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木之本の大澤寺から観音寺へ。通称「黒田観音寺」と呼ばれ、本尊は平安時代初期に行基によって作られたと伝わる木像千手観世音菩薩です。(最澄の作という伝承もあります。)そのお姿には、准胝観音の特徴が見られます。一時期は荒廃しましたが、この観音様を見た高僧がお堂の修復に力を貸し、この地の豪族・黒田家の祖先が多額の浄財を寄進し、観音寺は復興されました。境内にある二基の石塔は、黒田家の祖先・宗清の墓であると言...
木ノ本の樹徳寺には、黒田氏歴代の墓石と、黒田官兵衛の肖像画の掛け軸が収められています。樹徳寺は、もともとは木之本町黒田地区にあり、官兵衛の祖先といわれている黒田氏が黒田に居住していた頃の菩提寺でした。明治11年に黒田から田居集落に移り、昭和33年に本堂が建てられていました。黒田氏歴代の墓石官兵衛の衣冠束帯姿の肖像画としては日本に唯一のものだそうです。(木之本地蔵院の書院に展示されていたパネルを撮影した...
木之本駅から歩いて約5分の浄信寺は、通称「木之本地蔵院」と呼ばれています。本尊は地蔵菩薩(秘仏)。境内には秘仏本尊の写しである高さ約6メートルの地蔵菩薩大銅像があり、これは日本三大地蔵の一つとされ、眼の地蔵菩薩として信仰を集めています。地蔵菩薩大銅像身代わり蛙片目をつぶった蛙がずらり・・・天武天皇の時代、難波浦(大阪府)に金光を放つ地蔵菩薩像が漂着し、これを祀った金光寺を難波の地に建てたのが始まりで...
滋賀県長浜市の北国街道の宿場町・木之本町は、良質な生糸の産地であり、三味線や琴などの和楽器糸の生産が盛んな地域として知られています。『源氏物語』では、琵琶を演奏する場面がしばしば登場し、貴族たちに愛されていたのがわかります。琵琶の歴史を辿ってみると、7、8世紀頃、中国大陸から日本に入り、雅楽に用いられ(楽琵琶)、のち盲僧琵琶・平家琵琶・薩摩琵琶・筑前琵琶などの種類が生まれました。琵琶を奏でる匂宮(『...
4月の旅行の記録が続くのでござる。 敦賀インターから高速道路に乗って、 このインターで降りる。 どこやねん⁈ ん~~~~~? ゲートに書いてないな~。 そうそう、出口に
今回はアメブロのスタンプネタに乗ってみましょう。久しぶりのスタンプネタだな旅行の思い出は?▼本日限定!ブログスタンプ あなたもスタンプをGETしよう旅行の思い…