砲撃ち込まれてボコボコの大阪城、さてどうなったか?ってことで第47話の感想ぉ〜!大筒の砲撃で和議に持ち込…
【どうする家康】#47 「乱世の亡霊の王」を育てた拗らせ茶々、過ちに気づくも遅かった
罪なのは、美しき「憧れの君」松潤家康だった NHK大河ドラマ「どうする家康」ラスト前の第47回「乱世の亡霊」が12/10に放送された。前回は冬の陣、今回は夏の陣かと思ったら、講和と夏の陣に向かうまでの話だった。となると、次の最終回は夏の陣と家康の終活か。 まずは公式サイトからあらすじを引用させていただく。 家康(松本潤)の大筒による攻撃で難攻不落の大坂城は崩壊。茶々(北川景子)の妹・初(鈴木杏)と阿茶(松本若菜)が話し合い、秀頼(作間龍斗)が大坂に留まることと引き換えに、城の堀を埋めることで和議が成立する。だが乱世を望む荒武者たちは全国から大坂城に集まり続け、豊臣を滅ぼすまで平穏は訪れないと、…
NHK大河ドラマ『どうする家康』も大坂の陣、その大坂の陣を特集にした『歴史街道2024年1月号(特集1「大坂の陣・語られざる舞台裏」)』の感想大河では描かれな…
#519 本レビュー 最終決戦 大坂夏の陣!『城塞 下』 司馬遼太郎
大坂の陣を題材にした司馬遼太郎先生の小説『城塞(下)(新潮文庫)』を読みました。『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』と比べてどうかレビューしたいと思いま…
嵯峨野の清凉寺は、嵯峨釈迦堂の名で知られる浄土宗の寺院です。嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の別荘・栖霞観(せいかかん)の跡に開かれた棲霞寺にお堂を建立し、釈迦如来を安置したと伝えられています。栖霞観跡本堂(釈迦堂)は、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって寄進・造営されましたが、嵯峨の大火が類焼し、本堂以下の伽藍は被災。元禄13年(1700年)より、本尊の江戸に始まる各地への出開帳が始まり、また...
#516 第47回「乱世の亡霊」感想~大河ドラマ『どうする家康』
大坂冬の陣終わり和議成立するも、激突へ 大河ドラマ『どうする家康』の第47回「乱世の亡霊」(12月10日放映)について家康の戦無き世(浄土)の実現の前に現れた…
#517 大坂の冬の陣from『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
12月3日放送の大河ドラマ『どうする家康』「大坂の陣」の冬の陣の戦闘についてこれを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫)』で…
大阪の谷町9丁目駅から徒歩5分ほどのところにある生国魂神社(いくたまじんじゃ)生魂(イクタマ)とは、生まれたばかりの魂という意味があるそうです。社伝によれば、神武東征の際、神武天皇が、生島神・足島(たるしま)神を、現在の大阪城付近に祀ったのに始まると伝えています。戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失。天正11年(1583年)豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社殿を...
1615年(慶長20年)徳川家康は浪人解雇と豊臣家の移封を要求しましたが、豊臣秀頼は父の城を捨てるわけにはいかないと拒否し、大坂夏の陣が始まりました。淀殿は、女性でありながら、甲冑に身を包み、豊臣方の総大将として徳川との戦に臨みましたが、堀を埋められた豊臣に勝ち目はなく、ついに大阪城は落城。淀殿は、秀頼の「豊臣の人間として果てたい」という言葉で、自分もともに自刃することを決めました。家臣に救出された千姫...
何度見ても,茶々サンが千姫に覆い被さるシーンは,よきですな・・・。 お初サン,最初の印象よりもしたたかでございますね。で,大蔵卿局が表情演技でセリフなしってのが贅沢だな(笑)。・・・天命に逆らうなってお告げですか?(苦笑)茶々サンの中の何か・・・ね。 「あるいは大御所様かも」の言葉が,痛い。ここに来て,ポンコツ神君に重い荷物を背負わせましたな。今作で,多分一番重い「回収」じゃないか? 千姫の親別れの場面,...
『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』も大坂の陣。これを司馬遼太郎先生がどう描くのだろうと思い、『城塞(上)(新潮文庫)』を読みました。秀頼を滅ぼす!と決…
#515 本レビュー 大坂の冬の陣と和議『城塞 中』 司馬遼太郎
『城塞(中) (新潮文庫)』大坂の陣を題材にした司馬遼太郎先生の作品『大河ドラマ「どうする家康」 - NHK』は主人公が徳川家康。これを司馬遼太郎先生がどう描…
徳川方の砲撃に恐れおののいた淀殿は、一転して和議の申し出に応じます。そして、徳川、豊臣両者による和議の話し合いが行われたのは、慶長19年(1614年)1...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜感想が1週遅れちゃったなってことで第46話の感想ぉ!ついに豊臣との戦を決意した家康。豊臣の名を残すことを考…
#511 大坂の陣にむけてfrom『三河物語』~『どうする家康』を楽しむため
12月3日放送の大河ドラマ『どうする家康』「大坂の陣」について、これを大久保彦左衛門忠教(忠世の弟)の『現代語訳 三河物語 (ちくま学芸文庫)』で見ていきたい…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 100.徳川家康・八十八
12月19日、徳川方と豊臣方の使者は、講和条件に合意する。 20日に誓書を交換して、和平を成立させた。 同日、徳川家康・秀忠は、諸将の大阪城への砲撃を停止さ…
#504 第46回「大坂の陣」感想~大河ドラマ『どうする家康』
狸親父の家康と女狐の茶々との化かし合いがついに武力対決に発展してしまう大河ドラマ『どうする家康』の第46回「大坂の陣」(12月3日放映)大坂の挑発でついに火ぶ…
アヴァン,崇伝と羅山の掛け合い,笑える〜。前回,呼び出されただけで横から鐘銘にオチが付けられてたんで,セリフなしかと心配してますたw 且元サン,例によって胃が痛い演出であります。「豊臣秀頼」を生きる秀頼クンのビミョーな表情が,悪くない。 総大将を勧める江サンの表情,娘を案じる故とは言え,血は争えませんな(苦笑) ところで,バックで遊んでるお子たちを見守ってるボヤけた姿は,もしかしてあのお方ですか? 織田...
どうする家康 第46話「大坂の陣」 その1 ~方広寺鐘銘事件~
今回は方広寺鐘銘事件から大坂冬の陣の終結まで一気に話が進みましたね。平成28年(2016年)の大河ドラマ『真田丸』のときはこの間だけで5話ぐらい費やしてい...
【どうする家康】#45 涙のプリンス秀忠こそが、戦を求めない「王道」を成す者
サブタイトルは「二人のプリンス」でも NHK大河ドラマ「どうする家康」第45回「二人のプリンス」が11/26に放送された。いやあ、11月もこれで終わり、残るは12月の3回分だけ。視聴者側のこちらの気持ちも急いてくる気がする。まずはあらすじを公式サイトから引用する。 関ケ原で敗れ、牢人となった武士が豊臣の下に集結していた。憂慮した家康(松本潤)は、秀頼(作間龍斗)を二条城に呼び、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとする。しかし、初めて世間に姿を見せた秀頼の麗しさに人々は熱狂。脅威を感じた家康は、秀忠(森崎ウィン)の世に憂いを残さぬためにも、自らの手で豊臣との問題を解決しようとする。そんな中、豊臣…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜徳川幕府の成り立ちとかはバッサリ端折ってるよねってことで第45話の感想ぉ〜!今回、豊臣秀頼をめちゃ持ち上げ…
慶長16年(1611年)3月28日、古希を目前にした徳川家康は、京の二条城にて19歳の豊臣秀頼と対面しました。関ヶ原の戦い以後、わずか65万石となり、実...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 93.徳川家康・八十壱
毛利勝永は、羽柴秀吉の家臣、森吉成の息子である。 1587年(天正十五年)、豊臣秀吉は、九州平定を終えると、森吉成に、豊前国規矩郡、高羽郡の二軍郡六万石を与…
#495 第45回「二人のプリンス」感想~大河ドラマ『どうする家康』
成長した豊臣秀頼と徳川家康に譲られた二代目将軍の徳川秀忠の二人のプリンスの間で徳川の天下のために静かに動く家康もついに決断をすることとなる大河ドラマ『どうする…
京都の東山にある方広寺は、天台宗山門派の寺で、豊臣秀吉により建立されました。しかし、「方広寺」という寺号は、江戸時代初期の文献には見られず、自然発生的なものとされています。方広寺大仏を発願した秀吉は、正式な寺号を定めておらず、当時は単に大仏(殿)、新大仏(殿)・京大仏(殿)・東山大仏(殿)・京東大仏(殿)・洛東大仏(殿)などと呼ばれていたそうです。天正14年(1586年)大仏殿の造営が開始され、文禄4年(...
のっけから出た,茶々サマのパワハラ〜www あ,オープニング元に戻った。あの回だけだったんか〜い! 結構気に入ったんだけどな〜。最終回とかで,も一度やってくれんかしら。 豊臣公家化戦略・・・頭の切れる息子は,飄々とした親父には勝てないんだよな〜。 清正クン,かっこい〜(笑) 秀頼クン,若いながら凄みを出してるのが,よき。偉大なる凡庸・秀忠クンとはえらい違い。 最初の対面の場から,和やかに火花散ってるし。 ど...
元離宮二条城は、慶長8年(1603)徳川家康が京都の守護および上洛じょうらく時の居城として築城した城で、慶長16年(1611)3月28日、家康と豊臣秀頼の会見が行われました。当初、秀頼はこれを秀忠の征夷大将軍任官の際の要請と同じく拒絶する方向でいましたが、家康は織田有楽や高台院を仲介として上洛を要請し、ついには秀頼を上洛させることに成功しました。Wikipediaによると、「前日の27日未明に、福島正則などを留守居役として秀...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜関ヶ原後、どうなったかなぁ…って第44話の感想ぉ〜!「関ヶ原の戦い」後、豊臣秀頼に挨拶をした家康。茶々さん…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 89.徳川家康・七十七
9月23日、片桐且元は、織田信雄より、薄田兼相等を討手とする、暗殺計画を知らされ、]屋敷の篭り守りを固めた。 片桐且元の殺害は、木村重成、渡辺糺、石川貞政、…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 88.徳川家康・七十六
方広寺鐘銘事件は、バカバカしい程の徳川家康の言い掛かりであるため、本項において、簡略化して説明する。 方広寺は、京の大仏と呼ばれ、豊臣秀吉が、発願し、建設さ…
サライ.jp秀吉と茶々の息子・豊臣秀頼の生涯|「大坂の陣」で家康と戦い敗れた豊臣家の若き後継者
にほんブログ村にほんブログ村 「前時代的な体質」の宝塚、全劇団員に調査へ…OG「外部漏らし」厳禁で家族に相談できず【読売新聞】 宝塚歌劇団の 宙 ( そら …
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 87.徳川家康・七十五
豊臣家は、江戸の武家政権に対して、特別の地位を保持していた。 実質的には、徳川家の支配下には、編入されておらず、関ヶ原の戦い後に、西国に配置した、東軍の大名…
#486 第44回「徳川幕府誕生」感想~大河ドラマ『どうする家康』
関ヶ原の戦い後の徳川家康と茶々&秀頼の静かに進行していく対立を描いた大河ドラマ『どうする家康』の第44回「徳川幕府誕生」(11月19日放映)家康と茶々の本心を…
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 86.徳川家康・七十四
しかし、板倉勝重は、公家衆五人、女官五人、女嬬二人を、蝦夷及び、伊豆新島等へと各々、配流するに留めた。 後陽成天皇にとっては、板倉勝重の処分は。手ぬるいため…
どうする家康 第44話「徳川幕府誕生」 ~征夷大将軍就任と世襲~
関ヶ原の戦いに大勝利を収めた徳川家康は、慶長8年(1603年)2月12日に朝廷より征夷大将軍の職に任ぜられ、事実上、江戸を中心とした武家政権を開始しまし...
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 83.徳川家康・七十壱
三年後の1605年(慶長十年)4月、徳川家康は、将軍職を辞すると共に、朝廷に対し、家康の三男で、嫡男の徳川秀忠への将軍宣下を行わせた。 実は、徳川家康の征夷…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜家康さんが狸って言われているのは演技なんかなぁ?ってことで第41話の感想ぉ!石田三成を政(まつりごと)から…